232章 汚染除去
レジェンドの料理部門の責任者をまかされているテーゼ・ピュートは、核爆発によって汚染された元ボルフ王国の跡地で、ミーユとケーガを生成していた。
獣魔の国ズガイガン、亀のようなモンスターが暮らす国で作られその名前が付けられていたが、ミーユとは、味噌のことで、ケーガとは、醤油のことだ。
その他にも、漬物やキムチなどもミカエルからの情報を得て、ボルフ王国跡地で、料理担当の仲間とともに作っていた。
セルフィによって大きな生成所の建物が作られ、必要なものは、科学担当のニーナや電力担当ハーレ・ホワイト、上下水担当メイ・プリードによって研究がすすめられ地下施設で作り出してから、ボルフ王国へと転移させて、建てられた。
従業員のひとりレイチェル・パンダが、料理部門責任者テーゼ・ピュートに質問した。
「どうして、このような離れた場所。すべて破壊されたような跡地で、ミーユなどを作ったの?」
「微生物を増やすためよ」
「微生物?」
「うん。わたしたちの目にはみえないほど、小さな生き物のことを微生物っていうのよ
その微生物を沢山、育ててるわけ」
「え・・・どういうこと?わたしたちは、ミーユやケーガを作っているだけだよね?」
「ミーユはどのように作るのかというと、その微生物を利用して実は作っているの
沢山の微生物が、食べ物に作用して生み出している恵みなの
だから、ミーユやケーガを作っていることは同時に、微生物を増やしていることにもなるのよ」
「えーっと・・・それをどうして、この何も残っていない跡地でするのかという質問だったんだけど・・・」
「元ボルフ王国跡地は、進入禁止にされているでしょ」
「そうね・・・。確か、汚染されているとかなんとか・・・」
「そうそう。汚染されているのよ
その汚染も、目に見えないものらしいけど、セルフィ様が言うには、その汚染を作り出している目に見えないものを微生物が、食べて分解してくれているらしいのよ」
「汚染されているものを食べる生き物が・・・」
「わたしたちは、ミーユやケーガなどを作っているようにみえるけど、実はこの汚染された土地を綺麗にする仕事を同時にしているようなものだということね」
「目に見えない世界・・・
というか・・・わたしたち大丈夫なの?
そんな説明受けてなかったけど・・・」
「汚染の9割は、すでにセルフィ様によって分解されているから、汚染されたとしても少しだけよ」
平然とテーゼが答えるが、それが逆に怖い。
「汚染はされるんだ・・・」
「逆に健康になるらしいわよ」
「え?そうなの?」
「微生物というのは、綺麗にしすぎた場所では生まれにくいのよ
食堂でも、綺麗にしすぎている食堂は、よく病気が伝染するでしょ
それを食中毒というらしいけど、汚い食堂ほど、食中毒にならないのよ」
「言われてみれば、そうかもしれない・・・」
「綺麗にしすぎている食堂は、悪い微生物を倒すけど、良い微生物も殺してしまうらしいのよ」
「いい微生物を増やしているこの生成場で働いているから健康になると?」
「うん。それもあるけど、他にも汚染されたところにいる人は、その汚染に対する抵抗力が自然とつくらしいのよ」
「そうなの!?」
「人が飼っている動物は、よく病気になったりするけど、自然界にいる動物たちは、病気にはならないの
汚い部屋などで暮らしている人は、健康な人が多いのは、体が不安定な環境で鍛えられているかららしいのよ」
「汚染されているところで働くから、わたしたちの体も強くなるというわけね」
「そういうこと
でも、セルフィ様がほとんど汚染を駆除してくれたからであって、汚染がひどすぎるところに、突然行ってしまったら危険よ?
だから、普通の人たちは、ここに入るのは、禁止にされているわけね」
「本当に微生物が綺麗にしてくれているのかなー?」
「セルフィ様がいうには、ヒロシマという核爆発で汚染された場所では、ミーユやケーガなどの微生物を作る習慣があったおかげで、30年汚染が続くと言われていたところ1年半後には、花も咲き、人が住み始めたというのよ」
「たった1年で・・・」
「ここは、そこまでひどい汚染じゃなくなっているわけだから、期待はできるわね」
「ここに再度、街でも作ろうとしているのかな」
「さー。それは分からないわ
それに人なら禁止区域だと分るけど、動物やモンスターは、何も知らずにここに入ってしまうかもしれないしね
綺麗にしておくのは、間違ってないんじゃないかしら
新大共和ケーシスの土地が増えるわけだしね」
「わたしたちってただの料理研究会ってわけじゃなかったのね」
「いつの間にか、一石二鳥みたいなことになっちゃってるわね
汚染は怖がることはないわ
わたしたちがここに入る前に、セルフィ様が、動物などをここに放し飼いにして、影響を確かめてくださって、大丈夫だと結果が出たから、わたしたちを送り出されたの」
「それじゃあ、あの樽に入れるのも、意味があってやってるのね」
「もちろんよ
そこはわたしたちが保証するわ
微生物が効率よく生まれるための環境づくりの1つがあの樽なのよ
それだけでも、効果が跳ね上がるわ
あとでミカエルに微生物の繁殖速度をみせてもらいなさい
よく分かるわよ」
「うーん・・・でも・・・ミーユってその微生物が沢山含まれているってことなのよね?なんかねー・・・」
「生き物の腸には、すでに何千もの微生物が飼われているの
その微生物が、食べ物を分解して、それがわたしたのエネルギーになって生きていけるの
つまり、微生物をお腹で沢山にすればするほど、健康になるというわけよ
いい微生物をだけどね」
「お腹に・・・
でも、セルフィ様は、どうしてそのような誰も知らないようなことを知っているのかな・・・
ミカエルを作られたのもセルフィ様だから、ミカエルの知識を教えたのも、セルフィ様なのよね?」
「そうね・・・
わたしは、ボルフ王国の者だから知らなかったけど、ロー地区のひとたちが言うには、セルフィ様は、ミステリアスバースとして生まれたばかりだったのに、龍王の意思の内容をご存知だったというのよ
だからこそ、龍王の予言で言われる伝説の天使様ということじゃないかしら」
「生まれた時からすでにわたしたちとは違うということね・・・さすがセルフィ様」
「セルフィ様は、ロー地区の方たち以外には、ご自分がハジメスエナガという隠し名があることを黙っていたでしょ
だから、そこら辺のことは、直接、聞くわけにもいかない
ご迷惑になるかもしれないからね」
「そうね
実際、自分の料理店を作るというわたしの夢のまた夢だったことを叶えてくれたのも、そして、これだけ良い暮らしが出来ているのも、セルフィ様のおかげ
貧民地で生きていた時は・・・明日、生きているのかどうかも、分からなかったもの・・・」
「そうよ!
だから、わたしたちは、セルフィ様に恩返しをしないといけない
わたしを料理部門に推薦してくださったから、レイチェル、親友だったあなたのことも後押しできたのよ
料理部門のわたしたちは、ミカエルの情報から多くの料理や食べ物を作り出し、セルフィ様に食べていただくことを目指すべき!
やるわよ!」
「はいっ!」
―――レジェンドを1から作り出していくのは、かなりの労力がかかった。
ロー村のひとたちがいてくれたから、助かったが、今ではレジェンドの何千もの民がいてくれることで、新大共和ケーシスを軌道に乗せることも上手くいっている。
元ボルフ王国の村や街は、122あった。
その122村もすでに新大共和ケーシスのクリスチャン兵士たちが領主たちと交代して村を治め、重税をいっきに下げるだけではなく、トラックによって食料が運ばれ、餓死するひとたちもいなくなった。
新しい国新大共和ケーシスは、民たちに受け入れられつつある。
そして、次はワグワナ法国に着手しているが、新大共和ケーシスの支援などもあって、なんとか形になりはじめている。
新大共和ケーシスの民たちの多くは貧民地の民だったので、クリスチャンになる人数は短期間で多くなったが、ワグワナ法国の民は、それと比べると首都ハーモニー以外の120を超える村の人たちと同じか、それ以下の速度でしか、浸透していない。
毎週、教会に行くことは義務づけているから行っているというところだろう。
だが、それを続けて行く以外にないだろう。
ワグワナ法国は、民に対して、あからさまな弾圧をかけていなかった。
食べることに苦労しているわけでもなく、豊かな国の1つだったので、元政権に対する理解度が高いということだ。
ボルフ王国の場合は、あからさまに民を苦しめていたから、新体制への理解がスムーズに移行できた。
ワグワナ法国は、偽情報を流し、悪意ある策略などは裏で行い続けてきた。コントロールが、上手かったということだろう。
ダフキンさんからの情報では、シンは、大きく分けて5つに分類されるという。
その頂点に立っているのは五老というもので、ダフキンさんも少し関わったことはあるとはいえ、一度もその姿はみたことがないというので、その存在は疑わしいが、ワグワナ法国は、そのうちの南側の勢力に属した1つだということだ。
あまりにも大きすぎて全容が、ダフキンさんでも分からないという。
ダフキンさんが把握できていたのは、ワグワナ法国とその周辺国、貿易などで関わった国の一部の組織の者たちだけだということだ。
ワグワナ法国の王族を押しやり、支配していたのは、政治家たちだったが、その政治家たちを操っていたのは、シンだった。
ワグワナ法国の戦いは、シンとの戦いとも言いかえることも出来た。
ワグワナ法国民たちには、ミカエルによる市民認定が義務付けられた。
新大共和ケーシスの首都ハーモニーやレジェンドの民は、ミカエルによって精査され記録されていたし、クリスチャンという基盤があるので、他国からの部外者が入って来た祭に、見分けがついたので、怪しい人間は排除できた。
それこそ、核爆発を起こしたり、アモラ化させるもので水や食料を汚染させるような輩が入り込まないためだ。
しかし、ワグワナ法国では、ミカエルによる記録がされていなかったので、安全ではなかった。
急ピッチで、民による市民認定を行っていった。
真意を見分けられるミカエルから質問され、その質問にいくつか答えた後、さらにその者がワグワナ法国民であるという第三者からの保証された者たちだけが、市民認定されていった。
ボルフ王国とは違い民を中心とした政治を志していたワグワナ法国には、孤児のようなものたちもいなかったので、保証人がいないという者は、数えるほどしかいなかった。
まだ、少なかったが、クリスチャンとなったワグワナ法国民には、ミカエルの使用を許可し、新大共和ケーシスやレジェンド、龍王の意思を受け継ぐ村々、ユダ村やヨシュア村への転移も自由に行える権利も与えた。
彼らが安定したクリスチャン生活ができるようになったら、政治家など役職についてもらう予定だ。
王族たちには、強制的に聖書を学んでもらっている。
上に立つものたちには、人権は適応されなくなっていくのは、世の常だからだ。
イエス様が聖書の預言通りにその身を投じたのもそうだし、モーセも人権はなかった。大勢の者たちの先にいく者には、人権や自由は制限されていくものなのだ。
上に立てば、自由になるという考え方は、自然の流れからいえば、ありえない。
親が子を養うことが自然なように、上のものが下のものに与え支えていく心構えがなければ、組織はご都合主義な悪へと変わっていってしまうからだ。
神様に文句をいう勘違いしたひとたちがいるが、神様ほど人権がない存在はない。
常に世界をコントロールしながら、自由意思を持つ人間たちが生きていけるように、与え続けられている。
聖書にも、何度も人の選択に任せられる場面が出てくる。
アブラハムは、神様から言われた指示に、頼み事をすると神様は、それを許可され、変更の道を与えられた。
自分たちのために人権を無くし、与え続けていく者たちが、王族であり政治家だからこそ、下のものたちも人権を無くしていく彼らを尊敬し、従うことを宗とできるわけだ。
親は子を愛するゆえに、人権さえ放棄して無償で守り続けるから子は、親に従うこととなる。
それは言われてするだけではなく、自然にそのような流れになるのが、望ましい。
上に立って導く者ほど、自然の法則に忠実に従う者でなければいけない。
新大共和ケーシスの元領主たちにも、聖書の学びを義務化しているのは、そのためだ。
固定された聖書があったから、絶対的な権力を持ち、ご都合主義へと変わってしまったカトリックさえも崩壊させることができた。
カトリックは恐ろしいことにその聖書の箇所を書き換えたりした。
しかし、それは極一部分だけに止まっていたのは、多神教だったローマ帝国から弾圧されてでも広まった原始キリスト教の精神が根強く残っていたからだ。
イエスキリストによって聖書の正しさが証明されたので、論理的なローマ市民が、原始キリスト教を受け入れ、急激に信者が広がった。
その頃は、まだカトリックではなく、原始キリスト教だったのだ。
大義名分の塊りのような思想によってカトリックが形成されていったので、カトリックは、聖書を聖職者だけしか読めないようにしていたが、聖書事体に手を簡単に加えることは禁じていたのだ。
イエスキリストを冒涜するようなものには抗議するのもそのためだ。
魔女だと言われるような者たちにさえも、表向きであっても裁判を行った。
裁判をせずにその場で処刑ということもしようと思えば出来たが、カトリックはそういったことはしない。
罪1つ提示できなかったイエスキリストを十字架刑にかけたユダヤ教徒たちのようにも処刑を実行できる権力があったが、それをしなかったのだ。
正しさを売り込むためにも裁判をすることは義務付けていた。裁判官はすべてカトリックだったので、一方的ではあっても裁判は行われた。
何が正義で何が間違いなのかは、多神教では固定することはできない。
それを固定したことで、カトリックは、多くの犯罪や悪を悪だと認定して、平和を作り出すことに成功した。
王族貴族がこぞってカトリック信者になった理由だ。
しかし、物部氏のように偶像を徹底的に否定していた日本が、時代が進むにつれて偶像を受け入れるのが当たり前のようになってしまったように、原始キリスト教の精神も、時の支配者たちのご都合主義によって利用され、汚れて行った。
だが、聖書は変わらない。
変わってしまえば、大義名分が失われるからだ。
本当のクリスチャンにとって正義とは神様であり、自然の法則であり、生活であるので、大義名分など関係ない。なので力説する必要もないが、支配者たちにとってはコントロールするためには必要なため、聖書を利己的な理由で守り続けてきたというわけだ。
そして、その聖書によって絶大な権力を有していたカトリックは崩壊した。
聖書の黙示録の預言が成就するかのように、12使徒たちが命がけで広げ作っていった教会が時代が進むとともに、ご都合主義によって汚されていき、聖書の教えと反するものへと変わっていった。
言っていることとやっていることの矛盾を固定された聖書によって精査され、暴かれたので、崩壊した。
だから、上に立つような王族貴族、政治家や領主などには強制的に聖書を学ばさせる必要がある。
それをしたとしても、いつかは、その保守的な精神が失われ、リベラル的になって悪いものを取り入れ、崩壊しないためにも、はじめの土台が大切となる。
人間中心のご都合主義に汚されては、また戻りを繰り返すためにも、はじめの土台が大切なのだ。
カトリックがほとんどキリスト教ではなくなってしまった時代に、固定された聖書によってプロテスタントが命をかけて抗議し続けたことで、原始キリスト教を復古させていった。
そして、また時代が進むとそのプロテスタントでさえもまた汚染され、また復古するということを何度も何度も繰り返していく。
いつまで経っても、同じことを繰り返して、問題は解決しないと思うかもしれないが、大きな枠では、確実に正しい方向へとゆっくりと進んでいる。
現世では、人権が当たり前だと認識されているのがその証拠だ。
憲法に人権が強調されているということは、人権が当たり前ではないことの証だ。
人権が当たり前なのなら、わざわざ憲法に書く必要はない。
人権を無視した思想や正義や愛があるから強調され書かれているのだ。
世界であっても人権を固定した憲法が出てきたのは、200年も経っていない。
憲法は無かったのだ。
しかし、現世ではすべての国に憲法はある。
憲法は、民には適応されない。民が権力者を縛るためにあるのだ。
権力者は強制的に憲法を守らなければいけない義務があり、人権が民のためになくなるということんだ。
現世の日本人に、「人を殺してもいいですか?」と質問したら、100人中、ほとんどがそれを否定してくれるだろう。
それほど、平和的で聖書的な価値観が植え付けられているのが、当たり前になっているのだ。
しかし、数百年前までは、世界はそうではなかった。
人を殺してもいいという正義が世界中に広がっていたので、人間が人間を食べていたのだ。
聖書には、十戒という律法があるが、その1つに、「殺してはならない」という教えがある。
少し考えると、どうして、こんな当たり前のことを大切な教えとして教えているのか?と現代人は疑問に思うかもしれないが、それは現代人だから、当たり前だと思っているだけで、モーセが十戒を神様から与えられ打ち出された時代では、「殺してはならない」という教えは、当たり前ではなかったということだ。
200年前までカニバリズムの正義が日本と白人社会以外の世界にあったのなら、さらに3000年も前の時代は、どうだったのかと考えれば分かる。
聖書を受け入れていなかった2000年以上前の時代の白人社会でも、カニバリズムは行われてきた。
バイキングなどが人を食べていたという話もある。
聖書を取り入れてから、世界に「殺してはならない」という正義の価値観が、しっかりと固定されていったのだ。
連続殺人犯などが主張する正義や愛は、悪魔宗教の価値観のなごりで、それらは公に否定されるようになったのだ。
ローマ帝国は、聖書を受け入れるまえから魔女狩りをして悪魔宗教と戦い続けていたが、そのように論理的に正しさを打ち出す文化は、稀だった。
他には、日本以外にはなかったので、白人は、日本を見つけて絶賛し、銃などの武器も大量に与えた。
白人は、目や肌の色で迫害していたという単純なものではなかったのだ。
論理的な文化だと認められていた日本が、アジアに進出することをアメリカもローマ法王も賛辞の意を表していた。
聖書の基準を何千年も民に教え続けてきた日本のような文化であれば認めるが、人間を食べたり、論理的に正義を打ち出せていないような文化に、武器や技術を与えることは恐ろしいものだ。
現に論理的なことを教える仏教などを白人たちは、許可していた。
非人道的な教えであった宗教を否定し、禁止したのだ。
オウム真理教の信者が隣に引っ越してきたら、ほとんどの日本人が恐れるようにだ。
それを現代人は、まるで、鬼を退治した桃太郎が悪かったかのような話にすり替えられ、強調され続けている。
白人社会で暮らすと分るが、白人は日本人に負けないほど、優しい人たちが多いし、論理的で正義を望む。
そんな彼らの祖先が、何の大義名分もなく、ただ略奪や迫害のために先住民を手にかけるわけがないのだ。
白人は、奴隷を人間扱いしなかったかのようなデマが流され続けているが、そのような奴隷商人は、白人ではない。
偽ユダヤ人と言われるコロンブスのような黒い商人たち、一部が行っていただけで、白人は、奴隷にも権利を与えるための裁判を何回も起こしていた。
南北戦争で奴隷解放が大きな1つの議題となっていたようにだ。
白人社会から白人自虐史観の捏造された歴史が打ち出されることを日本人は、喜んで、奴隷制度を否定して、白人を貶す人がいるが、そんなわけがない。
アメリカやヨーロッパで1年でも住んでみれば、それが偏った情報だということが分かる。
逆に白人は、多神教の神道によって洗脳された日本人が、酷いことを行ったというデマを信じていて、日本人の側からそのデマの情報が自虐的に発表されると、その偏った情報で、日本をなじるわけだ。
お互いにスパイのようなものたちが、自国にいて、それらが、情報を流して、結局、同じ手法で、何も知らない民たちが、お互い嫌悪して仲たがいするように仕向けているのだ。
仲良くなってしまえば、お互いの勘違いやデマの情報が分かってしまうからだ。
仲良くなってしまえば、戦争も簡単には起こすことが出来なくなる。
悪魔的なものたちは、一部の権力者だけで、日本人も白人も黒人も中東アジア人もも、ほとんどの民は、戦争などしたくないし、争いなどしたくないのに、情報に流されて、戦争にかりだされ、利用され続けてきたのは、何も知らない民たちだった。
太平洋戦争がはじまって1年半は、アメリカ軍は、むちゃくちゃな作戦を無理やり行わされ、大勢が日本軍によって殺された。
出来過ぎたかのように日本が勝利していたので、アメリカ人は日本人を恐れた。
恐怖のあまり気が狂うアメリカ兵もいた。
1年半が過ぎるとまた出来過ぎたかのように、逆にアメリカが優勢になり、日本はむちゃくちゃな作戦を上から命令され殺されていった。
アメリカのトップも日本のトップも、どちらも自国の民を殺し続け、裏で手を結んでいたのだ。
何も知らないで踊らされていたのは、わたしたち奴隷国民だった。
昭和天皇は、戦後、「わたしは神ではない」と言い続けられながら日本を回った。
マスメディアに顔を出して、質問に答えたことさえある。
天皇さえも利用した勢力が、他国にも、自国にもあり、天皇の権威を利用して、太平洋戦争は行われ、わざと日本人が殺すように仕向けられたのだ。
ドイツとも戦争をしていたアメリカは、戦力を半分しか日本側にまわせなかったので、日本のほうが圧倒的に戦力が優っていた。
当たり前の作戦でアメリカと戦えば、負けることなど無かったのだ。
山本五十六という人物は英雄とされている戦争反対派の者だったが、こいつが一番、日本人をわざと殺し、スパイ容疑の冤罪を作り出した。
スパイなのに、スパイを取り締まっていた。
純粋に日本のために抗議する者たちをスパイ扱いして、言論を封鎖したのだ。
民を守るかのような発言をしながら、実際に行ったのは、自国の兵士たちや日本の民をわざと殺すことだった。
西郷隆盛が、反政府軍のリーダーとして立ちあがったが、彼はわざと反政府軍が負けるように仕向け、敗戦した後、死んだことにして、ロシアで生き残っていた。
西郷隆盛の妻は、西郷隆盛の像をみて、まったく主人と違うと発言した。
ヒトラーも、近衛文麿も、土方歳三も、山本五十六も、みな死んだようにみせて、他国で生き残り、優雅に生活したわけだ。
彼らは裏の支配者たちの台本に沿って演じきった俳優たちであり、操り人形で、その操り人形たちに、何も知らない民たちは、今でも操られ続け、彼らが作り出したシステムの学校宗教団体の話を信じきる。
歴史をみれば、いつの時代も、どこの場所でも、支配者の都合のいい情報が流され、情報操作されてきた。なのに、どうして、現代だけ本当のことを教えていると信じきるのだろうか。
人は自分の観たいものを観やすいのだ。
自分は騙されていない正しいと信じ込む。
これらの一部の人間のご都合主義の正義を打ち破るためにも、憲法の基礎である固定された聖書を教えることは必須だ。
聖書は、このような脳の錯覚を利用した偶像思想を打ち破ることを教え続けてきた。
嘘や偽りの情報をまるでマジシャンのように目をくらまして、人々を騙す悪魔宗教の手法を聖書は打破し続けてきた。
感情論や目先の手法ではなく、論理的に現実を観なさいと教え続けてきたのだ。
時代や手法が変わっても、いつまでも変わらないものが存在する。
天皇の男系が不思議と綱渡りのように保たれ守られ続けてきたように、聖書の言葉もまた不思議と守られ続けてきた。
多神教に偏っていたイスラエル人の時代では、聖書を知らない王さえもいたほどだ。
それがバビロン捕囚などの苦役にあい国が滅び、それらが聖書にすでに預言されていたことに驚いたイスラエル人たちは、モーセやアブラハムが教えた一神教を復古させて、ユダヤ教を設立させた。
未来をも的確に当てる神こそ、まことの神だとユダヤ教は、熱烈な支持者とともにイスラエル人たちに浸透して、国の体系となり、王もローマ帝国もまた無視できない宗教となり、その熱心さのために、イエスキリストを殺そうとしたが、それもまた、ユダヤ教徒が守り続けてきた聖書にすでに預言されていたのだ。
聖書は、人間の書ける能力を超えている。
時を超え、人権を世界に広げた。
奴隷にしたのも聖書なら奴隷を解放したのも聖書であり、女性にも権利を与えたのも聖書の教えだ。
時間はかかるが、ワグワナ法国にも、その価値観を植え付けていく。
今、ワグワナ法国で興味を持たれていたのは、科学だった。
多神教を信じてきた民がすぐに一神教のことを理解することは難しい。
しかし、ワグワナ法国は、王族を後ろへと追いやったことで、民の主導による知識が高まっていた。
そこにニーナやハーレ・ワイトなどが訪れた際に、多くの民たちに興味を持たれた。
日曜日以外は、教会で学問などを教えることになっていたので、大勢の民が、足を運んでくれ、ニーナが科学の一端を教えたことで興味を持たれたのだ。