新人騎士と大罪人と。
変態登場シーンパート2。
「貴様は自殺志願者なのか?下らない事をまだ言う気なら、次は本気で蹴るぞ」
――正しく、ゴミ屑を見る様な目つきで――イクスフェスは崩れ落ちて転がっている男を睨みつける。
「十分本気な癖に……ウヘッ……ゲホッ……マジで死にそう……」
苦しそうに床でのたうつマルストールを、イクスフェスは冷ややかな視線のまま、
「嘘を吐け。どうも毎回妙な手応えがすると思ったら……貴様、当たる直前に軸をずらして受け、自分から飛んでダメージを減らしているだろう。壁から落ちる時も受身をとっている筈だ」
「……あらら、バレちっち?流石機士様だね。今まで他の兵には気付かれなかったのに」
苦しそうに転がっていたのを止めムクッと起き上がる。兵士達から受けた暴行も、イクスフェスが投げつけた椅子や蹴りのダメージも殆ど感じさせない動きだった。
「全く……だから貴様の相手をするのは嫌なんだ。何だか自分が馬鹿らしく思えて来る」
溜息を吐き、先程自分が投げつけた椅子を拾い机の場所まで戻る。どうもマルストールは顔を合わせる度にイクスフェスを怒らせる様な言動を取り、彼女が本気で怒り始めるとこんな感じで肩透かしをくらう。真面目に相手をしても馬鹿を見るだけだ、と、椅子に座り直し、
「いいからさっさと読め。下らない事ばかり言っているとランプの油が切れるぞ」
「おっと、そうだった!」
イソイソと先程の場所に戻り、取り落とした本を拾い直して読み始める。
「やれやれ……こうしていると本当に子供の様だな」
あっという間に本に集中し出したマルストールに、イクスフェスは半ば呆れ、半ば感心する。奇妙な口調や掴み所の無い性格はともかく、知識に対する貪欲さは並はずれている。
マルストールが本に夢中になっている間、手持無沙汰になったイクスフェスは、自分も時間潰し目的で棚に並ぶ本を眺める。ここに並ぶ本の全てはイクフェスがオルトルスの依頼で数冊ずつ運び入れた物だ。大部分は持ち帰っているが、それでもここには六十冊近く並んでいる。
ジャンルは様々、と言うよりも無節操で、マルストールは文章が書かれていれば何でも読む。歴史書や算術の研鑽書、戦術理論や経済論などの実用書から他国の風俗書や娯楽小説に料理本まで揃っている。中にはただの古地図を集めた本まである。
それらの中から適当に一冊抜き取り、パラパラと捲る。古い建築物の設計図に、現代建築家が注釈を与えた技術指南書だった。
「……こんな物を読んで何が楽しいんだ?」
イクスフェスも読書自体は嫌いでは無い。機士と言う立場上ある程度の勉学は必須だ。だが、流石に建築家向けの専門書など全く興味が湧かない。すぐさま棚に戻し椅子に座り直す。
当然の事だが、地中に作られている牢獄の中は静かだ。聞こえる音と言えばマルストールが時折捲るページの微かな音と、それに合わせて鎖枷の立てる耳障りな音程度で、後はひたすら静寂が続く。明りもランプ二つだけではハッキリ言って暗い。
要するに、特にやる事が無ければ牢獄の中と言うのは実に暇な物だ。時間の感覚はあっという間にマヒするし、気を紛らわせる物も本以外無い。だから、
「貴様の推理とやらは……あながち間違いでもない」
と呟いてしまったのも、暇ゆえの気の迷いと言う物だ。呟きは小さかったので、マルストールの耳に届かないと思っていた。が、
「え、本当にノーパンだったの?」
しっかり聞こえていた様で、ガバッと顔を上げグルンッとイクスフェスに顔を向ける。——髪に隠れているのでハッキリとは分からないが――何となく、彼女のズボンに視線を集中させている事が感じ取れる。
「っ……!ち、違う!ちゃんと穿いている!いや、そうじゃない!いい加減パンツを忘れろ!」
棚から分厚い本を抜き出し、投げつけようと振りかぶる。が、この本の所有者は彼女の主である訳で。流石に投げる事が出来ず、威嚇する様に喉の奥で唸るだけに留める。
「そうではなくて……私が周りの連中から妬まれている、と言う話だ」
仕方なく、なんと無しに手にした本でズボンを隠すようにしてため息を吐く。
「私から言わせれば、良い迷惑だ。『六人目』の部下……と言うのは聞こえは良いが、実際やっているのは……見ての通りの雑用だ。こんな仕事のどこに妬まれる理由がある」
暗に、貴様のせいでこんなくだらない仕事を押しつけられている、と恨みがましい視線を向けると、マルストールは軽く肩を竦めて本に目を落とす。
「武勲を立てる場も評価される様な仕事も与えられず……ならば練兵所で鍛錬し、腕を磨く他に鎧鋼機士として生きる道が無い。だが……訓練所時代から一度も勝てない相手が居る。今日も模擬戦闘でそいつに負けた」
「ふーん……イクちー弱いの?」
「ぐっ……やかましい!」
面と向かって弱いのか、と聞かれればイクスフェスでなくとも怒りたくもなるだろう。だが実際、イクスフェスの戦績は良い方では無い。アルスタ以外の同期とは勝ったり負けたりで、ギリギリ平均と言える戦績なのだが、やはり彼に全敗しているのが響き――彼と最も対戦しているのが彼女と言う落とし穴があるのだが――トータルでは下から数えた方が早い勝率だ。
気が付けば、本から目を離さないマルストール相手に盛大に愚痴っていた。
今日の試合で呆気なく負けた事、ここぞと言う場面で鎧鋼機兵の動きが鈍る事、アルスタが同期相手に無敗であるにも関わらず、自分が負けるとこれ見よがしになじられる事、その他諸々を、日頃堪った鬱積を晴らす様に全て吐きだす。
「私が勝てないのは事実だ。だから自分の事を悪く言われるのはまだ我慢できる。しかし、その事でオルトルス様まで馬鹿にする様な発言は我慢できない」
どれ程の時間、マルストール相手に愚痴を言ったのか。イクスフェスはふと我に返る。
「……何をしているんだ私は……罪人相手に愚痴を言うなど……」
今日の自分はどうかしている、と眉間に皺を寄せ頭を振る。と――
「イクちー、鎧鋼機兵の不調って咄嗟に動こうとした時によく起きるでしょ?」
それまで黙って本を読みつつ愚痴を聞いていたマルストールが、相変わらず本に目を向けたままイクスフェスに聞いて来る。
「……何故解る?」
「何と無く。それは多分出力調整の設定と、イクちーの戦闘スタイルが合って無いせいだよ」
「馬鹿を言うな。調整は真先に済ませてある。訓練所で教わった通りに……」
「訓練所で教えるのは共有のでしょ?機体ごと機士ごとに癖が有るんだから調整しなくちゃ」
パラリとページを捲り、大して興味の無さそうな口調で言う。
「話を聞く限り……イクちーは守りを固めつつ隙を見つけて闘う、防御主体の戦闘スタイルでしょ?多分攻撃に転じる瞬間や突発的な防御の際、四肢の出力が追いつかないんだろうね。もう少しパワー寄りの設定に変えると良いと思うよ」
「……何を適当な事を……出力の個別調整だと?」
「って、この本に書いてあったから言ってみたんだけど。どう?当たってた?」
と言って、ピラりと本の背表紙を向ける。イクスフェスが持ってきた鎧格技師(鎧鋼機全般の基本骨格を作る専門技術者の事)の論文集。
「貴様……思わせ振りな事を言って……本の受け売りだと……?」
やはりこの男はいけ好かないとイクスフェスは改めて思う。殴ってやろうかと拳を握りしめて睨みつけるが、当の本人はどこ吹く風で続きを読んでいる。
「貴様に話した私が愚かだった……本当にどうかしているな、私は」
今殴ってしまうと愚痴を言った腹癒せの様になってしまい、それは流石にイクスフェスの矜持が許さず、グッと我慢して深く椅子に座り直す。
互いに無言になり、牢獄の中は再び静寂に包まれる。そのまま数時間が過ぎた頃――
「んっ……と、結構良い時間になったかな……?イクちーそろそろ帰った方が良いんじゃない。余り長くいると外に出た時辛いよ?」
二冊目を読み終えたマルストールに言われ、イクスフェスは机の上のランプの油残量を確認する。が、結構な時間が経っていたが殆ど減っておらず、僅かに二分目程減っているだけだ。
「そうだな……区切りも良さそうだし、そうしよう。持ち帰っていいのはどれだ?」
「上の段のヤツ全部いいよ。オルトルス様にお礼言っといて。あ、後、油追加してくれない?」
苦笑し、来るときに持ってきていた予備の油壺をそのまま机の上に置く。それから棚の上段にある本を持ってきた包みに仕舞い、
「次の予定日は五日後だ。……どうせその前にまた急に来させられるだろうが」
マルストールに言うと、彼は早くも二冊目を手にし、イクスフェスの方を向く事無く、
「解った。次に会う時を楽しみにしてるよ。その時には是非スカート姿で宜しくー」
「絶対に穿いて来るものか!貴様、余程私に蹴られたい様だな!?」
「まっさかぁ、別に僕はмじゃないし。ちょっとしたお茶目な会話ってヤツじゃない。あ、でも生足で踏みつけられると言うのも……うん……そそられる物が……ウフッ……」
「下らん事ばかり言ってると、次からは本の差し入れは無しだぞ!」
怒鳴る様に言うと、マルストールが「えーっ!」と抗議の声を上げるが、イクスフェスは取り合わず牢獄の扉の外に出ると、腹立ち紛れに勢いよく扉を閉めた。
「全く腹の立つ!ええぃ、これから一時間かけて戻らねばならないかと思うと余計だ!」
文句を言いつつ、乱暴な足取りで監視兵の待機所まで戻る。不機嫌な様子の彼女に、監視兵達はイソイソと手続きを進め、その間イクスフェスはずっとムスッとしたままだった。
手続きを終わらせ、気の遠くなる様な長い螺旋階段を上る間も、イクスフェスは不機嫌な顔のままだった。『大罪人』マルストール。あの男と会った後、彼女は何時も不愉快な気分になる。あの馴れ馴れしい口調が理由ではない。あの存在の異常さが言い知れぬ不快感を与えて来る。
あれは一種の怪物だ、と言うのが最近のイクスフェスの、マルストールに対する評価だ。
イクスフェスは今日、かなり長い時間牢獄の中でマルストールと共に居た。恐らく十二時間前後は居た筈だ。だが、実際には二時間と少ししか過ぎていない。
「……あんな所に三年も居て正気を保っていられるなど……」
常人の神経では無理な話だ、とイクスフェスは思う。マルストールが投獄されているのはただの牢獄などでは決して無い。古の時代に拷問部屋としても用いられ、現在では殆どの国で使用が禁止されている、人道から外れた牢。
通称、刻の牢獄。本来この国にあってはならぬ最悪の牢獄だ。
牢の壁や床に使われているのは特殊な鉱石から作られた物で、内部にいる人間の、時間経過感覚を引き延ばす特異な性質を持つ。延ばされる時間はおよそ六倍と言われている。
即ち――外での一時間があの内部では六時間に相当する、と言う事だ。
二日前に会ったばかりのイクスフェスに、「久しぶり」と言ったのも、彼にとっては十二日も前の事だと言う事。つまり、彼はもう二〇年近く光の無い牢獄に居る事になる。
しかし、引き延ばされるのはあくまで内面的な部分だけで、肉体には三年は三年でしか無い。それがどれだけ過酷な事か、イクスフェスにはよく解る。
この牢獄に初めて訪れた頃、牢の中と外との時間のズレから、精神を失調しかけた事がある。何せ、たった二時間あの中に居ただけで外と半日のズレが生じる。つまり、あの牢獄に長く留まれば留まる程、精神的な年齢と肉体の年齢が開いて行くと言う事。精神だけがドンドンと老いて行く。それがどれ程の恐怖を感じる物か、そればかりは経験しなくては解らないだろう。
過去の記録では、刻の牢獄に投獄された者は二ケ月程で殆どが発狂したという。
「それを三年以上耐え抜いているとは……その精神力だけは素直に感心する」
想像を絶する程の信念か、あるいは強固な意志が無い限り不可能な事。自分には到底真似が出来ない、とそこだけはイクスフェスも認める。
「要するに『大罪人』の名は伊達では無い、と言う事だ。どれだけおどけた態度やふざけた言動を取ろうとも、決して油断してはならない」
そんな用心せねばならない男相手に、愚痴を言ってしまった自分に対して、改めて腹が立つ。
――次に来る時は絶対に慣れ合う様な真似はすまい――
そう自分に言い聞かせ、イクスフェスはひたすら長い階段を登って行った。
☆☆☆
「やれやれ……相変わらず冗談の通じない騎士殿だ……」
イクスフェスが去った後も、彼女が届けた本を読んでいたマルストールが一人呟く。
彼女には胡散臭いと言われたが、彼的にはこの喋り方の方が、ここ最近馴染む様になって来ている。あの子供じみた喋り方の方が余程胡散臭いと感じる。既にそんな年でも無いと考えてしまう程、自分が精神的に老いているのだと彼は自嘲的に思う。
「肉体はまだ若い筈なんだがな……どうも最近考え方は年寄り臭くなって来ている気がする」
刻の牢獄の中では時間経過が唯でさえ遅いと言うのに、更に暗闇に支配される牢内では、殊更長い年月過ごしているかに感じてしまう。
「まだ三年と三ヶ月……十九年半、か。だがもう三十年以上投獄されている気分だ……」
重たい鎖の枷が嵌められた腕を緩慢に動かし、ページを捲る。この牢獄の唯一つ良い面は、ランプの油が長く続く所だと彼は思う。
「まぁ、ただの感覚的な物だがな。それでも、本を読み終えてもお釣りが来る程度に長く持ってくれるのには助かるがね」
イクスフェスが置いて行った油が切れてしまえば、後はただひたすら闇の世界が続く。次に彼女が来る五日後まで――彼の感覚では一ヶ月は闇の世界に居なくてはならない。
そんな長い時間、闇に閉ざされた世界で、果してこれ以上正気を保てるだろうか。そう考えて――ズキリ、と鈍い痛みが身体の各所で疼く。
「ははは……軸をズラして受ける、か……それでも痛い事に変わりは無いと、あの機士殿は解っているのだろうかね」
ジャラッと鎖を鳴らし、監視兵やイクスフェスに蹴られた痕を軽く摩りながら、マルストールは呟く。実の所、軸をズラしても受ける痛みは殆ど大差が無い。ただ単純に、何時までもダメージが残る事が少なく、重症になりうる怪我をしにくいというだけだ。顔を殴られれば腫れるし、腹を蹴られれば内臓が飛び出そうな程痛い。
「少々からかい過ぎたか……?割と容赦なく蹴られたからな……暫く食事はできそうにないな」
もっとも食べる物など無いがな、と自分で突っ込む。
いや、無い方が今は有り難いと思う。空腹や監視兵に受けた暴行、イクスフェスに蹴られたことも、手足の自由を奪う鎖の枷も、今のマルストールにとっては大事な意味がある。
この地獄の様な牢獄で正気を保つためにはこの痛みと苦しみが必要だったから。
何故なら、困った事に彼には自分の命に対しての執着が殆ど無かった。むしろ死にたがっていると言っても良い。とは言え、
「正気を保つ……か。果して本当に正気なのかね。既に狂っているのかもしれないと言うのに」
自分が正気であるかどうか。実の所、マルストール自身には全く自信が無い。
彼は己が『大罪人』であるという事も、自分の愚かな行いのせいで――本当に多くの人が死んだ事も、十分に自覚していた。ここの監視兵の中にも、彼のせいで家族を失った者は何人もいる。彼等が復讐を望むのなら、喜んで討たれてやりたいとすら思う。
そう思えてしまう程、この牢獄での生活は過酷であり長過ぎた。
しかし、それを選ぶ事はマルストールには許されない。安易な死によって救われる事など出来ない。怨まれようと、憎まれようと、暴行を受けようが、枷を嵌められようが、惨めに這い蹲って生にしがみ付かねばならない。その為にこの牢獄に繋がれているのだから。
だが、刻の牢獄での長い年月は、その決意を簡単に過去に追いやってしまう。早く死んで楽になりたい
という甘美な欲求が決意を鈍らせる。だが――
「この痛み……あの憎しみ……これがあれば忘れずにいられると言う物だ」
呟き、殴られて腫れた頬を指でなぞる。これこそ怒りと憎しみの象徴だ。監視兵達の、否、大陸全土で彼を怨む者達の怨嗟と言う楔だ。それが彼に生を手放す贅沢を許させない。投獄された時の決意を忘れさせない。他人の悪意だけが今の彼が生き続ける糧だ。
「こういう考え方自体、既に狂っているのかも知れんな。だが……それでも良い。狂人なら狂人らしく、精々見苦しく無様に足掻いて生にしがみ付いてやろう。でなくては、折角のオルトルス様の好意を無駄にすると言う物だ」
自分に言い聞かせるように呟き――読みかけていた本に目を落とす。
と、側に置いた本に目が留る。それはイクスフェスが居た時に既に読み終えた論文。思わず笑いが込み上げ、それを手に取る。
「この本に書いてあった、か……ははは、少し無理があったかな」
イクスフェスとの面会中、思わず口を滑らしてしまった事を思い返して苦笑いする。この本を書いたのは鎧鋼機の骨格とも言うべき鎧格を作る技師。つまり、骨組みについての論文でしかなく、完成機体の出力調整の事など書かれている訳が無い。
「あまり肩入れする気は無いのだが……機士殿に少々サービスし過ぎたか?」
マルストールは、イクスフェスの真直ぐで一本気な性格を結構気に入っていた。生真面目で融通の利かない点が目立つが、見逃すべき部分は見逃せる柔軟さもある。将来は必ず良い機士になれるだろう。そんな彼女の伸び悩んでいる様子に、ついアドバイスしてしまった。
「本当は自分で気が付かねばならぬ事なのだが……まぁ、あの様子では信用しなそうだな」
生真面目な女性機士の不機嫌顔を思い起こし、喉の奥で笑いながら――折角彼女が継ぎ足してくれた油が残っている内にもう一冊も読み終えてしまおうと、読書を再開した。