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ティアドロップ;オンステージ  作者: だいこん
第4章《後編》 眩き魔王
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第60話 桜雨


 窓を開けると、涼やかな風に乗って一枚の花弁はなびらが舞い込んでくる。


 窓辺に軟着陸したそれは雪と見紛みまごうほどに白く、美しく。(つま)み上げて目を凝らせば、先端がほんのりと薄桃色に色づいているのが分かる。


「――――」


 彼の眼下に広がっていたのは、白い花を咲かせた桜によく似た木々だった。


 風に揺られ、辺り一面をほぼ隙間なく覆う様は真冬に見る雪化粧のようですらある。唯一、門から伸びる一筋の通り道だけが、漂白たる自然の絵画に素朴な線を引いていた。


「サジ」


 背後からした声に彼は振り返る。


「これ、覚えてる?」


 白髪をベースに毛先が桃色のグラデーション、彼女――ミゼリアの髪色は、先ほど目にした花弁とよく似ていた。促されるまま視線の先を見つめれば、そこにあったのは一冊の絵本と、一枚の写真立て。


 映っていたのは幾らか年の開きを感じさせる男の子と女の子、そしてその背後では彼らを見守るように優しく佇む、二人の男女の姿が収められていた。


 親と子。写真から滲む仲睦まじい雰囲気を見れば、誰もがそのような関係性を思い浮かべるに違いない。


「……懐かしい、覚えてるよ。たしか姉さんが、外でご飯食べよう、って言った時に撮った写真だ」


 ミゼリアのもとに歩み寄ると、サジは壁に目を向ける。


 人や街の風景に、多様な色づきを見せる豊かな自然――クレヨンを使い、つたない筆致で描かれた絵の数々は、いかにも子供の”お絵描き”らしい。


 壁に張られたいくつもの画用紙には、彼らの思い出が描きとめられていた。


「”おとうさんとおかあさんのえ”……サジの字って、この頃からずっとこんな感じよね」

「姉さんも、絵のクオリティがまちまちだけどね。人は上手に描けるけどそれ以外は、って感じだし」


 数ある絵の中で、二人は一枚の絵に目をとめる。戦いの最中さなかなのだろう、そこに描かれていたのは剣を手に人間や機械に立ち向かう”おとうさん”と、二人の子供とその姿を見守る”おかあさん”の姿が描かれていた。


 よく見れば絵のタッチはところどころ異なり、一人の手によって描かれたものではない事が伺える。視線は”おとうさん”の傍にいる、四人の人間に向けられた。


「お父様を支えていた人たちも、みんなどこかへ行ってしまったわ。あなたと似たような書き置きを残して」

「……幹部の人たち」

「そう。今この屋敷にいるのは――私とタオジェンだけ」


 サジの後ろを通り過ぎてゆく足音は、開け放たれた窓辺へと向かっていく。


「サジ。あなたに”魔王”になってほしいと言ったら、驚く?」


 瞬間、ミゼリアの眼下に広がる木々がざわめく。数多の花弁が宙に舞い上げられ、やがて粉雪のように地べたへ漂い落ちていく。サジが口を開いたのは、風が鳴り止んだ頃だった。


「姉さん。父さんと母さんが残してくれた言葉」

「サジ、私は――」聞こえてくる言葉をぴしゃりとさえぎり、「……たぶん、まだ夢を見ているんだと思う」


 窓枠に乗せた腕をぎゅっと握りしめる。伏し目がちだった視線を上げれば、ミゼリアの視界には大きな入道雲が映り込んだ。


 降り注いでいるのは大雨か、はたまた耳をつんざくほどのけたたましい雷雨か。

 空を覆い始めた暗雲は地表に影を落とし始め、彼女の胸にさざ波のような胸騒ぎを運んでくる。


「めちゃくちゃになって欲しい、って訳じゃないよね。世界とか、いろんな事がさ」


 背後から聞こえた声にミゼリアは首肯する。


「……もちろんよ。もしお父様が魔王を続けていたら、今の世界はどうなっているんだろうって……人間に恨みがないかと聞かれれば、はっきり否定するのは難しいけれど」


 私怨ではない。そう言い聞かせるたび、なぜだろう。ミゼリアの奥底にある記憶トラウマが獣のように暴れ出す。


 両親が生きていた頃、サジが生まれる前に掛けられた言葉の数々、下卑(げび)た視線――時を経た今では、理性の鎖も随分と強くなった。今一度自分の心を飼いならし、ミゼリアはサジに向き直る。


「もし夢の続きが見れるなら、私は見てみたいと思う。私じゃお父様のように力を振るうのは無理だけど、そうしたらきっと」

『――ヘイヘイヘイヘェイッ! ミゼリアチャンいるゥ!?』


 静謐(せいひつ)な空間に響くやかましい声が、話の腰という腰を見事に叩き折る。窓から飛来した一羽のカラス、タオジェンの存在は瞬く間に二人の視線をくぎ付けにした。無論、悪い意味で。


「……どうしたのタオジェン」ミゼリアの口から自然とため息が漏れる。「急ぎの用事でないなら外して頂戴ちょうだい

『いやいや急ぎも急ぎ、オレちゃん大急ぎよ! ったく……!』


 大げさに息を切らしながらタオジェンは窓枠にとまり、


『屋敷の前に五名の団体サマ! しかも全員、カフェで見た顔ッ! サジくん、もしかして招待状でも出しちゃったァン!?』

「いいや。むしろ、どうやってここに来たのか知りたいくらいだよ」


 その言葉に嘘が含まれていない事は、彼の姉であるミゼリアが何よりも理解していた。サジは昔から嘘をつくのが下手だ。ゆえにトラブルや誤解が発生する事も少なくなかったが、今気にすべきところはそこではない。


「……あの子たちね。タオジェン、五人はもう中に?」

『おう! 門の鍵が開いてたからなァ!』

「……最悪。戸締りをお願いした子、誰だったかしら」言葉尻に後悔を滲ませたのも束の間、サジを見やり、「こっちに来て。タオジェンはみんなと足止め、お願い」


 こころよい返事を返して飛び去るタオジェンを横目に、ミゼリアはサジの手を取って部屋を後にする。出すべき指示は出し終えた。


 あとはタオジェンが上手く時間を稼いでくれさえすれば、彼女たちを追い返す術は整うはず――(つと)めて冷静に思考を巡らせるミゼリアとは対照的に、サジの意識は別に向いていた。


「……まさか絵本になっているとは思わなかったな」


 写真立ての横に置かれていた一冊の絵本。ミゼリアの話を聞いていたかたわら、サジは既視感を覚えたその絵本のページをめくっていた。


 やたら大きめな文字のフォントに、子供が親しみやすいようデフォルメされたキャラクター達、勧善懲悪の分かりやすいストーリーライン――忘れもしない。


 以前この本を読んだのは、四人で図書館に行った時だった。


 脚色は加えられているものの、まさか自分たちの親が絵本の中に登場するだなんてと、その時はいい意味で衝撃を受けた。同席していた三人からは若干(いぶか)しげな視線を向けられたものの、読み終えた時の満足感はそれを補って余りある。


 ――『まおうさまの恋。にんげんと恋におちるまでのひゃくにちかん』。

 堪能(たんのう)した物語をもう一度頭の中に思い浮かべると、ふと窓を叩く雨音に視線を引き付けられる。


「……降ってきた」


 小雨はやがて大雨に、大雨はやがて雷雨へと空模様を変えていく。

 五人ははたして、無事だろうか。


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