ヴァンパイア・クロニクル・オンライン
わたしの名前は柿原 真紀。22歳、職業VRデザイナー。
趣味はフルダイブVRを楽しむこと。根っからのVR人生を歩んでいる。
2072年の今だから生きているけど、数十年前ならもっと前に死んでいたくらいの難病持ちです。子どもの時から病棟から出られず、今でも生活には大きな制約がついて回る。
幸運だったのは、VRをやるには支障がない疾患だったことかな。
首から上はちゃんと動くのに、お腹の内臓が弱かった。
そんなわたしに、両親は本当に小さいころからVRに触れさせてくれた。
外には出られないわたしには、何よりのプレゼントだった。
VRは外界への扉になった。はまった、はまりまくった。
治療生活は楽しいものではなかったけれど、生きる気力を失わなかったのは間違いなくVRのおかげだ。
窓から見るだけの変わり映えしない景色も、ダイブすれば一瞬で切り替わる。
現実では海にも山にも行けないわたしには、なくてはならない娯楽だ。
13歳くらいからちょくちょくとVRそのものを作ることもしてきた。
15歳で味覚再現プログラムを駆使して作った「オリジナル紅茶」。
これは賞も貰ってとても評価された。
職業としてVRに関われる第一歩、万歳して叫びまくるほど嬉しかった。
後で興奮しすぎ、と主治医の先生から怒られたけど。
それから趣味で片っ端からフルダイブVRを楽しみつつ、VRデザイナーとしても暮らしている。今も、これからも、たぶんわたしはそうやって生きていくのだ。
殺風景な会議室のVR空間で、わたしは女性と向かい合っていた。
いや、正確には違う。巨大な人サイズの可愛いペンギンさんだ。
デフォルメされたデザインに、もふもふな毛並みが素晴らしい。
同じVRデザイザーで友人のリンナさんのアバターである。
自作のアバターを使い倒すのは、VRデザイナーでは当たり前のことだ。
わたしのアバターも自作で、巨大なコーヒーの缶だ。
そう、腕も脚もなく巨大な缶がテーブルの前にある。
傍から見ればペンギンと缶が向き合うシュールな図だけれど、仕方ない。
わたしの直前の仕事がコーヒーの味覚再現プログラムであり、宣伝も兼ねて商品の缶をアバターにしているのだ。
技術交換みたいなのが終わり、雑談に入るとリンナさんはもふりと身を乗り出した。
聞き慣れたハスキーボイスが耳に気持ちいい。
「ところで真紀さん、ヴァンパイア・クロニクル・オンラインって知ってます?」
「もちろんです! すごい話題ですよねー。フルムーン社のCEOが社運賭けましたって言い切ったんですよね? フルダイブ型VTMMO、月額定額課金のみ……宣伝も力を入れてますし」
フルムーン社はフルダイブVRのトップ企業だ。時価総額は約50兆円、世界で10本指に入る規模の大企業であり、知らない人なんていない。
そのフルムーン社が送り出す、超大型フルダイブVRMMOがヴァンパイア・クロニクル・オンライン――通称VCだ。最先端の技術を詰め込み、世界記録をいくつも塗り替えると噂されている。
題材は名前の通り、吸血鬼。
ニューヨークをモデルにした大都市で、吸血鬼に生まれ変わって生きていくという内容らしい。さらにVCでは「闇の世界」という中世ファンタジー風のより小規模なエリアも用意されているという。
「私はとりあえずやるのが信条なので、参加しますが――真紀さんはMMOゲームはやらないのでしたっけ」
リンナさんが残念そうに言う。わたしが趣味で楽しむVRは、オフネット型がほとんどだ。
だけどわたしは軽く身体を揺らして、否定した。
「普通ならそうなんですけどね……今回はやってみようかなぁ、と」
「ほう? それはまたどうして?」
「んー……味覚再現もすごいらしいですし。さすがに体験しておくべきかって思いました」
本当の理由は別のところにある。
フルムーン社から依頼があって、わたしはVCにVRプログラムを納入したのだ。
実際の出来栄えを体験したい!
とは、守秘義務契約があるので言えない。賠償金で死んじゃう!
「私はサービス開始から速攻やるので、もしかしたら会うこともあるかもしれませんね」
「わたし、MMOとか初めてですよぅ。仮に会っても手加減してくださいね?」
「あははは、広い世界で会えたら善処しましょう」
その後も新作VRの情報交換で結構な時間が経ってしまった。
個人的に興味を引かれたのはティラノサウルス育成VRだ。
いよいよ古代生物をVRで楽しむ時代が近付いている。
「あ、そろそろ寝ないと……明日は検査日なので」
「あれ、もうそんな時間ですか。おやすみなさい、真紀さん」
「おやすみですー」
画面を閉じて、ヘッドギアの形をしたVRギアを取り外す。
医療機器を差し引いても一人暮らしには十分過ぎるほど広い。
手早く寝る準備を整えて、わたしはベッドに入る。
「ヴァンパイアかぁ……」
ヴァンパイアを題材にしたエンタメは古今東西で人気がある。
確か、サービス開始は2ヶ月後だ。
きっとフルムーン社のことだから桁外れなんだろうな。
楽しみがあることはいいことなのだ、うん。
自分の仕事の成果も見てみたいし。
そんなことを考えながら、わたしは眠りにつくのであった。
2か月後、いよいよVCの世界同時サービス開始日になった。
最新型のVRギア、ふかふかのベッドと準備は完璧だ。
「さて……どんなものかな?」
まだ始まっていないのに、うきうきしてしまう。
VR大好き人間の心が躍りまくっている。
新作のプレイはまさに、新天地を見つけに行く開拓者だ。
そろそろ時間になる。もう公式サイトに接続してスタンバイできている。
真っ黒な背景の中に赤いカウントダウンがあるのだ。
もう10秒もない。開始直前の緊張感がわたしを包んでいる。
5、4、3、2,1。スタート!
画面が切り替わる。
始まったのだ――ヴァンパイア・クロニクル・オンライン!
目を開けて身体を起こすと、わたしは棺桶の中にいた。
内部は赤いクッションで割と気持ちいい。棺桶のサイズはぴったりだ。
腕を伸ばしてみる。うむ? ちょっと長い。
目線を下げると、現実よりもふくよかな胸と黒いワンピースが目に入る。
もうアバターができていた。あれ、早くない!?
「そうだ、潜在意識からアバターを生むんだった……」
VCでは初期アバターはプレイヤーの潜在意識から自動的に決まる。
ごく最近の技術だけれど、きっちりVCは取り入れていた。
普通ならアバターを運営の側で決められるのは反発があるかもしれないけれど、事前にゲーム内でアバターは変化できるよ、と告知されている。
そりゃヴァンパイアだからね! 人間じゃないからね!
見回してみると、どうやらここは廃ビルの中みたいだ。少し埃っぽい。
コンクリートの味気ないフロアに棺桶が置いてある。
明かりもなく暗いはずなのに、不思議とはっきり建物の中も外も昼間みたいに見えている。
あ、ヴァンパイアだから当然か。闇夜を見通せないと話にならない。
割れかけた窓ガラスからは、くっきりと星空が映っている。
立ち上がりくるくると身体を眺めれば、フルムーン社の本気度を感じ取れる。
一切の妥協がないモデリング。爪先も肌のしわも指紋さえも完璧に作っている――わたしの見る限りでは。
動作の追従性も半端ない。スポーツ系VRでもここまでのはなかった。思考と身体の同一に全くラグがないどころか、現実よりも身体が遥かに軽く感じる。
ああ、人間じゃないからか。人間を超えた存在、それがヴァンパイアだ。
肉体的に人間より優れているのが忠実に再現されている。
すっと窓ガラスに向かって歩くと、滑るように驚くほどの速さで移動できる。
面白い、なんだこれ!?
音もなく闇の中を飛び跳ねてみる。
肉と骨、神経の限界を超えてあっちこっちに動き回れる。
埃も舞い上がらず、身体だけが異様に動く。
最近やったオリンピック選手体験VRとは異質に、自分の動作が楽しい。
いままで人類の誰も体験したことのない反応性だろう。
すごい、たった数分でわたしは大興奮だ。
その時、わたしは背後に気配を感じた。
「目覚めたようですね……気分はどうですか?」
振り向くと、金髪の少女がいた。
さらさらと腰までのストレートな銀髪、清楚な服装、お人形さんみたいに整ったかわいい顔立ち、年齢は中学生くらいだろうだ。
瞳がらんらんと紅く輝いている。直感する――彼女はヴァンパイアだ。
「すごくいい気分です」
「そう、良かった……私の名前はシャル。ええとあなたは――名前を教えてくれますか?」
これ、プレイヤー名決定の場面だ。
答えた名前が登録されるに違いない。
彼女はきっとチュートリアルキャラクターなのだ。
わぉ、凝ってるなぁ。
この後は先輩ヴァンパイアに、この都市の生き方をレクチャーされるんだ。
考えを巡らせていると、シャルがじっとわたしを眺めていた。
おっと、ちゃんと答えないと進まないや。
名前はどうしようかな? マキにしたいけれど、さすがにまずいだろうな。
何であれ名前の登録では、わたしはあまり実名から変えたくない派なのだ。
でも仕方ない。ちょっとだけ変えよう。
「マイ……わたしはマイっていいます」 わたしの名前は柿原 真紀。22歳、職業VRデザイナー。
趣味はフルダイブVRを楽しむこと。根っからのVR人生を歩んでいる。
2072年の今だから生きているけど、数十年前ならもっと前に死んでいたくらいの難病持ちです。子どもの時から病棟から出られず、今でも生活には大きな制約がついて回る。
幸運だったのは、VRをやるには支障がない疾患だったことかな。
首から上はちゃんと動くのに、お腹の内臓が弱かった。
そんなわたしに、両親は本当に小さいころからVRに触れさせてくれた。
外には出られないわたしには、何よりのプレゼントだった。
VRは外界への扉になった。はまった、はまりまくった。
治療生活は楽しいものではなかったけれど、生きる気力を失わなかったのは間違いなくVRのおかげだ。
窓から見るだけの変わり映えしない景色も、ダイブすれば一瞬で切り替わる。
現実では海にも山にも行けないわたしには、なくてはならない娯楽だ。
13歳くらいからちょくちょくとVRそのものを作ることもしてきた。
15歳で味覚再現プログラムを駆使して作った「オリジナル紅茶」。
これは賞も貰ってとても評価された。
職業としてVRに関われる第一歩、万歳して叫びまくるほど嬉しかった。
後で興奮しすぎ、と主治医の先生から怒られたけど。
それから趣味で片っ端からフルダイブVRを楽しみつつ、VRデザイナーとしても暮らしている。今も、これからも、たぶんわたしはそうやって生きていくのだ。
殺風景な会議室のVR空間で、わたしは女性と向かい合っていた。
いや、正確には違う。巨大な人サイズの可愛いペンギンさんだ。
デフォルメされたデザインに、もふもふな毛並みが素晴らしい。
同じVRデザイザーで友人のリンナさんのアバターである。
自作のアバターを使い倒すのは、VRデザイナーでは当たり前のことだ。
わたしのアバターも自作で、巨大なコーヒーの缶だ。
そう、腕も脚もなく巨大な缶がテーブルの前にある。
傍から見ればペンギンと缶が向き合うシュールな図だけれど、仕方ない。
わたしの直前の仕事がコーヒーの味覚再現プログラムであり、宣伝も兼ねて商品の缶をアバターにしているのだ。
技術交換みたいなのが終わり、雑談に入るとリンナさんはもふりと身を乗り出した。
聞き慣れたハスキーボイスが耳に気持ちいい。
「ところで真紀さん、ヴァンパイア・クロニクル・オンラインって知ってます?」
「もちろんです! すごい話題ですよねー。フルムーン社のCEOが社運賭けましたって言い切ったんですよね? フルダイブ型VTMMO、月額定額課金のみ……宣伝も力を入れてますし」
フルムーン社はフルダイブVRのトップ企業だ。時価総額は約50兆円、世界で10本指に入る規模の大企業であり、知らない人なんていない。
そのフルムーン社が送り出す、超大型フルダイブVRMMOがヴァンパイア・クロニクル・オンライン――通称VCだ。最先端の技術を詰め込み、世界記録をいくつも塗り替えると噂されている。
題材は名前の通り、吸血鬼。
ニューヨークをモデルにした大都市で、吸血鬼に生まれ変わって生きていくという内容らしい。さらにVCでは「闇の世界」という中世ファンタジー風のより小規模なエリアも用意されているという。
「私はとりあえずやるのが信条なので、参加しますが――真紀さんはMMOゲームはやらないのでしたっけ」
リンナさんが残念そうに言う。わたしが趣味で楽しむVRは、オフネット型がほとんどだ。
だけどわたしは軽く身体を揺らして、否定した。
「普通ならそうなんですけどね……今回はやってみようかなぁ、と」
「ほう? それはまたどうして?」
「んー……味覚再現もすごいらしいですし。さすがに体験しておくべきかって思いました」
本当の理由は別のところにある。
フルムーン社から依頼があって、わたしはVCにVRプログラムを納入したのだ。
実際の出来栄えを体験したい!
とは、守秘義務契約があるので言えない。賠償金で死んじゃう!
「私はサービス開始から速攻やるので、もしかしたら会うこともあるかもしれませんね」
「わたし、MMOとか初めてですよぅ。仮に会っても手加減してくださいね?」
「あははは、広い世界で会えたら善処しましょう」
その後も新作VRの情報交換で結構な時間が経ってしまった。
個人的に興味を引かれたのはティラノサウルス育成VRだ。
いよいよ古代生物をVRで楽しむ時代が近付いている。
「あ、そろそろ寝ないと……明日は検査日なので」
「あれ、もうそんな時間ですか。おやすみなさい、真紀さん」
「おやすみですー」
画面を閉じて、ヘッドギアの形をしたVRギアを取り外す。
医療機器を差し引いても一人暮らしには十分過ぎるほど広い。
手早く寝る準備を整えて、わたしはベッドに入る。
「ヴァンパイアかぁ……」
ヴァンパイアを題材にしたエンタメは古今東西で人気がある。
確か、サービス開始は2ヶ月後だ。
きっとフルムーン社のことだから桁外れなんだろうな。
楽しみがあることはいいことなのだ、うん。
自分の仕事の成果も見てみたいし。
そんなことを考えながら、わたしは眠りにつくのであった。
2か月後、いよいよVCの世界同時サービス開始日になった。
最新型のVRギア、ふかふかのベッドと準備は完璧だ。
「さて……どんなものかな?」
まだ始まっていないのに、うきうきしてしまう。
VR大好き人間の心が躍りまくっている。
新作のプレイはまさに、新天地を見つけに行く開拓者だ。
そろそろ時間になる。もう公式サイトに接続してスタンバイできている。
真っ黒な背景の中に赤いカウントダウンがあるのだ。
もう10秒もない。開始直前の緊張感がわたしを包んでいる。
5、4、3、2,1。スタート!
画面が切り替わる。
始まったのだ――ヴァンパイア・クロニクル・オンライン!
目を開けて身体を起こすと、わたしは棺桶の中にいた。
内部は赤いクッションで割と気持ちいい。棺桶のサイズはぴったりだ。
腕を伸ばしてみる。うむ? ちょっと長い。
目線を下げると、現実よりもふくよかな胸と黒いワンピースが目に入る。
もうアバターができていた。あれ、早くない!?
「そうだ、潜在意識からアバターを生むんだった……」
VCでは初期アバターはプレイヤーの潜在意識から自動的に決まる。
ごく最近の技術だけれど、きっちりVCは取り入れていた。
普通ならアバターを運営の側で決められるのは反発があるかもしれないけれど、事前にゲーム内でアバターは変化できるよ、と告知されている。
そりゃヴァンパイアだからね! 人間じゃないからね!
見回してみると、どうやらここは廃ビルの中みたいだ。少し埃っぽい。
コンクリートの味気ないフロアに棺桶が置いてある。
明かりもなく暗いはずなのに、不思議とはっきり建物の中も外も昼間みたいに見えている。
あ、ヴァンパイアだから当然か。闇夜を見通せないと話にならない。
割れかけた窓ガラスからは、くっきりと星空が映っている。
立ち上がりくるくると身体を眺めれば、フルムーン社の本気度を感じ取れる。
一切の妥協がないモデリング。爪先も肌のしわも指紋さえも完璧に作っている――わたしの見る限りでは。
動作の追従性も半端ない。スポーツ系VRでもここまでのはなかった。思考と身体の同一に全くラグがないどころか、現実よりも身体が遥かに軽く感じる。
ああ、人間じゃないからか。人間を超えた存在、それがヴァンパイアだ。
肉体的に人間より優れているのが忠実に再現されている。
すっと窓ガラスに向かって歩くと、滑るように驚くほどの速さで移動できる。
面白い、なんだこれ!?
音もなく闇の中を飛び跳ねてみる。
肉と骨、神経の限界を超えてあっちこっちに動き回れる。
埃も舞い上がらず、身体だけが異様に動く。
最近やったオリンピック選手体験VRとは異質に、自分の動作が楽しい。
いままで人類の誰も体験したことのない反応性だろう。
すごい、たった数分でわたしは大興奮だ。
その時、わたしは背後に気配を感じた。
「目覚めたようですね……気分はどうですか?」
振り向くと、金髪の少女がいた。
さらさらと腰までのストレートな銀髪、清楚な服装、お人形さんみたいに整ったかわいい顔立ち、年齢は中学生くらいだろうだ。
瞳がらんらんと紅く輝いている。直感する――彼女はヴァンパイアだ。
「すごくいい気分です」
「そう、良かった……私の名前はシャル。ええとあなたは――名前を教えてくれますか?」
これ、プレイヤー名決定の場面だ。
答えた名前が登録されるに違いない。
彼女はきっとチュートリアルキャラクターなのだ。
わぉ、凝ってるなぁ。
この後は先輩ヴァンパイアに、この都市の生き方をレクチャーされるんだ。
考えを巡らせていると、シャルがじっとわたしを眺めていた。
おっと、ちゃんと答えないと進まないや。
名前はどうしようかな? マキにしたいけれど、さすがにまずいだろうな。
何であれ名前の登録では、わたしはあまり実名から変えたくない派なのだ。
でも仕方ない。ちょっとだけ変えよう。
「マイ……わたしはマイっていいます」