第6話『恋人のいない日』
星々が浮かぶ夜空。
大きな湯気立つ露天風呂。
二人の裸体の男がお湯につかっていた。
「いや~、はっはっはっ! この解放感! 城の風呂では味わえないな! しかし、出来る事ならもっと獅子を模った彫像を飾るか、あるいは薔薇の花など浮かべてほしい所だな!」
「うるせえ」
フールレ王子と騎士のナイツが風呂に入っていた。ちなみに王子は鳥仮面を、騎士は剣を一応は近くに持ってきている。
温泉の気持ちよさに王子はとてもご機嫌であり、その様子に護衛であるナイツは少々イラついた。
現在は男湯の時間。
当然ながら、ソディレア皇女と実は女だったエファント教皇は、女湯の時間に入り、すでに出ている。
(どうやら皇女も教皇の性別には気づいているようだな)
ナイツが考えていた通り、体格から相手を識別できる皇女は、教皇の性別を知っていた。
(……? 当初は俺と王子と教皇で行く予定だったよな? それじゃあ女子である教皇を守れないタイミングが、どうしても出来るだろう? それとも本当は、誰か女性を連れて行く予定だったのか?)
ナイツは夜空を眺めながら、少し考えた。
(というか俺。教皇が女だってのを普通に受け入れてるな。五百年近く、ずっと男女の双子だった教皇が実は姉妹だったなんて、大きなスキャンダルだってのに)
ナイツは隣の護衛対象を見る。
濡れた髪のイケメンが、気の抜けた間抜け顔を晒していた。
(斬りたいなあ)
ナイツにとって今の国の状況ですら胃に痛いのに、さらに王子の発言のせいでスキャンダルに巻き込まれてしまい、頭の痛さまで追加されてしまった。
(俺は騎士じゃなくて、ただ命令のまま馬鹿みたいに立っている兵士で良かったのに)
人生のままならなさに、深い溜息を吐きながら、ナイツは次の国の姫の事を考えた。
フールレ王子の私室。
椅子に座った王子に対し、ダイヤク国のスパイである女中が、十六歳の姫であるコイフィについて説明する。
「王女はかなり本気で、王子と結婚するつもりです」
「これでフォーカードだな」
言われる前に覚悟していた王子は、気にした様子もなく答えた。
その軽い様子に、周りにいたペイジス大臣と騎士ナイツはただ唇を横に伸ばすだけだった。
「王子は」
女中は一度躊躇い、しかし言葉を続ける。
「王子は、コイフィ王女がどんな状況だったかを、知っておられますか?」
「ん? まあ、手紙でやり取りしていたから、知っているぞ」
王子は本当に、心から一顧だにしない顔でその言葉を告げた。
「コイフィ王女は魔法が常に暴走状態で、近づく者を金属に変えてしまうため、ずっと山奥で一人で幽閉状態だったのだろう?」
淡々と言う王子。その状況を想像して、息を飲む二人の配下。
「そうです」
女中はそんな王子の様子を、視界に入れないように語った。
「コイフィ様は生まれてすぐの赤ん坊の時に、産婆の両手を鉄に変化させました。その腕は解呪できましたが、結果、両親である国王と王妃にも恐れられ、魔力封印石に囲まれた山奥へと閉じ込められたのです」
「国王夫妻も王女を恐れてはいましたが、それでも人間性はありました。解呪が出来る者を供に、赤ん坊を短い時間だけ愛でる事はしておりました。しかし三年後、妹のペンティクル王女が生まれると国王夫妻はコイフィ王女に会わなくなりました」
「人間のほとんど近づかない薄暗い監禁された部屋で、運ばれた食事と本を読むだけの日々。それがコイフィ王女の世界でした」
「そんな王女に光を与えたのが王子、貴方です」
「貴方は六歳の頃、その幽閉部屋に忍び込み、コイフィ王女に出会い、そして連れ出した」
「山を走り回り、町を見て回り、様々な事を教え、そして口説き落とした!」
「貴方は、自分の体の一部を金属に変えられても! 笑って、王女に言った!」
「『こんなことで泣くなよ。僕の妻になる女は笑顔で元気でなくちゃ。腕や足が鉄になった? それがどうした、君が側にいて支えてくれるんだろ? なら僕が完全に鉄の塊になっても、見返りが大きすぎるな』」
「王子が去った後、王女は変わりました。色のない目には強い力がこもり、配下達にあらゆる魔法に関する本を求めました!」
「王子から届けられる手紙を糧に、山奥で毎日ひたすら魔法の研究をなさっていました!」
「二年前には、完璧に魔法をコントロールできるようになりました。ですが少しでも王子を金属に変える可能性をなくすため、王子に会うのを我慢して、より魔法の研究を続けて今日まで来たのです!」
女中は泣いていた。ボロボロと涙を流していた。
「私は、私は、王女が悲しい! ただただ、王子の事だけを考えて、王子の為だけに明るくなり、王子の為だけに魔法の操作を覚えて! 会えぬ王子を毎日のように思い続けてぇ!!」
女中はナイフを懐から取り出す。
「こんなクズにぃっ! 真実を知る前に、こいつを、こいつを、今この手で殺すぅううっ!!」
「うぉわ!? ま、まて、お前たち助けろ!?」
メイドに追い回され、悲鳴を上げる王子。ペイジスとナイツは無視して王子の部屋を出た。
「はっはっはっ、あの時は本当に死ぬかと思った」
「斬りてえ」
お湯につかりながら能天気な王子。ナイツは痛めた胃を湯治したいと願った。
それから数分、ただぼんやりと露天風呂で並んで夜空を見上げる王子と騎士。
王子は騎士に話しかける。
「なあナイツ」
「なんですか、ジョーカル?」
「お前、ソディレア皇女のこと好きだろ?」
ナイツは驚きと共に足を滑らせ、お湯に沈んだ。
すぐに立ち上がり、驚きの声を上げて王子を見る。
「な、な、なっ、なにをっ!!?」
「いやだってお前、ソディレア皇女の事、ずっと目で追いかけるじゃないか? 完全に恋する視線だったぞ?」
「えええ? いや、うわぁ、あ、あああーっ? ああ!?」
頭を抱えるナイツ。すぐに拒否するつもりが、ソディレア皇女の今までの姿を思い出し否定できない。
ナイツはお湯につかり直した。
「マジかよ。五歳も年下の少女に、……なんてガキみたいな!」
「はっはっはっ、私としては嬉しいぞ。ソディレア皇女がお前を好きになれば、悩みの種が一つ消えるからな。頑張って私から寝取れ」
「寝取れ言うな」
手で自分の頭を押さえるナイツ。
「言っておくが、ソディレア皇女は気付いていないと思うぞ。手紙でやり取りしていた私だからわかるが、彼女は女性としての自覚が薄い」
「そりゃ、良かったよ!」
奥歯をかみしめ、ナイツは自らの恥ずかしさを抑え込もうとする。
「そもそも」
ナイツはため息とともに、真面目に答えた。
「皇女とは身分が違いすぎます。惚れた事など忘れ、憧れで十分です」
だが王子は余裕たっぷりに返事をする。
「何を言う? 姫と騎士との恋物語など、民衆が好きそうな話ではないか」
「姫が騎士の何十倍も強いのが問題でしょうに」
騎士は王子のペースに巻き込まれるのが嫌で、何とか反撃しようとする。
「そういうフールレ王子は、誰と結婚するつもりなんですか?」
「全員、は無理なんだよなぁ」
本気で悩んでいる様子の男に、騎士は呆れた。
「いや、だって私は王子で王族じゃないか?」
「私にとって結婚は仕事だろ?」
その言葉にポカンと、ナイツは口を開けた。
「あんた、仕事のつもりで女を口説いてたのか!?」
「まあ女性好きなのは否定しないが」
王子はにやりと笑った。
「私は頭も腕力も無い。あるのは顔と権力だけだ」
「権力を手放したら、私は生きていけないぞ。ならば生き残るために、より権力を強化していくしかない」
フールレは自嘲した様子で夜空を見上げる。
「しかし、今は完全に失敗しているがな」
ナイツは今までにない真面目さをした王子に困惑する。
何も言えず、関係ない事を質問をした。
「姫達も、権力の為に結婚するんですかね?」
「それはない」
王子はその質問をきっぱりと否定する。
「なぜなら彼女達はお飾りではない。単体で圧倒的な力を持った存在だ。相手の男が例え平民であったとしても、実力で周りの意見をねじ伏せ認めさせられる。私にはできない芸当だな」
「それはまた」
ナイツはその言葉に、初めて王子を憐れんだ。
「私もそれだけの力があれば、愛する女と一緒になれるんだが」
その言葉に騎士は、何も考えずに相槌を打った。
「え? 王子、誰か好きな女子がいたんですか?」
「エンプレシア女帝」
「…………はい?」
「エンプレシア女帝」
さっきよりも大きく口を開けて唖然とする騎士。
自嘲しながら、フールレ王子は答えた。
「二十四歳も年上の女性に、初めて会った時から心奪われた。会う度に愛を本気で告げていたのだが、女帝は理解した上で一蹴する。凄く冷たい目で『お前の様な薄い男は世界で一番嫌いだ』と去年は言われたな。前の面会の時に鳥仮面をつけてて本当に良かった!」
その後、王子と騎士の間に沈黙が訪れた。
互いに喋らず、ただ時間だけが過ぎて行った。
そろそろ風呂から出るタイミングと考えた時に、ナイツは呟くように聞いた。
「国の為、民の為、命を懸けて戦いたくて志願したのに、どうして俺は王子と露天風呂に入って、コイバナなんてしているのですかね?」
夜空を眺めながらの騎士の問いに、王子は答える。
「何を言う。騎士が側にいて、王子を守るのは当然だろ? 全力で励むが良い!」
「……へ~い」
鼻歌をする自国の王子の呑気さに、ただただ騎士はため息をつくばかりだった。
明日はダイヤク国に着く。今は悩まず、王子を守る騎士であろうとナイツは思った。