第2話『女教皇の微笑』
タロトス王国と四大国のほとんどの人々は、ある一つの宗教を信仰していた。
それこそが四大国最大の宗教団体、アルカナス教である。
誕生の祝福、結婚の儀式、そして葬式を担っている為、市民とのつながりは根強い。
この地方にとって民族宗教ともいえる存在だったが、政治的な干渉は少なく、さらに特定の教えとも言えるべきものが無かった。
しかし、人々はその教団を第一に謡うのは、その神託が確かな物だったからである。
教祖は常に市民から選ばれ、必ず男女の双子でなければならない。
男教皇と女教皇が揃って、一つの教祖だった。
そして現在、新たに選ばれた男女は年端のいかない子供達である。
しかし神託を受ける力は確かであり、その言葉は未来に起きる何かの、その一部を確実に伝えていた。
教皇である少年の名前は、ハイ・エファント。教皇である少女の名前は、ハイ・プリエテスである。
二人の教皇はどちらも表であり、どちらも裏。幸いと災いを告げる者。
しかし幸いは人にゆるみを与え、災いは人を強くすることもあり、決してどちらかが正しいとは言わない。
ただ教皇達は、未来に関して告げる。そして人々はその言葉をもとに動くのである。
神に祈り続ける二人が、教徒達に神からの言葉を授ける。
壇上に上がる双子を、その下で埋め尽くすばかり教徒達は、跪きその声を聴く。
「神託を受けました」「神託を受けました」
「彼こそが幸いです」「彼こそが災いです」
「彼こそが元凶です」「彼こそが切り札です」
「「タロトス王国の王子、フールレについて気を払いなさい」」
馬に乗った騎士、そしてその後ろを馬に乗った王子が付いていく。
騎士の名前はナイツ。そして王子の名前はフールレ、今はジョーカルと名乗る詩人だった。
現在、二人はアルカナス教団の教皇に会う為、その総本山があるスペディロス帝国へと着いた。
「王子、じゃなくてジョーカル。わかっておりますね?」
「ああ、ナイツ。仮面は絶対に外さない。私とて、この顔に拳を入れるのは望ましくないからな」
帝国に着くと同時に二人は宿へと入り、馬を休める。
外には雨が降っており、雨が止むまで待っている。
安宿ではないが、高級なホテルではない。宿屋の二階の狭くない部屋。
窓の外の雨を眺めながら、ナイツは来る前の話を思い出していた。
「いいですか、スペディロス帝国の皇女ソディレア様はかなり本気です」
「またか」
王子の私室で机に頬杖をついた王子は、その話にうんざりした様子だった。
誰のせいだと顔の書かれている女中。にらみを利かす女に、王子はウィンクした。
スペディロスからの二重スパイである女中は冷ややかに告げた。
「ソディレア様はあなたの自負に、敬意を表しただけです。下手な事を言えば、そのまま城に居着くつもりでした」
「そこまでか」
「そこまでです」
頷く女中。その言葉に同じ部屋で聞いていたナイツは、疑問を持った。
「俺も王子と一緒にいて話をしたが、かなりさばけた性格だったぞ?」
ナイツは、誕生日の二日前に来たソディレア皇女を思い出す。
まるで男友達とでも話すようなフランクさ。朗らかな笑みを持った女、それがナイツの第一印象だった。
女中は首を振った。
「ええ、そう見えます。ですが私は皇女様から依頼された時、彼女の部屋の奥に入ったのです」
この国にスパイとして仕える前に、皇女の私室のその奥へと招かれた。
皇女に対して、それなりに憧れのあった女中。しかし、その部屋に入った瞬間にその憧れは消えた。
部屋の壁中の一面に掛けられた、フールレ王子の肖像画。
唖然とする女中に、皇女はニコリと笑って言った。
「フールレ王子の事、頼んだよ」
皇女は自分がどれだけ王子の事を想っているのかを理解してもらう為に、スパイを連れて来ただけであるが、当のスパイはそれ以上の何かを伝えられたような気がした。
「うーむ、色男は辛いな」
しかし、話を聞いてもまるで動じた様子の無い王子。このマイペースさだけは、王子の側近達が唯一、敬意を表せるものだった。
女中はため息をつきながら言う。
「……本当なら、皇女様を恋狂いから目覚めてほしい所ですけれど」
王子もまた頷く。
「それならば私も、命の危機を感じなくて済むようになるが、……しかし」
ナイツもまた頷いた。
「マジシア様から、嫌われる作戦は禁止されている」
王子とナイツがマジシアの部屋から追い出される時に、幻滅作戦は禁じられた。
『十年来の手紙の相手が、多少は馬鹿な真似をしても意味は無い。正気を疑われ、病院に連れていかれて拘束、看病される事になるぞ? 下手にバレたら戦争行きだ』
「どうすればいいのか?」
立ちあがり、窓の外を見るフールレ王子。太陽の日差しで無駄にキラキラと輝く、その美貌に、ナイツと女中はイラっとした。
「……ともかく、言われた通り力のある味方を増やしましょう。特に最大宗教たるアルカナス教の力を借りれれば、いざという時は仲裁に入ってくれるかも」
「私からも、教団に行けるように手配しておきます」
立ち去る女中。ナイツはまた王子のお守かと気が重くなる。
「ペイジス大臣は、政策にかかりきりだし。俺もせめて騎士長みたいな事をしたいなあ」
「おいおい、騎士として私を守る事はかなり大事な役目だろう?」
「ええ、わかってますよ。その王子様が自分から虎穴に入って子虎と遊ぶような性格でなければ」
「む? それは褒めているのか?」
「さあ、どうでしょうかね?」
馬や荷物の手配の為、ナイツは離れた。
宿の外から見る雨は、多少は弱くなったが、止む気配がない。
(今日はここで王子と泊まりか。なんだか面倒な事が起きそうで嫌だなあ)
ちらりとナイツは、王子の様子を横目で見る。
詩人の服と仮面をつけた王子は、最近、詩に目覚めたと言い出し、紙に羽ペンで文字を書き連ねていた。
内容を見たナイツは、そのひたすら女性を誉めたたえた詩に、呆れるしかなかった。
「この分だと、タロトスも大雨でしょうね」
「ふむ。雨が最近、少なかったからな。農民達には喜ばしい事だろう」
王子の返事を聞きながら、ナイツはアルカナス教について考えた。
「アルカナス教と言えば、昨年の災害を予言したんですよね?」
「ああ、集中豪雨による水害を神のお告げで知らせ、おかげで大国は事前に防げた。だが雨に何かがあるとしか双子は言わなかったらしい」
王子は自分の知っている知識を、ただ告げる。
「アルカナス教の双子の教皇の受けた神託は、確実性が高い。しかし漠然としている」
三年前。ある山に対して、アルカナス教の双子から神託があった。
その辺りに住む人々は、火山か地震かと怯え、その山から全員が逃げ出した。
しかし一年経っても何も起こらず、後に国は調査に乗り出した。
そこの山で大量発生した、ある植物が発見された。
「その植物は、ある難病に対する治療薬として使える事が後に分かった。という事だ」
これこそがアルカナス教の問題。民の信仰は厚いが、その不確実性で政治には関与できない。
起きる出来事が、災いか幸いかがわからないのである。
「しかし、神託があった場所は何かがある。それは確実な事だ」
王子は自分の知識を得意気に話し切った。
ナイツは気にせず、今から会う相手の事を考えた。
(双子の教皇、ハイ・プリエテスとハイ・エファントか)
出かける前に聞いた話では、どちらも十四歳の少年少女との事だった。
(女中は国に入るための手続きはしてくれたが、さてどうやって教皇と話すか……まさか、行ったら皇女様がいるなんて可能性も零じゃないからな)
雨を眺めながらナイツはこの先を考えていた。
「そういえば」
ちょっとした疑問が、ナイツの頭をよぎる。
「フールレ王子。風邪をひいていた伝書バトが復活したそうですね」
「ああ!」
喜びに満ちた顔で、王子は答えた。
「我が専門の伝書鳩であるキングイ! 突然、風邪をひいて寝込んでな。しかし元気に飛び回り、今日もまた姫に手紙を届けに行ってくれたぞ!」
「しかし、この雨ですよ?」
「我がキングイをバカにするな、十年間、姫達に手紙を届けてくれていたのだ。雨の凌ぎ方ぐらい知っているわ!」
これまた得意気に胸を張る王子に、(なんで自分以外の事だと偉そうなんだよ)とナイツは呆れていた。
(しかし、十年とか鳩にしては長生きだな。まあ珍しいだけだが)
その時、ふとナイツは考える。
(そういえば俺、五年間、騎士として城で働いているけど、王子が鳩を飛ばしている所を見た事ないな?)
ちょっとした疑問。しかしナイツはすぐに、どうでもいいかと考えを捨てた。
後にこの時、もっと王子から聞き出しておけばよかったとナイツは後悔する事になる。
雨が弱くなるが止まらない外の光景。
いつもなら人の通りも多い、国の首都だが、さすがに雨だと人通りは減っている。
「今日は休んで、明日も雨なら無理にでも行きますか」
そんなナイツが外を見ると、なにやら不穏な空気がした。
通路の向こう側から、大人数が進んでいた。
大きな箱を乗せた荷車を押した男達が、雨の道を歩いていた。
男達は雨除けのコートを目深にかぶっている。
ナイツは静かに立ち上がった。
「王子」
「なんだ?」
「人攫いです。止めてきますので、宿の主人から兵士を呼ばせてください」
窓を開けてナイツは、宿の二階から飛び降りた。
雨に濡れた地面に着地、目の前に落ちた大きな音に驚き、コートの男達は歩みを止めた。
「ああ、すまん」
ナイツは濡れながら立ち上がり、男達に気軽な声をかけた。
「ちょっと、そこの荷物から声が聞こえてな」
男達は剣を腰から抜き取る。
しかしそれより早くナイツは、間近な男の顔を殴り飛ばし、その後ろにいた男を巻き込む。
横手からとびかかるコートの男。ナイツは後ろに飛んで避け、無手の左手で男を掴み他の男に投げ飛ばす。
さらに上空から飛び掛かってきた、二本のナイフを両手で持っている相手を、鞘に入ったままの剣で殴り飛ばした。
驚きで、動きを止める男達。
その間を見逃さず、ナイツはすぐに鞘から剣を抜き、荷車の上の箱の外側を斬った。
雨の中の騒動に人々がようやく、顔を出してくる。
コートの男達は周囲を見渡し、そして剣を抜いたナイツを見て、諦めた様子で散り散りに逃げて行った。
宿から仮面を付けて出て来たフールレ王子が、ナイツの側に駆け寄る。主人にはすでに話してきたらしい。
「追うか?」
「俺はあなたの護衛でしょうが」
剣を鞘に戻し、気を抜いた所を狙った奴がいないかと見渡す。
「あとはこの国の兵士に任せましょう。だが俺らの取り調べで、あんたの素性がバレても面倒だ。ここはひとまず馬に乗って退散しましょうか」
勢いに乗って、やってしまったと少しナイツは後悔する。
とにかく動こうとナイツは王子に目をやる。しかし王子は荷車を見て動きを止めた。
雨の中、割れた箱から、一人の少女が出て来た。
その服装から、偉い身分の物だとは分かった。
「き、きみは」
フールレ王子は仮面を取り外し、出てきた少女に驚きの顔をする。
「プリエテス、か?」
神秘的な雰囲気を持った少女は、王子を見て微笑む。
「ひさしぶりですね、フールレ王子」
雨に濡れたまま、少女は穏やかに話す。
ナイツはその名前に驚く。
「もしかして、ハイ・プリエテス女教皇?」
ナイツの言葉に、フールレ王子はうなずいた。
「ああ、そうだ、私も思い出した。彼女こそがアルカナス教の女教皇」
「そして私が三年前に結婚を約束した子だ!」
ナイツは王子の腹をぶん殴った。