第21話 当事者意識
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昼下がり。街はずれにある墓の前で繰り広げられた騒乱の一幕は、誰の目にとまることなく終えられたかに思われた。
「……やっべ。なんか凄ぇのとれた」
日の当たる所にいたのであれば、不躾に向けられるスマホのカメラレンズは逆光によって暴かれていただろう。しかし、少女は木陰にいた。誰に気付かれることなく、頼まれるでもなく――ただ物珍しさに負けて、事の一部始終を自身のスマホに収めていた。癖と言われればたしかにそうなのかもしれない。
どこか建物の屋上にたどり着くと、少女は柵に背中を預けて動画を再生する。無論、見るのは先ほど自分が撮り収めた映像だ。
退屈そうに咥えた棒付き飴を転がしていると、
「ここにいたのかい――と、そいつは動画かい?」
「んん、ほうあ。さっひほっははふ」
一人の男が歩み寄り、ともに画面をのぞきこむ。
奇天烈かつ奇想天外に変化する一升瓶を駆使し、現れた魔物の群れをでたらめに屠り去っていく女性の姿。傍らには陽光を反射してきらめく、長く美しい黒髪を湛えた少女がその戦いぶりを見守っていた。
距離が離れているせいで若干映像はぼやけているものの、何も彼女たちの顔や素性を探ろうという訳ではなかった。面白い絵が取れればそれでいい。
「ああ?」少女が数秒、動画を巻き戻す。「着物着てる人、なんで消えたん?」
「さあ……? どこか転移でもしたのかな? 知らんけど――って言葉は、こういう時に使うんだよね?」
「そ。天才」
そっけない言葉とは裏腹の、得難くも新鮮な高揚感に男は歓喜する。
少女の退屈そうな視線の先には白と青のツートンカラー――棒付き飴の飴玉には、そのふたつを割くようにひびが入れられていた。
◆
半美さんから聞いた話を共有すべきかは、正直迷っていた。
元の世界に戻る方法には失敗が存在する事、半美さんは異世界と元の世界とを転移する特殊な体質の人間である事。半美さんを命がけで元の世界に帰した友人の事もあるが、これは胸に秘めておくべき事柄だろう。
みんなと合流するまでの時間は頭の中を整理するのに都合がよく、昼食をとるついでに私は事の次第と情報とを打ち明けた。元の世界へ転移する話となれば、葵さんにも無関係ではない。
「――話してくれてありがとうございます、瑠稀殿。これも手がかりといえば手がかりですが……やはり失敗のリスクは看過できませんな。とるべき方法にもよるのでしょうが」
手がかりを探し、導き出された方法を試せば必ず、元の世界に帰ることが出来る。
頭の片隅で抱いていた楽観的な考えは、もしかしたらそうやすやすとは通らないのかもしれない。
あれから一週間、私たちは再び日常というレールの上を歩いていた。
カフェで仕事をし、日によっては誰かと一緒に依頼を片付けにギルドへ向かう。異世界での生活に適応する時間としては十分だった。不自由さを感じる事もほとんどない。そして、
「……ありがとうございました。またお越しください」
男女二人組のお客さんに会釈し、垂れ下がった横髪を耳の上にかけなおす。何度もルーティンをこなせばそれが習慣となるように、この文言を呟くことにも慣れてしまった。
時間帯はお昼のピークを過ぎたところで、慌ただしく出入りしていたお客さんの波も今は穏やかさを取り戻している。
葵さん、材料のストックはどうですか、そちらならば先ほど二人に買い出しを頼みました、じゃあ大丈夫そうですね、今日は四人体制にして正解でしたな。ちょうど、ホールと厨房の境目付近で会話をしていた時だった。
「あ……いらっしゃいませ」
ドアベルの音が会話から意識を引き戻す。
見れば入り口には小柄な女の子と、L字型の杖をついた長身の男性が立っていた。身長差はおよそ頭二つ分ほどはあるだろうか、並んでいるのを見るとその差がより顕著に感じられる。
そして――なぜだろう。
女の子の方は私に視線を送り続けている。好意的なものとは違う、どこか訝しがるような、含みを帯びた視線だ。
「えっと……二名様ですか? お席、自由なところで構いません」
「ライモン、窓際」
「オーケー。じゃああそこにしよう――それと注文いいかな? 店員さん」
定型文的なやりとりをいくつか経て、私は葵さんから受け取ったドリンクをテーブルに運ぶ。苺の紅茶とカフェオレがひとつずつ。伝票を脇に添えてしまえば、私の仕事はほとんど終わりだ。
「ありがとう。なづな、飲み物来てるよ」
「え? ……ああ、うん」
男の人――先ほどライモンと呼ばれていたので、ライモンさんという名前なのだろう。一方、対面に座るなづなと呼ばれた女の子はスマホに視線を落としたままだった。
髪は顔の輪郭に沿うよう短めに切りそろえられ、ミルクティーベージュの髪色はちょうど手元にあるカフェオレと色味が近い。フードのない白のジップパーカーに、デニムのショートパンツ。太ももに二本の黒いガーターリングを装着した足は、テーブル下から投げ出されるようにはみ出している。
この子も私や葵さんと同じ転移者なのだろう。
ややガラの悪い居住まいから目を逸らすとライモンさんは革製の手袋を外し、苺の紅茶に舌鼓を打っていた。
「――やっぱり気になるかい、店員さん」
妙に誇らしげな声色だった。けれどその声に耳を揺さぶられ、私は無意識の内に”あるもの”に気を取られていた事に気が付いた。
「え……? あ、すいません……!」私は首を横に振り、「……なんかそのシャツ――ええと、凄いなって思って」
「やはり!」
途端にライモンさんが立ち上がり、気圧された私は半歩後ずさる。
「このシャツに目を引かれるとは、さてはキミもなづなと同じ転移者だね? どうだい? やはりキミのいた世界では、このシャツが大流行していたのかな!?」
「は――?」
「ああ、皆まで言わずともいい!」
皆までもなにも私は一言しか発していない。
「これは選ばれし者だけが着れる服だとも聞いたことがある。そうだろうッ! なづな!」
「ぶっ……いやライモン、アレは冗だ――いや、いっか。うん、その通り。凄い服だから。似合ってる似合ってる、かっけぇよマジで」
――どうしよう。
通じ合うように二人は笑い合うものの、状況がまったく飲み込めない。ただひとつ理解できるのは、ライモンさんが騙されているのではという事だった。
紺碧の青い髪は後ろで結ばれ、ジャケットははだけるような着こなしで黒のスラックスと合わせられている。問題はインナーのシャツだ。何を隠そう、さっきまでの私はこの字に視線を奪われていた。
これ見よがしに”推ッス!”という字が大きめのフォントでプリントされており、目立つことこの上ない。それに元の世界でこのシャツが流行っているとか、選ばれし者だけが着れるという話はもちろん耳にしたことがない。
なので間違いなく、面白おかしく盛った話を聞かされたのだろう。
間違いを訂正してあげるべきだろうか。
それとも本人が楽しそうにしているのだから、そっとしておいた方が――些細な逡巡に苦笑いを浮かべていると、
「あのさ店員さん。髪、いっかい下ろしてもらってもいい?」
なんの脈絡もない言葉を呟いたのはなづなと呼ばれた女の子だった。確かに今――というよりカフェでの仕事中――は髪を結んでいるが、あまりにも唐突すぎる。
「……なんでですか」警戒心が語気に滲む。「っていうか、さっきから私の方見てきて落ち着かないんですけど」
「いやこれ。もしかしたら店員さんかなって」
スマホの画面を見せられて一瞬、私はわかりやすく言葉を失った。
お墓の前で交わしていたやり取りも、姿を消す半美さんの姿も。そこには余すことなく映し出されていた。
「……撮ってたの? 全部」
「うん。なんか凄ぇ人いるなぁって思って」
やましい場面を切り抜かれたわけではない。
けれど、動画に収められるような見せ物でもない。
何よりも私の神経を逆撫でしたのは、少しの悪気も感じさせない、さも当然の行いをしたまでですとでも言いたげなその子の口ぶりだった。
髪を解くまでもない。その動画に映ってるのは私だけど。そんな言葉が威勢よく飛び出す前に、純然たる不快感が泥のように堆積する。
「……最っ低」
ため息交じりにこぼしても感情はごまかせない。
口をついて出たのはなんの装飾もされていない、感じたままの言葉だった。




