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ソラノーツ  作者: 花の人
第二章 死神を纏う少女
17/19

『悪意』

「どうして? どうしていなくなっちゃったの?」


 訓練を終えても、セツは現れなかった。


「私のせい?」


 数か月が経った。セツは現れなかった。


「私があの日、外に出てしまったから?」


 屋敷中を探し回った。どこにもセツはいなかった。


「私は、助けるって、約束、した……した、から……だから、私は……」


 ……それからは、色褪せた毎日が続いた。

 訓練、勉強、読書。訓練、勉強、読書。

 毎日同じことの繰り返し。


 ――光が遠くなる。


 変わったことと言えば、屋敷の拭き掃除をする使用人が増えたことと。

 寝ている最中に、時折刃の打ち合う音が聞こえるようになったこと。

 そのくらいだ。

 

 私の世界は何も変わらない。

 私はただ、あの子を救うために、そのためだけに、同じ毎日を繰り返した。

 きっと何処かで、私の助けを待っている。

 何か理由があって、出てこられなくなってしまったんだ。


 だから私は必死に、一人前になるために頑張った。

 何度も何度も、殺し方を殺して学んだ。


 ――光が色褪せる。


 そうして繰り返す内に、殺せる回数は増えてきて。

 次第に殺す人数も増えてきて。

 やがて人間以外の殺し方だって分かるようになった。


 一度分かってさえしまえば、生物はこんなにも脆い。

 刃をスッと引くだけで、押し込むだけで、肉は壊れる。

 コツが分かると楽しいものだ。

 どうやればもっと効率的に殺せるかを考える。

 もっと簡単に壊せるかを考える。

 試す。修正する。

 うまくいったら、楽しい。

 殺し方を覚えるのは楽しい。


 ――光が消える。


 もう痛い思いはほとんどしなくなった。

 だって私が先に殺すから。

 誰も私を殺せない。殺すのは私だ。全員殺してやる。

 何も考えずに、何も感じずに、何も求めずに。

 殺す。ただ殺し続ける……。


 ――……あれ。私、なんで殺してるんだっけ……。


 ふとした瞬間、脳裏を過る白い影。

 ソレが見えた時は、酷く体が震えるので。

 見えないフリをした。していた。


 ……あぁ、早く一人前になりたいな。

 そうすればこの屋敷の全員を、本当の意味で殺し尽くして。

 それで……それからは……。


 ――……。


 そうして私は、十七歳になった。



 ◇ ◇ ◇



「――」


 午前七時、目が覚める。


「……」


 寝巻を脱ぎ、訓練用の外着に着替える。


「……騒がしいな」


 ここ最近はずっとそうだったけれど。

 今日は特に、屋敷全体がざわついている。


 悲鳴。

 鳴り響く金属音。

 立ち込める死の気配。


「――まぁ、いいか」


 血の張り付いた襖を開け、縁側に踊り出る。

 すぐ隣で転がっていた人形の事は無視して、私はいつもの中庭に向かった。


「雪……」


 随分寒いなと思ったら、雪が降り積もっている。

 昨晩は大雪だったのだろうか?

 中庭はすっかり白銀の世界に染まり切って……否。


 ――血痕。


 雪景色の中、踏み固められた足跡をなぞるようにつけられた血の跡。


「――よぉ」


 それを辿った先……中庭の白壁にもたれかかった状態で、その男は待っていた。

 男は気さくに上げていた手をそのまま胸ポケットに突っ込むと、煙草を取り出して火を点けた。


「ま、気にするな……致命傷だ」


 白い煙を口から吐きながら、男は呟く。

 腹部には何かで刺し貫かれたような傷痕。そこから血がぼたぼたと流れ落ち、赤い水溜りを足元に作っている。


 実に見慣れた景色だ。

 ただまぁ、私がやったのではないというのが不可解な点ではあるが。


「で、今日はどうするの?」


「今日はお前に届け物っつーかな……そら、あれだ。受け取れ」


 煙草を咥えながら、男はちょいちょいと隣を指差す。

 そこには黒いボストンバッグと……。


 ――鎌?


 何処かで見覚えのあるような……そんな美しい銀の刃の大鎌が立てかけてあった。


「これ……」


 近くに寄って、手に取る。

 漆の塗られた樫の柄。

 先端にまで波紋の刻まれた白刃。


 片手に取り、ぶんと一息に振り抜く。


 ――リリ――ン……。


 あぁ、この……鈴の音色。

 そうか、これが鈴音石の鎌。


 天望人を唯一、真の意味で殺すことが出来る……介錯の刃。


「――ま、晴れて一人前っつーこった……おめでとさん」


「ふうん……それで?」


 どうやらボストンバッグの方には、拝宇の介錯人の正装が入っているようだ。

 全身を包む漆黒の外套に、不気味なペストマスク。

 命を絶つ者の姿を隠すためにあてがわれた、呪われた装束。


 これらを渡すということは、本気で私を一人前と認めるらしい……まさかこんなに呆気ないものだとは、思わなかったけれど。


「それでも何もねぇよ。鞄ん中にゃ最初の仕事内容が書かれたメモがある。それに従ってターゲットを殺せ。そいつから排出した種を呑んで天望人になりゃ、お前は晴れて自由の身だ……それ以上でもそれ以下でもない」


「……はぁ」


 まぁ、何かと人間の肉体は不便だったからな。

 少しの傷で動かなくなるし、治りも遅い。

 その上一度も死ねないだなんて、動き辛くて仕方が無かった。


 やっと天望人として、不死身の体が手に入る……これで。


 ――これでもっと、沢山人を殺せる。


 三日月に裂けていく口元に、私は自分では気が付かなかった。


「フゥ――」


 どしん、と少し地が揺れて、男の体が雪に沈み込む。

 雪で薄まった血が跳ねて、私の靴を濡らした。


「――なぁ、今のこの世界で……『人の命を奪うもの』は、何だと思う?」


 白壁を、ずるりと滑り落ちる赤黒い血。

 座り込んだ姿勢のまま、男は虚ろな瞳で呟いた。


「……? これだろう、鈴音石の刃」


 私は握りしめた大鎌を掲げて答える。

 天望人の不死性を奪い、脊髄から種を排出させることの出来る刃。

 それが鈴音石で作られた刃であり……長らく拝宇の家の繁栄を約束してきた、この世界における絶対的な力だ。


「……いいや、違うな。そいつはただ『人を殺す』手段であって、『奪うもの』じゃあない……」


 灰の息を吐いて、男は独り言ちる。


「例えば昔、種のない時代には『不運』があった。不治の病による死、事故による死、地殻変動による死……そんな避けようのない『不運』は、確かに『人の命を奪うもの』だった」


「はぁ……それは、そうだろうけれども」


 いよいよ以て、何が言いたいのか分からない。

 この男は今際の際に、一体何を言っているんだ?


 ――これが、正真正銘最期の会話になるというのに。


 大鎌の柄を強く握りしめながら、私はこの男の首を刈るその瞬間を、ただ待っていた。


「しかし天望人になって、『不運』では人の命を奪えなくなった。崖から転がり落ちようと、雷に打たれようと、人の命は、尊厳は……奪えなくなった――だが、昔から変わらずに、今でも『人の命を奪うもの』がただ一つだけある」


「……それは?」


 じろりと、生気の灯らない瞳が私を見る。

 そこに、かつてあった黒さはない。

 ただ複雑に絡まって、濁った瞳。


「『悪意』だ」


 男は答える。

 既に、そこにかつての『悪意』はない瞳で。

 私にそう答えた。


「天望人は、あくまで肉体に関して不死身だというだけだ……。その気になれば、鈴音石なんて無くとも人の尊厳を奪う手段はある」


 吸い終わった煙草を放り捨て、男は次の煙草を震える指で取った。


「――例えば一度殺した相手を棺に入れて、地中深くに埋めればどうだ? セメントと一緒にドラム缶に詰めて、水底へ沈めれば? 当然彼らは蘇るさ……棺の中で、或いは水底で。そしてすぐに死ぬ。永遠にそれを繰り返し続ける……『天望人の命を奪う』なんて、存外簡単なことさ」


 上手く火を点けられず、ぽろりと煙草を取り落とす。

 私は「はぁ……」とため息を吐きながら、しゃがみ込んでその煙草を拾い上げた。


「ん、悪ぃな……フ――ま、結局何が言いたいかと言うとだ」


 だくだくと、血は流れ続けている。

 それを止めることもなく、男はただ煙草を片手に、言葉を紡ぐ。


「お前にはまず最初に、『悪意』を教える必要があった……。人の『悪意』を感じ取る力を養わせ、そして『悪意』から身を守る術を学ばせる必要があった……。『奪われない者』でなければ、介錯の刃という大きな力を扱う資格はない、からな……」


 「まぁ俺が教える必要もなく……お前の身の回りには『悪意』が蔓延っていただろうが」……そう付け足して、男は煙と一緒に血塊を吐き出した。


 しゃがみ込んだ私の頬に、男の吐いた血がへばりつく。

 既に光の消えかけた瞳が、笑うように私を見ている。


「――は?」


 ――そんなことの、ために?

 そのために、私はずっと……虐げられてきたのか?


 私が物心ついた時、世界が私に初めて教えた事は。

 ――ただただ純粋な、『悪意』だった。


 彼が望んだ様に、私は確かにそれを受けて育った。

 瞳に宿る黒さで、その『悪意』を測るようになった。測れるようになった。

 そして、身を守るための術も。


 全てが彼の思い通りで、掌の上。

 ――それも全部、私の……ため?


「――な……何、なんだ今更っ! そんな事を言って……叔父さんっ!!」


 鎌を持つ手が震える。

 久々に……本当に久々に、口に出す言葉に熱が灯っている。


 殺すつもりだったのに。

 今度こそ本当に、永遠にその命を絶って、復讐してやるつもりだったのに。


 ――そんなことを言われたら……殺せなくなってしまう……っ。


「――ハッ。次言ったら殺す……っつったはずなんだがな……生憎……今は、その元気が無ぇからよ……勘弁しといて、やるぜ……」


「待て! 私はまだ……っ!!」


「――」


 既にその肉に、熱はない。

 呼びかけに、答えもない。

 口から滑り落ちた煙草が、血と雪解けの中に沈んでいく。


「――か、勝手なことを言って……! 私の復讐、は……! あ、ああああああ!!」


 ずっと待ち望んでいた日のはずだった。

 一人前になったら、私を虐げたこの屋敷の者を殺し尽くしてやるつもりだった。

 その悪辣さが二度と目覚めぬように、お前らが教えた方法で介錯してやるつもりだった。

 その手始めに、真っ先に……この男を、叔父さんを、殺してやるつもりだった、のに。


「あなたは勝手だ……! 子供の私は、怖かったんだ……! 苦しかったんだ……! なのに、恨むこともさせてくれない……っ!! 本当にっ、何なんだ、あなたは!!」


 彼の血痕が残る壁を何度も殴りつけ、私は激昂した。


 何処か満足げにすら見えるその死に顔に、唾の一つでも吐きかけてやりたい。

 ……とても、酷い気分だ。


「――……はぁっ、はぁ……あぁ、そう……分かったよ」


 幾度かの絶叫を終え……私は、彼に託された鞄を開く。

 この男の思い通りになるのは癪でしかないが……どのみち、私に他に道はない。


「やればいいんだろう? あなたが望んだ通り、一人前の介錯人として……」


 拝宇の黒衣に、袖を通す。

 重く、息苦しい、死神の衣。

 そして殺人に一切の意志を介在させず、ただ無為であるためのペストマスク。


 全てを着用した私は、既に完全な拝宇の介錯人となった。

 どんな『悪意』にも、左右されない。

 私の事は、誰にも奪わせない。


 叔父さんが育て上げた、人殺しとしての理想の存在に。


「――初仕事だ」

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