イ.
「嘉穂課長、何って言ってました!?」
「向かうって言ってくれたと思うよっ!!」
「思うよって何なんっすかっ!! 思うよってっ!!」
繁華街はビルが多い。ビルが多い繁華な街が『繁華街』なのだから、それも当然と言える。
だからそんな場所で戦隊ヒーローと悪の秘密結社が大立ち回りなんて始めてしまった日には、被害が出る建物も馬鹿みたいに多くなる。
……などと、のんびり語っている暇などないのだ、本当は。
「っ! 事象否定っ!!」
崩れゆくビルに向かってタブレットを向けた内田は切り取られた映像に指を滑らせた。その瞬間、タブレットが向けられた先にある実在しているビルの崩壊がピタリと止まり、動画を逆再生するかのように姿が元に戻っていく。
……ビルが多い場所での戦闘行為は、周囲が派手に壊れる分迫力も出る。
しかし戦闘が終わった後の描写で『街に平和が戻りました』というナレーションが入った時に街が破壊されたままでは、視聴者も『え、これほんとに平和が戻ったの?』とザワザワしてしまう。何より市民の皆様にとって街は舞台装置ではなく生活の場だ。『戦闘は終わりましたー、平和が戻りましたー、あとは知らーん』と放り出されてしまったら、困るのは戦闘をしていた当人達ではなく、巻き込まれたただの一般市民の皆様である。
そんな市民を守り、支えるため、羅野辺市役所には景観保護・回復のスペシャリスト達が在籍している。
……などと語っている暇は本当に、ほんっとぉーにないのだ。本当は。
「無機物回癒っ!!」
頭上から降り注ぐ瓦礫を俊敏なステップで避けながら現場に滑り込み、めくれ上がった煉瓦畳に手を添えた雛乃が叫ぶと、燐光とともに美しい煉瓦畳が戻ってくる。しかし雛乃の動きはそれだけでは止まらない。女だてらに作業着と安全靴を着こなす雛乃は、現場が回復したことを確かめると即座に次のポイントを求めて走り出す。
──羅野辺市役所景観保護課。
しがない公務員ではあるが、それぞれが特殊技能を持ち、日々壊されボロボロになっていく街を回復させる役目を負った、誇り高き景観治癒者。
それが、一般市民の避難誘導が完了した、現在進行形で戦闘・破壊行為が行われている危険な現場に立つ彼らの肩書きである、のだが。
「あるんだけどもっ!! ちょっとこれ手に負えなくなってきましたよっ!?」
事象否定の能力でビルを破壊する爆発を片っ端からなかったことにして回っていた青年・内田がひっくり返った声で悲鳴を上げる。
内田の手に握りしめられたタブレットはすでに電池残量が危うくなりつつあった。内田が操る『事象否定』は『写真・動画などに撮影された事象の全て、もしくは一部分をなかったことにする』という特殊能力だ。タブレットの電池が切れた内田など一般市民より役に立たない。
「何とか持ちこたえて内田くんっ!! ほらっ! 源さんも頑張ってるからっ!!」
そんな内田を叱咤する先輩職員・雛乃は粉々に砕け散ったガラスに臆することなく無残に破壊されたショーウインドウに手のひらを押し当てた。その瞬間パッと周囲に光が散り、ピカピカに磨き上げられたショーウインドウと気取ったポーズを取ったマネキン達が返ってくる。『無機物回癒』を発動させるためには物体への直接接触が必須だが、雛乃が触れられさえすれば、そして物質が無機物であれば課の能力者の誰よりも効果は絶大だ。
ちなみにその背後でトンテンカンテンと小気味よく金槌を扱いたちどころにすべてを直していく大工の源さんは、ただただ手が早いだけの普通の大工……ということになっている。
──いや、ぜってーそんなレベルの速度じゃねぇんだけどっ!!
「っ!? 内田くんっ!!」
そんなことを内心で思った瞬間、集中の糸が切れてしまったらしい。
フッと頭上に差した影と雛乃の悲鳴に内田は顔をあおのかせる。
その瞬間内田の目に映ったのは、自分に向かって落ちてくる大きなコンクリートの塊だった。
「ほっ、ほぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
反射的にタブレットを向けるが、一瞬だけ映像を映したタブレットはなぜか勝手にシャットダウンを始める。ついに充電が切れたのだと分かりはしたが、分かった所で迫りくるコンクリート塊は待ってはくれない。
逃げなければならないと分かっているはずなのに、凍り付いたように体が動かない。雛乃と源さんもそれは同じなのか、二人が似たような顔で悲鳴を上げる。
──親父、おふくろ、先立つ不孝をお許しください……っ!!
『嗚呼、できればこんな時に最期に想う恋人がほしかった……』などとどこかネジが飛んだことを思うことはできても、目を閉じるという簡単なことはできなかった。
まぁ、そのおかげでコンクリート塊が自分にぶつかる前にピタリと止まり、ポーンッと逆向きに飛んでいく現場を見ることができたわけだが。
「!? 嘉穂課長っ!!」
一足先に硬直が解けた雛乃が声を上げる。遅れて内田が雛乃の視線の先を追えば、カッチリとスーツに身を包んだ黒縁メガネの男がゆっくりとこちらに向かってくる所だった。
その姿を視界に収めた瞬間、ブワッと内田の涙腺が緩む。
「かっ……嘉穂かちょぉ~っ!!」
カッチリ7:3の割合で撫でつけられた黒髪。四角い形の黒縁メガネ。何の特徴もない白いシャツに黒いスーツ。ネクタイの色は無難な紺。
『男性公務員』のテンプレートとも言えそうな格好に公務員のテンプレとは言い難いしかめっ面を乗せ、さらになぜか手にはこの上なく違和感しかない魔法少女のようなマジカルステッキを持った男。
彼こそが内田と雛乃の上司である羅野辺市役所景観保護課課長、嘉穂悟龍その人である。
「ご苦労、雛乃」
嘉穂は駆け寄ってきた内田を半歩体を捌いて避けると、その後ろから駆け寄ってきた雛乃に向き直った。その間、嘉穂は内田を一切視界に入れていない。
「申し訳ありません。嘉穂課長にご足労願うことになってしまって」
そして雛乃も内田の扱いに特に苦言は呈さない。『私達』と言っておきながら、嘉穂の後ろで煉瓦畳と熱い抱擁を交わす内田のことは完全に視界から締め出している。
──いつものことながら、俺の扱いが理不尽極まりない……!!
「構わん。被害が当初の予測より大きい上に、今を以って破壊が続けられている状態の方が異常だ。お前が連絡を寄越さなくても、遅かれ早かれ別部署から俺に連絡が入った。お前達の手にこの現場は重すぎる」
「そうなんです。申請されていた時間はもうすでに過ぎているはずなんですが……」
──嘉穂課長、『お前達』の中に、ちゃんと俺は入ってますよね……?
『まさか雛乃先輩と源さんだけじゃないですよね?』と思いながらも、雛乃が真面目に報告を始めたことを察した内田は無言のまま自力で立ち上がる。過去の経験からここでごねても良くてスルー、最悪嘉穂の容赦ない蹴りが飛んでくるだけだとすでに学習しているからだ。
「当初の申請では戦闘開始は午前10時で、そこから30分がリミットだったはずです。今の時間はもう撤収作業も終わっていなければならない時刻なのですが……」
「ああ、まだ戦闘行為が続いているみたいだな」
嘉穂が視線を商業施設が軒を連ねる中心街の先へ投げた瞬間、まるでその声が聞こえていたかのように嘉穂の視線の先で爆音が鳴り響く。申請内容が間違っていないならば、あの爆音の下でキラメキ戦隊キラメクンジャーと悪の秘密結社ダークハイネスが死闘を繰り広げていることだろう。
羅野辺市では戦隊であろうと、ライダーであろうと、ほにゃららマンであろうと、秘密結社であろうと、大規模な戦闘を行う場合は事前に市役所の景観保護課への申請が必須とされている。
一週間前に認可が下りるように最低でも二週間前には届出をし、景観保護課が所属する町づくり推進部の上層がすみやかに審査を行う。申請が通ると市民に通知がされ、当日該当のエリアでは予定時刻の1時間ほど前から市民安全課と警察による一般市民の避難誘導が始まり、戦闘開始前に景観保護課も現地に入る。
届出を行った者は申請時間内に戦闘及び破壊行為を終え、終了した旨を現場責任者に報告。戦闘の邪魔にならない範囲で景観の原状回復を行っていた景観保護課が当事者の終了報告の後に本格的に景観修復に入り、戦闘終了から概ね30分程度での避難解除を目指すというのが主な流れだ。
ちなみに戦闘行為が始まった後も背景でキャーキャー言いながら逃げ惑っている一般市民の姿が時折見られたりするが、彼らはそういう場面でのそういう役を専門的に請け負う『特殊市民』……つまり『特撮物の背景にいる一般市民役のプロ』なので関係者に含まれる。画面の中ではあくまで一般市民として振る舞っているが、特殊訓練を積んだスタントマンなのだ。
ヒーローと悪役が真っ向から衝突する現場は特殊能力を持つ景観保護課でさえ近付かないようにしている危険地帯だが、彼らはその危険に対処できるように訓練を受けており、特殊市民免許を取得できた者だけが現場に入っているのだという。特撮物の需要が高まるにつれ志願する人間も多くなっている人気職でもあるらしい。
──一時期、俺も考えたんだよなぁ、プロモブ。
……などという考えは、横に置いといて。
内田はチラリと腕時計に視線を落とした。アウトドア用の衝撃に強い内田の時計は今もキッチリ時間を刻んでいて、もうそろそろ11時になることを示している。
今回の封鎖範囲には買い物客でにぎわう人気ショッピング街や、そこに集まる客を目当てにした飲食店が集まるエリアも含まれている。昼の掻き入れ時に極力被らないように時間を調整したはずなのに、このままではランチタイムに差しかかってしまう。『たかが戦闘』と言ってはいけないのかもしれないが、市民の経済活動に悪影響を及ぼすような真似は戦隊ヒーローといえども許されないはずだ。
「たかが戦闘ごときで市民の生活を脅かされるわけにはいかん」
「あ。『たかが戦闘』って言っちゃっていいんすね?」
スパッと言い切った嘉穂に思わずツッコミが漏れたが、嘉穂がそれに反応することはなかった。
どこまでもマジカルステッキが似合わない武骨な指が伸びて、ズレてもいないメガネを押し上げる。ただでさえ深い眉間のシワをさらに深めた嘉穂は溜め息とともに雛乃に視線を据えた。
「雛乃。お前はもう少しここで粘れ」
「嘉穂課長は?」
「中心部へ行って様子を確認してくる。不測の事態が起こっているなら各所に連絡が必要だ」
「当事者同士が熱くなりすぎているだけだったら?」
「シバく」
ごくごく普通に考えれば、戦闘が本分である戦隊ヒーローや悪の結社に公務員が敵うわけがない。
だが雛乃は簡潔な嘉穂の言葉に了承の頷きを返しただけだった。
「お気をつけて」
「お前もな」
「嘉穂課長! 俺もお供するっすっ!!」
「粘るのもしんどいと思うが、今がヤマだ。気を緩めずに持ちこたえろよ」
「はいっ!!」
「ちょっ!? 嘉穂課長っ!! カホカチョーッ!?」
背後で叫ぶ内田を一切構うことなく嘉穂は繁華街の奥に向かって歩き出す。対する雛乃と源さんも叫ぶ内田に構わず去っていく嘉穂の背中に敬礼を送る。
結局、どちらの視界にも内田は入らないまま、『最強』が現場に投入されたのであった。
「……って、そんなことさせるか!」
「えっ? 内田くんっ!?」
内田は己の内心で流れたナレーションにセルフツッコミを入れると嘉穂の後を追って走り出す。しかし肝心の嘉穂はすでに内田の視界のどこにもいない。
「ちょっ!? ただ歩いてただけのはずなのに足速すぎねっ!?」
一瞬心が折れかけたが、ここで諦めるわけにはいかない。ひとまず爆発が起こっている方向へ向かえばそのうち合流はできるだろうと考え直し、内田は直感に従って角を曲がる。
──俺はこの街を守りたくて景観治癒者になったんだ! こんなとこで立ち止まってなんかいられるかっ!!
「内田くんっ!! 今の内田くんは……っ!!」
背後から聞こえていた雛乃の声も、距離が離れるごとに聞こえなくなる。
内田は己の直感を信じて、足に力を込めた。