226章 アシュタロテ
フロアー全体が、白から赤色になったかと思うとさらに、壁と同じ濃さの赤いドレスを纏った腕が6本ある女性が、空中に現れた。
先ほどのキマイラのよく分からない変化と同じものなのか、その女性の周りにも、赤い透明な何かがほとばしっている。
リリスは、声を出そうとするが、なぜかまったく声が出ない。
音が反響しないというよりも自分の体が声の出し方を忘れてしまったかのような感覚だ。頭ではしゃべろうとするが喉がいうことをきかない。
リリスだけではなく、そこにいた妖精戦士やモンスターでさえも、動揺しているので、何かを言いそうなものだが、同じように声が出せないようだ。
その女性は、まったく口を動かすことがなかったが、綺麗で頭の芯にキンキンと響くような声が、皆に伝わる。
『わたしは、あなたたち全ての造物主、神々の頂点に君臨するアシュタロテ
あなたたちを造ったのは、わたしです
太古の昔、あなたたちのような生命を生み出し、慈愛を分け与え、祝福に満ちた世界を広げた
かつてのあなたたちの祖先は、それでも、わたしを受け入れず、口から吐いた言葉は、愚かにも、おぞましいものばかりだった』
アシュタロテは、6本の腕の一本の人差し指をゆっくりとリリスたちに向けたかと思うと、フレーのところで腕は止まり、くいっと指を曲げると、フレーは、一瞬で吹き飛んだ。
「***・・・―――!!!」
リリスは、叫ぼうとしたが、声が出ない
『彼らの汚れた言葉は、言霊となり、新たに生み出したのは、おぞましいモンスターたち
それらは遺跡を世界に生み沸き出し、あなたたちの罪を諫めた
ゆえに、わたしの前では、その口を封じさせ、反論は皆無である
わたしに逆らおうとすれば、このようになる
しかし、わたしは、愛の神、霊を呼び戻すことさえもできる』
アシュタロテは、フーっと息を吹きかけると口から出た赤い風が、地面に散らばった塵を巻き上げて、形を形成していった。
それは、吹き飛んだはずのフレーで、元の姿に戻したのだった。
フレーは、何をされたのか分かっていないようだった。
『無から有を生み出し、また蘇らせることもできる
世界樹の生命の強さ
そして、蘇る生命
わたしには逆らえぬということ
あなたたちが、すべて愚か者だとは、わたしは思ってはいません
わたしを崇め祝福をあずかり、優秀を示す者たちには、わたしは世界に影響を及ぼす力と情報を与える
汚れによって圧せられるだけではなく、あなたたちに、新たな能力を与えることもするのです
愚かな生き物であってもただ死に至らせるのは、つまらないというものですからね
しかし、これらのことは、秘密とせよ
世界樹遺跡の深層深く、これに至った出来事は、試練を乗り越えた者たち以外には、伝えてはならぬ
わたしは、愛なる神
言霊によって生み出されたモンスターにも打ち勝てるように、あなたたちへの救済として、新たな能力を与え続けてきた
ここは、妖精の子たちに与えた試練の場
それを乗り越えた、あなたたちを愛そう
さあ、あなたたちに、新たな能力と妖精の力を与えよう
愛なる神アシュタロテを褒め称えよ』
赤い女神アシュタロテが、手をかざすと、その体のまわりに、ほとばしっている赤い透明な炎なのか何なのか分からないものが、リリスやリタ、その他の妖精族すべての体に近づき、及んだと思うと、地面から赤色の草が生えだし、足元から赤い草が、体を覆いはじめた。
女神が口にした、新たな力を与えるという言葉から、これは第二の誕生である羽化ではないかと皆が連想して、暴れようともしなかったが、口だけではなく、体も動けなくされていることに気づく。
アシュタロテの存在を知り、多くの疑問がありながらも、その疑問を口にすることさえも出来ずに、一方的に事は起こされていった。
使役していたモンスターたちが、主人たちが、草に呑み込まれていくのを不安そうな眼差しで見つめているが、その草は、止まることなく、体全体にまで生えていき、さらに大きく厚みを増すと、真っ赤で、光る巨大な薔薇の花のようになり、そのまま時は、過ぎ去った。
リリスの意識は、遠のき深い眠りに陥った。
深い眠りの中で、目にしたのは、亡き愛しき人ピーター
ピーターは、変わらない優しい笑顔で、リリスに微笑みをかける。
『リリス。自然の中に、君は感じていたことがあるだろう
森を時々、覗き込む君は、妖精族としての素質を備えられ、それによって感じていたんだ
それは、妖精族、特有の能力であり、自然と生き物とのつながりである見えない力』
「ピーター何を言っているの?」
『思い出してごらん
森に何かを感じたあの感覚を』
「夢?それとも幻?」
ピーターは、微笑みかけ続ける。
その表情をみて、リリスは、胸に痛みを覚える。
「ピーター。ごめんなさい・・・あなたを守ることが出来なかった
あなたは、わたしを庇ってくれた
わたしは・・・あなたとずっと一緒にいたかった・・・」
リリスは、想いが溢れて、涙する。
「苦しいの・・・あなたを思い出すと、胸が張り裂けそうになるのよ
これは夢かもしれないけど、あなたとずっと一緒にいたい・・・
あなたに手を伸ばして、そこにいると実感したいと毎日思ってしまうの・・・」
ピーターは、ただ微笑み返すだけで、それ以上、何も口にすることはなかった。
「わたしあれから女王になってみんなが幸せになれる国を作り始めているのよ
あのオテンバだったわたしが、女王なんて笑えるでしょ
でも、わたしは、女王になりたかった訳じゃない
あなたがいてくれるだけで、それだけで十分だったの
あなたなら分かってくれるでしょ」
―――源は、エリーゼ・プル、そしてバーボン・パスタボと連絡を取り合う。
『かなりの時間が経ったけど・・・まだ、みんな現れる気配もないのか』
エリーゼ・プルが答える。
『はい。30階層に、何度も足を踏み入れても、そのフロアーには、何もありません
モンスター1匹さえもなく、妖精族の皆さんは、どこにいったのかも分かりません』
源は、自分が知っている遺跡についての情報を思い出して、リリスたちの置かれている状況を推測した。
封印の珠を動かすことで、フロアーモンスターのような強いモンスターが現れ、それから、外界から切り離される。モンスターを倒せば、またコンタクトが取れるようになるはずだが、まだ戻らない理由はなんだろうか。
地下30階層という深さは、俺でさえも行ったことが無い。それだけ深い階層のフロアーモンスターなら、手に負えない強さのものが現れてもおかしくはない・・・
もしかしたら、リリスたちは・・・
『源。遺跡は、秘密を保持する仕様があると思われます
その理由は分かりませんが、ダフキン・マット様が以前、遺跡に関する情報を口にされた時も、こちらには認識することができませんでした
もし、フロアーモンスターをリリス様たちが攻略して、二度目の妖精族の誕生である羽化をはじめているとしたら、妖精族がピラチによって生まれる時間、10カ月程度、かかってしまう可能性もあります
その間、遺跡の情報封鎖のために、この状態が続けられる可能性があるかもしれません』
『でも・・・愛・・・。倒されている可能性だってあるじゃないか』
『リリス様たちが、姿を消してから5時間経過しましたが、それだけの長い時間、勝ちもせず、負けもしないほどの戦いが継続できるとは思えません
体力はもちろん、マナが切れてしまえば、一気に倒されることも予想できるからです。源』
『だから、結局どっちか分からないってことだろ?』
『わたしたちの持っている情報の中には、ありませんが、封印の珠を移動させた際に起こる閉鎖された状況から解放される方法は、2つあると思われます。源』
『ん?2つ?』
『源は、フロアーモンスターに勝利した時だけを想定しているようです』
『うん。そうだけど?』
『逆に、負けてしまった場合、封鎖状態は、永遠に続くものだと考えるのは、合理的ではありません。源』
『あ・・・!そういうことか!なるほど・・・リリスたちが、フロアーモンスターに負けた時点で、リリスたちの姿が、ここに現れるはずだということだな?』
『その可能性は高いはずです。源』
『それで、5時間経っても、まだリリスたちの姿が現れなていないということは、まだ戦っているか、それとも逆に勝利して、第二の誕生に取り掛かっていて、その情報は、遺跡の仕様で封鎖されているから、長い時間がかかっているかもしれないということだな』
『はい。源』
連絡がないのは、無事な証拠とよく言われるが、その状態と似ているということか・・・
源は、エリーゼ・プルとバーボン・パスタボに、伝える。
『リリスが言っていた2度目の誕生の羽化をしているとしたら、もしかしたら、何カ月も時間を要するのかもしれない
妖精族を生み出すピラチという花は、10カ月の時間を使って妖精族を生み出すらしいからね
もし、リリスたちが、負けて倒れているのなら、30階層に倒れたみんなの姿が現れると思われる。リリスたちがまだ、姿を現さないということは、無事だということかもしれない』
エリーゼ・プルが同意した。
『そうですね。封印の珠のまわりに、倒された者たちの死骸が発見されるということは、よく聞きます
彼らは負けたから、その状態のまま放置されていたと思われますからね
リリス様は、羽化に入ったのかもしれませんね』
『うん。だから、その場所に、ソースを残して、君たちは、リリスが指示したように、新大共和ケーシスに戻ったほうがいいかもしれないね』
『ですが・・・女王様の安否をしっかり確認することもできずに・・・ここを離れるのは・・・』
『リリスたちが戻って来るのを待つ以外ないと思う
封印の珠を動かして、拘束された状態になると、完全に外界から隔離されるんだ
中から外に出ることも出来なかったということは、外から中に入ることもたぶんできない
上手くいっていたとしても、どれだけ時間がかかるのかさえ分からないんだから、新大共和ケーシスでやるべきことを続けながら、待つ以外ないよ』
『そうですね・・・』
『首都ハーモニー以外の村や街の運営も行い続けなければいけない
リリスもそうだけど、君たちまで不在を続けるのは、得策じゃないと思うけどね』
『はい。分かりました
女王様を信じて、新大共和ケーシスに戻ることにします』
『うん。俺もワグワナ法国の統治をさらに進めないといけない
リリスたちのことは、注視しておくよ
連絡がないということは、上手くいっている証拠かもしれないと考えておこう』
話し合いで納得して、エリーゼ・プルとバーボン・パスタボは、マナソースを使って新大共和ケーシスに戻った。
源は、巨大樹遺跡にソースを大量に転移させて、何か分かったら教えるようにとミカエルに指示をだした。
―――リリスたちが、完全にピラチに包まれると、妖精族が連れてきたモンスターたちもまるで冬眠するかのように、体を丸めて、赤い床の上で、睡眠をはじめた。
タークやフィーネル、フレーやビックボアも、その睡魔には逆らうことができず、意識を絶たれた。
床から生えだした草のツタが、眠りについたモンスターたちの体に、突き刺さると、そのツタからまるで栄養が体に流されるように、何かが体に注入されはじめる。
30階層の広いフロアーに、100を超える生き物たちがいたが、すべて意識がなくなり、静まり返るのだった。