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愚童セカイ《でゅおんりー・わあるど》

「ねえ。聞いてくれよ。細胞ってやつは、ひいては生きているものは、生きるために生きている。それは間違いないはずだよね?」


 彼女は賢そうな口調でそんな風に切りだした。


 実際彼女は賢い。バカな僕と違って、学校の成績もよく、頭の回転もよい。


 しかし僕は知っている。幼馴染である僕は知っている。


 彼女は賢いが、しかし同時に、愚かであることを、僕は知っている。


「死ぬために生きている生物がいることも、確かに事実だ。寄生虫なんかがいい例だ。しかしどうだろう。あれは死ぬことによって、次世代という生を繋いでいる。つまるところ、生きていると言ってもいいだろう。生きるために生きているのだと言っていいだろう――それなのに、死んだあとに働きだす、役立たずの細胞があることをご存じかな?」


 バタバタバタ。と彼女のスカートが風にはためく。


 視界を自分の黒髪が何度も横切ってうっとうしい。


 今日ほど前髪をしっかり切っておけばよかったと思った日はなかったかもしれない。


 まばたきする一瞬。


 前髪が横切る刹那。


 そのかすかな瞬間すら、目をそらすことが、これほどまでに恐ろしいとは思いもしなかった。




「あは」


 と目の前の彼女は笑う。


 目の前の幼馴染は笑う。




「知らなくても別に問題はないよ。つい最近発表されたばかりの話だからね」


「……一応、知ってる。ネットのニュースで見たよ」


 勝ち誇ったように笑う幼馴染――古巻(ふるまき)(かえで)に対して、僕は呆れたように口を開いた。


 最近ニュースになった話だ。とはいえテレビに出るようなニュースではなく、もっと胡散臭い、アングラでサブカルチャーなニュースサイトに出てくるような、信ぴょう性の薄いニュースだ。


 死んだ後にも動き続ける――死んだ後にこそ動き始める細胞があることが発見された。


 死んだあとに動く。終わっているのに動く。


 それは一体、なんの価値があるというんだ?


 そんなわけで僕はこのニュースのことを信じていない。


 しかし目の前の愛すべき愚かな幼馴染は、それを信じているようだった。


 楓は面白くないと言わんばかりに口を尖らせる。


 しかしすぐに、またあの笑顔に戻る。


 策士を装った、愚かな笑顔に。




「なんだ。知っているのか。つまらないの。まあ、いいや。じゃあ、私がなにをしようとしているのか。分かるよね?」


「分かるよ。すごく分かる。まさかお前がそんなことをするほどバカじゃあないってことも、よく分かる」


 一歩ずつ、一歩ずつ。


 できるだけ彼女を刺激しないように、忍び寄るように、彼女に近づく。


「やめない」


 しかし彼女は、にぃ。と笑いながら両手を大きく広げた。


「なぜなら、私が気になるから」


 人が死んだ後に活動を始める細胞の真意を。


 無意味にしか思えないそれの存在意義を。


「だからさ。巻風(まきかぜ)古木(ふるぎ)


 確認してよ。


 そう、彼女の口は動いた。




「私がしっかり死んだことを、確認してよ」




 言って。


 言って彼女は。


 学校の屋上の端から、まるで道路の段差を――歩道と車道の間にある段差を降りるかのような気軽さで、飛び降りた。




「だから、どうしてそうなるのか教えろっての……っ!!」


 楓の下半身が見えなくなる。


 それぐらいになって、ようやく僕の体は走りだした。


 距離は大股で四歩分。


 間に合う。まだ間に合う。


 距離を一気に詰め、落下防止用の柵――腰ぐらいまでしかなくて、乗り越えようと思えば乗り越えれる――の隙間から腕を伸ばした。


 楓の手を掴む。


 体重が一気に腕にのしかかり、僕の体は柵に叩きつけられる。


 ぎしぃ。と柵は軋み、僕の肩へとめり込む。


 しかし、それでいい。


 柵が僕の体を押し止めて、落下するのを防いでくれるだろうから。


 僕自身、落下する体をしっかり掴んで自分の体も落下しないように支えることができるほど力がないことは理解しているつもりだ。


 ほっと一息つく。


 あとは引き上げるだけだ。それで終わる。


 そう思っていた。


 メキ、という音が耳に入るまでは。


 それが柵が壊れた音だということに気づいたのは、壊れた柵ごと屋上の外に体が放りだされてからだった。


 突如、体を襲う浮遊感。


 真下に見える固そうな地面と、驚きと怒りが半々。といった感じの楓の顔が見えた。


 口が動いている。


 “なんで古木も一緒に落ちてくるの。誰も確認できないでしょう”


 なんてことを言っているようだった。


 怒るところがそこかよ。


 しかし残念なことに、僕の耳は音を聞くことを放棄していた。


 浮遊感は終わりを告げる。


 落ちる。


 体につけられたヒモを引っ張られているような――強力な磁石によって引き寄せられているような、そんな感じだった。


 壁。壁。壁。


 地面。


 近づく。


 近づく。


 近づく。


 目と鼻の先。


 楓の方が速い。


 楓が先だ。


 まずい。このままでは。


 せめて頭だけでも守れるように。


 腕を伸ばす。彼女の頭を覆う。


 無意味だ。分かっている。知っている。


 僕の手のひらが潰れる。


 続いて彼女の頭がかち割れる。


 面倒で鬱陶しく。


 しかし愛してやまなかった顔が。


 見るも無残。


 体が潰れる。ひしゃげる。


 中身が見える。中身だけが見える。


 赤い。赤い。赤い。


 生々しく。ぐちゃぐちゃとしている。


 突っ込む。


 触れる。


 僕もそれと同じになる。


 痛そうだ。つらそうだ。


 でも。


 一瞬そうだ。


 音はしない。


 聞こえない。


 潰れてしまったから。


 分からない。


 けれど。


 “ぐしゃり”


 という音がしたことだけはよく分かった。




***




「ねえ。ちょっと。はやく起きてよ」


 声がする。


 耳が音を聞くことを再開したらしい。


 ゆっくりと目を開く。ぼやけた視界に学校の校舎が映る。


 こうして寝転がった状態で屋上を見上げると、かなりの高さから落ちたのだと実感する。


 そのかなりの高さから落ちたというのに、僕は見上げることが出来ている。考えることができている。


 僕はどうやら生きているようだった。


 頭が潰れたような気がしたんだけど。体がひしゃげたような気もしたんだけど。


 ただただ、頭から固いアスファルトに激突しただけのようだった。


 よくもまあ、生き残ったものだ。


 僕は。


 ……楓は?


 記憶が戻ってくる。飛び降りた彼女は確か、見るも無残なミンチに成り果てていたような気がする。


「……楓っ!」


 僕は上半身を勢いよく持ち上げた。背中から、ベリ。となにかを剥ぐような音がした。


 肩越しに後ろを確認する。


 背中は赤かった。


 地面も真っ赤だった。


 夥しい血が撒き散らかされている。


 血、血、血、血、血、血、血。


 血、血、血、血、血、血、血。


 血、血、血、血、血、血、血。


 血、血、血、血、血、血、血。


 赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤く赤い――。


 ちょうど人間ひとり分の血液全てを撒き散らかしたらこれぐらいになるではないか。そう思ってしまうほどだ。


 楓の姿はない。


 どこにもない。


 まさか、この血は。




「ねえ、ちょっと。ねえ。聞こえてる? 聞こえてるのに無視してる? それとも聞こえていない?」


 声が聞こえた。


 楓の声だ。


 しかし首だけを動かしてあたりを確認するも、楓の姿はどこにもない。


 見当たらない。


 どこにいるというのだ。


 もしかしてまた屋上に上がっているんじゃあ。




「おい、楓。お前いまどこにいるんだよ」


「どこにいる。かあ。説明しづらいんだけど、とにかく、まずは自分の両手を確認してくれる?」


 楓はめずらしく、かなり困惑した声色でそうお願いをしてきた。


 僕は変だな。と思いつつもそれに従い、そしてその困惑の理由に気がついた。


 僕の両手は一言で言ってしまえば――歪な姿になっていた。


 指の長さがいつもと違う。指の太さも、いつもと違う。


 まるで何本かの指を引っこ抜いて、別の人の指を埋め込んだみたいな。




 別の人。


 いまここにいない人。


 夥しい、尋常じゃあない血の量。


 一人分の血液。


 二人いた人間が。


 いまは一人。




 いや。


 いやいやいやいや。


 まさかまさかまさかまさかまさか。




「その想像通りだよ。古木」


 どこにいるのか分からない楓は、僕の動揺を感じ取ったように――直に感じ取ったようにこう言った。




「どうやら私たちの体。足りないところを補うようにして、一緒になっちゃったみたい」

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