最後の約束
「――シャル! あっちでお祭りがあるみたいですよ! 行ってみませんか?」
日暮れも近付いて来た頃。
何やら人々の様子が慌ただしいのを不思議がったセツが、通りすがりの人からそんな耳よりの情報を入手する。
「う、うん……行こう!」
楽しい一日が少しでも続くのなら、何だって良い。
迫る終わりに寂寥を感じていた私は、そう言って勢いよく頷いた。
「――すごい! 綺麗……!」
初めて訪れたお祭りの会場は、本の中で読んだものとはまるで別の世界のように感じられた。
色とりどりの提灯で照らされる路地。
所狭しに敷き詰められた人々の賑わい。
芳醇な香りを漂わせる屋台の数々。
文字の情報としてしか知らなかった景色が、確かな熱を持って目の前に存在している。
「こんなことなら、わたくしも着物を着てくるんでしたね……」
白いワンピースの裾を掴み、少し残念そうな顔をするセツ。
確かに、周りは着物姿の人が多い。
いつもの花柄の着物の方が、よく溶け込めていたと思う……けれど。
「一人だけすごく華やかに見えるし、そっちの方が良いと思う。それに普段と違う恰好のセツも、綺麗だから」
「……シャル、今日は随分褒め上手じゃありません? 大袈裟ですよ、照れますね……」
目を丸くしたまま薄っすら頬を赤く染めるセツを見て、何だか私まで恥ずかしくなってくる。
いや、私が恥ずかしいことを言ったのかな……?
うん、言ったような気がする。言ったな。
「いや、違くて。私の方が逆に周りと比べてパっとしないっていうか……あ、セツの選んでくれた着物が悪いってわけじゃないんだけれど、あの、だから……」
「ふふ、ふふふふ! シャルったら、おっかしい!」
「……そんな、お腹を抱えて笑わなくても」
もうだめだ。
何を言っても墓穴な気がする。
「――ふふふ……でも、そうですね。確かにそのままじゃあまりパっとしませんか」
「それはそれで何か傷付くな……」
「なら、えーと……あ、発見! ほら、付いてきてくださいなシャル」
「んぅ~」
どこかに向かいたいらしいセツに、人ごみの中をぐいぐいと引っ張られて変な声が漏れる。
すり鉢で潰される魚の身にでもなった気分だ。
人というものも、これだけ多いと軽く凶器である。
その荒波の中をすいすいとぶつからず抜けていくセツは、さながら人魚のようだ。
「え~と、それください!」
「はいよ、まいどあり!」
「セツ~? 何買ったの?」
「お面です! どうぞ」
そう言いながら、セツは目の前で買ったばかりのお面を私に差し出してくる。
――これって、いわゆるプレゼントってやつ……?
正直、飛び上がりたいような気分ではある。
贈り物なんて、そんなもの今まで誰にも貰ったことは無かったから。
凄く嬉しくて、頬がにやけてしまってはいる……のだけれど。
――でもその、見た目が……。
「――ドクロ?」
目前のセツの手の上に載せられた、人の頭蓋を模した仮面。
かわいらしくデフォルメがされている……というわけでもなく、一体何故ここまでこだわりを持ったのか分からないが、細かなヒビ割れまで忠実に再現された……正しく頭蓋の表面そのもの、といったデザインだ。
有り体に言って、随分ホラーなテイストのお面である。
「はい! ほら、周りにそんなの付けてる人いないでしょう?」
言われて周囲を見渡してみても……まぁ確かに、そんな人は居ない。
お面を付けている人が居ても、狐面のような当たり障りのないものばかりだ。
――そりゃ、流石に怖いよねこれは……。
唯一性を確立するといっても、それと単なる悪目立ちは違うのではないだろうか……と、正直思いはするのだが。
「ふふふふ」
――まぁ、いっか。
ずっと笑ってて……セツ、楽しそうだし。
他の人にどう思われるかとか、そういうのはどうだっていい。
これを付けて、セツが笑ってくれるなら……後は何だって。
私はセツからドクロのお面を受け取って、頭に紐を通す。
「……どう、かな」
そのまま正面に被るべきか一瞬悩んだけれど……何だか物騒な絵面になりそうな予感がしたので、側頭部に少し傾けて固定しつつ、私は尋ねた。
「おぉっ! ……何というか――」
セツはずいっと顔を近付けると、つま先から頭の先までをじっくり眺め……神妙な面持ちで呟く。
「――ふむ。死神、みたいですね」
「……ねぇそれ褒めてないよね?」
「いーえいえいえ! 褒めてます褒めてますとも! 死神みたいでカッコいいですよシャル~!」
「ば、バカにしてぇ……!」
にへらっと、いつもの悪戯っぽい笑顔を浮かべるセツに辟易としつつ。
「――くっ、ふ……あはは!」
突然こみ上げてきた可笑しさが我慢できなくて、私は吹き出してしまった。
「ふ、ふふふふ」
それを見て、セツも口元を抑えて笑っている。
――なんか変な感じ……。
今日はずっと笑い通しだ。
笑い過ぎて、何でもないことでも可笑しく感じてしまっている。
一生分の楽しいを、たった一日で使い果たしてしまっているような。
「――ふふ、は――、さて! それじゃせっかくですし、しばらく近くを回りましょうか!」
再び手を繋いで、私たちは近くの屋台を巡り始めた。
射的、金魚掬い、型抜き……色んな出し物があった。
セツは全部上手で、私はてんで駄目。
でもこれはただの遊びだから、うまくやれなくても誰にも叱られない。
……お祭りというのは、良いものだなと思った。
「少し休憩しましょうか……」
遊び疲れた私たちは、祭りの喧騒から少し離れた公園のベンチに二人で腰掛ける。
「ふぅ……」
こうして祭りを楽しむ人々を遠巻きに眺めていると、さっきまで自分があの一部だったことが少し信じられなくなる。
……私、ああいう風に笑えたんだ。
「どうしました?」
「ん、いや……なんか不思議だなって思って」
「不思議……ですか?」
きょとんとした表情のセツが、私の顔を覗き込む。
長い横髪がふわりと揺れて、その隙間からお祭りの赤い提灯の光が差し込んでいる。
じっ、と。
私を見つめる純白の瞳。
薄く閉じられた薄紅色の唇と、香る花の匂い。
何故か少し、心臓が跳ねる。
「――こんなに楽しくて良いんだ……って、思ってさ。ずっと、その……辛いままだと、思ってたから」
言葉を吐きながら、私はドクロのお面を正面に被る。
死神と呼ばれたその仮面を。
「私、昨日初めて人を殺したんだよ。一番痛くて苦しいことを、他の人にやった……なのに、今日はこんなにずっと楽しいことばっかりでさ」
多分、本当は私みたいな人には訪れちゃいけない……夢みたいな一日。
でも、現実だった。
この夢は、今日確かにそこにある現実だった。
……なら、さ。
明日の夢だって叶うって……信じてみたく、なるじゃないか。
「ねぇセツ……」
寒くもないのに、指先がかじかむ。
唇が震えて、目元に涙がたまる。
今、私が言おうとしているのは……欲望だ。
そんなものこれまで、一度も口にしたことはなかった。
未来に期待なんて、したこともなかった。
叶いもしない夢……なんて。あっても苦しいだけだって、思ってた。
でも、でもさ。
もし君が居てくれるなら……。
「二人で、このまま――」
仮面を外し、セツに向き合う。
微笑みを携えて私を待つ、銀の眼差しと向かい合う。
吸い込まれてしまいそうなほどに、どこまでも続いている純白の瞳。
いつだって、セツは私を受け入れてくれた。こんなに汚い私を。
世界で唯一人、汚いと知って一緒に居てくれた。
――だから、私の夢を。
きっと、セツと一緒なら……!
「逃げ――」
――瞬間、鳴り響く破裂音。
共に、照らされる夜空。
「花火……」
見上げると、そこには満開の花。
数瞬咲き、散る……儚き美麗。
それはまるで……そう。それこそ、夢のような。
告げかけた言葉は搔き消え……一日の夢は、幻へと。
いずれ記憶の底に沈み、夢想に散って――
「――なーんて、そんな物語みたいに都合よく行きませんよ?」
「セツ?」
「まったく……まぁこういう時、「え、なんて?」とか言って曖昧にしちゃうのがお約束なんでしょうけど! わたくしにはその手は通じません!」
「ねぇさっきから何を言ってるの?」
「お聞きなさい!」
叱るようなピシャリとした声に、思わず私は姿勢を正した。
――び、びっくりした……。
セツのあんな声、初めて聞いたかも。
先ほどまでよく分からないことを言っていたセツだったが、今は真剣な表情で私の瞳を覗き込んでいる。
そんな彼女の様子に、私の全身は射竦められたように硬直する。
「――良いですか、シャル……わたくしは言いましたよね? あなたは逃げられない、と」
「そ、れは……」
つい先日、告げられたばかりの言葉だった。
――でも、それは。私が、屋敷の外には出られないと……そう思っていたからで。
こうして今日、二人で外に居るのだから。このまま何処へだって……。
「訂正、いたしますね……――あなた『も』、逃げられないんです……」
ため息を吐くように呟いて、セツは遠くを眺めた。
遠く遠く、視線の先……そこには、遥か宇宙へと延びる、一本の長大な光の柱。
――『天の逆さ木』。
「……わたくしは、あれが立ち昇る姿を見ていました。ずっと……ずっと昔に、この地から」
「――え?」
……背筋に、悪寒が走る。
「あれは……数百年も昔、大戦争の時代に植えられたもの、のはず……」
逆さ木は、いつだって私の生活の中にあった。見えていた。
朝が来れば太陽が昇るのと同じくらい当たり前に、夜が来れば輝くもう一つの月だった。
それが無い時代があった……ということは、知っていた。知っていたけれども。
私にとっては、遥か昔のおとぎ話のようなもので……。
「それが本当なら……君は、数百年生きてるってことに……」
「えぇ、その通り。だってわたくし、天望人ですもの……不思議ではないでしょう?」
――それは……分かっては、居たのだけれど。
横に並ぶ、セツと目が合う。
少し前までは、私の方が見上げていたのに。
いつの間にか、背丈は並んでしまっていた……セツは、十歳ほどの少女の姿であるにも関わらず。
天望人は、種を呑んだ時点で肉体の成長が止まる。
セツは、この少女の姿のまま……その身にそぐわない、数百年という歳月を過ごしてきた。
彼女の白銀の目が一瞬伏せられ……そして光の根に包まれた、夜空を見上げる。
「昔は……こんなではなかったんですよ、この空も」
もうどんな風だったか、覚えてもいませんけれどね……小さく笑いながら、セツはそう付け足した。
天を満たす光の線。
それをなぞるように、彼女は指先を掲げている。
「私もずっと、ずっと……囚われているんですよ。あの家……拝宇という、呪われた一族に」
「逃げ、られない……の?」
「逃げられません。逃げるわけには、いかないんです……」
私の問いかけに、浅く息を吐きながらセツは答えた。
胸に手を当て、膨れ上がろうとする感情を抑え込んでいる。
――数百年。
私には……想像もつかない時間だ。
それほど長い間、人の精神は生きられるもの……なのだろうか。
例え肉体が朽ちずとも、普通心の方が正気ではいられない……そう思う。
私はたった十余年の人生でさえ、苦しくてたまらないのに。
でも、セツは耐えてきた。
自身を苛む家の苦しみに、耐えてきた。
ただただ孤独に、永遠にも思える時間を。
「だから……ごめんなさい、シャル。わたくしは、あなたの願いを叶えられない。あなたを虐げることしかできなくて……本当に、ごめんなさい」
震える声で、絞り出すようにセツはそう言った。
これが、初めて知る……セツの過去。
今まで隠されてきた、本当の彼女。
セツもまた、あの家に縛られていた。虐げられていた。
――私と、同じだった。
真っ白で、純粋で、輝かしくて……私とは全然違う、別の世界の存在だと思っていたものは。
私と同じ世界に生まれ、私より遥かに長く苦しんできた漆黒の存在だった。
……胸の内から、ふつふつと何かが湧き上がる。
――同じだったから、ずっと……助けてくれてたんだ。
とても熱い何か。
感動? 似ているけれど、違う気がする。
歓喜? ……違う。
これは……。
「――今度はさ、私が助けるよ」
――そうだ、勇気、だ。
ひとたび気付けば、それは想う言葉を生み出す力となり、口先から迸る。
「セツのこと、私が助ける! いつか私が一人前になったらさ、その時は絶対……絶対、セツが逃げられるようにする! それで一緒に、この家を出よう!」
自分でも聞いたことのないような、自分の声。
自信満々で、輝いていて。
まるで別人みたい……。
――あぁ、思い出した。
初めて出会った時の、あの日のセツみたいなんだ。
だからこの勇気も、君に貰ったものだよ。
貰ったものは、返さないとね。
「シャル……うっ、ぐすっ……」
――セ、セツが泣いてる……!?
初めて見る、セツの泣き姿。
ぽろぽろと、宝石のような雫が頬から滴っている。
何度か指先で拭っても、止まる気配はない。
しまいにはワンピースのポケットからハンカチを取り出して、ちーんと鼻をかみ始める。
けれどそんな一連の所作すら、彼女らしいというか……どこで切り取っても画になるなぁ、なんて。
そんな呑気なことを考えながら、私は彼女が落ち着くのを待っていた。
「――いつか」
数分後。
依然として熱の籠った震える声で、セツは切り出した。
「いつかわたくしを……ここから、連れ出してくださいね」
小首を傾げ微笑んで、セツは私に小指を差し出す。
――それはきっと、初めての信頼。
ずっと独りで生きてきた彼女が、初めて誰かに自身の苦悩を……その源からの解放を、願いを、託したということ。
その小指には、そんな数百年分の重みがある。
「……うん」
私はゆっくり頷いて、セツの白くて細い指に、私の指を絡める。
小さくて、冷たくて、弱々しくて……けれどずっしりと重たい、その指に。
「約束するよ」
そして指を切り……私はここに、違わないと決めた誓いを立てる。
――セツにとって私は、長い時間の中で現れた……ほんの数瞬の幻に過ぎないのかも、しれないけれど。
私にとってセツは、光の全てだから。
その光は、それだけは絶対に、守って見せる。
「――ふふ、ありがとう……」
キラキラ輝く一筋の涙を流して、セツは笑う。
夜空に咲いた花が、その笑顔を眩しく照らしていた。
……これが、たった一日だけの、セツとのお出かけの最後の記憶。
――そしてそれ以降、セツは私の前から姿を消した。




