キチガイ令嬢と夜が明けるまで踊ろうよ?
とある国の下町のとある飲酒店にて、一人の酔った男が赤い顔で上機嫌に言った。
「おやじさん、『キチガイ令嬢』ってのを知ってるか?」
穏やかな笑みを浮かべているおやじさんは、首を横に緩く振って見せる。
「いいや、知らないねぇ。教えてくれるのかい?」
おやじさんの言葉を聞いた男は、赤ら顔に得意げな笑みをのせながら、おうよ!と頷いた。
「俺も噂で聞いた話なんだがな、隣の国では『キチガイ令嬢』っていう恐ろしいお貴族様の娘御が今日、処刑されたんだとよ!…なんとも、お貴族様のご令息やご令嬢方を大勢殺したらしいぜ?数年に渡る拷問のちギロチンの刑、だったそうだ」
男が声を潜めて言った後半の言葉を、おやじさんは眉を顰めておうむ返しにする。
「よりによってお貴族様のご令嬢が?護衛さまやご令息もいる中で虐殺、かい?」
男は重々しく頷いて見せた。
「ああ、そうだだとも。一人のご令嬢に対して、なぜかは知らんが訓練されている護衛さまたちでさえ敵わなかったそうだ。その場にいた全員がお陀仏だったとな」
おやじさんは興味深げにほう、と頷く。おやじさんの反応に気を良くした男は、得意げに反り返って話を括った。
「それで、俺の隣国の知り合いたちから聞いた噂によると、その処刑されたご令嬢には『悪魔』が憑いていた、っていう話なワケよ」
おやじさんは納得したように頷いてから、男に向き直って言う。
「なるほどねぇ、それなら納得できるよ。よく知ってるねえ」
おやじさんの言葉に、男は照れたように笑って見せた。
「俺、隣国の知り合いは結構多いんだ。明日も何人かと飲みに行くんだぜ?」
男の言葉を聞いたおやじさんは、窘めるように笑う。
「あまり、飲みすぎはいけないよ?身体を悪くしてしまうからね」
男はあんがとよ!と笑って言った。
——恐ろしい事件が起こったのは、かれこれ二年前の話である。
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「ヴィレースト・ヘリストウォーク!身分を笠にきて虐めを行う性悪女め!この卒業の場に置いて王太子である私、レーギス・イングレスとの婚約を破棄する!」
ある学園の、生徒のみが参加する卒業パーティー。高慢な顔で笑う一人の女に、一人の男が言い放った。
婚約破棄を告げた男の周りには、四人の男が守るように取り囲んでいるのが見える。いや、彼らが取り囲んでいるのは、破棄を告げた男の後ろで隠れる一人の令嬢か。
女、ことヴィレースト・ヘリストウォークは、王族に次いで権力のある公爵家の一人娘である。王族に次いで権力のある家の娘が王太子の婚約者になることは、至って当然のことであろう。
ヴィレーストは高慢な笑みのまま、レーギスに向かって言葉を投げる。
「あら、王太子殿下。なぜ私が婚約破棄、という不名誉な行為をされなければなりませんの?」
レーギスは、鋭い目でヴィレーストを睨みつけて言った。
「自分の胸に聞いてみてはどうだ?まあ、馬鹿正直に周りに聞いてみてもいいかもな。教えてくれたらいいのだがなぁ?」
多くの刺すような視線が、ヴィレーストに向いている。一部の者からは殺意さえ向けられているようだ。
馬鹿にするように言ったレーギスに向かって、ヴィレーストは笑みを浮かべたまま言い放つ。
「わかりませんわ。教えてくださいませんの?」
ヴィレーストに馬鹿にされたと感じたレーギスは、顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。
「わからない訳がないだろう!私の最愛であるファルシュ・ブレウェン嬢を執拗に虐め、挙げ句の果ては階段から突き落とそうとしたそうだな!もう我慢ならんぞ!」
レーギスの後ろから、ふわふわとした淡いピンクの髪の毛が見える。ヴィレーストは、どこかデジャヴを感じながらも、緩くかぶりを振って見せた。
「あら、違いますわよ。私が突き落とそうとしたのではなく、勝手にそのご令嬢が落ちそうになったのです。無意味な罪を被せないでいただけません?」
レーギスは、苛立たしげにヴィレーストを睨み付ける。
「ああ、昔からお前はそうだったな。全てが計画の内か。お前は私のことでさえ『王太子』としては愛していたが、『レーギス』としては愛してくれなかったな。大切なのは利用できる者だけか」
レーギスの声にどこか哀しみを感じたような気がして、ヴィレーストは心の中で首を傾げた。だが実際その通りなので、艶やかに見える笑みを顔中に浮かべて見せる。
「ええ。その通りですが、何か?」
貴族の政略結婚とは、そのようなものである。よっぽどのことでない限り、相思相愛は難しいことなのだ。
レーギスが俯いて唇を噛み締めたとき、高くかわいらしい声がその場に響いた。
「やめてあげてくださいっ、ヴィレーストさまっ!レーギス様がお可哀想ですっ!どうして、ヴィレーストさまはそのような酷いことばかりおっしゃるのですかっ?」
守ってあげたくなるような、どこか頼りなさのある可憐な声。その声の元は、レーギスの一歩後ろから。
ヴィレーストは、ゆっくりとした動作で声の元を見た。彼女を見た途端、頭に殴られたような衝撃が走る。
「わた、し…は?」
激しい痛みによって、ヴィレーストは立ちくらみを起こしそうになる。両足で何とか踏み止まると、ゆるゆると顔を上げた。
濃いショコラ色の髪をした王太子『レーギス』と、淡いピンクの髪の『ファルシュ』。そして、燃えるような赤の髪の『ヴィレースト』。おまけには、殺気立った周りの人々。
ここはおそらく、お芝居『メメント・モリを、この胸に。』の世界だ。王太子に婚約破棄され、国外追放となった悪役令嬢が主役となり、魔物を倒すお話である。
そこまで思い出したところで、ヴィレーストに再び激しい痛みが襲い掛かる。あまりの痛みに、ヴィレースト——彼女は思わず目をきつく閉じる。
様々な映像が、鮮やかな色で流れていった。
………………………………
「おねーちゃん!『メメ・モリ』おもしろかったね!」
そう。私、『山口咲良』はあの日、最愛の妹『山口哀良』と共に、『メメント・モリを、この胸に。』略して『メメ・モリ』のお芝居を見に来ていた。
『メメ・モリ』は珍しくも、一番初めが演劇として公開された作品だ。演劇のファンがあまりにも多く、女性の年齢問わずに人気だったため、映画化や漫画化は勿論のこと、ゲーム化も約束されていたという。
私は哀良ににっこりと微笑み返す。
「うん、おもしろかったね!何より、食い入るように見つめる哀良がかわいかった!」
ちなみに、私はドが付くほどのシスコンだ。この世の中で妹以上にかわいいものはいないと、心から本当に思っている。
私の言葉に、哀良がうっすらと頬を染めた。小さい声で「あ、ありがとう…」という姿は、私が思わず抱きしめてしまうには十分である。
「かわいー!かわいー!哀良がものすごくかわいー!」
ぎゅうぎゅう抱きしめる私から、哀良がなんとか抜け出そうとする。抜け出した哀良は、若干涙目で私を睨んできた。
「おねーちゃん!もう、私にも『佐藤彰くん』っていう彼氏がいるんだからね!おねーちゃんもそろそろ彼氏見つけないと、一生独り身だよ?」
哀良の言葉に、私はデレッという効果音付きで顔を崩す。
「哀良、おねーちゃんのこと心配してくれるの?やっさしぃー!うちの妹が優しすぎる!彰くんの位置が羨ましいわ!」
もう、私の彼氏はアキくんだけなんだからねっ! と顔を膨らませながらも、哀良は嬉しそうに笑う。
まだ、この時はとても幸せだった。
忘れもしない、あの道で。あの辺りの中で一番交通量が多い道路で、その『悲劇』は起こった。いや、起こってしまった。
私の視界の端に、大型トラックがチラリと映る。哀良に「危ないからこっちに寄って」と言おうとして、私は目を見張った。
哀良の身体が、トラックの方向に突き飛ばされている。哀良は呆然と目を見開いたまま、力が入らず倒れていく身体を眺めている。
駄目だ、間に合わない。突き飛ばそうにも対向車が走っており、引き寄せようにも遠すぎる。
少しでも哀良の衝撃を減らそうと、私は哀良をしっかり抱きしめた。
哀良の身体は柔らかい。死ぬ瞬間に哀良の顔が見れて、不謹慎だが少しだけ嬉しいと思った自分を、強くは責められないだろう。
哀良を突き飛ばした女の顔に、見覚えがあったとしてもどうだっていい。女の唇の端が個性的に吊り上がっていたとしても、どうだっていい。
私にとって一番大切なのは、哀良が生きていてくれることだけなのだから。
身体に重い衝撃を感じる。私の意識は、どこまでも深い死の闇へと呑まれていった。
………………………………
これだけのことを思い出すのに、およそ時間は十秒ほどしかかけていないだろう。私は自虐したように唇の端を吊り上げる。
全てを思い出した上で一番大切なのは、哀良のことだけだ。その他なんてどうだっていい。
私は顔を上げて『ファルシュ』を見つめる。彼女の唇の端が、哀良を突き飛ばした『女』と同じく個性的に吊り上がっているのを見て、私は確信した。
間違いない。彼女が哀良を殺そうとし、結果的に私を殺した。
私は怯えたような演技を続ける『ファルシュ』と愚かなレーギスに、とっておきの笑みを見せつける。
「そうですね。ええ、確かにそうですわ。では、ある一つの質問に、そちらのご令嬢が正しく答えてくださったならば、私と婚約は破棄致しましょう。教えてくださった答えが、私にとって本当に知りたくて、満足できるものならば、お父様方には私からもお口添え致しましょう。きっと、そちらのご令嬢にとってはとても簡単な内容ですわ」
私の言葉に、レーギスは歯を向き出しにして笑った。
「ああ、いいとも!婚約破棄をすると言ったこと、忘れるなよ?!大丈夫だ、ファルシュ。お前なら、絶対にできるさ」
『ファルシュ』が潤んだ瞳で「レーギス様…」と言うと、小さく震えながらも私に向き直って言った。さながら、その姿はまさに『虐めを行う我儘女でさえも、聖女のような優しさで包み込んであげる清らかな少女』そのもので、かえって私は笑ってしまいそうになる。
「わかりました、ヴィレーストさま。答えられる限り、私はあなたに答えます」
言葉と姿は『聖女』を演じれているけど、目だけは『嘲笑』を浮かべているわよ? と私は思わず言いそうになった。
どうしてここまで本性を表しているというのに、多くの男たちは群がることができるのだろう。胸に疑問を抱きながら、私は『ファルシュ』を観察した。
この人が、哀良を殺そうとした女。
私は口元に強く力を込める。そうしなければ、今にも罵倒の言葉が飛び出てしまいそうだったからだ。
必死に笑みを保って、私はある一言を告げる。
「ねえ。私の最愛の妹は、哀良は向こうできちんと生きているの?」
私の言葉に周りの者は皆、首を傾げた。その中で、『ファルシュ』だけがわらっている。
この世界に、哀良の気配はない。ということは、哀良がまだ向こうで、日本で生きている可能性がある、ということだ。
一か八かの質問に、『ファルシュ』は笑って答えた。
「あの憎い女…哀良は、一応生きているわよ?まあ、あの時からずっと昏睡状態らしいけどね!本当、ざまあっていう感じだわ!」
とうとう、私の堪忍袋の尾が切れた。今、私は最高に冷たい微笑を浮かべていることだろう。
「そう…。なら、あなたたちはもう用無しね?」
言葉とともに、私は魔法で稲妻のバリアを会場全体に張る。
そう、ここは『メメ・モリ』の世界。つまり〝お芝居の世界〟。哀良がいない世界なんて、これっぽっちも必要性がない。そんなもの、いらない。
なら、私の手で終止符を打とう。そしてただ一人、あの女だけには復讐を行う。レーギスには悪いが、私の復讐の犠牲者になってもらおう。
無関係の者には一瞬の死を。それが、お芝居の世界で復讐を行う私の、せめてものお詫びだ。
罪なき令息令嬢が、雷に打たれて焦げてゆく。阿鼻叫喚の場で私は、『ファルシュ』に向かって嗤った。
「あなた如きが私の妹を手にかけようだなんて、身の程知らずとしか思えないわ。だから、復讐をしてあげる」
私の妹は、こんな女如きが手を出していい人間じゃない。頭で理解できないんだったら、死をもって理解するしかないでしょ?
私は笑う。狂ったように。ここはお芝居の世界。『主役』の呪いで何をやっても許され紡がれる。
私は嗤う。壊れたように。辺りが一面汚らわしい血で赤く染まる。
これが終われば私は牢の小鳥。罵詈雑言暴力の嵐に見舞われ、羽を広げ大空を駆ける前に首が飛ぶだろう。
ああ、それでも構わない。私の全ては哀良のためだけにある。哀良を胸に死ぬことができるならば、それが私の本望だ。
跳ねる、踊る。赤い血飛沫が全てを真っ赤に染め上げる。
叫ぶ、嗤う。このパーティーは、私のためだけの舞台だ。
やがて、終わりが近づく。全てが屍と化したとき、私は一人、小さく呟く。
あーあ、終わっちゃったや。残念だけど、楽しかったな。
全てが赤黒く染まった。
………………………………
おやじさんは、真っ暗な部屋で一人、目を瞑って祈りを捧げていた。
「お義姉さん…咲良さん。先に復讐、ありがとうございました。次は僕の番ですね。見ていてください、哀良のための復讐は、あなたよりももっとスムーズに進めて見せますよ。なんて言ったって、僕は哀良の『彼氏』でしたからね。哀良への愛は負けれませんよ」
それだけ言うと、おやじさん——元、佐藤彰は微笑んで目を開いた。
彼は小さく言葉を呟くと、およそ十六辺りの外見へと変化していく。
この世界での、元の姿に戻った彼は、もう一度笑みを浮かべた。
「哀良に危害を与える者は、誰であろうと許さない」
その場には、一枚の赤黒い枯れ葉のみが残されていた。
とりあえず、すごーく簡単な人物紹介をしておきます。
いろいろ内容に出ていないところもありますので、補足、のような感じですが…。
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ヴィレースト・ヘリストウォーク (咲良)
長い燃えるような赤の縦ロールの髪をした、公爵令嬢で王太子の婚約者。
グロース・イングレス
濃いショコラ色の髪をした、第一王子で王太子。
ファルシュ・ブレウェン (恵舞)
薄いピンク色の髪をした、男爵令嬢で王太子の想い人。
山口咲良
断罪パーティーで、ヴィレーストに転生していることに気づいたシスコン。哀良を助けようとして、死亡してしまう。
山口哀良
咲良の妹。恵舞に道路へ突き飛ばされ、昏睡状態に陥る。優しくて『天使』のよう。
佐藤彰
哀良の彼氏。哀良が大好き。哀良と同じような感じで殺され、咲良が転生した国の隣国に転生する。
村田恵舞
哀良の彼氏に一方的に想いを寄せており、哀良のものを全て手に入れなければ気が済まない。