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ソラノーツ  作者: 花の人
第二章 死神を纏う少女
12/19

屋敷の幽霊

「あなたは誰?」


「わたくしはセツ……このお屋敷に住んでいる『幽霊』ですよ」


 私の手を引き、屋敷を歩きながら彼女は答える。

 まだ体に痛みは残っているけれど、不思議と私の足は彼女に付いて歩くことができた。


「幽霊なんて居るわけないよ……」


「あら、そうですか? 居てもおかしくないと思いますけどね、ふふ」


 そう言って笑う彼女は、何故だか凄く楽しそうに見えた。


「とりあえず書斎に行きましょうか……あそこなら人もあまり来ませんし」


 ずんずんと先を進む彼女は、どうやらこの屋敷の構造について熟知しているみたいだった。

 この拝宇の屋敷は一つ屋根の建物とは思えないほど広く、幼い少女だった私にとっては迷路のようなものだった。


 それこそ『訓練』から逃げるために駆け回った私は、いま正に迷子の状態だったので……そんな彼女の少し高い背中は、とても頼もしいものに見えた。


「――さぁ着きましたよ。シャルはよくここで本を読んでいましたよね?」


「な、何で知ってるの……」


「見てましたから。言ったでしょう? わたくしは『幽霊』なんです」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるセツ。


 ――もしかしたら、本当に幽霊なのかも……。


 今までずっとここで本を読んで来たけど、セツみたいな子を見たことはない。


 ――透明になって私を見張ってたのかな……。


 頭からつま先まで全身真っ白で、今にも消えてしまいそうな彼女の姿は、確かにそんな事が出来てもおかしくはないと思えるものだった。


「シャルが読んだ中でとびっきりのおすすめの本を教えてくださいな!」


「え? え、えっと……」


 書斎に入った私は、記憶を頼りに本棚を漁る。

 広い屋敷に見合った量の蔵書が収められたこの書斎は、ただ目的の本を探すだけでもそれなりに苦労するものだった。


「――これ、かな……」


 何とかお気に入りの本を見つけ出した私は、窓際の陽射しの差し込む席に座って、その本を開いた。


「どんな内容なんですか?」


「死んじゃった主人公が、病気で死ぬはずだった人の精神に乗り移って生き返って、その人として生きるってお話。最初は死なずに済んで良かったって思うんだけど、でも段々他の人の人生を奪っているような罪悪感が出てきて……」


 ――私は、ここに居ちゃいけないんだ。


 そうやって、世界と自分の存在にズレを感じる。

 その主人公の葛藤が、私とよく似ていた。


「大戦争以前の古い本ですね……読んでも良いですか?」


「ど、どうぞ」


 本を受け取ったセツは、そのまま無言でページを捲り始めた。


 ――暇になっちゃった。


 セツはすっかり本に集中しきっている。

 真剣な表情になったり、驚いたような表情になったりで忙しない。

 私が様子を伺っているのにも気付いていないようだ。


「……」


 話しかけるのは憚られたので、私は椅子にもたれかかって、涙で腫れた目を瞑る。

 差し込む日差しのせいか、温かくなった体はすぐに私の意識を微睡みの中へと誘った。


「――ル、シャル! 起きてくださいな」


「え、あ……うん」


 肩を揺すられる感覚で、目が覚める。

 目の前には、キラキラと表情を輝かせたセツの姿があった。


「この小説、とっっっっても面白かったです!」


「も、もう読んだんだ……」


 目を擦りながら窓の外を見る。

 空は既に赤みがかっていて、日没が近いことを示していた。


 どうやら二時間ほど、あのまま眠ってしまっていたみたいだ。


「特に中盤の……周りの人に愛されれば愛されるほど、その感情は自分に向けられるべきじゃないと苦しむ主人公が可哀想で……」


「そ、そう! 私も、そこが好き……!」


 思わず机に身を乗り出して、私は口走っていた。


 ――なんだろう、変な感じだ。


 今まで感じたことのない感覚。

 その感覚を表現する言葉を、思い出す。


 ――楽しい。


「やっぱりですか!? 良いですよね……特にあのシーン! 主人公がお父様に抱きしめられて、『生きていてくれて良かった』と言われる所は……主人公の苦しみとお父様の喜びが合わさって……わたくしも思わずうるっと来てしまいました……」


「へ、へへ……」


 だめだ、思わず変な笑い方をしてしまった。

 どうしようもなく口角が上がってしまう。


 ……凄く、嬉しい。


 私の好きなものに、共感されること。

 それがこんなに嬉しいなんて、思わなかった。


 日も暮れかけてるのに、体がぽかぽかする。

 なんでだろう、なんでこんなに温かいんだろう。


 その未知の感覚に、私はにやけた顔を隠すことが出来なくなっていた。


「――最後の展開も素晴らしかったです……! 自分は本当は違う人間なのだと告白して、それでも周囲の人に受け入れられる……。ハッピーエンドでしたね……!」


 しかし瞬間……冷や水を浴びせられたように、心が凍てつく。


「――あ、うん……そうだね……」


 ――そっか。セツは……そう思うんだ。


 私はこの本の中で唯一、その最後の展開だけが……気にくわなかった。


 私と同じように、世界に自分の居場所がないと感じていた主人公が。

 全てを告白することで、本当の居場所を見つける……そんな素晴らしいハッピーエンド。


 そんなことは、私の人生には起こらない。

 私が全部を誰かに打ち明けたって、何も変わらない。

 私の生活は暗いまま。痛いまま。苦しいまま。


 どうしようもなく、私の存在は真っ黒なままだ。


「――私、く……『訓練』に……行かないと」


 こんなところで、こんなことをしてちゃダメだ。

 きっと後で凄く怒られる……次はいつもよりずっと殴られる。


 それは怖い……それは嫌だ。

 今からでも謝りに行かないと。

 そうすれば少しはマシになるかもしれない。


 ――そう、そうだよ。


 私なんかが、少しでも楽しいだなんて。

 思える資格なんてないんだ。


 だって私は世界に嫌われているんだから。

 私を心配してくれる人なんて、私を好きな人なんて、一人もいない……。

 あの主人公と私は違うんだ……。


「シャル」


 立ち上がった私の手を、同じく急いで立ち上がったセツの手が捉える。


「訓練は……辛くありませんか」


「っ……!」


 あざ一つない、真っ白な彼女の手。

 私の傷だらけの体とはまるで反対。


 顔を上げて、彼女の目を見る。

 他者を労わり悲しんでいる、純粋なその銀の眼差し。


 ……苛立ちが、私の心を蝕む。


「――辛いよ……! 痛いし、嫌に決まってるよ……! でも、だって……行かないと、もっと苦しいんだよ!」


 何も知らない癖に。

 何も分からない癖に。


 勝手に私の中に入って来て、私の心を踏み荒らそうとする。


「もう、やめてよ……」


 喉が焼ける。

 握り返した手に力が入って、彼女の顔が歪む。


 ――これ以上、言っちゃダメだ。


 分かってる。

 ここから先を言ってしまったら、きっともう戻れない。


 いつもみたいに、この気持ちには蓋をして。

 閉じ込めて、我慢して……それで終わりにしよう。


 ……そう思っていた、はずなのに。


「でも、シャル――」


「――助けてって言ったって、何も出来ない癖に!!」


 膨れ上がった怒りが、爆発するように言葉となって弾けた。


 ……そうだよ。

 私はずっと……ずっと。


 誰かに、助けて欲しかった。

 この苦しみから、この痛みから、この場所から……誰かに、連れ出して欲しかった。


 それが私の、本当の気持ち。

 カタチにすると、苦しいだけだから。

 封じ込め続けて来た……私の悲鳴だった。


「――ごめんなさい、シャル。わたくしには……あなたを助けることは、できません」


 セツは屹然とした声で……しかし目を伏せながら、そう言った。


「……っ……」


 ――ほら、やっぱり。


 分かってた。

 そんなの、知ってたよ。


 私が可哀想だったの?

 可哀想な私に関わって、良い人にでもなりたかったの?


 ――やめてよ、迷惑なんだよ。


 中途半端な希望を見せて、楽しさなんて教えて。

 そんなことされたって、明日からがもっと辛くなるだけだよ。


「じゃあもう私に関わらないでよ!!」


 セツの手を払いのけて、私は叫んだ。

 嫌いだ、誰もかも。

 私を傷付ける人も、私を利用する人も、私自身も。


 世界が、黒く、濁っていく。


 ……その時。


「――でも、何も出来ないわけではありません!」


 吹き抜ける突風のような声と共に、セツの両手が再び私の手を包み込んでいた。


 白々しいまでに白い手。

 しかしその中に、今日ずっと変わらない熱を秘めた手。


「たっくさん、遊びましょう! 明日からも、毎日……一緒に!」


 真っ白な瞳が近付く。

 吐息が直接触れ合うような距離。


 花の香りがする。

 中庭の隅に咲く、花の香り。


 訓練で傷付いて、倒れて、動けないでいる私の隣で咲いていた、花の香りだ。


 その香りがあまりに心地よくて……思わず、目が潤んだ。


「……毎日?」


「ええ、毎日です」


「遊んでくれるの?」


「もちろんです。訓練が終わったら、迎えに行きますね」


「でも私、訓練の後は……あんまり動けないよ」


「お話をするだけでも良いじゃありませんか。ね?」


 そう言って、セツは小首を傾げて微笑んだ。


 ――夢、かなぁ……これは。


「夢ではありませんよ」


「こ、心を読まないで……」


 軽く頬をつねられて、どうやらここは現実らしいと実感する。


 ――こんなことが、あっていいんだ。


 私はずっとこのまま……独りなんだと思ってたのに。

 こんな風に、誰かが手を引っ張ってくれるなんて。


 それはやっぱりまだどこか掴みどころのない、浮ついたような感覚。

 でも沈んでばかりいた私は、地から足が離れて行くようなその心地良さに……今は身を任せたいと。

 ただ、そう思うのだった。


「わ、分かった……よろしく、セツ」


「ふふ……よろしくお願いしますね、シャル!」


 朝日を受けて煌めく花のようなその笑顔に、私はしばらく見惚れていた。



 ……結局その日は、そこで彼女とは別れて自分の部屋に戻った。


 そして次の日、何事もなかったかのように『訓練』に出た。

 本当はというと不安でいっぱいだったのだけれど、前日にセツに堂々としていればいいとアドバイスを受けたので、その通りにしていた。

 あの男は特に何も気にもしていない様子で、「今日は来たか」とだけ呟くと、いつものように私をいたぶり始めた……のだけれど。


「――今日はここまでだ」


「……?」


 何度か土の味を確かめた後、まだ立ち上がろうとする私を前に、男はそう言った。


「昨日みたく休まれたんじゃ、上に怒られるのは俺だからな……明日に備えておけ」


 それだけ告げて、去って行った。

 ヒリヒリ痛む傷を抑えながら、茫然とその背中を眺める。


「――シャルー!」


 ――何も変わらない、なんてことは……ないのかも。


 小走りで下駄の音を響かせるセツの声を背中越しに聞きながら、私はそんなことを思ったのだった。

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