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ソラノーツ  作者: 花の人
第二章 死神を纏う少女
18/19

セツ

 日が沈み、屋敷が静まるのを待った私は、メモに書かれた内容に従って屋根裏の道を伝い始めた。

 向かう先は、今まで誰しもが立ち入ることを禁じられていた……『大祖母の間』。

 ……ならば当然、標的は大祖母様だ。


 ――大祖母様を殺す? 私が?


 この拝宇の家を、長きに渡って支え続けて来た柱ともいうべき存在。

 それが大祖母様だと……私はそう伝え聞いている。


 誰にも姿を見せることはないが、確かにこの家に『居る』その存在。

 曰くあの叔父も、全てその大祖母様の命で動いていたらしい。


 何故、長を殺すのか。誰がそれを望んだのか。

 ……そんなことは、どうだっていい。


 とにかく今、重要なことは。


 ――少なくとも、これで私の復讐は果たされる、ということだ。


 私を苦しめ続けてきた、この家の原点。

 邪悪の権化。汚濁の化身。

 それを殺すことが出来るならば、間違いようもなく私の気は晴れるだろう。


「ふ、ふふ……」


 薄暗い闇の中で、ひそりと笑みを浮かべる。

 今の私は、闇より深い黒だった。


「……ここだ」


 薄明りを漏らす天板を剥ぎ、私は音もなく部屋に侵入する。


「……?」


 少々の疑問を覚えながら、周辺の情報を収集する。


 そこは何の変哲もない一室だった。

 いや、何の変哲もないというより……文字通り、『何もない』部屋。

 高価な壺も、豪勢な芸術品も、何一つ置かれていない。

 特筆すべき点の一切ない、無の空間……私の部屋と同じだ。


 かつて栄華を極めた拝宇、その長たる大祖母の部屋にしては……質素に過ぎる部屋ではあったが。

 逆にその不気味さが、謎に満ちた大祖母という存在への確信に繋がる。


 ――そして。


「――」


 そんな座敷の中央に敷かれた敷布団、その上に座る人の背中。

 本でも読んでいるのだろうか。

 手元に蝋燭の灯を置いて、上半身を起こしている。


 ――彼女が、大祖母様。


 背中からゆっくりと大鎌を引き抜き、その背後に忍び寄る。


 蝋燭で影になって、輪郭しか掴めないが……その姿はやけに小さかった。

 まるで……そう、子供のように。


 ――っ。


 ズキリと、脳を刺し貫かれるような感覚。

 何かがおかしい、と。

 頭の中で警鐘が鳴り響いている。


 ――うる、さい……。


 立ち昇る不安を無理やりに抑え付け、私は鎌を構えたまま歩みを進める。


 一歩、二歩……三歩。

 ……射程に、入った。


「――」


 高鳴る心臓。

 明滅する視界。

 今にも倒れてしまいそうな息苦しさを封じ込めて、私は大鎌を掴む両手に力を込める。


 ――これで、全部終わり……!


 そしてその小さなうなじに向けて、一息に――


「――よく来てくれましたね、シャル」


 ――突風のように吹き抜けた、その声。

 可憐で、華麗で、端麗。

 ズキズキと痛む頭の靄が、一瞬にして取り払われていく。


 ……この、声、は。


「………………セツ?」


 違う、そんなはずはない。彼女がここに……居るはずがない。

 そうやって理性が否定する一方で、記憶の奥底に封じ込めた姿が……どうしようもなく、目前の影に、ピタリと重なる。


 ……影が、こちらを振り向く。


「えぇ、わたくしです……お久しぶりですね」


 真っ白な長い髪と肌。

 花柄の着物に、美しい銀の瞳。

 歳の頃は十歳ほどの、まるで雪のように儚げな雰囲気の少女。


 ――拝宇、セツ。

 屋敷の……『幽霊』。


 そしてその、正体は……。


「君、は……君が、大祖母、なの……?」


「大正解、です」


 寂し気に笑って、セツは両手の指で正解を示す輪を作った。


「あなたがここに来たということは、彼は上手くやれたのですね……本当に良かった」


「な、なんで……どうして!?」


 とても信じ難い事実に、私は大鎌を手放し、彼女の肩を掴んで揺さぶる。


 小さい……本当に小さい、その体。

 成長した今の私には、その姿はあまりに矮小に過ぎた。


 加減を間違えれば、たちまち砕けてしまいそうなほどに。


「……どうして? それはあなたが一番、よ~く分かっているはず……そうでしょう?」


 セツの華奢な手のひらが、私の胸にそっと触れる。

 瞬間、彼女と紡いだ輝かしい思い出が蘇っていく。


 ――再び光が、差し込む。


「――そうだ……わ、私は……君を連れ出すって……そう、約束……!」


 彼女と出かけた、あの一日。

 その最後に交わした約束。

 違わぬと決めた誓い。


 ――そうだよ、思い出した! 私はセツを連れ出して、そして家から出るんだ……!


 そのために頑張って来た。

 心が消え失せるまで、私は殺し続けて来た。

 そう、全ては……この日のために。


 私は取り落とした鎌を拾い上げ、彼女の前に掲げる。


「ほら見て、セツ……! 私、一人前になったんだ……だから!」


「えぇ、ですから、約束通り」


 遮るように言葉を重ね、セツは笑う。

 記憶に残る姿と、何も違わないまま。

 優しく、小さく、微笑んで。

 その暗澹たる告別を、口にする。


「――その鎌で、わたくしを……殺してくださいな」


「――」


 刹那、刻が止まる。


 ――今、なんて……言った?


「じょ、冗談……だよね、そうだろう?」


「……まずは、説明が必要ですよね」


 笑顔を崩して、ため息を吐くセツ。

 その姿に、今の発言は聞き間違いでも冗談でもないのだと……思い知らされる。


 頭を殴りつけられたようなショックで、私が動けないで居るのもお構いなしに……セツは、その説明とやらを始めた。


「家の様子は、ご覧になりましたよね? ……今や、拝宇の家は様々な派閥に別れ、抗争状態にあります。これも全ては、わたくしの至らなさが生み出したこと」


「始まりは小さな不和でした。永い刻の中で薄れゆく血統、新たな介錯の一派である『聖火隊』の台頭、そして……拝宇シャル、あなたという歪み」


「命を絶つ使命を帯びるわたくしたちが、新たな命を生み出すという禁忌。忌み子たるあなたの存在が、家の混乱を加速させていきました」


「やがて内部の勢力は分かれ、睨み合いの様相を呈すようになり……わたくしも止めるために、奮闘はしたのですけれどね。結局、このような形となってしまいました」


 一息に喋り切って、セツは再び笑った。

 自虐的な笑み。自分という存在の無力さを痛感している、そんな笑みだった。


 ――そうか。あの日以来、セツが消えたのは……それが原因か。


 ひとまず、先ほどのセツの言葉は一旦頭の隅に置いておき……私は、今語られている内容に集中することにした。

 結局のところ、私が殺さなければ良いだけの話だ。

 彼女が何を語ろうと……私が彼女を殺害することに、同意するはずがないのだから。


「確かに、あれ以降……時折、屋敷から人が消えるようになった気がする。戦闘も度々起こっているみたいだった」


 セツが居なくなってそれどころではなかった私は、気にもしていなかったけれど。


 ――でも、それなら。


「どうして……セツは、狙われていないの?」


「わたくしはほら、このような脆弱な身ですから。下手に動けぬ弱さが故に、後回しにされているだけ。いずれ魔の手はわたくしにも伸びるでしょう」


 小さくか細い腕を広げて見せるセツ。

 確かにこんな少女の身では、何をどうしたって……一方的に行使される力を前に、抗うことは出来ないだろう。

 かつての私が、そうであったように。


「そしてあなたは、この屋敷の何処にも属さないために、見逃されていたというだけの話。わたくしを守ろうとするならば……間違いなく、あなたは殺されてしまう」


 私を見上げながら、セツは言った。

 その言葉に、少しだけむっと腹が立つ。


「私、強くなったよ。あの男にだって負けないくらい、強く」


「えぇ、知っていますよ。けれどあなたは、まだ人間でしょう……? 今までのあなたが受けて来た訓練は、将来的に天望人となることを見越した模擬戦。不死性も回復力もない人間相手の実戦となれば、彼らはどんな卑怯な手だって使うでしょう……。断言します。あなたでは彼らには勝てません」


「っ……」


 何も、言い返すことが出来なかった。

 確かに、私は武力の面では相応に強くはなったのだろう。

 しかし、セツの言う肉体的なディスアドバンテージは未だ残ったままだ。


 人間の体では、彼女を守りながら戦い続けることは出来ない……。


「そもそも、わたくしはここで死ぬ必要があるのです」


 顔を歪める私を前に、セツはきっぱりとそう断言する。


「拝宇の最も古き血を継ぐわたくしの死には、家にとって特別な意味があります。そしてもし、この身を殺した存在が明らかにならないままであれば、わたくしの手配した跡継ぎが名乗りを上げ、この争乱を迅速に平定に導く……そういう手筈になっています」


 ですので、誰にもマークされていないあなたに殺される必要があるのです……と、セツは付け足した。


 ――そんな、理由で。


 胸の内から、怒りが湧き上がる。


「納得……できるわけ、ないだろう? こんな家の奴らのために、殺されてやるなんて」


 大祖母としての役目だとか、古い血筋がどうとか、私にはそういうのは全然分からないけどさ。

 私の大嫌いな家の連中のためなんかに、唯一の光のセツを奪わせるなんて……そんなこと、認められるはずがない。


 内輪揉めで滅びるなら、勝手に滅べば良いだろう、こんな家の連中は。

 正面から戦うことは出来なくても、今の私ならセツを抱えて逃げるくらいは……。


 そう心の中で打診を始める私を見て、セツは再びため息を吐いた。


「……まぁ、ここまでは表向きの話です」


 セツはそう言うと、すぅっと深く息を吸い込んだ。


 蝋燭が切れて、灯火が潰える。

 窓際の障子から、薄く月明かりが差し込む。

 闇の中にぼうっと浮かび上がる、白い『幽霊』。


 その儚き存在が、消え入るような小さな声で、告白する。


「――シャル、あなたという存在を生み出したのは、何を隠そう……このわたくしです」


「――……っ」


 無論、実の母として……ということでは、ない。

 拝宇の『大祖母』として、拝宇という血を守るため、家を守るため、私を『作る』ことを推進した。

 私に『悪意』を教え込むことを了承し、苦痛を与える『訓練』をあの男に命じ。

 私の心を、長きに渡って苦しめ続けて来た。


 セツは、私が何より最も憎んでいた存在……そのもの、だった。


「一切、言い訳をするつもりは……ありません」


「どう、して……! 言い訳してよ、お願いだから……! 私、セツを……」


 ――恨みたくなんか、ない……!


 私は懇願しながら、か細いセツの体に縋る。


 セツは、私の闇の中でたった一つ……輝いていた光だったはずなのに。

 その光こそが、私を包む闇を生み出していたなんて。


「嫌だ、嫌だっ……! 嘘だよこんなの……!」


 ……そう。そんなこと、認めたくはなかったから。

 ――私は、忘れていた。


 屋敷の『幽霊』。

 一度も姿を現さない『大祖母』。

 数百年間、家に囚われている『拝宇セツ』。


 予想できる材料は、充分にあった。

 そう。予想、出来てしまったから。


 ……私は、彼女のことを記憶の奥底に封じ込めた。

 ふとした瞬間に脳裏を過る……ソレが見えると、酷く体が震えるので。

 見えないフリをした。していた。


 光が消えてしまうのは、苦しかったけれど。

 光が闇に変わってしまうことは、それよりずっとずっと……遥かに、恐ろしかった。


「あなたを苦しめておきながら、結局わたくしの選択は間違いだった。滅びを呼び寄せる一端となってしまった。全ての責任は、わたくしにあります」


「あああああ!! 黙れ!! 黙れ黙れ黙れ……っ!!!!」


 叫びで、喉が切れる。

 心が怒りと憎悪で、満ちていく。


 涙が零れる度に、美しい記憶も流れて失われる。

 私のたった一つの白が、吐瀉物のような汚濁で塗りたくられる。


 裏切り。

 それは最も単純に、人の心を壊すことの出来る、唾棄すべき行為。


「さぁシャル。早くその鎌で殺しなさいな。わたくしはあなたの『仇』なのですから」


「黙れッ!!!!」


 沸騰するような怒りのままに、私は大鎌を手に取る。


 ――あぁ、そうだよ! 初めからこうするつもりだった!! 殺してやるつもりだったんだ!!


 私を虐げた、苦しめた、この屋敷の奴らを全員殺す。

 セツがその元凶だというなら、同じように殺すだけだ。


 だって私は、そういう風に育てられた。

 お前がそう望んだから、こう育ったんだ。


 ――望み通り殺してやる……っ!! それで、お前が守りたかったこの家の奴らだって、全員殺して……!!


 そうして、復讐してやる。

 私を生んだ世界全てに。

 この全てが黒く染まり切った、地獄のような現実に。


「うあああッ!!!!」


 大鎌を振り上げる。


 細い首。

 落とせる。

 いとも容易く。


 そのまま滾る激情と共に、一息に振り下ろし――


「――っ」


 しかしその凶刃は、彼女の首を裂くそのギリギリの境界で……ピタリと、勢いを止めた。


 それは、肉体の反射でしかなかった。

 私の理性など、とうに消え失せていた。

 ただ、首を断つ最中……僅か視界に入ったその不可思議な光景が、私の肉体を強制的に留めただけだった。


「――なん、でっ……笑ってる、の……」


 セツは、笑っていた。

 涙ながらに、笑っていた。


 怖いはずだ。

 永遠の死は、恐ろしいはずだ。


 しかし彼女はその死の瞬間に……。

 今まで浮かべていたどの感情とも違う表情で、笑っていた。


 それは……その、感情は……。


 ――安心、だ。


「……シャル? どうしたんですか。さぁ早く――」


「答えて! あの日セツは……どうして、私の前に現れたの?」


 震える刃を寸前で止めたまま、私はセツに問う。


 初めて出会ったあの日。

 暗い物置で独り泣いていた私に、差し込んだ一筋の光。


 何故、君があそこに現れた?

 何故あの男ではなく、君である必要があった?


「――当然、あのままあなたに折れて貰っては……困るからです。家の存続のために」


 ――目を逸らした……嘘を、ついている。


 安定しない目線。

 純白の瞳に、薄膜のような影が差している。


 ――あぁ、そうか。

 セツは嘘をつくと……目を、逸らすのか。

 私はそれを今、『初めて知った』。


 ……なら、きっと。

 あの幻のような日々の……あの光の日常の中に、その言動に。


 ――嘘は無かったと……そういう、事だ。


「そうじゃない、だろう? 君は私に、罪悪感を抱いていた……。幼い少女だった私に、虐待という教育を課しているこの家と、自分自身に嫌気が差して……屋敷の『幽霊』として、私を助ける自分になることで……罪悪感から逃れようとした――違う?」


「……それ、は……」


 唇を噛み、歪む表情。

 ガラス細工のような端正な顔立ちが、一滴の嘘で割れてゆく。


 そのまま……しばしの沈黙の後。

 セツは観念したように、口を開いた。


「――えぇ、その通り。あなたの前に姿を現したのは、罪悪感からでした。けれど……次第に、それだけではなくなっていって」


 セツの顔が上げられ、私の瞳を覗く。

 瞳の奥の奥、まるで深海の底に触れるかのように。


「あなたは……数百年の間、お飾りの大祖母として扱われてきたわたくしを、ただ一人……等身大の少女として見てくださった、たった一人の、初めてのお友達」


「……初めて?」


 ……見覚えのある、目だった。

 純粋で、真っ白で、何処までも届く光のような眼差し。

 幼い頃の私とよく交わしていた、彼女のいつもの瞳。


 けれどそれはあまりに真っすぐで、眩しすぎて……成長した今の私にとっては、『痛いほどの』輝き。


 その光の源泉は、きっとこう呼ばれる感情だ。

 ――『執着』。


「わたくしにとっても、あなたとの時間は救いでした。あなたに惹かれていきました」


 共に過ごした、数々の思い出が蘇る。

 一緒に本を読んだ。駆けっこをした。髪を解いて貰った。着せ替えっこをした。


 そんな記憶の中の私たちは、確かに二人で笑っていた。


「そんなあなたを……わたくしは、苦しめた。苦しめ続けた。耐えられなかった」


 やがて渦を巻き始める、セツの瞳。

 白いままにうねり、螺旋を描き。

 その濁流に押し出されて、灰のような涙が溢れ出す。


 ――もしかすると、セツは。私がセツを想う以上に……。


 私は大鎌を彼女の首から離し、思わず一歩後退った。


「あなたが好きでした。好きなあなたをわたくしは苦しめました。好きな人を壊しました。たった一人の、わたくしだけの、大切な、大好きな、お友達を……」


「セツ……」


 両の掌で、セツは顔を抑えて泣く。

 小さなその指の隙間から、涙の滝が滑り落ちていく

 涙でぐちゃぐちゃになった目で、セツはそれでも私を見続けていた。


 ――数百年、だ。

 数百年間……彼女は、『大祖母』という役割の中で生きて来た。


 家の人間には……きっと、そう良い扱いをされては来なかったのだろう。

 こんな幼い身では、まともに介錯を行うこともできないのだから。

 ただ長く生きている。ただ古くから存在している。

 だから偉い。従わなければならない。


 そういう『権限』を持つだけの存在。

 暗に疎まれ、避けられ……だから、セツのことは誰もが知らないフリをした。

 関わろうとしなかった。確かに『居る』のに、まるで『居ない』かのように扱われた。

 まるで……『幽霊』のように。


 そんな永劫の日々の中で現れた、私という存在。

 『大祖母』としての彼女を知らず、『拝宇セツ』という一人の少女として扱った、私という存在は……。


 きっと彼女にとって、唯一の希望に他ならなかったのだろう。

 恐らく……私が彼女に抱いていた、それ以上に。


 ――そしてその希望の首を、セツは自らの手で締め続けて来た。


 それはどれほどの絶望だったのだろうか。


 私には解らない。

 たかだか十七年しか生きていない私には、数百年分の責め苦を払うほどの希望と……それを自ら消し潰す、そんな絶望など。


「――どうかわたくしを殺してください、シャル。約束通り……わたくしを、この長きに渡る苦しみから……連れ出して、ください」


 ……いつかの、その約束。

 数百年の呪縛からの解放。


 それはただ、彼女の死という形によってのみ果たされる。


 それこそが、彼女のたった一つの望み。

 彼女自身が救われるための、唯一の方法であり……彼女なりの、贖罪だった。


「他の誰でもない、あなたに……そうしていただきたいのです。あなたの腕の中で、死にたいのです」


「――……」


 ――沈黙。

 心の中で、感情が渦巻いている。


 消えぬ憎しみ。恨み。

 忘れぬ親愛。愛しさ。


 復讐。

 友達。

 希望。

 愛。


「……っ」


 きっと答えなど、初めから決まっていた。

 あらゆる状況が、たった一つの結論を導いている。

 何か他の道はないかと、考える必要もない。

 ……私の理性は、既に納得している。


 これで私の、望みは叶う。

 これで彼女の、望みも叶う。


 ただ、その結論を実行するためには……あまりに大きすぎる感情の整理が、必要だっただけだ。


「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………わかっ、た」


 たった四文字。

 喉につかえていたその言葉を、私は文字通り……吐き、出した。


 嗚咽のように。

 吐血のように。


 喉を切り裂く痛みと共に、もう訂正のできない決断を……口にした。


「――ありがとう、シャル」


 再び、セツは華のように微笑む。

 あぁ、安心した……そう、言うように。


「……」


 仮面を、被る。

 拝宇のペストマスク。

 介錯という重すぎる儀式から、己の心を守る……防具。


 縮まる視界。

 希薄になる外界。


 代わりに私の心は強くなる。

 余計なものは、見えなくていい。

 考えなくていい。


 ただ、目前の命を終わらせる。

 それがこの仮面を身に着けた私の、為すべきこと。


「……」


 少女の隣に立つ。

 鈴の鎌を振り上げる。


「……っ」


 ……震えて、いる。

 何も感じないのに。

 何も考えないのに。


 躰が凍り付く。

 感覚が消える。

 恐怖が蝕む。


 冷える、冷える、冷える、冷える。

 肉が。


 薄れる、薄れる、薄れる、薄れる。

 意識が。


 ――私は、何で、生まれて、しまった、の。


 それは、後悔。

 自己の存在を、ただ嘆く。


 ……こんなにも、辛いなら。

 いっそ。私の、方が……――


「――忘れないでください」


 吹き抜ける、声。

 断絶のマスク越しに突き抜けて、鼓膜を震わせる。


「あなたは、ただ殺すために殺すのではありません」


 少女は目を瞑ったまま、呟く。

 決然と。しかし嫋やかに。


「『人が人として、正しく死ぬため』に……そのために、殺すのです」


 ――今、気が付いた。

 セツという存在が、光……なんじゃない。


 彼女もまた、闇に生きた存在なのだから。


「あなたはこの世界でたった一人の、人を救う死神」


 彼女が居ると、眩しかったのは。

 光に向かって、一緒に歩いてくれていたからだ。


 いつだって、私の手を引っ張って。

 私に……光り輝く世界を、見せてくれた。


「どうかそのことだけは……忘れないでくださいね」


 ――光が、見える。


 温かな囁きで、心は保たれた。

 怯え震える私は、既にいない。

 ……最期の最後まで、私は彼女に救われた。


「――うん、忘れないよ」


 私は人を殺す、死神。


 でも殺戮者ではない。

 復讐者でもない。


 ――私は、介錯人だ。


 救うために殺す。

 拝宇の理念を……君の理念を、体現した存在になる。


「ありがとう……さようなら、セツ」


「えぇ……さようなら、シャル」


「「――たった一人の、私だけの友達」」



























































 ――リリ――ン……。


 ……花が、散った。


「……ぅ」


 よく知った感触。

 けれど、決定的に、何かが違う。


「あ、ぁ……」


 目前で、少女の形は崩れてゆく。


 数百年という長き刻。

 人ならざる神秘の力によって保たれていた、若き肉体は。

 それを断つ刃によって、砂のように解けて消えて行く。


 まるで土に還るように。

 再び自然の輪廻に加わるように。


 超常は超常によって砕かれた。

 そして人は、本来あるべき姿へと戻るのだ。


「――これが、『種』」


 布団の上、残された塵積もり。

 その中で、僅かに発光する光の粒。


 かつて宇宙より降り注ぎ、今や全人類を不死たらしめた……『種』。


 ――僅かに、花の香りが残っている。


「……」


 息苦しい仮面を剥いで、大鎌と『種』を手に、私は立ち上がった。

 そのままよろめきながら、部屋の外に出る。


「……雪」


 相も変わらず、外は一面の銀世界だった。

 けれど寒さは感じない。


 どうも、私の温度センサーはぶっ壊れてしまったらしい。

 さっきから体が熱くなったり震えたりで、忙しなかったからな。

 こうなるのも仕方はないだろう。


「……?」


 ふらつく足取りで、ただ歩く。

 どこに向かっているのか、自分でも分からない。

 何故歩いているのかも、分からない。


 私は、何処に居る?


「うっ……」


 何か障害物に足をひっかけて、私は正面から転倒する。

 幸い、降り積もった雪がクッションになったおかげで、痛みはなかった。


「あ、しまった……」


 上体を起こすと同時に、手の中から『種』が失われていることに気が付く。

 何故ソレが重要なのか、いまいち実感を伴わないまま……私は雪の中から光る小さな粒を探す。


「――良かった、あった……」


 探し続けること、数分。

 赤くかじかむ指先で、その『種』を拾い上げる。

 ……ほんのりと温かい。


 ――あぁ、そうだ、思い出した。これを呑むんだ。


 誰かがそう言っていた。そうしろと。

 そうだったはずだ、確か。


「――んぐっ」


 枝豆ほどの大きさのそれを口に含み、一息に呑みこむ。

 温かさが喉元を通り過ぎ、腹の中にポツリと墜ちる。


 ――その、瞬間。


「あ、あ……」


 肉の内側から、根が伸びるように熱が伝播していく。

 明らかな違和感ではあるのに、しかし不快感はない。

 柔らかな春の毛布を思わせる温かさが、全身を包んでいく。


 この優しい感覚は、誰かを思わせる。


 ――そう、だ。これは……。


「セツ……っ!!」


 そうしてようやく……彼女の死を、私は現実として理解するのだ。


 ただ『種』のみを残し、塵と消えた少女。

 私が殺した、友達。


「う、ぐ……あ」


 全身を迸る熱と共に、体表に長らく刻まれていた傷痕が癒えて行く。

 まるで彼女のように、肌が白く美しく整えられる。

 これが、天望人。

 不死たる神秘の力。


 ……けれどそんなものは、今の私にはどうでも良かった。


「ああああああああああああああ!!!!!!」


 何だって良かった。

 体に熱が宿ると同時、内側から溢れ出したこの激情を……ただぶつけられるものがあれば、何でも。


 たまたま手元には凶器たる大鎌があって。

 近くには大岩が転がっていたので。


「殺した……殺した殺した殺した殺した殺した殺した」


 何度も何度も、大鎌の先端を打ち付けた。

 その度に火花が散って、一面の銀世界を僅かに赤く照らした。


 セツはもう、二度と蘇らない。

 あの微笑みを私に向けることもない。

 全て奪ったのは、この私自身だ。


 そう、他の誰でもない。

 この、私が。


「――殺した!!!!」


 一際強く、両腕を大岩に向けて振り下ろし……瞬間。


 破裂するような金属音と共に、大鎌の先端が割れて弾け飛ぶ。

 切っ先が頬を掠めて、その痛みで私はようやく冷静さを取り戻す。


「そっか。もう……居ないんだ、セツは」


 今度は背中側から雪のクッションに倒れ込み、私は光の根に満たされた夜空を眺める。


 ――もっと……何か、すっとすると、思ってた。


 彼女を殺すことには、納得できる理由があった。

 正当な、感情もあった。


 だからそれを乗り越えて、ひとたび首を落としてしまえば……きっと、気持ちは楽になると。

 そう……思っていた。


 ――でも全然……そんなことはなくて。


「……っ」


 頬を、冷たい涙が伝う。

 既に、折れた切っ先に付けられた傷は治っていた。

 セツが遺した『種』の力で。


 ――これから彼女は、私と一緒に……私の中で、生き続けるんだ……。


 ――……なんて。

 そんな風に都合良くは……どうしても、思えなくて。


「――会いたいよ、セツ……」


 しんしんと降り続ける雪の向こう。

 遥か遠い月を眺めながら、私は独り……もう二度と埋まることのない虚しさを胸に、何処にも届かない言葉を吐くのだった。

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