第91話 生きたドラマ
「単刀直入に聞きたいんだけどさ。ここに来たのは君たち――ああ、もちろん瑠稀ちゃんと葵ちゃんの事ね――が元の世界に帰る為、って事でいいんだよね?」
浅倉依弥さんが質問をぶつけてきたのは、私たちが名前だけの自己紹介を終えていくつかの雑談を交わしていた時だった。
緊張感はとうに薄れ、かといって完全に無くなったわけでもない。こうして踏み込んだ事を聞かれればなおさらだ。
「……そうですね。そのために来ました」
「っていうか、さっき”見たいものが見える”スキルを持ってるって言ってましたよね。それ使えば分かるんじゃないですか? 私たちがここに来た理由なんて」
葵さんのもっともな指摘に依弥さんは椅子の背もたれに寄りかかる。右の耳たぶを指先で弄ぶと、黒い星のイヤリングが小さく揺れ、
「言ったろう? ”ネタバレ”は嫌いだって。僕がこうして君たちと話しているのは、単純に会話を楽しみたいからだよ。スマホで画面越しに交わされるやり取りも、目を見て話せばすぐ終わる。伝わるかは別だけどね」
閉じられた両目とは対照的に、口角が得意げに吊り上げられる。
後半のとってつけたような言い分はともかく、自己紹介の時からわざわざ「ネタバレが嫌い」と公言しているのは先ほどから気になっていた。
単純に考えるなら、この人は自分の能力が嫌いなのだろう。
未だに組まれた足は白のワイドパンツに包まれ、シャツの上には深い藍色をした薄手のカーディガンと、装いからしてこの人も転移者である事は間違いない。
やや暗めの茶髪には紫色のメッシュが入り、マッシュヘア風の髪型が現代的な印象を助長する。外見と雰囲気から伺うに、年齢は三十代前後に見受けられた。
「じゃあ、依弥さんから伝えたいことは?」
飄々とした受け答えにサジの単刀直入なメスが入る。唐突な話題転換にも臆さず、むしろ姿勢を前のめりにして依弥さんは呟いた。
「君たちがこの世界で過ごしてきた日々の話を聞きたい」
絵本の読み聞かせを待ち望む子供のような、無邪気な瞳が私たちに向けられる。
「辿ってきた道筋、瑠稀ちゃんや葵ちゃんがこの世界に来てからの出来事。君たちに起きた変化の過程……そういうのひっくるめて、全部僕に聞かせてほしいんだ」
「……それって、何のために」
「簡単だよ。生きたドラマが見たいからさ」
異なる色を湛えた瞳がいっそう輝いて見えた。
要領を得ないといった面持ちを浮かべていたのは私以外のみんなも同じだったようで、空気の変化を察した依弥さんは補足するように話を続ける。
「ああ……これ別に、面接や試験みたいなのじゃないから。僕の興味本位。君たちの身に起こった事をそのまま聞かせてくれたら、本当にそれだけでいい。異世界に迷い込んだ転移者と、この世界の住人が織りなす物語……そういうのを生で聞ける機会って、なかなかないからさ」
「……で? ルキ達が話した暁には?」
「もちろん、僕とマヤとで、元の世界に帰る手伝いをしますよ。シドウ先生」
たった今、ごく自然に発された言葉が私の胸に波紋を起こす。嘘か真かを見極める術はない。けれどメロの反応を頼りに、私たちはここまで来た。
これが与えられた手がかりの結果導き出された回答だとするなら、それだけで信用に足る言葉だと思えた。だからこそ、私は慎重になって問いかける。
「それ、本当なんですか? けどいったい、どうやって……」
「大丈夫。君たちの他にも帰った人間はいるし、説明とか証明が欲しいなら」
「――や、そりゃあいらなくないですかねぇ。あたしがいんのに」
ドン、と会話を遮るような音が立てば、意識は自ずとその方向に集中する。音の主は半美さんだった。
テーブルに立てた一升瓶を手に口元を拭い、しゃっくりをひとつして立ち上がる。そのまま私の横を通り過ぎて依弥さんの傍まで歩くと、漂う酒気と混ざり合った香水の匂いがつんと鼻をかすめていく。
「スキル、今だけオンにしてもらえます?」うっすらとした笑みとは裏腹に、声色はやけに落ち着いていて、「そんで、あたしの過去だけ見てもらってもいいすか」
半美さんの過去。耳にした言葉を咀嚼すれば、それらしい予想がついてしまった。
ふたつの世界を転移する体質、そうなってしまったきっかけの出来事――以前、聞かせてくれた話の数々が脳裏に思い浮かぶ。
依弥さんが見ているのは、おそらく――
「……ああ、なるほど。君は……」
「ひひ、よかった。見てくれたみたいですね」
やはり先ほどと変わらない、落ち着いた声色が降り注ぐ。一方で閉じていた瞳を開けた依弥さんは、何かを思案するように唇を触っていた。
訪れた沈黙は、新たな話題を切り出すのにうってつけだった。
「んじゃあ、まずはあたしのドラマから。……あたしは元の世界とこっちの世界を行き来できるようになっちゃった、まあ変な体質で。そうなった原因は、あたしを元の世界に帰そうと命を張ってくれた友達のおかげです」
一升瓶の栓が開く。口の置き先は、依弥さんが手にしているマグカップ。
清らかな水と見紛うほど澄んだお酒がなみなみと注がれていき、この場にいる誰もが話の転がる先を見守っている。一度開いた口は、そうやすやすとは止まらない。
「分かりますよね? あたしはひとつの命を背負って、今を生きています。身の回りに起こったこと話すだけで帰れる? そんな条件でいいなら……そしてもっと、早くにその方法を知っていたんなら」
ぴたり、一升瓶の口から水滴がこぼれ落ちる。
「あたしは笑って、あの子が作ったお酒をあなたに振る舞うつもりでした」
テーブルに広がっていたのは薄汚い、泥のような色だった。
注がれたお酒は中のカフェオレと混ざり合い、取っ手に添えられた依弥さんの手をも濡らしている。床へしたたり落ちる雫が涙のように見えたのは、半美さんの胸の内を聞いた後だからだろうか。
どことなく芳醇さを感じた香りも、清らかなお酒の色も、もはやテーブル上に広がるそれらからは一切見出すことが出来なかった。
「……だから嫌いなんだよなぁ。自分のスキル」
やるせなさの滲む声が視線とともにマグカップの中に落とされる。
いや参ったよ。見ないフリも、知らないフリも出来ないから。だけど――依弥さんはそう言って、どこか観念したような面持ちを浮かべた。
「異世界転移に関する情報は、悪用の危険性も孕んでいるという観点から公には明かせない。それを理解も納得もしなくていいけど、君と、君の友達にかける言葉が見つからない事は……僕が言えた義理じゃないというのは承知の上で、ただ申し訳ないと思ってる」
一滴、また一滴とこぼれ落ちる雫が依弥さんの足元を濡らす。
「君は既に”誤解”という解を得てしまった」
抽象的な単語が指す事柄がなんなのか、半美さんの経緯を振り返れば容易に察しがついた。私たちは引き続き依弥さんの話に耳を貸し続ける。
「たとえ正規の手順を踏み直しても、誤解は正しい解にはなり得ない。それでも、責任ある立場の者として謝罪する。本当にすわぶっ――!?」
直後、半美さんが噴き出したのは、目の前で起きた出来事とほぼ同じタイミングでだった。
視界の外から飛来した物体――真っ白なタオルが依弥さんの側頭部に直撃し、強引んに話が中断される。のみならず、
「パパ。何やってるの」雑巾を片手にしたマヤがあきれた様子で言い放ち、「床が汚れちゃう。そしたらママに怒られる。早く拭かなきゃ」
「……僕よりフローリングの心配をされたのは傷付くけど、たしかにそうなったら一大事だ。けどマヤ」
「何?」
「雑巾は、投げちゃいけません」
ともすれば一触即発のムードになりかけていたものの、その分、一度脱力した時に訪れる安心感は大きくなる。空気が抜けて急速にしぼんでいく風船のように、ひりついた空気は瞬く間に弛緩した。
私とメロが掃除の手伝いを申し出るも「君たちはお客さんなんだから」と断られてしまい、邪魔にならないよう仕方なくガラス窓の方へ移動する。
「ありがとね。瑠稀ちゃん」
隣に並ぶ半美さんの顔を見ると、言いたいことを吐き出せたのもあるのだろう。その表情にはいつもの朗らかさが戻っていた。
一方、どうしてお礼を言われたのか分からず、私は思わず小首を傾げてしまう。続く言葉はそれとは裏腹に、実に明瞭なものだった。
「瑠稀ちゃんと出会わなかったらあたし、ここにいなかったよね。で、あんな風に啖呵も切ってなかったし……そう思うとやっぱり、このお礼は瑠稀ちゃんに伝えるべきなのかなってね」
改めて伝えなくても大丈夫なのに――そう思うと同時に、半美さんは照れくさそうに頬を掻いた。
日はまだ高い。ちらりと後ろに目を向ければ、テーブル周りの掃除がもう終わりそうな兆しを見せている。
「……かっこよかったですよ。さっきの半美さん」
「ふぇ?」
私は淡く微笑みを浮かべてから、
「元の世界に戻ったら……私もあんな風に、友達を大切にします」
お酒は抜けている筈なのに、半美さんの頬にはほんのりと朱が差していた。
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