イトオシキヒト
教室に入ってきた彼女に私は目を奪われた。
何故か、答えはとてもシンプルだ。
彼女がとても美しかったからである。
とはいえとりわけ彼女の容姿が優れていたとか――これはそのような単純な話ではないのだ。
見た目の話だけで言うならうちの学校で一番の美人は井波さんだし、私だってその井波さんに負けず劣らずの美人だという自覚がある。
しかし彼女のしなやかな長い黒髪や氷を思わせる冷たくて澄んだ青い瞳、そしてシャンプーの香りだろうかほのかなローズが私の思考を甘く惑わせた。
ただの顔の美醜や身体の造形ではないその不思議な美しさを持つ彼女、唐沢あずはのことはすぐに学校中に知れ渡った。
それを知って全員が彼女の虜になってしまうのではと危惧したがそれはどうやら杞憂だったらしい。
彼女のこの美しさに気付いたものはそう多くなかったようだ。
はじめは物珍しげに集まっていたギャラリーも一日、また一日と日を追うごとに少なくなっていった。
それも当然だ。
彼女はとても物静かでクール――悪く言えば不愛想なきらいがあったらしい。
興味本位で近づいてくる人々を一瞥するだけで仲が良いといえる存在を誰一人として作らなかったのだ。
ある意味それにほっとしたのも束の間、早くも彼女の周りに害虫が現れた。
クラスメイトの柴木裕太郎。
サッカー部に所属しており運動神経がよく勉強もそこそこ、コミュニケーション能力も高いイケメンだ。
そんな学年一モテる男は学年一の美少女である井波さんと付き合っていたはずなのに。
きっと彼も彼女の魅力に気付いてしまったのだろう。
しかし私の愛する彼女がこんな軽薄な男に穢されてしまうなんて絶対に許せない。
だがそんな心配は無用だったらしい。
彼女が誰かと慣れあうことなど全くなかった――ただ一人を除いて。
その一人は柴木くんではなく、悔しくも私でもなく、クラスメイトの壱良麻奈だった。
壱良さんは特にこれといった特徴のない子だ。
特別目立つような存在でもなく、かといって特別何かに劣っているわけでもない。
去年も同じクラスに在籍していたが「ああ そういえばいたな」と思う程度のあまり記憶に残らないような子だ。
私にはなぜ彼女ともあろう人が壱良さんのような没個性な存在と行動をともにしているのか全く理解できなかった。
彼女にはもっと特別な何かを持っているような人でないと似合わない。
そう、それこそ私のような。
唐沢あずはという存在に堕ちてしまうまでにそう時間はかからなかった。
空は薄い雲に覆われていて太陽が陰に隠れながら外の様子をうかがっている。
そんな仄暗いなか素肌をなぜる生暖かい風が変に私の高揚感を煽った。
放課後の誰もいない屋上――今からここで私は告白するのだ。
なんて学生らしいシチュエーションだろう。
これで晴れていたらよりよかったのだけれどこの完璧でないところが逆に彼女を思わせて愛おしい。
少し錆びた扉の不快な音に嬉々として振り向くと、そこには私の愛おしい彼女が約束通り一人で立っていた。
小走りになりそうなのを抑えて努めてゆっくりと彼女に近づく。
彼女の氷のような視線が私を射抜くけれどそれで歩みを止めることなく正面に立った。
目が覚めるとそこには見慣れた天井があった。
私の部屋、服もいつものワンピースタイプのパジャマ、いつも目覚ましが鳴る時間の10分前だった。
彼女への告白は夢だったのかしら。
身体を持ち上げようとして掌にピッと引き攣るような痛みを感じる。
痛みの走った手のひらを見るとそこには覚えのない一文字の傷跡があった。
しかしあまり目立つものでもないので気にすることなく学校に行く準備を始める。
愛する彼女に会うために。
三上冬乃から見た唐沢あずはとは。