第14話『節制なつもりだった王子』
アルカナス教団の信者達が洗脳されていた。
のちの兵士達の取り調べでは、洗脳された信者は一部で、ほとんどの信者は正気だった。
『なぜ他信者が正気で無いのを気付かなかった?』
『なぜ以前より教団に活気が無かったのか?』
それらの質問に対し、信者達は次のように答えた。
『数ヵ月前、いつからか忘れたが、教団内での雑談を禁止するとの知らせが出た』
『以前と雰囲気の違う教徒がいたが、無駄話を禁じられた為に質問が出来ず。また洗脳されていた教徒は泊まり込みの者ばかりで、聖堂の外で聞く事も出来なかった』
スペディロス帝国のエンプレス女帝は、アルカナス教団を危険と判断し、双子の教皇をしばらく居城で守る事にする。
しかしと、女帝は皮肉気に笑う。
『もっとも、我が城の者達も、どこまで信用できるかわかったものでは無いがな』
そして安全の為、フールレ王子こと詩人ジョーカルとその騎士長ナイツもまた、共に城に泊る事になった。
その日の夜。星の見えない曇り空。
この国の若き皇女ソディレアが、フードを被って一人で真夜中の道を歩いていた。
月明りの無い暗い畦道もソディレアは、体で感じる空気から目を瞑っても足を取られる事無く歩けた。
そして、ゆっくりと田畑の側を歩き、時に立ち止まってはため息をついて独り言を呟いた。
「あー、うん。気不味い」
夜の道を一人の女性、まして皇女が一人で歩くなど、常識で考えればありえない事である。
実際に外に出ようとした所を兵士達に見つかれば、無理にでもついてきて探し出そうとする。
だが、ソディレアは母である女帝エンプレシアには単独での真夜中の散歩を認められていた。
ただしそれには条件があった。
『もしも、無様にも誰かの手に捕らえられるような事となり、結果的にこの国に損害を与えるのであれば、その前に舌を噛んで死ね』
それが母親から娘に対しての約束だった。
「母上は、本当に強いな」
普通の母娘ならあり得ない取り決め。しかし、ソディレアはそんな母を尊敬し愛していた。
娘を含めて誰に対しても冷徹、強烈なまでのプライド。娘にとってそれは憧れだった。
「生まれついての力とか教皇様に言われたけど、その通りだ。私の力は与えられたもの、私にはそれ以外、何もない」
自分の拳を見て、何度目かのため息をつく皇女。
もちろんソディレアは、自分の力を意のままにする為、努力をし続けて来た。
だがそれでも、その才覚がイコール自分であると思えるほど、ソディレアは驕れるような性格ではなかった。
そして今日。ソディレアは聖堂で、自分の弱さを思い知った。
「来ると聞いていたから、今夜はフールレ王子とって覚悟を決めてたのに、こんな気持ちではね」
星一つない夜の曇り空を見上げて、ソディレアは自問していた。
ソディレアが見上げた空に動く一つの存在があった。
「うん? なんだ、あれは、雲?」
それは黒い雲とでもいうべき物体。その黒雲は高速でソディレアが飛び出してきた城へと、向かって飛んでいた。
すぐさま、それを視認したソディレアは剣を抜く。
殺気を放ち、空高く飛ぶ雲に対し剣を構えた。
(この距離なら、斬れる!)
自城へと向かう正体不明を生かすほど、この国の皇女は甘くなかった。
しかし相手の黒雲は、その存在に気づく。
急ブレーキをかけ、空中で止まる。
そして、ゆっくりと地面へと降りて行った。
敵意が無い事を示すような緩慢な動き、しかしソディレアは剣を下ろさない。
その黒雲は夜の地面。ソディレアの進んでいた、道の先へと降り立つ。
そして雲が飛び散るように消えると、中から魔法のランプを手に、光に照らされたドレスの少女が現れた。
「カプノア皇女?」
「……いつぞやの女騎士さん?」
二人の皇女が、夜の道で対面した。
「……こんばんは」
「ああ、こんばんは」
二人は互いに見つめあい、挨拶し、そして沈黙した。
沈黙しながら、同じような事を考えていた。
((もう、彼女には、真実を伝えるべきではないだろうか?))
なぜ互いがここにいるのかを少し考え、この近くの城にフールレ王子がいるからだと互いに悟った。
互いに自分と相思相愛の男性に、片思いする少女だと考えていた。
互いに恋に破れる事が確定した、悲しい少女だと思っていた。
だからこそ、こうやって二人きりになれるのは、いいころ合いではないかと考えたのである。
((いずれ気付く真実ならば、早めに気付いたほうがいい。傷がより深くなる前に))
それを知れば、きっと絶望する。
それを知れば、きっと憎悪する。
もしかしたら目の前の自分を殺しに来るかもしれない。
ならば死なない程度に、相手をしてやろうと、二人の皇女は互いをそう考えていた。
((失恋の悲しみも、きっと暴れれば、多少は傷も癒えるから))
そして二人の皇女は、同時に口を開く。
「うおらぁあああっっ!!」
ナイツが、カプノア皇女の光に向かってそれを投げつけた。
「うわあああっっ!!?」
それは悲鳴を上げながら、夜の曇り空を飛んだ。
「え!?」
「王子!?」
空中を飛んでくるフールレ王子。
ソディレアはすぐに飛び上がり、空中で王子をキャッチ。
さらに着地地点には、大きな弾力のあるシャボン玉があり、ふわりと二人を抱きとめた。
互いに視線の合う、ソディレアとカプノア。
((やっぱりこの人は、フールレ王子の事を好きなんだ))
互いの恋心を確信する。ついでにフールレ王子を抱きしめるソディレアを見て、カプノアは小さく舌打ちした。
「やあやあ、これはこれはこんな時間に奇遇だな、夜の散歩かな? 君の美しさに嫉妬して、月の女神も隠れてしまっているよ」
さきほどまでの悲鳴を忘れたかのように、口説くフールレ王子。
ちなみに鳥仮面はつけていない。
「ああ、うん?」
抱きかかえた男に突然に口説かれて、ただ目を白黒させるソディレア皇女。
王子は離れて、地面に立ち、そしてソディレアに告げた。
「本当はこのまま二人で夜の闇に隠れてしまいたい所だが、残念な事に我が護衛である騎士が、どうしても話したい大事な事があるらしい」
「うん?」
捲し立てられ、思考がまとまらないソディレア。実はフールレ王子を強く抱きとめた事に気ついて、ちょっと赤くなっていた。
「それでは愛しき剣の皇女よ、誠に名残惜しいがあちらの女性の出迎えは私に任せ、我が騎士のしばらくの相手を任せてよろしいか?」
「え? ああ、うん」
よく考えずに、承諾してしまう剣の皇女。
別の女性の下へと歩いていく王子に、少しだけ嫌な気持ちになるソディレア。
(……まあ、いいか)
ソディレアは振り向き、王子に背を向けた。
ソディレアは、今の落ち込んでいる自分の姿をなるべく王子に見せたくなかった。
母であるエンプレシアを尊敬している彼女にとって、あれこそが他人に示すべき姿であり、強さだった。
弱っている悩んでいる姿など、他人に、まして愛する人に見せたくなかった。
(でも甘えてしまうかもしれない、弱音を吐くかもしれない)
そんな自分を恐れて、ソディレアは王子から離れたかった。
こっちに進んでくるナイツを見ながら、ソディレアは考える。
(それにフールレ王子が裏切るなんて、ありえないからね)
愛する王子が浮気するとは、恋の熱に浮かされた少女は考えなかった。
(よし! ナイツ、頑張ってソディレアを口説き落とし、私から寝とれ!)
王子が、外道な事を考えているなんて、知る由もない。
夜の道で向かい合うように会った、ソディレアとナイツ。
「それでナイツ君は私に、どんな大事な話があるのかな?」
さわやかな笑顔を浮かべて、この国の皇女は尋ねる。
(へ?)
その問いに、ナイツは思考が止まる。
ここに来る少し前に、スペディロス帝国の城の寝室にいたフールレとナイツ。
ナイツがしばらく前のソディレアの様子に、少し心配したような事を言う。それにフールレが返事をした。
「ソディレア皇女、どうしているかな?」
「よし、じゃあお前が慰めて口説き落とせ」
そんなやり取りがあった。
そこにエンプレシア女帝が突然、訪ねてくる。
「すまないが、近くの泉にソディレアが遊びに行ってしまってな。迎えに行ってほしい」
「なぜ俺達、じゃなくて、どうして私共が!?」
「いいから行け」
ちなみにこの女帝、特に大した考えがあるわけでもない。ちょっと面白そうだから、二人を送ったのである。
特に何かを考えていたわけでもなし。ナイツはこの国の女帝の命令で、ここに来た。
そして見たのは、ソディレア皇女と対面するカプノア皇女。
何かを言い出す前に、ナイツは王子を全力で投げつけた。
「それで大事な話って?」
皇女の二度目の問いに、ナイツは汗を多量に掻きながら、思考をフル回転させる。
(え、えっと!? 皇女の愛する王子が他の女とどこかに行かせるほどの、大事な用事を俺が持っていると!??)
混乱したまま、夜の闇の中、ナイツは口を開いた。
「俺と決闘してください!!」
(なに言ってるんだ俺?)
その頃、フールレ王子とカプノア皇女は、木々の間にある小さな泉にたどり着いた。
カプノア皇女の魔法のランプだけが辺りを照らす、静かな場所だった。
「……ふふ、王子」
そんな薄闇の中、王子と皇女は二人だけの世界となる。
ちなみに小さな虫はたくさんいたが、皇女の張った見えない水のバリアで二人の人間に近づく事はできない。
「どうして、今日は会いに来てくれたのかな? 私の事を思い出し、止まらなくなってしまったと、そう自惚れてもいいのかな?」
王子の問いに、皇女は小さく首を振った。
「……王子の事を忘れた事など、一度もありません。そちらの物が原因です」
王子が首から下げている、かつてカプノアがプレゼントした小さな杯を指さす。
「……それは私から魔力を注いでいるのです。一度放つと、契約した私が魔力をどんなに遠くても送る事が出来ます」
「ほう、そんな鉱石があるのか?」
「……希少ですが、ある所にはある物です」
泉を二人で眺めながら、カプノアは王子にゆっくりと肩を寄せた。
そしてカプノアは、王子に小さな声で聞く。
「……王子は、初めて会った十年前の事、覚えていますか?」
「ああ」
(なんせ、私が最初に訪れた他国だったからな)
フールレ王子は、ゆっくりと十年前の六歳だった頃の記憶を思い出した。
父であるタロトス国王と共に、ハートノア帝国へと船で着いた最初の日の事を思い出していた。
そこから遠く離れた平地。
互いに腰の剣を解き放った、ナイツとソディレア。
ナイツは息を切らし、体中に地面とこすれた擦り傷があった。
対して、ソディレアは真面目な顔で呼吸も落ち着いており、その騎士の服にも傷は無い。
(はっ!)
ナイツは内心で自嘲した。
(実力差は以前にわかってただろうに、少しは迫れると思ってたのか俺は!? まさか、スピードだけでなくパワーでも負けているとは!)
決闘に当たり、今回ナイツは速度では勝てないと理解し、力での勝負に持ち込む事にした。
極力、接近して、弾かれないように、勢いを殺した、まとわりつくのを目的にした剣の振り方をする。
予定通りに、競り合い重視の戦いとなった二人。
男と女だから、きっと自分の方が力は上だろうと、ナイツは期待していた。
あっさりと力で押し負けた。
(は、ははは……)
ナイツは息を荒げながら、心の内で笑う。
(……俺は、ずっと思っていた! ガキの頃から剣だけは誰にも負けなくて、家の近くでも、タロトスという王国でも! 誰にも負けなくて!!)
ナイツはずっと思っていた。
自分は誰よりも強いのではないかと? 実はそんな自惚れを持っていた。
しかし五年ほど前にある噂を聞いた、ある国の皇女は剣の天才であり、一瞬で百の敵を切り裂くとナイツは聞いた。
そんな強さはさすがにナイツも持っていない。もしも噂が本当ならば、自分よりも強い人間がいるのだろうと、世界は思ったより広いのだろうと、ナイツは思った。
ナイツは自分より少し強い人間がいるのだと、思っていた。
(圧倒的じゃないか、クソが!!)
ナイツは奥歯をかみしめる。
やればやる程、理解できる実力差。まるで勝ち目のない戦い。
スピードはほとんど目に止まらず。
力では両手で片手に競り負ける。
(クソ、クソ、クソ!!)
相手の底なしの強さと、自分の実力の無さに悪態をつくナイツ。
そしてそれ以上に腹が立つ事があった。
(もっと心から、真面目にやってくれよ、俺ぇ!!)
ソディレアの無駄のない動き。
剛腕を感じさせない、その細い肢体。
美しさを感じさせる、表情を見せない顔。
まっすぐにナイツを見つめる双眸。
ナイツは見惚れていた。
(実力で圧倒的に負けている相手に、なんで俺は、全力を尽くしてないぃ!!?)
ナイツは自身を嘆いていた。恥ずかしく、そして無様な己自身を殺したいほど嘆いていた。
「もう、降参する?」
ナイツの状態を知ってか知らずか、ソディレア皇女は告げる。
「いえ」
なんとかナイツはその言葉をはねのけた。
(もういい、悩むのは止めだ! どうせ負けるなら、せめて全力を一撃に込める!)
捨て八ともいうべき全力を、ナイツは次に行う事にした。
その気配を感じたのか、ソディレアも声に出した。
「じゃあ、私も必殺技でもみせようかな?」
両手で剣を持ち、剣の国の皇女は構えた。
平地に小さなクレーターが出来た。
「ありがとう、おかげで色々と吹っ切れた! フールレ王子にもよろしく言っておいてくれ」
戦闘中には見せなかった笑顔をナイツに見せ、ソディレアは城へと戻って行く。
クレーターの底、大の字に倒れたナイツが、空を見ながら考えていた。
ソディレアの攻撃の直撃は受けていないので、ダメージは無いが、それでもナイツの意気込みを奪うのには十分な破壊力だった。
(あ~あ、恥ずかしい)
年下の少女に圧倒的に負けた事は、実はナイツはそんなに気にしていない。
負けた事は確かに悔しいが、世の中広いし、そんなものだろうと受け入れる事は出来た。
ナイツが恥ずかしがっている事、それは悩みだった。
(ソディレア皇女の事、タロトス王国の事、家族の事、他の四大国の事、フールレ王子の事、騎士長という立場の事、そしてなにより俺自身の事)
様々な物がナイツの頭をよぎり、悩ませる。
(俺は学が無いのに、無駄に悩んで、迷って、それを戦いに持ち出して、割り切れてなくて、……いい大人が恥ずかしい!!)
ため息をつきながら、ナイツはクレーターの底で立ちあがり、そこから這い出た。
泉の前に立つ、フールレ王子とカプノア皇女。
暗き泉を見て立ち尽くす王子に、皇女はその身を預ける。
皇女は愛しい男に届く程度の小声で、囁く。
「……覚えておりますか王子? 貴方は一人、読書を続けていた私に話しかけてきました」
「ああ、覚えている」
王子は思い出す。父である国王にカプノア皇女に話しかけて来いと言われた事を。
「……貴方は無関心な私に、遊びを誘ったり、歌をうたったり、食事を一緒にしたり、花を贈ったりしてきました」
「ああ、覚えている」
王子は思い出す。父である国王に、どうにかカプノア皇女の気を引いてこいと言われた事を。
「……貴方は私を連れて船に乗って色んな場所に行きました、興味のなかった世界に色を持たせてくれました、私の悲しみを聞いてくださいました」
「ああ、覚えている」
王子は思い出す。父である国王に、カプノア皇女にとっての特別になって来いと言われた事を。
「……貴方は船から落ちて、湖に沈みました。私は貴方を助けようと湖に飛び込みました。そして今までできなかった水の魔法のコントロールをできるようになりました」
「ああ、覚えているとも」
「……お互いずぶぬれで、怒られたものです」
「そうだな」
「……貴方が自国へと帰る日。私はとても悲しかった。その時まで一緒に本を読んでいたけれど、貴方の横顔ばかり見ていた」
「ああ」
「……その時、貴方は本の中の話を口にしました。ある国の王子が、悲しみの呪いを掛けられた姫を、その愛で呪いを解いて、結婚する話を」
「ああ」
「……王子は私に結婚の約束をしました。おかげで私の悲しみは解けました」
カプノア皇女はフールレ王子の頬に口づけをした。
そして魔法で雲を生み出し、ランプを持ってそれに乗る。
「……今日の所は帰ります。またお会いしましょう」
赤くなった頬を隠すように、皇女は夜空へと紛れて消えて行った。
その後、すぐに迎えに来たナイツ。
「王子、カプノア皇女様は?」
「帰ったよ」
「そうですか、それは良かった」
修羅場にならずに済んだ事を、心からホッとする騎士。
「なあ、ナイツ」
王子は振り返り、自分の騎士におもむろに告げた。
「ある童話があったのだ、忘れていたわけではないが」
「なんですか?」
「端的に言えば、王子の愛で姫の悲しみの呪いを解いて、結婚して幸せに暮らすというお話だ」
「……え?」
唐突な話に思考が止まるナイツ。しかし王子は話を止めない。
「六歳の頃。私は姫君達と仲良くしろと父に命令された。理由がわからなかった私だが、その童話を読んで、姫君の悲しみを愛で癒せば幸せになれるのだと、それが目的だと思い込んでしまっていた」
「まさか結婚できる姫が一人だとは、思いもしなかったよ」
唖然として動きを止める騎士の横を、マイペースな王子は鼻歌でも歌いながら通り過ぎ、城への道へと戻って行く。
すぐに気付いて動き出した騎士は、王子を追いかけて、詳しく話を聞いたのだった。
ついでに言うと、光の無い夜の畦道に足を取られ、二人は城に戻るころには土塗れになっていた。
投稿ペースが落ちててすみません。これからはペースを上げていきたいです。
あと、コメディ要素が減って来たので、タグのギャグを削除しました。