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ソラノーツ  作者: 花の人
第二章 死神を纏う少女
14/19

虚栄の交わり

「――さ、服を脱いでください」


 更衣室に辿り着くなり、セツはおもむろにそう言った。


「洗うくらい自分で出来るよ……」


「背中側まで血がベットリですよ。まぁ任せてくださいな」


「うぅ……」


 先に着物を脱ぎ始めたセツを見て、私も渋々服を脱ぎ始める。

 セツと一緒にお風呂に入るということは、別段初めてというわけではないのだけれど……どうしても少し、苦手だった。


「では入りましょうか」


 そう言って微笑むセツは、やっぱり本当に綺麗だから。

 汚れ一つない、真っ白ですべすべの肌。

 一糸まとわぬ姿となったことで、その美しさはより際立っている。

 見ているだけで、目が眩みそうだ。


 ――それに比べ、私は。


 体は血濡れていて、全身生傷だらけ。

 世界中に嫌われている私は、心までが真っ黒で。

 セツとは何もかもが正反対……。


 その差を嫌でも見せつけられる。

 私とセツは、同じじゃない。

 全然、これっぽっちも、同じなんかじゃない……。


 セツのことは未だに全然分からないけれど……でもきっと、それだけは確かだ。

 どうしてもそんな事を考えてしまうから、一緒にお風呂に入るのは……あまり好きじゃなかった。


 浴室に入り私が椅子に座ると、セツはシャワーを手に取って意気揚々と背後に回った。


「お背中流しますよ~」


 耳元で囁くような言葉と共に、セツの細い指が背中に触れる。


「――ひゃっ」


 ……思わず、変な声が漏れてしまった。


 ――こうやって急に触れられるのも……苦手、なんだよなぁ……。


 セツはよく私の手を取ってくれるから、面と向かって言えたことはないけど。

 もちろん、セツに触れられるのが嫌いというわけではない……でもやっぱり私にとって、人の手は怖くて痛いものという認識は拭えていないから。


 だからこうして不意に触れられると、どうしても反射的に体が反応してしまう……。


「――!」


 ――ん?


「……セツ?」


 なんだろう……。

 ちょっと、セツの様子が変だ。

 急に固まって……なんだか、鼻息が荒いような……。


「――可愛い~~~っ! ねぇもう一回! もう一回聞かせてくださいな『ひゃっ』って!」


「ちょ、ちょっとセツ……ひぅっ!?」


 突然首筋をなぞった冷たい感触に、喉が反射的に声を上げる。


「わぁ! 本当に可愛い……」


 私の悲鳴を受け、セツは更に興奮したように呟いた。


 ――これは……まずい予感がする……。


 その直感に違わぬように、今度はセツの腕が私の腰の両隣から前面に回される。


「さあさシャル殿、お痒いところはありませぬか~?」


 そして蛇のように私の全身を這いずり回り始める、彼女の腕。


 背中に、セツの胸がぴたりと密着している。

 顎が肩に乗せられて、頬と頬が触れ合う。

 彼女の長い白髪が耳元にかかって、くすぐったい。

 まるで雪のように冷えた彼女の肌の感触が、私の神経を鋭敏に尖らせている。


 ――本当に何やってるのセツ……!?


 無理やり意識を閉ざそうとしても、骨を伝って鼓膜に響くセツの鼓動が、否応なしに私に現状を認知させる。


 体表で蠢く二つの細い腕。

 左の手は腹部を滑り落ち、大腿の内に潜り。

 右の手は胸部を登り、二の腕を伝って指先を絡めとる。


「……っっ!」


 これ以上興奮させないように、私は必死に声を抑え込んだ。

 が、その気配すらもはや逆効果で。


「ほれほれ~」


 私を試すように、セツの指先はより際どい部分を責め始めた。


「んぅ、うぅ……」


 重なる心音。

 指先が触れて、離れて。

 手のひらが伝って、滑って。

 生乾きの血が、肌と肌で擦れ、粟立っている。


 徐々に呼吸は浅く荒く。

 やがて感じていた冷たさは消え、熱は均一に融け合う。


「……なんか、変な気分になってきましたね……」


「セツが変なことするから、でしょ……!」


「そうですか? ふふ……」


 悪戯っぽい熱い吐息。

 脳がくらくらする。


 ――何をしようとしてたんだっけ……なんかもうよく分からなくなってきた……。


 私を包む彼女の肢体に目を下ろす。

 柔らかくて、艶やかな白が赤く濡れている。

 汚く、黒く、醜いもので染まっている。

 私のそれを嫌がらず、受け入れてくれている。


 ……だから。それがたとえじゃれ合いに過ぎないとしても。


 重なっている時間は、まるで同じになれたような気がした。

 恥ずかしさの裏で、そのことが何だか心地よくて……だから私は、身を委ねてしまっていたのだ。


 ……けれどやっぱり、それは『気がした』だけで。


「――痛っ……」


 不意にセツの指先が、傷口に触れる。

 今日出来たばかりの、新鮮な生傷。


 その傷の痛みが、引き摺り下ろすように意識を現実に呼び戻した。


「あ……ご、ごめんなさいシャル……」


「あぁ、うん……」


 ――……そう、私とセツは同じじゃない。


 急速に凍てついた思考が、先刻の結論を再生する。


 どれだけ彼女が寄り添ってくれても。

 この傷だらけの体と心には……絶対にセツでは届かない。


 彼女は、綺麗すぎるから。


 セツのことは好きだ。

 誰も彼も大嫌いなこの屋敷で、唯一そう感じられる人だ。

 ずっと一緒に居たいと……そう思う。


 ――でも、分かってる。


 多分、私とセツは……住む世界が違う。

 セツは遊び方を知っている。楽しいことを知っている。優しさを知っている。


 全部、私の知らなかったことだ。

 私の住む世界では、教えられなかったことだ。

 だからそれを知っているセツは……私とは、違う世界に生きている人なんだ。


「――殺したんですよね、シャル」


 触れてしまった傷口を労わるように撫でながら、セツは突然そう切り出した。


「……そうだよ」


 傷は、痛いと感じた瞬間に辛くなる。

 痛みに慣れている間は、何も感じないのに。

 今撫でられているその傷は、そうやって癒そうとされる方が、ずっとずっと痛かった。


「さっきは……ごめんなさい、シャル。あなたの手を避けてしまって……」


 謝罪しながら、セツは私を抱き締めた。

 その可憐な白い腕は、私の浴びた血で赤く染まっている。

 一度は忌避したはずの、赤い血で。


「少し怖かったんです。笑っていたシャルが、少し……」


 殺すとか、傷付けるとか。

 セツはそういう世界には居ないから。


 被害者ではなく、加害者になった私が……。

 そしてその加害を善しとする姿が、怖かったのだろう。


「でも分かっています。シャルはずっと、そうするために何年も……頑張って来たんですものね」


 セツの言葉は、多分言い訳だった。

 心が抵抗を示す事実を、受け入れるために並べられた建前。


 私が人を殺したということ。

 人を殺す術を身に着けたということ。

 そしてそのことを喜んでいる私を……受け入れるために。


 ――無理を、させている……。


 さっきまでの行動は、きっと彼女なりの贖罪だった。

 穢れた私と触れ合うことで、私に抱いた嫌悪を飲み下そうとした。


 ……でも、私だって分かっている。

 加害者となった私を、セツは決して喜んではくれない。

 褒めてもくれない。

 ただ、否定しないだけだ。


 それを理解した時、「よくできましたね」という言葉を期待していた……そんな自分の醜さが、気持ち悪くて。


「――う、ぅ……」


 自然と、目から涙が溢れてしまっていた。


「シャル……」


「ごめん、セツ……。でも、殺さないと痛いんだよ。殺せば殴られないんだよ。なら、そうするしか……そう『し続ける』しかないじゃないか……!」


 ――そう、私は。

 殺すことを善しとしなければ、生きていけない。


 ……だって、これで終わりなんかじゃないのだから。


「――天望人は死なない……だからあの男は数日後には目覚めて、また訓練が始まる。初めからそういう話だった」


 介錯の家系……拝宇の人間として、人の殺し方を学ぶ。

 何度も殺して学ぶ。

 体が何の抵抗もなく、人殺しを受け入れるようになるまで。

 何度も、何度も、何度も。


 そのために、あの男は私にナイフを持たせているのだから。


「だから私はあいつを、これからもずっと殺し続けなきゃいけないんだ……! 痛い思いをしないで済むように……!」


「……えぇ、そうですね。シャルはまだ戸口に立っただけ。これからの訓練は、きっともっと過酷になるでしょうね……」


 シャワーの音と共に、血がタイルの床面へ流れ堕ち、伝う。


 赤黒さによって塗り潰されていた、私の傷口が徐々に露わになる。

 全身に刻まれたその痕。


 こんなことを、いつまで続ければいいの?

 いつになればこの傷は消える?

 もう、痛い思いをしなくて済む?


「……もう嫌だよ、セツ……逃げたいよ……」


「それは……」


 セツの声が震えている。

 吐き出すべき言葉は何か、選ぶように。


 嘘か、真実か、感情か……。


「――出来ません……。あなたが一人前の拝宇の介錯人となるまで……あなたはここから逃げられない。逃げられないんです……」


 そして彼女が選んだのは、多分『真実』だった。


「一人前の、介錯人……」


 痛みに慣れ。傷を恐れずに。心を壊し。

 死を望む天望人の永遠の生を、何の感傷もなく絶つ。


 共感があってはならない。迷いがあってはならない。

 もしそこに共感があれば、迷いがあれば……拝宇は何時だって、自らその命を絶ててしまうから。

 そして実際、そういう不完全な介錯人ばかりだったから、拝宇の家は凋落した。


 世界中で、生に苦しんでいる天望人を救済する……その使命を持つ拝宇の血を、途絶えさせるわけにはいかない。

 そのために私は作られた。

 禁忌を犯してまで、新たな生命として産み落とした。


 ただ人殺しをするためだけの、永遠の殺戮マシーン。

 それこそが、一人前の介錯人としての理想の姿だ。


 私はそうなるために生きている。そうなるために、教育と食事を与えられている。


 ――だけど。


「私、そんなのになりたくなんてないよ……」


 そういう風に私が出来上がった時、確かに私は解放されるのだろう。

 家を出て……喜びも悲しみもなく、ただ世界中の人を殺して回るのだろう。


 ……それをする私は、きっと死んでいるのと同じだ。


「私、本当は――」


 顔を上げて、セツを見る。

 そのダイヤモンドのような、美しい瞳を見つめる。


 吸い込まれるような、白銀。

 視界を埋め尽くす光。

 ……私の、光だ。


 ずっと、そんな彼女と一緒に居られたら。


「っ……」


 でもそれを口にして……「出来ない」と言われてしまうのが怖くて。

 私は、続く言葉を閉じ込めた。


「……」


 それから、汚れを落としきってシャワー室を出るまで、会話は続かなかった。

 セツはずっと思いつめたような表情で、何かを考えている。


 そのことがただ気まずくて……「今日はもう遊ぶ気分じゃないだろうから、ここで別れよう」……私がそう提案した時だった。


「――シャル。あの人はしばらく目覚めないはずなので……明日は空いていますよね?」


 いつの間にか、いつも通りの微笑みを取り戻していたセツが、私にそう問いかけた。

 その奇妙さに戸惑いながらも、私は首を縦に振る。


「え? う、うん……多分」


「それなら、明日は一日遊びませんか? こっそり屋敷を抜け出して、街に降りてみましょう!」


 拝宇の屋敷の外……丘を下った先に、城下街があることは知っていた。

 何度か、そこから来た商人が屋敷に出入りするのを見たことがある。


「街に……? 行ってみたいけど、でも……」


 この屋敷から出ることは出来ない。

 屋敷を取り囲む高い塀は子供の私たちでは乗り越えられないし、門前には四六時中監視の目がある。


 私を嫌っているくせに、この屋敷は私を逃がすことは絶対にしないよう出来ている。


 それに、屋敷の外とは言っても結局あそこも拝宇が管轄している領地だ。

 仮に抜け出せたとしても、すぐに連れ戻されてしまうだろう。

 そうなったら何を言われるか……。


「大丈夫です! わたくしに任せてくださいな!」


 トン、と自身の胸を叩いて、セツは言った。

 その姿に、幾度目かの既視感を覚える。


 ――本当に、凄いなぁ……セツは。


 私が怖がったり、不安がったりしている時、セツはいつも自信満々に私にそう言ってくれた。『大丈夫、任せて』……と。

 そして実際、正しいのはいつだってセツの方だった。


 ……だから私も、信じてみようって……そう思えるんだ。


「分かった……行こう、セツ」


「よーし! それでは準備をしなくてはいけませんね……明日着ていく服とか、今日のうちに選んでおきましょう!」


 私の手を取って、セツは意気揚々と歩き始めた。


 ……やっぱり、セツは私とは全然違う。

 前向きで、ひたむきで、勇気があって。

 私の知らないことを沢山知っていて。


 汚くて、嫌われていて、迷ってばかりの私とは……全然。


 ――でもだからこそ、いつだって私の手を引いてくれるんだ。


 その眩しさに照らされて、私の世界はほんの少し、輝いて見えるのだった。

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