『悪意』
「どうして? どうしていなくなっちゃったの?」
訓練を終えても、セツは現れなかった。
「私のせい?」
数か月が経った。セツは現れなかった。
「私があの日、外に出てしまったから?」
屋敷中を探し回った。どこにもセツはいなかった。
「私は、助けるって、約束、した……した、から……だから、私は……」
……それからは、色褪せた毎日が続いた。
訓練、勉強、読書。訓練、勉強、読書。
毎日同じことの繰り返し。
――光が遠くなる。
変わったことと言えば、屋敷の拭き掃除をする使用人が増えたことと。
寝ている最中に、時折刃の打ち合う音が聞こえるようになったこと。
そのくらいだ。
私の世界は何も変わらない。
私はただ、あの子を救うために、そのためだけに、同じ毎日を繰り返した。
きっと何処かで、私の助けを待っている。
何か理由があって、出てこられなくなってしまったんだ。
だから私は必死に、一人前になるために頑張った。
何度も何度も、殺し方を殺して学んだ。
――光が色褪せる。
そうして繰り返す内に、殺せる回数は増えてきて。
次第に殺す人数も増えてきて。
やがて人間以外の殺し方だって分かるようになった。
一度分かってさえしまえば、生物はこんなにも脆い。
刃をスッと引くだけで、押し込むだけで、肉は壊れる。
コツが分かると楽しいものだ。
どうやればもっと効率的に殺せるかを考える。
もっと簡単に壊せるかを考える。
試す。修正する。
うまくいったら、楽しい。
殺し方を覚えるのは楽しい。
――光が消える。
もう痛い思いはほとんどしなくなった。
だって私が先に殺すから。
誰も私を殺せない。殺すのは私だ。全員殺してやる。
何も考えずに、何も感じずに、何も求めずに。
殺す。ただ殺し続ける……。
――……あれ。私、なんで殺してるんだっけ……。
ふとした瞬間、脳裏を過る白い影。
ソレが見えた時は、酷く体が震えるので。
見えないフリをした。していた。
……あぁ、早く一人前になりたいな。
そうすればこの屋敷の全員を、本当の意味で殺し尽くして。
それで……それからは……。
――……。
そうして私は、十七歳になった。
◇ ◇ ◇
「――」
午前七時、目が覚める。
「……」
寝巻を脱ぎ、訓練用の外着に着替える。
「……騒がしいな」
ここ最近はずっとそうだったけれど。
今日は特に、屋敷全体がざわついている。
悲鳴。
鳴り響く金属音。
立ち込める死の気配。
「――まぁ、いいか」
血の張り付いた襖を開け、縁側に踊り出る。
すぐ隣で転がっていた人形の事は無視して、私はいつもの中庭に向かった。
「雪……」
随分寒いなと思ったら、雪が降り積もっている。
昨晩は大雪だったのだろうか?
中庭はすっかり白銀の世界に染まり切って……否。
――血痕。
雪景色の中、踏み固められた足跡をなぞるようにつけられた血の跡。
「――よぉ」
それを辿った先……中庭の白壁にもたれかかった状態で、その男は待っていた。
男は気さくに上げていた手をそのまま胸ポケットに突っ込むと、煙草を取り出して火を点けた。
「ま、気にするな……致命傷だ」
白い煙を口から吐きながら、男は呟く。
腹部には何かで刺し貫かれたような傷痕。そこから血がぼたぼたと流れ落ち、赤い水溜りを足元に作っている。
実に見慣れた景色だ。
ただまぁ、私がやったのではないというのが不可解な点ではあるが。
「で、今日はどうするの?」
「今日はお前に届け物っつーかな……そら、あれだ。受け取れ」
煙草を咥えながら、男はちょいちょいと隣を指差す。
そこには黒いボストンバッグと……。
――鎌?
何処かで見覚えのあるような……そんな美しい銀の刃の大鎌が立てかけてあった。
「これ……」
近くに寄って、手に取る。
漆の塗られた樫の柄。
先端にまで波紋の刻まれた白刃。
片手に取り、ぶんと一息に振り抜く。
――リリ――ン……。
あぁ、この……鈴の音色。
そうか、これが鈴音石の鎌。
天望人を唯一、真の意味で殺すことが出来る……介錯の刃。
「――ま、晴れて一人前っつーこった……おめでとさん」
「ふうん……それで?」
どうやらボストンバッグの方には、拝宇の介錯人の正装が入っているようだ。
全身を包む漆黒の外套に、不気味なペストマスク。
命を絶つ者の姿を隠すためにあてがわれた、呪われた装束。
これらを渡すということは、本気で私を一人前と認めるらしい……まさかこんなに呆気ないものだとは、思わなかったけれど。
「それでも何もねぇよ。鞄ん中にゃ最初の仕事内容が書かれたメモがある。それに従ってターゲットを殺せ。そいつから排出した種を呑んで天望人になりゃ、お前は晴れて自由の身だ……それ以上でもそれ以下でもない」
「……はぁ」
まぁ、何かと人間の肉体は不便だったからな。
少しの傷で動かなくなるし、治りも遅い。
その上一度も死ねないだなんて、動き辛くて仕方が無かった。
やっと天望人として、不死身の体が手に入る……これで。
――これでもっと、沢山人を殺せる。
三日月に裂けていく口元に、私は自分では気が付かなかった。
「フゥ――」
どしん、と少し地が揺れて、男の体が雪に沈み込む。
雪で薄まった血が跳ねて、私の靴を濡らした。
「――なぁ、今のこの世界で……『人の命を奪うもの』は、何だと思う?」
白壁を、ずるりと滑り落ちる赤黒い血。
座り込んだ姿勢のまま、男は虚ろな瞳で呟いた。
「……? これだろう、鈴音石の刃」
私は握りしめた大鎌を掲げて答える。
天望人の不死性を奪い、脊髄から種を排出させることの出来る刃。
それが鈴音石で作られた刃であり……長らく拝宇の家の繁栄を約束してきた、この世界における絶対的な力だ。
「……いいや、違うな。そいつはただ『人を殺す』手段であって、『奪うもの』じゃあない……」
灰の息を吐いて、男は独り言ちる。
「例えば昔、種のない時代には『不運』があった。不治の病による死、事故による死、地殻変動による死……そんな避けようのない『不運』は、確かに『人の命を奪うもの』だった」
「はぁ……それは、そうだろうけれども」
いよいよ以て、何が言いたいのか分からない。
この男は今際の際に、一体何を言っているんだ?
――これが、正真正銘最期の会話になるというのに。
大鎌の柄を強く握りしめながら、私はこの男の首を刈るその瞬間を、ただ待っていた。
「しかし天望人になって、『不運』では人の命を奪えなくなった。崖から転がり落ちようと、雷に打たれようと、人の命は、尊厳は……奪えなくなった――だが、昔から変わらずに、今でも『人の命を奪うもの』がただ一つだけある」
「……それは?」
じろりと、生気の灯らない瞳が私を見る。
そこに、かつてあった黒さはない。
ただ複雑に絡まって、濁った瞳。
「『悪意』だ」
男は答える。
既に、そこにかつての『悪意』はない瞳で。
私にそう答えた。
「天望人は、あくまで肉体に関して不死身だというだけだ……。その気になれば、鈴音石なんて無くとも人の尊厳を奪う手段はある」
吸い終わった煙草を放り捨て、男は次の煙草を震える指で取った。
「――例えば一度殺した相手を棺に入れて、地中深くに埋めればどうだ? セメントと一緒にドラム缶に詰めて、水底へ沈めれば? 当然彼らは蘇るさ……棺の中で、或いは水底で。そしてすぐに死ぬ。永遠にそれを繰り返し続ける……『天望人の命を奪う』なんて、存外簡単なことさ」
上手く火を点けられず、ぽろりと煙草を取り落とす。
私は「はぁ……」とため息を吐きながら、しゃがみ込んでその煙草を拾い上げた。
「ん、悪ぃな……フ――ま、結局何が言いたいかと言うとだ」
だくだくと、血は流れ続けている。
それを止めることもなく、男はただ煙草を片手に、言葉を紡ぐ。
「お前にはまず最初に、『悪意』を教える必要があった……。人の『悪意』を感じ取る力を養わせ、そして『悪意』から身を守る術を学ばせる必要があった……。『奪われない者』でなければ、介錯の刃という大きな力を扱う資格はない、からな……」
「まぁ俺が教える必要もなく……お前の身の回りには『悪意』が蔓延っていただろうが」……そう付け足して、男は煙と一緒に血塊を吐き出した。
しゃがみ込んだ私の頬に、男の吐いた血がへばりつく。
既に光の消えかけた瞳が、笑うように私を見ている。
「――は?」
――そんなことの、ために?
そのために、私はずっと……虐げられてきたのか?
私が物心ついた時、世界が私に初めて教えた事は。
――ただただ純粋な、『悪意』だった。
彼が望んだ様に、私は確かにそれを受けて育った。
瞳に宿る黒さで、その『悪意』を測るようになった。測れるようになった。
そして、身を守るための術も。
全てが彼の思い通りで、掌の上。
――それも全部、私の……ため?
「――な……何、なんだ今更っ! そんな事を言って……叔父さんっ!!」
鎌を持つ手が震える。
久々に……本当に久々に、口に出す言葉に熱が灯っている。
殺すつもりだったのに。
今度こそ本当に、永遠にその命を絶って、復讐してやるつもりだったのに。
――そんなことを言われたら……殺せなくなってしまう……っ。
「――ハッ。次言ったら殺す……っつったはずなんだがな……生憎……今は、その元気が無ぇからよ……勘弁しといて、やるぜ……」
「待て! 私はまだ……っ!!」
「――」
既にその肉に、熱はない。
呼びかけに、答えもない。
口から滑り落ちた煙草が、血と雪解けの中に沈んでいく。
「――か、勝手なことを言って……! 私の復讐、は……! あ、ああああああ!!」
ずっと待ち望んでいた日のはずだった。
一人前になったら、私を虐げたこの屋敷の者を殺し尽くしてやるつもりだった。
その悪辣さが二度と目覚めぬように、お前らが教えた方法で介錯してやるつもりだった。
その手始めに、真っ先に……この男を、叔父さんを、殺してやるつもりだった、のに。
「あなたは勝手だ……! 子供の私は、怖かったんだ……! 苦しかったんだ……! なのに、恨むこともさせてくれない……っ!! 本当にっ、何なんだ、あなたは!!」
彼の血痕が残る壁を何度も殴りつけ、私は激昂した。
何処か満足げにすら見えるその死に顔に、唾の一つでも吐きかけてやりたい。
……とても、酷い気分だ。
「――……はぁっ、はぁ……あぁ、そう……分かったよ」
幾度かの絶叫を終え……私は、彼に託された鞄を開く。
この男の思い通りになるのは癪でしかないが……どのみち、私に他に道はない。
「やればいいんだろう? あなたが望んだ通り、一人前の介錯人として……」
拝宇の黒衣に、袖を通す。
重く、息苦しい、死神の衣。
そして殺人に一切の意志を介在させず、ただ無為であるためのペストマスク。
全てを着用した私は、既に完全な拝宇の介錯人となった。
どんな『悪意』にも、左右されない。
私の事は、誰にも奪わせない。
叔父さんが育て上げた、人殺しとしての理想の存在に。
「――初仕事だ」




