大罪人。
変態登場。
1/27に文字化け、誤字修正。
無人の牢獄で、当然答える者は誰もいなかったが――彼女は気にすることなく、先程の兵士達が居た付近にあったゴミの塊の様なものに近付いていく。
「む……?返事が無い……な。どうやら今日は相当やられたようだな……生きてるか、おい?」
言いつつ、足でゴミを軽く蹴飛ばす。と、突然ゴミの塊がモゾモゾと動き、
「……ん?何だ、終わっていたのか。ふあぁぁっ……って、おや。機士殿ではないか」
ゴミの塊から、アクビ交じりの、しゃがれた老人の様な生気の乏しい声が返ってくる。
いや、生ゴミの様に見えるがこれは人だ。投獄された時から着たままだと言う衣服は垢と埃に塗れあちこち擦り切れ既にボロ布と化し、ろくに手入れされていない灰色の髪はボサボサで背中と顔の中程までを覆い、当然風呂にも入れてもらえない体からは異臭が漂っている。
そんな風体の人間が地面に寝転がっていれば、ゴミにしか見えないのも当然だ。
「貴様……まさか寝ていたのか?」
「まさか。殴られたり蹴られたりしながら寝られる人間など……あふっ……居る訳無い」
「……アクビしながら言われても説得力がないな……いいからさっさと起きろ」
呆れながら言うと、生ゴミみたいな男は地面に寝転がったままイクスフェスを見上げ、
「そうは言うが、流石にこれだけ暴行を受ければ暫く動けぬよ、機士殿」
酷く弱々しく、疲れ果てた声で言うが、イクスフェスは不愉快そうに顔を顰める。
「一つ聞いても良いか?何だ、その機士殿って呼び方は?」
「以前、私が機士殿の名前を呼んだら激怒したではないか。だから気を使ってみたのだがね」
「……何時も通りに喋れ。その胡散臭い喋り方の方が余程不愉快だ」
「そう?じゃ、そうしようか。所で僕からも一つ聞きたい事があるんだけど?」
途端――ガラリと口調が代わる。それまで酷く年寄りじみた声と喋り方だったのが、今はまるで子供の様に砕けた口調だ。
「イクちー、たまにはスカート穿いて来ない?折角、ローアングルで寝転がっているのに、何時も通りの機乗服姿じゃ何の面白みも……」
最後まで言わせず、寝転がったままの生ゴミ男の腹を蹴り飛ばす。
「その馴れ馴れしい呼び方と、ふざけた事をぬかすから激怒するのだろうが!」
頭に血が上っていたので、割と手加減無く蹴ってしまい、生ゴミ男は「グハァッ!」と苦痛の悲鳴を上げて壁の方まで飛んで行き、背中を打ちつけてベシャリと潰れる。
「ゲホゲホっ……痛いなーもー。何時も通りで良いって言ったじゃん」
大して痛くも無さそうに、アッサリと起き上がりながら生ゴミ男が文句を言う。
「……何が動けないだ。全然堪えてないじゃないか」
イクスフェスが睨みつけると、生ゴミ男は軽く肩を竦め、そのまま壁際に座り込む。ジャラリと言う金属音が同時に響くが、これは生ゴミ男の手と足に鎖の枷が嵌められている為だ。
この掴み所の無い、奇妙な男こそ――この牢獄の住人、『大罪人』マルストールその人だ。
実際良く解らない男だ、とイクスフェスは思う。顔は元々髪で隠れている上に、頻繁に兵士達から暴行を受けており、今も顔が腫れ上がっていて輪郭がはっきりしないし、半分以上白髪の、まだらな灰色の髪がこの男が何歳なのか解らなくしている。
声も、今はまるで十代の少年の様に聞こえるが、先程の様な喋り方をすると、老境に差し掛かった年寄りにも聞こえる。かなりの小柄で、イクスフェスの胸元くらいまでしか背丈が無く、全体的には人生に疲れた老人の様にも、生きる希望を失った子供の様にも見える。
「で?久しぶりに来て、一体何の用?今日はまだ面会日じゃない筈だよね?」
抑揚に乏しい、どこかやる気の感じられない声でマルストールが言う。この生気の乏しい声も、彼の年齢を解り難くさせるのに一役買っている。
「……一昨日来たばかりだ。今日はオルトルス様から届け物を預かって来た」
そう言って手にした包みをマルストールに見せる。
「前から頼まれていた物がようやく見つかったとかで、お前に早く届けて欲しいと言われた」
「え、本当?いやぁ、有難う!」
ジャラジャラと鎖の枷を鳴らし、まるで飛び付く様にしてイクスフェスから包みを受け取る。
「おお……モンストル様の旅行記にメリアスト国の鎧格技師が書いた論文!よくも手に入った物だ……オルトルス様に感謝せねばな……これは実に有難い!」
包みの中は二冊の本だった。この世界で本は貴重品で庶民には中々読む事が出来ない物だ。その本を手に、マルストールは先程の、酷く年寄りじみた口調に戻り感動に肩を震わせている。
「イクちー、明り、明り!早くランプを貸してよ!」
「……だから……私をその馴れ馴れしい呼び方で呼ぶなと……」
再び子供じみた口調で言われ、怒りの眼でマルストールを睨む。が、当の本人は手に取った本に夢中で、既にパラパラとページを捲り始めている。まるで玩具を与えられた子供の様な様子に、イクスフェスは怒りを持ち続ける事が馬鹿馬鹿しくなり、
「全く……少しは待て。今火を移してやるから」
苦笑しつつ隅っこにある棚からランプを取ると、懐から油壺を取り出して補充し、自分が持ってきたランプの火をそれに移し、壁際にいるマルストールに渡す。
礼もそこそこに本を読み始めたマルストールに、ヤレヤレと肩を竦めて先程の棚の隣にある机に向かい、椅子を引き出し座る。彼が本を読んでいる間、ここが彼女の場所となっている。
家具らしい物はこの棚と机だけ。牢獄なので当然と言えば当然だが殺風景この上なく、他にある物と言えば、遥か以前は毛布だったらしきボロ布と、隅にあるトイレ用の壺。それから――棚にビッシリと詰められた本。この本棚が殺風景な牢屋の中で異彩を放っている。
この部屋にランプもあるが燃料となる油は配給されず、使い切ってしまえば後は暗闇に閉ざされてしまう。その為、オルトルスの計らいでマルストールが本を読む明りを提供する為にイクスフェスはこの場に留まる様に命じられている。
「しかしまぁ……変わった奴だな、貴様は。投獄されている者なら本などよりも他に、余程欲しがる物があるのではないか?」
この、良く解らない雑用を命じられてから三ヶ月。最初の頃こそ黙々と椅子に座って待機していたが、流石に最近は手持無沙汰で、つい話しかける様になっている。
「食料だとか衣類だとか寝具だとか……貴様とオルトルス様との関係は解らんが、頼めば計らってもらえるだろうに」
「んー?そんなの頼むだけ無駄だよ。イクちーの前に差し入れに来ていた人が何度か持ってきてくれたみたいだけどさ。大体がそれ(、、)と同じ扱いをうけているよ」
本から視線を外さず、マルストールは床に転がっている食糧……だった物体を指差す。
「『裏切り者にこんな贅沢な物は必要ない!』とかナントか言ってさ。食べ物は、たまーにそのまま届けてくれるけど……そういう時は大体毒が入っていたねー」
大して興味無さそうな口調で言うが、聞き捨てならない事を口にする。
「……毒だと?」
「ああ、以前は、の話だよ。その当時の監視兵は全員オルトルス様が代えてくれたし……最近はそもそも食べ物なんてマトモに運んでくれないから」
毒の話は彼女も初耳で、まさか兵士の中にそんな事をする者がいるとは、と苦く思う。だが同時に仕方ないとも思う。彼女自身、何度もこの男を殺してやりたいと思っていたから。
イクスフェスだけではない。ゼスター国、いや東方地域に住む者ならばこの男の事を恨まない者など居ないだろう。出来る事ならば、この手で殺したいと願う者も少なくない筈だ。
『大罪人』マルストール。本来ならば死罪になっていてもおかしくない男。彼の事をイクスフェスは良くは知らない。東方領生まれだ、と言う以外は年齢も育ちも殆ど知らない。
だが、彼が犯した罪は知っている。東方人なら知らない筈が無い。大戦中、彼のせいで多くの同胞が死んだのだから。
帝国との大戦の最中、東方人でありながら連合軍内部に潜り込み内部情報を帝国に流し、連合軍に大きな痛手を与えた男、それがマルストールだ。
連合結成以前、流浪の身にあったトリスタンを擁護していたリスリア国王が盟主となり、中部地域の国々の首脳と同盟を結び帝国に対抗しようとした動きがあった。
その会合の日時と場所を帝国に洩らしたのがマルストールだ。結果、会議の場所に選ばれていた都市が急襲され――各国の代表と都市の住人約六十万人が皆殺しになり、都市は廃墟に、同盟は頓挫する事になる。
その混乱を鎮め、他国との連合を築き上げたのがトリスタンである。
彼が決起すると、当時の東方領だけでなく多くの東方地域の属領が同盟参加に名乗りを上げた。しかし、その情報もマルストールによって全て帝国に報せられ――東方地域は地獄と化した。参加の名乗りを上げた属領地は尽く焼き払われ、皆殺しにされ、多くの主要都市が廃墟になった。この虐殺で殺害された人数は三千万とも四千万とも言われ、イクスフェスの兄も、この暴挙を止める為に出陣したオルトルスに着き従い、帰らぬ人となっている。
結果的にこの虐殺が切欠となり、東方領は帝国から離反し連合に参加し、多くの属領もそれに続く事になり、巨大帝国を滅ぼす一因となった。
その後も、マルストールは連合内部に潜伏し続け、帝国が滅びるまで情報を流し、連合の受けた被害の殆どは彼が流した情報が原因だと言われている。
これが、マルストールと言う男が『大罪人』あるいは『裏切り者』と呼ばれる所以だ。
監視兵達が暴行を加えたり嫌がらせをしたりするのも頷けるし、イクスフェスが見て見ぬふりをするのも仕方が無い話と言える。何より帝国に情報を流していたのが同じ東方人であった、という事実は、ゼスター国民の矜持を甚だ傷付ける物だった。
戦後間もなく彼が捕縛された時、東方地域に住む多くの者が彼の死を求めた。だが、ゼスター王は復讐の為の死罪を望まず、また終戦直後に新たな血を流す事をよしとしなかった。
結果として、マルストールは終身刑と言う、その罪の大きさに比べたら軽い刑を科せられ、この地下深い牢獄に繋がれる事となっていた。
投獄場所は極秘とされ、民衆には知らされず過剰なまでの監視を付けているが、それでもやはりこの男に殺意を持つ者は後を絶たないのだろう。
彼女自身、兄の敵とも言えるマルストールに怨みを持っていたが晴らす機会は無く、オルトルスに命じられて面会に来るまで、投獄先は知らなかった。
「本だけは高価だしオルトルス様の私物扱いだからね、手を出さないみたいだよ」
そう言ってマルストールは読んでいる途中の本をヒラヒラと振って見せる。この二冊だけでなく、棚にある本全てがオルトルスから渡された本だ。
「本はいいよ。人が発明した偉大な文明さ。腹は満たされないけれど、代わりに頭と心が満たされる。何より退屈が紛れるしね。イクちーもここに居れば本の有難味が解るよ」
「貴様のはただの自業自得だろうが!」
他人事の様な言い草に、イクスフェスが険しい顔で言うが、当の本人は「そりゃそうだね」と、やはり他人事の様な口調で呟き、本に視線を戻す。
「……全く、何でオルトルス様も、こんな罪人に肩入れするのか……」
イクスフェスは机に肘を付き、溜息を吐く。一説によれば彼の死刑に最も反対したのが『六人目』オルトルスだったと言われている。噂の域を超えない話ではあるが、自分の状況を見ればまず間違いない話だ、とイクスフェスは思う。
オルトルスやマルストールの会話から、何と無く二人は以前からの知り合いではないか、とイクスフェスは最近思うようになり、最初の頃程にはこの男に対して殺意を持たなくなった。
だが、それでもこの男は好きになれない、とイクスフェスは思う。彼女自身理由は解っていないが、何故かこの男を見ていると言い知れぬ不愉快さを感じてしまう。
暫し会話が途切れ、薄暗い牢獄にページを捲る音だけが流れる。と、
「所でさー、さっきから気になっている事が一つあるんだけど?」
相変わらず顔は本に向けたまま、マルストールが抑揚に欠ける声で言いうので、それが自分に問いかけている事に気が付くのに数秒かかった。
「……何だ?言ってみろ」
「イクちー、今日はノーパン?」
イクスフェスはガタッと勢いよく立ちあがり、座っていた椅子を掴むとマルストール目がけて力一杯投げつける。手加減無しで放った椅子は狙い違わず頭に直撃した。
「ふんぎゃっ!」
と、マルストールは悲鳴を上げて数メートル程床を転がった。かなり危ない当たり方と転がり方をしたのだが、
「だから痛いってば!いきなり何するのさ!」
蹴られた時と同じく、アッサリと上半身を起こして文句を言いうが、イクスフェスは無視してマルストールに近付き、胸倉を掴んで強引に床から引き摺り上げる。
「貴様は自分の立場が解っているのか?私にそんなふざけた口を聞くなと何度言えば解る」
片腕で首を締め付ける様に釣り上げると、マルストールは苦しそうに悶えるが、構わずそのままの状態で、押し殺した声で言う。
「私は貴様の味方でも何でもない……オルトルス様の命令があるから我慢しているだけだと言う事を忘れるな。余り舐めた口を利いていると本気で殺すぞ?」
掴んでいた手を離すと、マルストールの身体は崩れる様に地面に叩きつけられ、苦しそうな呻き声が上がる。と――
「ゲホッゲホッ……流石鎧鋼機士様。今のは中々効くね。死にそうな感じが快感になりそう」
全く懲りていない様子でマルストールが例の抑揚の欠ける、人事の様な口調で言う。
「でも殺しちゃうのはマズイんじゃないかな。一応オルトルス様から止められてるんでしょ?」
「貴様……」
足元を見た様な言い草に、流石にイクスフェスも頭に来る。確かにオルトルスからは獄中死しない様に便宜を図ってほしいと依頼されている。しかし心の片隅に、主に逆らってでも殺してやりたいと言う思いもある。この男は、東方地域の人間にとって仇とも言うべき人物だから。
「別にからかっている訳ではない。流石に殺されるのは困るからな。不用意な言葉を用いた事は謝るが、これでも理由があって尋ねたのだがね」
マルストールが爺臭い喋り方に戻り、締められた首元を摩りながら言う。
「理由だと?」
「先程も気になると言ったのだが……今日は何時にも増して不機嫌ではないかな、機士殿?」
「それがどうした。私の機嫌が貴様に何の関係がある?」
「確かに関係は無い。しかし折角の話し相手、気になるのも無理はあるまい?」
「……私は貴様の話し相手になった覚えは無い」
「ははは、そう邪険に扱わずともよいだろう。ともかく、頻繁に顔を合わす相手ともなれば、様子がおかしければ気にもなる。とは言え直接聞くのも無粋だ。そこで、私なりに機士殿の機嫌が悪い理由を推理してみたのだよ」
「……激しく嫌な予感がするが、一応聞いてやる」
「機士殿は今年任命を受けたばかりと聞く。しかも配属先がオルトルス様の下……つまり英雄の部下と言う訳だ。となると、当然古参の者や同期からあらぬ妬みを買うだろうな」
「……」
正しくその通りだ。朝の練兵場での出来事を思い出し、イクスフェスは黙り込む。
「若くして女性エリート機士。他の機士から見れば面白い筈も無いだろう。プライドの高い機士連中だ、嫌がらせの一つや二つして憂さを晴らしたいと思う物だろう」
マルストールが彼女について知っている事は、新米機士である事とオルトルスの部下という二つの情報だけの筈だ。その僅かな情報から、ここまで正確に彼女の周囲の状況を推理した事は、少なからずイクスフェスを驚かせた。
「つまり、機士殿はここを訪れる前、何かしらの嫌がらせを受けて来たと見るのが自然と言う物だ。そして……機士殿がこの牢獄に入って来た時、偶然気が付いてしまったのだよ」
「……何をだ?」
途端、ニマッと口元を歪ませ、
「下から見た時に、イクちーのズボンには下着のラインが見えなかった!そこから推測すると、他の機士が嫌がらせでパンツを隠した!だから仕方なくノーパンのまま……」
「真面目に聞いた私が愚かだった」
ウンザリとした顔で、マルストールの腹部を容赦無く蹴り付ける。機士として厳しい訓練をしてきたイクスフェスの蹴りは、それだけで内臓を破裂させられる程の威力を秘めている。
「グヘェッ!」
潰れた蛙の様な声を上げ、またまたマルストールの身体は数メートル吹き飛ばされ、牢獄の壁に激突し、ベシャリと派手に床に崩れ落ちた。
良くも悪くも――イクスフェスと言う新人騎士と、大罪人マルストールとの関係性は、出会ってからこの方、大体この様な物であった――
長いので分割。変態との会話は次も続きます。