悪魔の黄色いぬいぐるみ
仄かに薄暗いオレンジの照明と、ワイワイと盛り上がっている金曜夜の居酒屋の空気が僕は好きだ。
「そういえば、武志は悪の十字架って話知ってるか?」
テーブルの反対側にいる大学時代からの友人で、社会人になってからも定期的に飲みに行っている雄介がビールを片手に話題を振ってきた。
汗をかいたビールは、まだ残暑厳しい季節を物語っているように感じる。
「悪の十字架?聞いたことないなあ」
僕はほろ酔い加減で答える。すでに2杯ほど飲んでいて、かなり気分が良い。
「昔流行ったんだよ。怖い系の話かな」
ジョッキを口に運びながら、雄介が答える。クーラーが効いているとはいえ、少し暑さを感じていたのもあって、怖い話というのは丁度よいと思いと僕は思った。
「それってどんな話なの?」
雄介は、ほうほうというような顔をして、突然真剣な顔に代わり、おどろおどろしい声で
「あーくーのーじゅうじかぁー」
と声に出す。
「何だよ、急に」
「いやいや怖い話だからね。ちょっと雰囲気出そうかなって思って」
「まあ良いけど」
「これはさ、聞いた話なんだけど・・・」
雄介は加熱式たばこの電源を入れつつ、ゆっくりと語り始めた。
「もう30年ぐらい前かな、中世ヨーロッパの歴史が好きな男がいてさ、好きが高じて当時の骨董品を集めるようになったんだよ。骨董品屋を巡るのが趣味で、住んでいる街の骨董品店では顔馴染になってるくらいだったんだ」
ふんふんと僕も見を少し乗り出して話を聞き入る。
「で、その馴染の骨董品店に、超レアものの商品が入荷したってメールがあったんだよ。その超レアものってのが、どうも呪われてるって曰く付きでね。持ち主を不幸にする代物らしい」
呪いねぇ。少し胡散臭さを感じつつも、個人的にそういう話は好きだったりする。
科学的にどうこうとかいう話とは別物だからだ。いや、別腹。
「その男は今までいろいろと骨董品を見てきたけど、呪いの品なんて今まで出会ったこともなかった」
雄介は加熱式たばこをひと吸いし、煙をフワッと吐き出す。
「正直、怖さも多少あったものの、好奇心の方が圧倒的に勝ってしまい、男はすぐさま骨董品店に向かったんだよ。少し高揚してたんだろうね、脇目もふらず走って店に向かったんだ」
雄介は両手を軽く振って走るようなジェスチャーをし、その後、右手で額の汗を拭うような仕草をした。
「で、息を切らせて骨董品店の前まで来たら、店のシャッターが閉まってるんだよ。男は少し怪訝に思いながらも、早く呪いの品を見たかったから、シャッターをドン!ドン!ドン!って叩いたんだ」
音に合わせて雄介は軽くテーブルを叩く。テーブルの上のお皿と何かがぶつかってカチャカチャと音がした。
「でもさ、店からは何の返事が無いんだよ」
雄介は僕にもわかるにように、ゴクリと喉仏を見せつけるようにつばを飲み込む。
「男は思ったんだ。もしかして・・・呪いのせいなのか・・・。持ち主を不幸にするという呪いという言葉が男の脳裏を過った。『まさかね・・・』男は頭を振って、嫌な想像を振り切ろうとした」
話に合わせて雄介は頭を振る。そして、少し間をおいて話を続けた。
「男はジトッとした嫌な汗をかいていた。ツーっと首筋から背中に汗が滑り落ちる。そして呆然と立っていた男の目に、シャッターの張り紙が飛び込んできた・・・。男は思わず腕時計を見る。時刻は9時30分。ああ、開くの10時か・・・」
「ん?良くわからないんだけど・・・」
僕は内容を理解できなかったから、雄介に素直に聞き返す。
「だからさ、悪魔の『悪』と、開店の『開く』をかけてるのよ」
「ああ、開店するのが10時ってことね」
つまり、『開くの10時か』と、『悪の十字架』をかけているというわけか。雄介は少し残ったビールを一気にぐびっと飲み干した。
「そういうこと。なんか昔この手の話って結構流行ったみたいでさ。バリーションもいろいろとあって、話が伝わっていくときに、アレンジが加えられていったみたいね」
「ふーん」
「他にも、恐怖の味噌汁ってのがあってさ」
「それは、どういう話?」
「恐ろしいの『恐怖』と、今日明日の『今日』と『麩』をかけてる。麩ってのはお麩のことね。今日はお麩の味噌汁って話」
「へぇ、全然知らん」
「あとは、悪魔のぬいぐるみかな」
「悪魔のぬいぐるみねぇ。それは・・・」
と、雄介の携帯電話にブルブルと震え、テーブルから振動が伝わってきた。
「あっ、すまん。彼女からだわ、出ていい?」
「いいよいいよ。気にするなって」
「すまんね」
「あっ、ヨッピー、今、武志と飲んでてさ・・・、うん、ああ、了解。わかった」
雄介がスマホで話しているのを見ながら、僕はぼんやりと悪の十字架の話を思い返す。昔のダジャレなんだろうけど、あんまり面白くはないなとは思った。
「すまんすまん。ちょっと彼女に呼ばれてさ、ちょうどビールも飲み干したし、今日はこのあたりでお開きにするか」
「おお、そうだね。結構飲んだしね」
僕もジョッキに少し残ったビールを一気に飲み干す。立ち上がるときに、少しフラッとした。少し飲みすぎかもしれない。
***
もう9月になるのに夜の空気がまだ生暖かい。これも温暖化の影響なのかだろうか。
月は出ていなかったが、それなりに電灯があって、真っ暗というわけではないが、ほんのりと暗さに包まれた道を僕はゆっくりと歩く。
住宅は結構あるけれど、人通りはほとんど無く、遠くで車の走る音がわずかに聞こえる閑静な住宅街だ。
個人的に夜の静香な住宅街を歩くのが好きだったりする。世界に取り残されたような感じが、何か心地よいのだ。
今日は本当に楽しかった。雄介と飲むのは久しぶりだったのもあって、ついつい飲みすぎてしまったように思う。
それにしてもだ。あの雄介が彼女と同棲中とは羨ましい。ああ、僕も彼女欲しい。
悪の十字架の話はアレだったけど・・・。そういえば、悪魔のぬいぐるみってどんな話なんだろうなあとぼんやりと思った。
まあ、たいした話ではないだろう。昔のダジャレなんだろうし・・・と、視界の左端に赤い光を感じた気がした。
僕は光が発せられた方に少し顔を向ける。その視線の先には、窓にちょこんと座っている黄色いぬいぐるみがあった。
気のせいだろうか。ぬいぐるみと視線が合ったような気がする。よくよく見ると、有名なキャラクターのぬいぐるみだ。きっと小さい子どもがいるのだろう。
自分はどちらかといえば、ロボットとかが好きだったから、小さい頃のおもちゃもそういうのばかりだった。超合金とかそういうやつ。今もあるのだろうか。
僕はそれほど気にもとめずに、ほろ酔い加減でてくてくと歩いていたのだが、なんだか視線を感じているような気がした。
再び黄色いぬいぐるみの方にを目だけで見てみる。
・・・。
何かがおかしいと感じた。
最初、黄色いぬいぐるみと視線が合ったような気がしたからだ。
いや、視線があった。それは間違いない。
それなのに、今も視線が合っている・・・。
僕は振り返り黄色いぬいぐるみを見た・・・。
ぬいぐるみとバッチリ視線が合う。
嘘・・・だろ・・・。
ぬいぐるみがずっとこっちを見てるのだ・・・。
僕は足早に歩きだして、再び振り返った。
また、バッチリ視線が合う・・・。
あ、あ、あ、悪魔の・・・ぬいぐるみ・・・。
「うぁ」
僕は自分でも今まで聞いたことがないような変な声を出し、前を向いて走りだした。
とにかくこの場を離れたかったから、脇目も振らず走り続けた。こんなに本気で走ったのは、高校以来かもしれない。
家の前に着き、鍵をポケットから取り出そうとするも、地面に落としてしまう。
マジかよ!
慌てて鍵を拾おうとして、ガッと頭をドアノブにぶつける・・・。
何やってんだ。マジで。
鍵を拾いドアを開け、部屋に飛び込み、すぐに鍵を締め、玄関でへたり込んでしまう。
悪魔なんて絶対いない。いるわけがない。そう自分に言い聞かせたものの、僕は10分ほど立ち上がることができなかった。
ドッと吹き出す汗が目に入りそうになり、手で顔を拭った。
ぼんやりと、雄介から聞いた悪の十字架の話に出てきた男のイメージが頭に浮かんだ。
***
昨日はあまりよく眠れなかった。すべては悪魔のぬいぐるみのせいだ。
ディスプレイを見ながら、キーボードをカタカタと打ってはいるものの、まったく集中できていない。
昨日のぬいぐるみは、一体何だったんだ・・・。本当に悪魔のぬいぐるみなのか。
僕は頭を左右に振って、目を力強くしばたかせ、ディスプレイに集中しようとした。でもまったく効果が無い。
そもそも悪魔なんて・・・。今は令和だぞ。日本だぞ。ヨーロッパならともかく・・・ありえないだろ。
そう否定すればするほど、悪魔のぬいぐるみがずっとこちらを見ている光景が頭を駆け巡る。
「大丈夫ですか?」
隣の席の同僚が心配そうに声をかけてきた。
「ああ、すいません。大丈夫です。ちょっと昨日眠れなくて・・・」
同僚は少し思案したような顔をしながらも、納得したのか、再びディスプレイの方を向き直し、キーボードをカタカタと打ち始めた。
このままじゃ駄目だ。かといって、あの場所にまた一人で行くのはどうにも勇気が湧かない。
そうだ!雄介に頼もう。もともと雄介が悪魔のぬいぐるみなんて言ったのが原因なんだ。このぐらい責任を取ってもらわないと。
僕は席を立ち、そそくさと事務所を出て、エレベーターのボタンを押す。
さて、雄介には何と言おうか・・・。あまりにも馬鹿げた話くさくて、笑われそうな気がした。ただ、このままじゃ、仕事にも支障をきたすし・・・。
会社のビルを出た僕はスマフォを取り出し、とりあえず雄介に電話をする。予想外にすぐに雄介が出てくれた。少しホッとした自分がいた。
「おお、武志。昨日はすまんかったな」
「いいよいいよ。それよりさ、ちょっと聞きたいんだけどさ」
「どうした?」
「悪魔のぬいぐるみってさ、どういう話なの?」
「昨日の話してなかったっけ?」
「うん。ちょっと気になっちゃってさ」
「別に大した話じゃないよ。『あ!クマ』のぬいぐるみって話。悪魔じゃなくて、びっくりしたの『あ!』と動物の『クマ』ってやつ。こすいダジャレだろ」
僕は少し頭がクラっとした。クマのぬいぐるみだって・・・。僕の脳裏に、昨日のシーンが再び蘇る。確かにあのぬいぐるみはクマだった。
「そのぬいぐるみは、黄色か?」
「は?何言っての?知らんよ、そんなこと。色とか関係ないんじゃね」
「そ、そうか」
「何か、武志おかしくないか?」
「・・・」
僕は返答に困る。まさか悪魔のぬいぐるみを見つけたなんて言っても、信じてくれないだろう。
「何があったんだよ。話せよ」
少し迷いはあったが、ずっとモヤモヤしたままでいるのも嫌だった。
「・・・。笑うなよ。昨日さ、見たんだよ。悪魔の黄色いぬいぐるみ」
電話口の向こうで太ももを叩きながら爆笑する雄介の声が聞こえる。
「受けるw マジで言っての?」
まあ、そいう反応だろうなと思う。今の僕はきっと苦虫を噛み潰したような表情をしているだろう。苦虫ってのが何かは知らないけど。
「はあ。絶対、笑われると思った・・・。でもマジなんだって。目がピカって光ってさ、ずっと僕の方を見てくるんだよ」
「うーん、昨日は馬鹿みたいに飲んだし、酔って見間違えただけだろ」
「いや、間違いない」
僕は強く断言する。
「悪魔のぬいぐるみねぇ。絶対見間違いだけど思うけど・・・」
「それでさ、頼みがあるんだけど・・・」
僕は本題を切り出す。
「何?」
「うん、一緒に確かめに行ってくれないか?」
「子どもかw」
再び雄介の笑い声が響く。
「ほんとうにマジなんだって。ずっと頭から離れなくて困ってんだよ」
「しょうがねぇなあ」
渋々感が伝わってくる雄介の声を聞きながらも、僕の心から少しだけ不安が減った気がした。今日ほど、友達がありがたいと思ったことはないかもしれない。
「ありがとう。できれば、今日の会社帰りが良いんだけど」
「本気で言ってる?」
「マジ」
善は急げだ。ん?悪は急げか?
「わかったよ、とりあえずちょっと彼女に連絡入れるから、後でメッセするよ」
「雄介、ほんとありがとう!助かる!」
僕はスマホを両手で挟んで拝んだ。雄介様々だ。
***
まだ暑い日々が続けれど、夏も終わり日が沈むのが早くなってきた。夕暮れでオレンジ色に染まる住宅街の中を僕と雄介は、悪魔のぬいぐるみを目指し歩いていく。
「結構駅から遠いな、おい」
「すまん、すまん。でもさ、もうすぐだから」
「あとさ、お前しか場所を知らないんだから、前歩けよ」
僕は雄介の後ろに隠れるように歩いていた。どうしても昨日のことがあって、少し気後れしていたからだ。
「もうすぐだから」
「そういう話じゃないけどな」
雄介は仕方ないなあという表情で僕を見る。でも、悪魔のぬいぐるみを見れば、きっとわかってもらえるはずだ。
「見えてきた!あの家のだよ!」
僕は例の家を指差す。窓にほんのり黄色い何かがあるのがわかる程度の距離だったが、僕は歩みを止めてしまった。
「何ビビってんだよ」
「いや、マジで、怖いんだって」
「ほら、早く来いって」
雄介が僕を促す。渋々雄介の半歩後ろに隠れるように歩くことにした。
家に近づくにつれ、窓にある黄色い何かがぬいぐるみであることがわかる。間違いない。昨日みた悪魔のぬいぐるみだ。
「あ、あのぬいぐるみ、見える」
「ああ、見えるよ。別にパッ見、変な感じはしないけどな」
さらに家に近づくと、黄色いぬいぐるみがこちらを向いていた。今のところ何の変哲もない、ただの黄色いぬいぐるみに見える。
ゴクリ。僕はつばを飲み込んだ。
その時、ぬいぐるみの目が赤く光った!
「見た!?雄介!今、光ったよね」
「確かに光ったように見えたな。マジか」
声から雄介が少し警戒心を高めているように感じた。僕の話をちょっと信じてくれる気になったのだろう。
僕達はそのまま家の前を歩いて通り過ぎるように歩いていく。
その動きに合わせて、黄色いぬいぐるみの首から上がゆっくりと動き、僕達を見続けてきた。
「ほら!ずっとこっち見てるだろ!」
「確かに、動いてるな・・・」
雄介はじっと黄色いぬいぐるみを凝視している。そして、おもむろに歩く方向を逆に変え、少し歩くベースを早めた。
僕は少し転けそうになる。
「武志、歩きにくいんだけど・・・」
「いや、だってさ・・・」
僕が雄介の服の端っこをグッと掴んでいたからだ。
「へぇ、本当に動いてるな」
「そうだろ!マジで悪魔のぬいぐるみなんだって!」
急に立ち止まる雄介。
「もう行こうよ、雄介。ヤバいって」
「・・・」
「雄介?」
急に雄介が動かなくなってしまった。まさか、悪魔のぬいぐるみに呪われてしまったのか?
「おい!雄介!」
僕は少し大きな声で雄介の体を揺らす。けれど反応がない。
「あのー」
突然後ろから声をかけられ、僕は思わずビクッとする。
声のする方を恐る恐る振り返ると、そこには知らないおじさんが立っていた。
「すいません。うちに何か御用でしょうか?」
うち?ということは、悪魔のぬいぐるみの持ち主ってことか?
「ああ、こちらこそすいません」
雄介が軽く頭を下げながら、知らないおじさんに話かけた。
「あそこにある黄色いぬいぐるみが気になって」
「あ、クマのぬいぐるみですか?」
悪魔のぬいぐるみだって・・・!
「ああ、やっぱり悪魔のぬいぐみだったんですね!」
僕は少し興奮気味に大きな声を出す。間違いなかった。やっぱり悪魔のぬいぐるみだったんだ。
「悪魔?」
知らないおじさんは、怪訝そうな顔をしていた。
「呪われたりするやつです!」
まくしたてるように僕は補足した。
「?」
きょとんとする知らないおじさん。
「いや、だから・・・」
と、僕が続けようとすると、それを遮って雄介が話はじめた。
「たびたびすいません。こいつ、何か勘違いしてるみたいで・・・」
「勘違いですか?」
「勘違なんてしてないよ!今、悪魔のぬいぐるみって言いいましたよね!」
僕の横で、雄介が爆笑している。
「違う違う、武志さ、悪魔のぬいぐるみじゃなくて、あ、クマのぬいぐるみって言ったんだよ」
「だから、あくまって・・・」
僕の頭は混乱していた。
「『あ』って言ったのと、動物のクマってことだよ」
「あ、くま?」
***
その後、家の主である相沢から話を聞いたところによると、あの黄色いぬいぐるみは防犯用に試作で作ったものだそうだ。
目が赤く光るのは録画の合図だという。目にカメラが仕込んであって、人の動きに合わせて、首を動かす仕組みにしたのだとか。
ただ、評判はかなり悪かったらしい。納得。
そのまま捨てるのも勿体ないというのと、見た目は普通の黄色いクマのぬいぐるみなので、娘にプレゼントしたということだ。
ネタがわかってしまえば、何も怖いことなんてなかった。
あんなにビクビクしていた自分が馬鹿らしく感じる。
今ではその道を歩くのが本当に楽しくなった。
黄色いぬいぐるみが、僕の動きに合わせて首を動かしてくるのを見るのがとても面白い。
心の底からウキウキ感が湧き出てきて、高揚感が半端ないのだ。
それにしても、かれこれ何往復しただろう。
まだまだ、往復したくて仕方がない。
おしまい。