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ソラノーツ  作者: 花の人
第二章 死神を纏う少女
13/19

初害

 あれから、数年。

 勉強と訓練……ただ繰り返されるその毎日を続けながら、私はやっぱり窒息寸前の日々を過ごしていた。


 そんな中でも、セツと過ごす時間だけは唯一私の安らぎだった。

 『訓練』を終えると、何処からともなく現れる真っ白な少女。

 いつも優しい笑顔を携えたまま、私を楽しい世界へ引っ張ってくれる。


 毎日、色んなことをして遊んだ。

 お喋りをしたり、屋敷を探検したり、本を読んだり……。


 私が元気な日には、運動をしたりもした。

 けんけんぱやけん玉……あとベイゴマとかも楽しかったな。

 他の全てが苦しみに満ちた生活の中で、その楽しい記憶だけが脳裏に焼き付いている。


『シャ、シャル~……わ、わたくし疲れ……ぜぇぜぇ……ま、待ってください……っ』


 駆けっこをやったら絶対に私の方が速かった。

 運動神経の良さは私がセツに唯一勝てるところで、密かな自慢だった。


『あら? シャル、今日は寝ぐせがひどいですね。髪は女の子の命ですから、大切にしましょうね』


 花柄の櫛で、私の髪を優しく解かしてくれた。

 お姉ちゃん……というものが居たりしたら、こういうものなのかなって、思ったりした。


『……わ、よ~く似合っていますよ。え? 私も、ですか? ……ふふ、とっても嬉しいです』


 着せ替えっことかも、やったっけ。

 セツは何を着ても綺麗で、華やかで……ちょっと羨ましかった。


『――シャル』


 夕暮れ刻の僅かな時間だけ、彼女は現れる。

 探そうと思っても、絶対に見つけられない。訓練が終わるといつの間にか傍に居て、ボロボロの私にただそう呼びかける。


 セツは絶対に自分の事を話さなかった。聞いてもそれとなくはぐらかされて、すぐに次の話題に移ってしまう。

 私以外の誰かと居るところは見たことがないし、私以外の誰かが彼女について話すところも見たことがない。

 『屋敷の幽霊』……その自称に違わない、どこか存在感のない彼女は……いつか本当に消えてしまいそうだった。


 ――居なくならないで。


 口にしてしまうと、不安が重みを持ってしまう気がして。

 私はその言葉を押し隠したまま、重なり合う僅かな毎日を過ごしていた。



 ……そんなある日。

 白壁に囲まれたこの息苦しい中庭で、相も変わらず私はナイフを手に、あの男と対峙していた。


「――チッ……!」


 振り下ろされた拳が頬を掠める。

 耳元で巻き起こった旋風が、遠鳴りのように鼓膜を震わせた。


「……っ」


 怯まず股下に潜り込み、軽く刃を構えながら滑走する。


「……ぐっ……う!」


 通り過ぎ様、切り裂かれる男の大腿。


 ――浅い……っ!


 薄く濡れた刃の先端を確認しながら、私は素早く立ち上がって体勢を整える。


「ちょこまか動きやがって……!」


「……」


 怒りの滲む声を上げる男の顔を、じっと見据える。


 ――目だ。


 目を見ておけばいい。

 そうすれば次に何をしてくるかが分かる。


 『思考』、『認知』、『行動』。

 攻撃には必ずこの順序がある。


 まずどうやって攻撃するかを『思考』し、攻撃をどこに行うかを『認知』し、そして実際に『行動』する。


 第一の『思考』が読めれば大きなアドバンテージだが、読みを外すと確実に攻撃を喰らってしまう。


 天望人と人間、男と女、大人と子供という肉体的不利を背負う私にとって、一手のミスが命取りとなる『思考』の読みに賭けるのはリスクが大きい。


 ――だから私は、第二の『認知』に全神経を割く。


 攻撃を避けることにおいて重要なのは、その攻撃方法ではなく、攻撃箇所だ。

 打撃であろうが足技であろうが、狙われる場所に当たりさえしなければそれで良い。


「こいつ……っ! 当たらねぇ……!」


 避ける。避ける。避ける。


 黒く濁った瞳。

 ずっと私を蔑んで来たその悪意が、他の何よりも私に教えてくれる。

 私のどこを壊したいのか……そしてそこから導かれる、私が生き残るための術を。


 ――何だか……。


「今日は、行ける気がする……」


 思わず漏れ出た、その呟き。

 それを聞いた男の目に、逆上の兆しが見える。


 ――あ、これ……終わり、だ。


「舐めんなよッ……!」


 そこからはまるで、私の思考は一本の線で繋がっているみたいだった。

 何をどうすれば良いのか、考えるまでもなく分かる。

 その線に倣って、ただ肉体が動きを模倣する。


 怒りによっていつもより大振りとなった一撃を避け、僅か生じた男の無防備な隙。

 吸い寄せられるように、ナイフを持った右手が動く。


 その行動に一切の迷いはなかった。

 ただ思考の線に導かれるようにして……私は、男の顎の下から脳天に目掛けて、ナイフを突き入れた。


「――あ……!」


 ズプリ、と。

 明確に何か、壊してはならないものを刃が貫いた、という感触。


 気持ち悪いと、真っ先にそう感じた。

 でもきっと、それは私の待ち望んでいた感触に違いなかった。


「……う、ぅ……!」


 暗い穴底から溢れ出した、濁流のような赤黒さが手のひらを包む。

 飲み込まれてしまうようで、恐ろしくて手を離したいのに、何故か指先は固まったまま動かない。


「――」


 脳髄を破壊された男の体が、ガクガクと痙攣している。

 開かれた眼がぐるりと一回転して、閉じられることなく止まる。


 これが、絶命。

 単なる意識の断絶ではなく、生命活動の停止による強制的シャットアウト。


 やがてその肉体は力を失い、押しつぶされるようにして私は男と共に地面に倒れた。


「……終わっ、た……?」


 男は動かない。

 それは既に、肉の塊というべき存在。

 故に問いかけに答えはない。

 ただそこに、在るだけ。


 赤い熱が私に滴って、全身を染める。

 やがて冷めるその熱に抱きしめられて……私は初めて、この肉から安心と温もりを感じた。


「――……は、はは……! やった……! 私、やったんだ……!!」


 殺した。

 やっと殺せた。

 ずっとずっと殺してやりたかった。


 憎かった。

 嫌いだった。

 痛かった。

 怖かった。

 逃げたかった。


 ……逃げられなかったから、殺した。

 やっと……やっと叶った。


「――シャル……」


 いつの間にそこに立っていたのだろうか。

 眩い太陽を背景に、表情の見えないセツが私を見下ろしている。


「あ、セツ!」


 私はどうにか人形を押しのけて立ち上がり、彼女に笑いかけた。


「ほら、見てよ! やったんだ、私! ついに殺せたよ!」


 だくだくと血を流し続ける肉を指差しながら、私はもう片方の手でセツの手を取ろうとする。


「……っ」


 しかしセツは身をよじって、私の手を避けた。

 その真っ白な瞳に、僅か差し込む影。


 ――っ……!


 鼓動が早鐘を打つ。

 その影の名前を、私はよく知っているから。


 今まで、彼女から一度も感じたことのなかった感情。

 それは間違いなく……『嫌悪』、だった。


「――あ、ごめんなさいシャル……! えっと、汚れてしまっていますから。まずはシャワーを浴びませんか?」


「え、あぁ、そっか……うん、そうだね」


 男の血で真っ赤に染まった自分の全身を見下ろして、無理やりに納得する。

 ……確かにこのままじゃ、いつもみたいに遊ぶどころじゃない。


 ――そう、だよ。セツが私を嫌うはずないじゃないか。


 あいつを殺せたこと、きっと喜んでくれるはず。

 褒めてくれるはずだよ。


「……」


 伸ばした手を降ろして、私は歩き始めたセツの背中を追った。


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