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高校生の青春真っ最中にパニック障害とうつになったJKの話

作者: 赤月 絵美里

その日は突然やってきた。


怖い。感情が恐怖に支配された。


テスト前、勉強をしているときに突然動悸に襲われた。

頭がパニックになり、過呼吸になった。

あたりは静寂に包まれ、自分の呼吸音だけが頭の中を飽和していた。

意識が遠のいていく。


20分ほど経って過呼吸はやっと治まった。永遠よりも長く感じた20分だった。

私は呆然とした。こんなこと初めてだったから。

今のは一体なんだったのか。


家族には言わないと決意した。心配をかけたくなかったから。


笑顔を取り繕って家族のもとに行った。

その日はもうそれ以上過呼吸になることはなく、ベッドで眠りについた。


翌日。またあの地獄の時間が来た。


わけがわからない。何故こんな苦しいのか。辛い。つらい。苦しい。

怖かった。感情として怖かった。自分の身に何が起きてるか分からなくて怖かった。


恐怖に支配されながらそのまま眠りについた。



地獄はその後も毎日やってきた。それは決まって夜だった。

もちろん、勉強なんてできるわけがない。


病気なのではないかと思い、スマホで検索した。


「パニック障害」その言葉が何件もヒットした。

「パニック障害」とは、強い不安感とともに過呼吸、めまいなどが起きる病気だと書かれていた。


これだ、とピンと来た。

症状が全て当てはまっていた。

少し楽になった。自分の身に何が起きているか分かったから。


テストの日を迎えた。

英語のテスト中、過呼吸になってしまった。

声が出なかった。試験監督に助けも求められなかった。

英文が読めるわけがない。テストの結果は散々だった。

それでも、過呼吸のことは誰にも言わなかった。言い訳に聞こえるから。



一年間、私はその地獄を耐え抜いた。

最初は夜だけだった発作も、だんだん昼にも起きるようになっていった。

学校の授業は逃げられない地獄だった。気を紛らわせることもできない。寝ることもできない。過呼吸で意識が飛びそうになっても耐えなければならない。

授業なんて聞く余裕もなかった。ただその1時間、1時間を座ってやり過ごすしか無かった。


夏前になって、喉に違和感を覚えた。喉を誰かに絞められている感覚がするのだ。

喉の圧迫感。それは、私のズタボロになった精神を追い詰めるのには十分だった。発作が起きていない時でも息がしにくくなった。

流石に、これは親に言った。心配をかけないように、さりげなく。

学校の行事で海外に行くということもあり、念のためかかりつけ医に診てもらった。


結果は、何も出なかった。血液検査も、エコーも、何も異常はなかった。

その当時、胃が荒れていたこともあり、胃酸が上がってきたことによる炎症の可能性があると言われて胃薬をもらった。


症状は改善しないまま、海外研修の日がやってきた。

行きの飛行機は良かった。研修中は風邪を引き、意識が風邪に向かっていたのだと思う。とても楽しかった。

問題は帰りの飛行機だ。風邪が治り、研修の疲れも溜まっていた。

苦しさが襲ってきた。息ができない。この場所にはいられない。でも、ここは空の上。逃げ場なんてどこにもない。

結局、私は十何時間に及ぶ空の旅を息苦しさとともに終えた。


その頃だろうか。先生が私の体調不良に気付いた。学校では私のことを気にかけてくれるようになった。

そこで、私はスクールカウンセラーの先生と話す機会を貰った。

そこでは、私が隠していた病気のこと、自分の無力さを許せないこと、死んでしまいたいと思っていること、沢山のことを打ち明けた。少し自分の気持ちに整理がついた気がした。



限界を迎えたのは正月だった。いや、限界はとっくに迎えていたのかもしれない。

なんで私だけこんな目に遭わなければならないんだろう。なんで私だけこんな苦しい思いをしなければならないんだろう。いっそのこと、死んでしまえたら楽なのに、、、。何度も考えた。その度傷だらけの心はさらにズタボロになって、もう周りのことなんて考えられなかった。


母の仕事初めの前日夜11時。ついに私がパニック障害かもしれない事を打ち明けた。

1人の時に苦しい思いをしていたこと。辛かったこと。怖かったこと。だれにも言えなかったこと。


母は優しく手を握って聴いてくれた。私が泣きながら話すのをうんうんと聞いてくれた。

私はその優しさに救われた。母に救われた。


その後の母の行動は早かった。すぐにかかりつけ医に行き、心療内科を紹介してもらった。

その心療内科でパニック障害と鬱だと診断を受けた。


高校2年生が終わる頃には学校に行かなくなった。進級できるギリギリまで。

学校に行ってストレスが溜まるくらいなら行かなくていい。医師と両親はそう言ってくれた。


今も治療中だ。高校を卒業できるかどうかもわからない。受験ができるかどうかもわからない。

でも、私は成長していると思う。


辛かった。青春もできなかった。授業も受けられず、勉強もできない。それでも、この高校時代があってよかったと思えるようになりたい。というか、思えるようにする。そういう人生を作っていくのが私の使命だと思う。




ここまで読んでくださった人へ。

話す練習をしてください。

絶対に役に立ちます。人に悩みや自分の弱さを打ち明けるのは簡単ではないです。話したからといって無条件に心が軽くなるかと言われればそうではないと思います。

人に話すというのは、傷ついて血塗れの部分を消毒液につけるようなものだと思います。とても痛いし、怖いし、滲みます。

でも、受け入れてくれる人はどこかにいると思うし、悪い方に転がることは無いのではないかと思います。


私は、もっと早く打ち明けていればと後悔をしました。そうすればもっと早く治っていたかもしれない。授業もちゃんと受けられたかもしれない。それができなかったのは、私が人と話して来なかったから。悩みを打ち明けなかったから。強がっていたから。見栄を張っていたから。

それに気づけたことは私にとっての財産です。




私は、胸を張って生きていく。パニック障害の私も、うつの私も愛していく。

私は、わたしが大好きだ!

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