213章 聖書の秘密
【213章 聖書の秘密】
「農民に今までの土地の2倍の畑を与えるって、そんなことありえるわけないだろ!?」
レジェンド兵士は、何とか落ち着かせるように、説明していくが、ワグワナ法国の民は、騒ぎ続ける。
そこにルピリート将軍が、通りかかり、騒いでいる民を睨みつけると、やっと騒ぎは、沈静化する。
「いいですか。皆さん、落ち着いて話を聞いてください
皆さんの土地を奪うという話ではなく、増やすという話ですから、そんなに興奮しないでください
滅んだボルフ王国の民が、新しく作った新大共和ケーシスの国の農民は、4エーカーの土地を与えられているのです
ミカエル。映像をみせられるか?」
レジェンド兵士の命令に従って、ミカエルが、モニターを瞬間移動で持って来て、映し出した。
「みてください。これがボルフ王国が滅んだばかりの農民たちの姿です
皆、痩せこけているでしょう?
そして、これが、最近の新大共和ケーシスの民です
皆、肥えているのです
ワグワナ法国とは違って、ボルフ王国の土地は、荒んでいて、収穫がここの3分の1にも満たなかったのですが、セルフィ様によって畑を与えられ、さらに1つ1つの実が、ワグワナ法国と比べても、逆に2倍、もしくは3倍も大きく育っているのです
ですから、皆さんにも、これから新しい土地が与えられるので、畑が使えないのは、一時のことなのです」
「本当なんだろうな!それがもし嘘だったら、ワグワナ法国の民は、全員で、反乱を起こすぞ!」
「本当ですから、安心してください
ただ、土地を余分に、渡したとしても、その畑の場所が、バラバラで一緒ではなかったら、農作業が大変になるでしょ?
それを区画整理して、みんなが農業しやすいように、土地を増やして、あとで、返すというだけです!」
いい話には、裏があるとして、ワグワナ法国の民たちは、疑ったが、数日もすると、本当に、自分たちが持っていた土地の2倍もの広さが与えられたことに驚いた。
首都ダリンの周りに、4つのもの凄く広大な土地に前とは比べ物にならないほど整然と畑が作られていた。
しかも、それらの畑はみな耕かされ、整地されていた。
どのような魔法でこのような広大な畑を数日で用意したのか、疑問があがったが、その様子をみていた農民たちによって噂が広がった。
伝説の天使セルフィ様によって大量の畑が、昼の数時間で作られ、その他の時間には、黒い物質モンスターたちが、20時間フル活動で、作業を行っていたということが明らかとなる。
50万人を越える首都ダリンの民たちの食を9割、維持し続けていた畑は、見事、さらに2倍の土地となって、農業が再会された。
農民たちには、土地だけではなく、肥料というものが送られ、これらを与えられた土地に混ぜ合わせることで土地に栄養が増し加わると説明された。
使うか使わないかは、その農民たちに任せられる。
新大共和ケーシスの時とは違い、まったくの0からではなく、備蓄していたので、まったく前と変わらない食の安定の元で農業再建作業ができる。
アモラ事件によって4万人もの犠牲者が出た。そのほとんどが農民兵や民だったが、新大共和ケーシスからの贈り物ということで、馬や牛が大量に与えられ、マンパワーによる不足もカバーできた。
それらの動物は、4つの家族に1頭ずつ無料で与えられた。
毎週日曜日には、しぶしぶ教会に足を運び、一神教の司祭様たちのメッセージを聞いて聖書の価値観、人権を学んでいく。
望んで日曜日に教会にいってくれていたのは、ガマル・ルィール・チェクホン殿下などによって宣伝され、いいイメージを持ってくれた人たちぐらいだった。
しかし、絶大な人気を誇ったのは、教会による勉学の解禁だ。
人々は、日曜日以上に、毎日のように教会にいっては、文字の読み書きを学んでいった。
しかも、無料。
セルフィという天使が、言っていた勉学のことは、本当だったと認識された。
首に首輪を付けられた奴隷たちは、殺傷力がそれほどない、こん棒などの武器だけを与えられ、交代で、首都ダリンの周辺を警備させて、守りを固めさせた。
ここ数日の間は、敵からの攻撃はなく、FやEランクのモンスターなどが現れるぐらいだった。
以前のワグワナ法国よりも安全に考慮していることは、民にも理解できていた。
しかし、捕らえられていた政治家が大量に同時に毒殺されたという情報が、広まり、それらは帝国連合軍によるものだと流れていた。
否定と肯定が入り乱れ、新しい権力者への論議が、毎日のように繰り返される。
まだ、数日も経っていない時であれば、猶更だった。
―――首都ダリンの街中では、セルフィは、本当の天使族なのかという議論が民たちによって続けられていた。
「”我こそは、天使族のハジメスエナガなるぞ”といって、現れる奴らは、数知れずいる
奴もそれと同じだ
ただ、バックに帝国があるというだけで、本物だと証明されたわけではない!」
「でも、たった半日で、あのような巨大な教会という建物が、5つも首都ダリンに現れたんだぞ?そんなこと偽物にできるのか?帝国連合軍の被害の少なさをみろ!あれが人が出来るものだとは思えない」
「畑は奪われた!」
「畑は、増えただろうが!!」
「アモラになった人たちが、毎日のように戻ってきている。あれは伝説の天使様が、前のように戻してくれているということだ」
「いや・・・そのアモラこそ、帝国やトリアティー師団国が起こしたことだから、すぐに元に戻せるのかもしれないだろ?」
「我らの歴史である王族をまた復古させ守ってくれようとしているのだぞ?」
「お前は、独裁政治になってもいいというのか!?王族が何をしてきたのか知らぬはずもないだろうが!」
ああでもない、こうでもないという論議が、あちこちで広がる。
源は、毎日ように溢れかえる問題の多さに頭を悩ませていた。
「セルフィ殿。旧勢力から新勢力へと移り変わる時は、あなたでなくても、このように問題が湧き起るは、当然のことだ
これは時間と共に解決するしかない問題で、それほど悩むことではないぞ」
「ありがとうございます。ガマル・ルィール・チェクホン殿下
そうですね・・・
時間が解決しくれると信じます」
「実際に、もともと旧勢力に懐疑的だった者たちは、あなたや帝国、そして、我々にも好意的だ
特に真実を解明しようとしていた学者などは、旧勢力から弾圧され、学会からも追われていたので、新勢力に対して、肯定的で、人々を説得しようと自ら動いてもいる
歴史もまったく見解が真逆に教えられていたので、本当の歴史感に戻すのは、大変だともらしていたな」
「論理的に考えられる学者などを育成していくことは大切なことですね
旧体制に弾圧され、学位を剥奪されていたような学者たちも、その権利を戻してあげることにしましょう
良くも悪くも両方の意見が自由に論議できるような国にしてあげたいですからね」
「普通は、否定的な学者に対して、圧力をかけるものだぞ?懐疑的な意見をいう民たちにも、そのような発言をいわせないように兵士などを送り込むなどをするのは、当然のことだ」
「いえ、それは人権にかかわります
聖書の神様は、善悪の木の実を食べた人間であっても、愛ゆえに守られ生かし続けているのです
神を否定する人間にも雨を降らせ、空気を与え続けられている
その人間が現実をみれないだけで、路頭に迷っているだけなのです
自分たちが行っていることが悪だという認識が持てないからといって、すべて無理やり押さえつけるようなことはされないのです
人がゆっくりと成長していくのを長い時間をかけて、見守り続けるのですね
我々に都合が悪いからといって、その言動を阻害することは、言論の自由という人権を阻害することにつながってしまうのです」
「そんな小事にさえも、人権とは、適応されるものなのだな」
「人権を侵すほどの悪に対しては、厳しく処罰しますが、自分の信じていることを口に出せる言論の自由を阻害すれば、それはストレスとなり、反乱の糸口となっていきます
例え、間違っていることであっても、彼らが口にしているその瞬間は、彼らには、それが正義だと心から信じていることなのです
違う考え方を見出すようになるには、時間がかかるものなので、見守っていくしかないのです」
「そこまで民に権利を与えるとはな・・・。龍王は、そのような存在だったのか・・・」
「龍王がそうだったのかは分かりませんが、聖書はそう教えています
多神教を否定はしていても、だからといって多神教を選ぶ人間を無理やり変えようとはしていないのです
神の民といわれるイスラエル人たちは、一神教だけを信じ続けていたと勘違いする人もいますが、聖書に書かれているように、イスラエル人たちは、多神教ばかりに偏っていた時代のほうが長かったのです」
「一神教ほど、力で統制をすると思いがちだったがそうではないのだな」
「違いますね
1つのものを1つだと言っているだけで、1つのものを100だと言い張り続ける人にも、あれは1つだよと言い続け、教え続けるだけなのです
その人が偶像を信じ込み、現実が見えなくなっていても、現実を認めるまで、何度も何度も伝え続ける以外ないということです
もちろん、正しい側に、割合を多くはしますけどね」
「ワグワナ法国に埋め尽くされた神の石造などは、どうするつもりなのだ?」
「わたしは、いつかは無くしたほうがいいと思っていますよ
あれは人が木や石から作り出した神を自分勝手に想像して、作ったものであって、あれ自体が神ではありませんし、神の姿をみたこともない人間が、神の姿を表せるわけもありません
ただの石なのです
そういった偶像があるかぎり、人々は論理的に物事を考える能力が欠如してしまうことを続けてしまい、また争いを増やしていくのです
わたしが今できることは、あれらの石を神だと言い続けるひとに、あれは石だよと言い続けることだけです
今は、聖書の知識が、ワグワナ法国の民には、まったくないような状態ですから、彼らがそれを受け入れて、自ら偶像を破壊してくれる日が来るのを待つしかありません」
現世の日本人は、世界に乗り出した白人たち、カトリックなどは、他の宗教を一方的に弾圧していったと勘違いしている人たちがいるが、カトリックなどは、その宗教が人権的であったのなら、それらを許可した。仏教などもゆるされたので、今でもインドに仏教などは存在している。
否定したのは、非人道的な教えをしていた宗教だったのだ。現代人がそれらの宗教の教えを知れば殺到するような教えであっても、その時代では、それが当然のように教えられ、それが常識となってしまっていたのだ。
ガマル・ルィール・チェクホンは、苦心するように言う。
「破壊することはどうしても、抵抗があるのだ・・・」
「ガマル・ルィール・チェクホン殿下ほど、柔軟に理解しようと心がける方であっても、すぐには染みついた価値観を変えるようなことはできないのですから、他の人であれば、猶更です
ですが、あれは石であり、しゃべることもできなければ、歩くこともできないものだという現実を少しずつ理解していってほしいのです
あれは本当の神ではありません
神だというイメージで作られた像なので、それを壊すのは、抵抗があると考えるようになってしまいますが、それは脳を錯覚させて、本質から目をそらさせているにすぎないのです」
「本質とは何だ?」
「あれは人間が勝手にイメージして作ったものであって、神ではないという事実です
あきらかに、神ではないということが本質です
人間が作り出した、人間以下の石なだけなのです
偽物の神である石を壊したとしても、本当の神様は怒ることなどしませんし、罰当たりどころか、論理的な考えになってくれた人を喜ばれるのです
論理的ではないことを人々が信じれば信じるほど悲劇は増えていき、現実を把握して論理的に考えられる人間が多くなればなるほど、世の中は、争いが消えていきます
だから聖書は、人間のために、そのような偶像を否定しているのです」
「多神教は、間違っているということなのか・・・」
「すべて間違っているわけではありません
例えば、ガマル・ルィール・チェクホン殿下の体は1つですが、その1つの体には、多くの器官があります
心臓もあれば、胃もあり、肺もあれば、目や耳、脳など、多くの大切な器官があって、全体で1つなのです
一神教が語っているのは、全体の神の神性についてであって、多神教が語っているのは、個々の神性なのです
そして、全体をみれば、分かるように、世の中は、あまりにも統一性がありますぎるのです
もし、本当の神が、複数いるのなら、この世界がこれほど統一された世界になっているわけがない
目の前にある世界がそれを証明しているのです
ガマル・ルィール・チェクホン殿下の意思が10個と複数あったとしましょう
実際は、1つしかありませんが、複数あったと仮定します
あるガマル・ルィール・チェクホン殿下Aは、寝たいと考え寝ますが、あるガマル・ルィール・チェクホン殿下Bは、運動をしたいと体を動かします
休む時に、休めず、動きたい時に、動けず、そんなことをしていたら、1つしかない体は、統一性がないばかりに、壊れてしまうのです
ですが、世界は、これほどバラバラで様々生き物が多種多様にありながらも、統一性がありすぎて、それが調和して、存続できているから、わたしたちは、今でもこうやって生きていられるのです
もし、意思のある本当の神が多数あったのなら、一瞬たりともわたしたちは、生きてはいられない世界になっているのです
人間もいれば、動物もいて、植物もあれば、果物や水もある。それぞれが大切な器官でありながらも、全体であまりにもまとまっている
この事実は、この世界には、本物の神様、唯一絶対の神様によって創られているという証明なのです
人間も動物も川も山も空気も神様の細胞の1つですが、世界をバランスよく保たれている絶対的な本当の神様のご意思は、唯一であり、たった1つだということです
多神教の皆さんは、その神様の1つ1つの細胞に目を向けて大切にしょうとしているだけで、一神教は、大きな1つであり、本当の神様の意思を基準を大切にしているだけなのです」
「つまり、多神教も一神教も、同じことを違う言い方で言い合っているだけだというのか?」
「そうですね
体全体をみて、ガマル・ルィール・チェクホン殿下とわたしは、呼んでいますが、ある人は、ガマル・ルィール・チェクホン殿下の心臓さんと呼んでいるようなものだということです
ですが、その中でも、悪魔宗教というものがあるのです
それらは、この世には存在しない偶像思想を勝手に生み出して、存在しないはずの器官さえもあると騙していくのです
そいつらが、くせ者なんですね
一神教と多神教の討論の中に、意味不明などうでもいい内容をわざと話の間にいれて、場を混乱させ、わざと仲たがいさせるものたちがいるのです」
「ワグワナ法国とトリアティー師団国を仲たがいさせたシンのようにか」
「そうですね
シンの部下だと思われる相手と少しだけ会話を交わしたことがありますが、彼らのそれは、悪魔宗教の思想でした
どうでもいいことをさも意味があるように、誘導し、深い闇の中に、他人だけではなく、自分たちも飲み込まれていくのです
完全に、この世界の論理であり、秩序であり、平和や幸せを逆に破壊する思想
神に反逆する者たちです
川や山、人や動物など神様の細胞たちを破壊していく者たちです
彼らシンがなぜそこに入り込んでいるのかは、まったく謎のままですけどね」
「一神教にあまり触れてこなかったわしからするとやはり抵抗がある」
「皆さんは、気づいていないだけで聖書のことを毎日のように触れてはいるのですよ」
「ん?どういうことだ?」
「例えば、わたしたちが使っている言葉に使われている漢字
これらは聖書の物語から生まれているんです
”神”という漢字がありますが、これは、”示”と”申”の組み合わせです
本当の神とは、示し、また、申すことができる存在だと教えているのです
石や木で作られた偽物の神像は、示すこともしなければ、しゃべることもできませんが、本当の神は、聖書に書かれているように、我々に示しを与え、時には、預言者などに語りかけもされるのです
”園”という漢字もまた、聖書の物語から出来ているのです
聖書は、最初の人アダムは、土から造られたと書かれています
そして、人間には、口は1つです
口は、人数を表すもので、”人口”とも使われているようにです
そして、エデンの園には、そのアダムと女性のエバのふたりが四角い囲いにかこまれていたと書かれています
つまり、”□”の中に、”土”で造られた”人”がいて、それが”人、人”ふたりいたということを表しているのが、”園”という漢字だということです
悪魔という漢字も、亜の心、2本の木、鬼がいて、田とは、エデンの園に流れている4つの川をあらわしています
つまり、エデンの園の中央にあった2本の木、”善悪の木”と”いのちの木”の場所に鬼のような存在が現れ、その鬼は、神様とは違う心をもった亜の者だったという意味で、”悪魔”と漢字で表されているのです」
「わしらが使い続けてきた漢字は、聖書から来ているというのか!?」
「はい。漢字だけではなりません。ひらがな や カタカナ も実は、聖書を書いたイスラエル人たちが使っていたヘブライ文字から出来ているのです
言葉にしても、その言葉自体、意味がわからないものを使っていますよね?」
「意味が分からない言葉?」
「例えばですね
驚いた時とか、不思議に思った時に出てくる言葉、”あれ!?”って使いますよね?」
「確かに使う者もいるな」
「”あれ”という言葉だけだと意味不明ですよね」
「”あれ”は、”あれ”だろ?」
「まーそうなんですが・・・、実は、この”あれ”という言葉は、聖書の民が使っていたヘブライ語なんです
ヘブライ語で、”アレ・マー”というのは、我々の言葉で訳すと”どうしたの?”という意味になるんです」
「偶然ではないのか?」
「これ1つなら偶然もありえますが、こういった言葉が大量に使われているのです
例えば、”ありがとう”これは、ヘブライ語では、”アリ・ガト”訳すと”幸運です”という意味になります
”さようなら”は、”サイオニアラ”訳すと”悪魔を追い払う”
”ドシンドシン”は、”ドシン”訳すと”肥満”
”ヒリヒリ”は、”ヒリ”訳すと”痛み”
”すけべ”は、”スクベ”訳すと”肉体的に寝る”
”さあ”は、”サー”訳すと”出発”
”こら””コラ””自制しろ”
”よいしょ””ヨイショ””神が助けてくださる”
とその他まだまだ、”だまれ””わる””グル”とか、それぞれ、意味が分からなくて使っていますが、これらをヘブライ語にすると意味が分かるようになるのです
つまり、わたしたちが今使っている言葉は、聖書を書いたイスラエル人が使っていたヘブライ語であり、その文化であり、聖書そのものだということです
わたしたちの言葉(日本語)とヘブライ語には、共通点があるのです」
「何と・・・!我々のこの言葉は、聖書の言葉だったのか・・・。だが、龍王は、1000年前の存在だが、それ以前からこの言葉は、使われていたはずだぞ?」
「聖書は、龍王が書いたのではないのです
龍王もまた、聖書を学んで、その聖書をそのまま、この世に残して広めただけの存在で、その聖書は、神から与えられた不思議な書だという1つの証拠なのですね
本当の神が、人間のために、正しいとは何なのか、本当の正義とは何なのかを示すためにあるのです
”正義”という漢字は、”一”と”止まる”そして、”我”の上に、”羊、または、王、または、主”と書かれていて、三位一体の神であるイエスキリストこそ、まことの唯一の義であり、本当の正義とは、イエスキリスト、聖書の神のことだという意味なのです
”王、羊、主”の三位一体の神、イエスキリスト、一つに止まることが、”正義”であるのですね」
「龍王は・・・誠の神の言葉を広げようとしていたのか・・・。そうか・・・そういうことだったのか・・・無理やり多神教を蔑ろにするわけではないのなら、このまま一神教によって論理的に考えられる民を増やしていってくれ」
「もちろんです。殿下
ワグワナ法国は多神教ではあっても、人権の思想が民に根強く組み込まれています
例えば、人を殺してはならないという正義が定着しています
そうであるのなら、特段、無理やり押さえつけるほどではないということです
ゆっくり論理的な考え方を教え続けて行き、どちらが論理的なのかを各自が考えられるだけの環境を与えていけばいいと思っているだけなのです
ペルマゼ獣王国は、そうはいきませんけどね」
「ペルマゼ獣王国にも、同じように寛容な統治をするのではないのか?」
「いえ、ペルマゼ獣王国は、徹底的に叩きます
彼らの正義は、人を殺してもいいというもので、人権の真逆の思想だからです
聖書にも、そのような時代に存在したカナン人を徹底的に倒したと書かれています
我々が目指すものと、相対する価値観です
事に至っては、すべての民を聖絶するかもしれません」
「そこまでするのか」
「ボルフ王国でさえ滅ぼしました
ですが、ボルフ王国の民は、そこまでの悪の正義に至っていないので、改善は可能だと考え、正しいマインドコントロールで誘導してはいますが、ペルマゼ獣王国の民たちは、悪の正義に染まり過ぎています
そのような者たちには、何をいっても、どのように環境を整えようとしても、どうしても、価値観を変えられず、終いには、わたしたちの価値観に入り込んで、破壊を企てはじめるのです
特に人を食料と考え、食べてもいいという価値観である”カニバリズム”が定着してしまっているのは、完全に否定しなければいけません
ペルマゼ獣王国は、ボルフ王国やワグワナ法国とは、まったく別物です
すべてを滅ぼすほどに、徹底的に行います
閣下やワグワナ法国の民のように、話せばいつかは分るという相手ではありません
わたしにすべての権利があれば、すべての民を聖絶させますが、そこまでの権限がないので、生かして置かなければいけないのが、悩ましいところです」
「女こどももか?」
「すべてです」
「なぜ、そこまでする必要があるのだ?」
「人は、多くは、言葉によって価値観を理解し、脳に情報を蓄えて、行動し、あらゆることを選択するわけですが、100%言葉や知識だけで成り立っているわけではないのです
絶対的な悪の環境の中で生活をし続けた人間たちは、それが体に染みつき、さらには、魂レベルにまで悪を宿しているので、無理やり、それらの者たちを奴隷にして生かして、徹底的に聖書的な価値観を植え付けたとしても、それらの子孫の中から不思議と悪側の者が生まれ、また悪の価値観を復古させようとするのです
聖書の神様は、すべて正しい世界を創られました
ですが、人間は、悪という知識を理解してから、魂レベルで若干、悪に染まってしまったのです
その後、アダムとエバから人間の始めてのこども、カインが生まれました。彼は、弟アベルを嫉妬心から殺してしまうのです
殺人という意味もわかっていなかったカインを神様は、守られ生かされました
カインは、その後、悪らしいことはしなかったと思われますが、そのカインの子孫が、次々と悪を発明していきます
人々は、カイン族以外の人間も、悪に影響されていきました
エデンの園に近い環境が素晴らしいことをいいことに、人間たちは、悪だけを行い続け、あらゆる動物たちに悪の影響を及ぼし、素晴らしい世界を汚していったのです
そこで、神様は、徹底的に大洪水によってその世界を洗い流し、すべての悪しか行わなくなった人間や汚染された生き物を聖絶されたのです
そして、神様に唯一忠実だったノアの家族だけ生かされたのです
これで、悪は消え去ったかのように思えたのですが、そうではなかったのです
悪を広げたカイン族の生き残り、エジプタスは、ノアの3人の息子のうちの一人ハムの嫁となり、そのこども、カナンが生まれたのです
このカナンが、くせ者でした
ノアの教え、ノアの家族というほとんど完璧な環境にありながらも、このカナンは、同性愛者の性質を持ち、そのまま悪へと向かい、世界中に悪の種を蒔いていくことになったのです
つまり、マインドコントロールなどで駆使して、脳に正しい価値観を植え付けようとしても、悪の性質を多く宿してしまった人間たちを生かして置くことは、もの凄く危険なことだということです
この世界の多くの価値観が、聖書的で、人権を理解できる時代になれば、彼らも生かしておくことは可能ですが、今の帝国の価値観や支配システムからして、聖書の価値観は、ほんの少ししか伝わっていない今の現状で、彼らを生かしておくことは、厄害なのです
悪側に染まっている者たちが、多すぎるのです
徹底的に脳に”人権”を植え付けなければいけないのに、非人権の価値観をもった人間が多くいて、一緒に暮らし続ければ、いつまでたっても、正しく染まることはできません
魂レベルで浄化することなど、ほとんど不可能なのですね」
「バッカス・トワ・オルドールは、悪ではあったが、小者だったというわけか」
「はい。あれぐらいの悪は、可愛いものでしょう
ボルフ王国国王やその息子サムジもそうですが、あの程度の悪は、そこら辺に湧いて出てくるような者であって、本当に闇に入り込んだ悪は、そんなものではないのです
悪をすることが彼らにとって正義なのですから、いつまでたっても戦争や争い悲劇は、消えることはありません」
「セルフィ殿は、この世に、聖書の価値観”人権”を広げるために、毎週のように教会に民が通うことを勧めているというわけだな」
「はい。その通りです
人間を基準にすれば、愛や正義など存在しなくなります
同じ人間同士が、愛や正義を議論したところで、答えなど出ないのです
もともと、人間には、愛や正義はないのです
ないから、悪を行うことができるのです
クリスチャンであっても、人間であり、やろうと思えば、悪を行えるのです
このように、人は本当の愛や正義がないから、悪を行えるのです
だからこそ、本当の愛、神様の愛であり、神様が造られたこの世界の法則を”我”の上に置いて、それらに基準をあわせて、はじめて、愛や正義を固定できるようになるのです
人がどう考え、どう想うのかという感情論などは関係ありません
感情は、良いものでもありますが、悪の原則に沿って感情を使えば、さらにひどくなるように、感情よりも先に、基準となるものをひとりひとりが、心に宿す必要があり、それは、神の存在を知ることからはじまるのです
多神教であっても、神を心から信じている者たちには、自分ではなく、神の基準が宿っているのですね
神を信じていない者たちは、自分たちにも、愛や正義があると信じ込む場合がありますが、実際は、あらゆる昔から存在している宗教の教えが文化の中に宿っていて、それが生活の中に自然とあり、マインドコントロールされているからであって、その中心である神を否定すれば、その人がどれだけ愛や正義を語っても、犯罪者と変わらないレベルで、犯罪者を否定することもできないのです
私利私欲、自らの主観が正義であり、自分が神となり、自分中心に世界がまわっていると勘違いして生きるようになるのです」
「確かに、神を心から信じている者たちには、共通点があるな
神を利用する者は、別としてだがな」
「そうですね・・・。自称、クリスチャンと名乗っていながら、心の中では、神を信じず、畏れず、聖書を利用するような人もいますからね・・・
ですが、多くの人たちは、多神教であっても心から神を信じて、私利私欲に走っている者は、少ないのですね」
「ワグワナ法国に足りないと言われたことが、少しは理解できたきがするぞ
セルフィ殿
感謝する」
「聞く耳がガマル・ルィール・チェクホン殿下には、おありだったからです」
「わしは確信した
セルフィ殿。お主は、否定するかもしれんが、お主は間違いなく龍王の残した予言の者。伝説の天使だ」
勝手に確信されちゃったよ・・・。龍王が同じことを考えていたとは思えないんですが・・・。
女の勘、ならず、王族の勘でしょうか?
源は、少し苦笑いをしながら、受け流した。