一生の宝物
暖かい家から冷たい外に飛び出したオレは、すぐ近くで見張りをしていた大人から呼び止められるも、それを無視して村長宅へ進んだ。
村長宅に乗り込むと、周りで抑止する連中から何か言われていた気がする。
でも、そんなもの無視して、オレは村長に赤い石を突き出した。
驚いた表情の村長が、ご両親は? と言う。
その言葉に重ねるよう、オレはいつ行商人が来るのか、と訊いた。
それを聞いて察した村長は、明日の朝には到着する予定だ、という。
そうですか。
オレはそれだけ言ってから、村長宅から抜け出してすぐ家まで戻った。
家までの間で何度か足がもつれたが、そんなもの気にせず早足に歩いた。
あれ以上、あの場にいるともう家に戻れなくなると思ったから。
………家に着いてから、顔中泣きはらしたお父さんと、騒いでいたアルドをどうにか寝かしつけてくれていたお母さんにそのことを報告する。
ごめん、ごめんねと何度も喋るお母さんとお父さんが、オレに抱き着いてくる。
オレは何も言わずにその抱擁を一生忘れないように、ずっと続けていた。
………そして、朝になった。
あれから、お父さんとお母さんには、これから生きていくために必要なことを聞いた。
身売りされた子供がどうなるのか。
おそらくどこかの誰かに雇われ、そこで奉公するだろう、と言われた。
ただ、オレは分かっている。
買った人間によっては、それがただの奉公だけでは済まないことを。
お父さんもお母さんも、そのことは分かっているだろうが、口には出さない。
敬語の使い方や、絶対に雇い主に逆らってはいけない、等々を教えてくれた。
ちょっと落ち着いてからは、まぁお前は賢いからそこだけは安心してる、なんて冗談交じりに話すぐらいの余裕は生まれていたけど。
……自分の子供を売り払う手助けをしていると感じているんだろうか。
冗談を言い合って笑うときもあったけど、話す途中で二人は何度も言葉を詰まらせ、時折涙を見せた。
そのたびにオレは二人を気遣うように話す。
誰だってこんなことをしたくはないはずだ。
でも、オレがちゃんと生きていけるように手伝ってくれる二人は、オレはとても凄いと思っている。
お父さんとお母さんに育ててもらって、この家で子供にしてもらって良かったなぁ。
そんなことを思いながらオレたちは話し続けていた。
………アルドは今いない。
朝、起きたときには既に見当たらなかった。
オレからいじめられたと思って拗ねているのだろうか。それだったら、それはそれでいいと思っている。
自分が当たりを引いてしまったせいでオレが売られる、なんて事実になんか、気付かないままでいたほうがアルドにとっても良いことのはずだ。
もう、仲良しに戻ってくれることはないだろうな……。
ただ、アルドのことを考えると、オレの覚悟にヒビが入りそうで、だからそれだけは考えないでオレは出発の準備をする。
寝間着から着替える間、オレはこの世界にやってきてからのことを走馬燈のように思い返していた。
アルドと一緒にお母さんのおっぱいを飲んでいたときのこと。
アルドと一緒にお父さんの腕にぶら下がって遊んでいたときのこと。
アルドにオレの創作話を話していたときのこと。
アルドにせがまれ、勇者ごっこをしていたときのこと。
アルドに助けてもらったときのこと。
二人の秘密の場所でとりとめのないことを話し合っていたときのこと。
………ハハッ。こう考えてみると、オレの思い出にはいつもあいつがいるな。
小っちゃくて怖がりで弱虫なくせに、オレといつも一緒にいてくれて、オレが困ってると手伝ってくれたなぁ。
ふと気づくと、アルドがいない布団を見ながらオレの着替える手は止まっていた。
……………本当にこれが正解だったんだろうか?
石を引く順番をもっと早くしたほうが良かったんだろうか?
このまま、あいつと喧嘩別れしても良いんだろうか?
考えれば考えるだけ、オレの手は止まってしまう。
胸の奥で揺さぶられる感情を表に出さないよう、オレは無心に着替える。
口を開いてしまうと、思いが溢れ出てしまいそうだから、歯を食いしばりながらお父さんとお母さんに用意してもらっていた荷物を背負い込む。
部屋から出ると、お父さんとお母さんが立っていた。
「メル……」
「メルちゃん……」
二人がオレの名前を呼んでくれる。オレはそれに応えるように、ニコッと笑って返してやった。
「アルドはどこにいったの?」
オレがそう聞くと、二人とも分からない、と言ってきた。
二人が起きたときにはもういなかったらしい。
今までアルドが一人で出歩くなんてなかった。
あいつは結構方向音痴で、遊びに行くとふと目を離した瞬間にふらふらどっかに行ってたことなんて何度もあった。そのたびにあいつのことを探してたのはオレだったけど……。
どうやら二人とも起きてから探していたみたいだが、見つからなかったらしい。
まったく……お父さんとお母さんを心配させるなんて、アルドは悪い子だな。
「赤い石をオレから取られたと思って拗ねてるかもしれないから、アルドが帰ってきたら伝えてあげて。オレはちょっと旅行しに行ってるって」
わかったわ、とお母さん。
ありがと、とオレはつぶやく。
ちょっと心残りはあるけど、これで悔いはない。
オレが家を出ようとしたとき、お母さんがオレに近づいてきて何かを取り出した。
「これ、メルちゃんに渡しておくわ」
「これは……?」
何かの木を削って作りだしたのだろうか。漫画本ぐらい厚みがある木製のそれには独特の模様が彫られていて、その軌跡には赤色や緑色の着色が施されている。
大きさはオレの手のひらを広げたぐらい。
なんだろこれ。
オレは受け取ったそれをまじまじと見つめた。
「メルちゃん、ぜんぜん髪の毛伸ばそうとしなかったからずっとこれ使う機会がなかったんだけどね……」
泣き腫らした顔をしながらもニコりと笑ってお母さんがいう。
渡されたソレを裏返してみると、金属製のパーツが取り付けられている。
留め具のようになっている部分を押してみると、パカっと金属が口を開いた。
「それ、リオさんが―――あなたのお母さんがいつもつけていた髪留め。リオさんは髪を伸ばしていたから、いつもそれをつけていたのよ」
「えっ、それって……」
「……リオさんの形見よ。自分の娘に付けてもらったほうが良いと思っててずっと仕舞っていたの」
……なるほどな。
確かにオレは髪を伸ばしていない。
いつもアルドと同じショートカットにしてもらっていたから、この大きさの髪留めを使うときがなかったんだな。サイズ的に後ろ髪に使うタイプだろうし。
オレはそれを自分の荷物の袋に仕舞って、袋の口をキツく締めた。
そのとき、家のドアがノックされる。
お父さんが開けると、そこには村長と取り巻きの大人が二人立っていた。
「……行商人が到着した。早々で悪いが………」
取り巻きの一人がそう言う。
オレたち三人は促されるまま、家を出る。
外はずっと降っていた雨が嘘のように晴れ渡っている。
まるでオレの出発を祝福しているようだ。
……祝福されるようなものでもないんだがな。
村長たちの後を追うようにオレたちは歩く。
……村の出入り口付近には、地球でも見た覚えのある馬が一匹。
その馬に繋がれた荷車から村の大人たちが様々な荷物を下ろしていた。
これに行商人が乗ってきたのだろう。
オレがそんなことを思っていると、荷馬車の近くにオレたちのことをずっと見ている男が一人。
無精ひげを生やした長身の男だ。茶色の髪をしていて、どことなくこの村では見たことがない雰囲気を纏った顔をしている。
服装は至ってシンプル。赤黒い色で染まった麻でできたシャツと、青黒いズボンを履いている。とてもラフな格好だ。
その男がオレのことを見るや否や、舐めるような眼でオレたちのことをジロジロ見ながら近寄ってきた。
お母さんとお父さんがそれから守ってくれるように、しゃがんでオレのことを抱きしめてその男を睨み返す。
「驚いたな……」
オレの目の前まで来たそいつがしゃがみながら言った。
「子供を売るなんて言われたときは驚いたが、こんな子が来るとは思ってなかったぞ」
髪色と同様に茶色の瞳がオレのことを見てくる。
ずっと顔を見ていたそいつは、よし、と一言言ってから村長のところまで行ってから何か話し始めた。
村長の驚く声や取り巻きのどよめきとともに、その男が荷馬車まで戻ると宝箱のような鍵付きの入れ物から麻袋を何袋も村長たちに渡している。
………ちゃらちゃら聞こえる音的に、あれは金だろう。
オレの価値が詰まった袋の受け渡しを、オレたち三人は抱き合ったままただ見ていた。
……やり取りが済んだあと、村人の一人が荷馬車から荷物を下し終わったことを告げる。
………そろそろ、出発か。
「おい、お前。名前はなんていう?」
行商人がぶっきらぼうに訪ねてきた。
「………メル」
「そうか。おいメル。そろそろ出発するぞ。この村には一刻たりとも長居したくないもんでな」
そいつはそんなことを言うと、オレのところまで歩いてきて、手を伸ばしてきた。
お父さんとお母さんの抱きしめる力が強くなる。
……オレが行ってしまうことが嫌なんだろうな。
こんなにまで思って貰えるなんて、オレはなんて幸せ者なんだろうか。
久々に見た太陽の光がより一層強くなる。
澄んだ空気と入り混じった光が暖かくオレのことを包み込んでくれることを感じながら、オレはお父さんとお母さんの腕から抜け出した。
行商人の立つところまで歩いてから、くるりと振り向いて二人を見る。
お父さんは口を一文字に結んだまま、オレのことを見ている。
お母さんは口を開きながら、オレに向けて手を伸ばしている。
あの手を掴んで今すぐうちに帰りたい気持ちを一息に抑え込みながら、オレは二人の前に立つと、一礼した。
「お父さん、お母さん。今まで育ててくれてありがとうございました。行ってきます」
これ以上二人のことを見ていたら、今まで積み上げてきた気持ちが崩れてしまいそうで、オレはそれだけ言って荷馬車まで歩く行商人の後を追う。
オレの身長では乗り込むことも難しい荷馬車の荷台に、行商人はオレを抱えて乗せてくれる。
ふとお父さんとお母さんのことを見てしまいそうになるも、目をぎゅっと瞑ってみないようにする。
「もうお別れは良いのか?」
馬を操る席に乗り込んだ行商人がそんなことを言ってくる。
人売りのくせにそこまで気にするなんて、変な野郎だな。
「いい。オレの気持ちが変わらないうちに、早く出して」
そういうと、行商人が振り向いてオレのことを見てくる。
その顔は驚愕一色で塗りつぶされていた。
「ガキの身売りだからもっとめんどくさいものだと思ってたが、メルは肝が据わってるんだな」
「うるさい。オレの名前を呼ぶな。いいから、はやく」
オレの暴言に行商人は面倒じゃないことは良いことだ、とか言って馬に鞭を打った。
荷馬車に繋がれた馬が嘶く。
それと同時に、オレを乗せた荷馬車が動き始めた。
オレはガタゴト鳴く荷馬車の声を聴きつつ、遠くで聞こえるお父さんとお母さんがオレの名前を呼ぶ声を耳に焼き付けながら、ただ無心に行商人の後頭部をずっと眺めていた。
- + - + - + - + -
………荷馬車が動き始めて数分後。
頭の中でお父さんとお母さんの声を反芻させていたオレの耳に、聞き慣れた。忘れるはずのない声がふと聞こえてきた。
まさか……まさか!
「……おい、おっさん!」
オレは行商人に大声でそう呼びかける。
何だ、とそいつはまどろっこしいほどゆっくりと振り返った。
「ちょっとだけで良い! 停めてくれないか!」
「は? 逃げるんじゃねぇだろうな」
「逃げない! 絶対! だからお願いだ!!」
オレは首が外れるんじゃないかって勢いで頭を下げた。
ここで荷馬車が停まるんだったら、オレは何だってしただろう。
……行商人は舌打ちをしたあと、荷馬車を停めてくれた。
停まったことを確認してから荷台の扉を開け、オレは地面に飛び降りる。
かなりの高さがあったから地面に倒れこむように着地するが、そんなことを気にしないで、オレは荷馬車が通ってきた道を振り返る。
―――そこにいたのは、全身泥塗れで息も切れ切れに立ち竦む、アルドだった。
「……メルねぇ!!」
ぜぇぜぇ身体を揺らしながら、アルドがオレのそばに近寄ってくる。
「……どうした、アルド?」
このままアルドと顔を合わせなければ、オレだってアルドのことを振り切れたかもしれない。
なのに、アルドはオレを見るやへへっと笑って顔の汗を拭う。
胸に溢れる気持ちをなるべく平然に保ち、オレはアルドと向き合う。
「メルねぇ、ぼくビックリしたよ。山の中から、メルねぇが村の外に出ていくのが見えたから……」
「山の中って……アルド、朝からどこに行ってたの?」
オレがそう訊くと、アルドは手に握っていた何かをオレに見せてきた。
―――アルドが持っていたのは、クズ石だった。
「メルねぇが、ぼくの赤い石持ってっちゃったから、この石ならメルねぇ気に入ってくれると思って……」
「これって……」
アルドの持っているクズ石は、そこらへんに落ちているくすんだクズ石ではない。
……オレとアルドの秘密の場所に生えていた、水晶のように透明なクズ石だった。
「ぼく、一人で頑張ってあの石削ってきたんだ。すごく大変だったけど、頑張ったんだ!」
「そう、か………」
いつもオレの後ろを付いて回っていたアルドが、オレのためなら、とクズ石を取ってきてくれていたなんて、思ってもみなかった。
アルドはオレのためを思って頑張ってくれていたのに………こんなんじゃ、喧嘩別れしたままのほうが良かった。
……そうすりゃ、アルドと離ればなれになりたくない気持ちに気付かないで済んだのに。
「ねぇ、メルねぇ? なんでこの荷物入れに乗ってたの?」
アルドが荷馬車を指差す。
行商人がこちらを覗きながら、ちらちらと様子をうかがっている。
「あぁ、ちょっと……旅行に行こうと思ってね」
「えー! 良いなぁ。ぼくも着いてっちゃダメ?」
「ふふっ………うん……それだけはダメ」
思わず吹いちまった。
アルドが着いてきちゃ、オレが当たりの石を奪い取った意味がなくなっちゃうだろ。
こいつには分からないことなんだけど、そんな無邪気さからくる屈託ない会話に、なんでか笑みがこぼれる。
「メルねぇだけなんで旅行に行けるの?」
「村長にお願いされてね。………遠くの街に、頼まれごとをやりに行かなくちゃいけなくなったんだ。これはオレにしかできないことだから、どうしてもーって頼まれてね」
メルねぇはやっぱりすごいなー、と簡単に言ってくれる。
まぁ、オレは嘘を言っていないからな。
「大丈夫―――――そのうち帰ってくるから。オレの留守の間、おうちのこと頼んだよ?」
アルドの顔を見ていて、落ち込んでいたオレの心に活力が湧いてきた。
そうだ。売られたところで、もしかしたら何年か働いていれば解放されるかもしれない。
前世に読んでた漫画や小説じゃ奴隷に優しいご主人様だってたくさん書かれてたしな。
ヘタすれば、休みの間、ここに戻ってこれるかもしれない。
そうすれば、家族にまた会える。また、会えるんだ。
これは今生の別れじゃない。
アルドが笑っていてくれれば、オレはいつだってそれに引かれて戻ってこれる。
そう思って、オレは元気よく売られに行こうじゃないか!
「うん! 分かった!」
「アルドは良い子だね。……ごめんね、アルドの赤い石、無理やり持ってっちゃって」
「ううん、メルねぇが欲しかったんならあげるよ!」
「いや、これはアルドのものだからさ、返すよ。ただ、オレのために取ってきてくれたっていう、その石。それをオレにくれないかな?」
オレは今日の天気のように晴々した気持ちの中、アルドにお願いする。
アルドが初めて自分で考えて、オレがいない中、取ってきたお宝。
「アルドが初めて一人で頑張って取ってきたもの、この旅のお守りにしておきたいんだ」
「それなら良いよ……大事にしてね?」
「もちろん。一生、大切にするよ」
緊張感はすでにもうなくなっている。
不自然な震えも、恐れも、怯えもない。
この石を見るたびに、オレはアルドのことを思い出すだろうな。
そうすりゃ、オレはいつでも頑張れる。そんな気がする。
「おい!」
行商人が不機嫌そうな顔をしながら催促する。
それにつられてぶるるっと馬も急かしてくる。
そろそろ………行かなくちゃな!
「じゃあな、アルド。またね」
「……すぐ帰ってくるんだよね?」
「あぁ、用事が済んだらすぐ戻ってくるさ。お父さんとお母さんにも、絶対に戻って来るから! って伝えておいて!」
「分かった! メルねぇも気を付けてね?!」
「うん………ありがと!!」
それじゃあね、と言ってオレは行商人に荷台に乗せてもらい、窓からアルドに向かって手を振る。
アルドもオレに負けじとずっと手を振っている。
オレはアルドの姿が見えなくなるまで、ずっと、ずっと手を振っていた。
こうして、オレは売られた。
村を、家族を、アルドを守るために。
第1章 完
これにて第一章は終了です。
次話は番外か幕間を新しく執筆して投稿するつもりっす。
[2019/01/27 23:55]
三週間近くぶりに新話(次話)を書きました。ゆるしちゃんない!




