六番目の英雄。
2/3 サブタイトル変更。
と、言うか、最初からこの項に付けようと思っていた
タイトルを忘れていて、何やってんだワシは……( ゜Д゜;)
「わざわざ呼び戻して済まないね、イクスフェス。訓練の邪魔をしたようだね」
練兵場から直行した彼女に、質素だが品の良い作りのベッドの上から、
やや弱々しい声が掛けられる。
「いえ、予定していた鍛錬は済んでいますのでお気になさらず」
そう言ってベッドに上半身だけ起こした人物に恭しく頭を下げた。二十歳そこそこの、線の細い感じの青年で、一見しただけで重病だと解る程目の前の人物は弱りきっていた。
「それで……本日はどのようなご用件でしょうか?」
頭を下げたままイクスフェスは言う。が、聞くまでも無く要件は解りきっていた。
「ああ……前から頼まれていた物が偶然手に入ってね。次の予定日までは大分あるし……済まないけれども、持って行ってあげてくれないかな?」
やはりか、と内心溜息を吐く。もっとも、他の要件で呼ばれる事など無いのだし、と諦めにも似た気持ちでいると、それが解ったのか、ベッドの上の人物は心から申し訳なさそうに、
「ごめんね、イクスフェス。本当なら鎧鋼機士の君に頼む様な事じゃないと解っているんだけど……僕には他に信頼できる人が居ないんだ」
消え入りそうな声で言われれば、イクスフェスとしても恐縮する他は無く、
「そんな……勿体ないお言葉です、オルトルス様」
深く頭を下げる。この病床にある青年こそ彼女の主であり、王国の民が敬愛する――オルトルス・ゼスター第四王子その人だ。外見だけ見れば人好きのする好青年に過ぎないが、数々の武勇伝を持ち、ゼスター国では英雄王トリスタンと並ぶ程の名声を誇る。
大戦中まだ帝国の属領だった頃に帝国の監視を潜り、身分を隠して連合に味方する。その後連合と東方領との橋渡しをし、連合軍が勝利を収める一因を作った人物だ。
元々身体が弱かったが、大戦での無理が祟ったのか帰国後すぐに病床に伏せ、戦後三年経っても症状は悪化する一方で、ベッドから半身起こすのがやっと、と言う程弱っている。
現在は王都近郊の小さな街に位置するこの邸宅でひっそりと養生生活をおくっており、配下と呼べるのは邸宅を取り仕切る衛兵が数名と今年加わったばかりのイクスフェス位だった。
「私はオルトルス様の部下です。ですから過度のお気使いは無用です」
「有難う……今はその言葉に甘えさせてもらうよ」
そう言って病の色が濃い顔に笑みを浮かべる。心底嬉しそうな笑みに、イクスフェスは嬉しさを覚えると同時に悲しみも覚える。
東方地域に住む者の誇りでもある『六人目』の英雄。その下で働けると知った時、彼女は運命だと思った。それはイクスフェスが鎧鋼機士になろうとした動機と密接に関係していた。
イクスフェスには兄が居た。東方領時代から彼女の家系は武門の出で代々鎧鋼機士を務めており、兄も大戦中はオルトルスに付き従い連合に参加していた。
残念ながら、兄は大戦中に帰らぬ人となっているが、同じ部隊の隊員に兄は『英雄王』トリスタンを守って命を落とした、と伝え聞いた。
『英雄王』トリスタンは、帝国の支配で地獄の様な圧政に喘いでいた東方人のみならず、大陸すべての住人に、圧政からの解放と言う「希望の光」を見せた、奇跡の様な存在だ。その彼を支え、共に帝国打倒を成した『六英雄』達も、共に希望を象徴するかのごとき存在だ。
大陸中に希望の光を見せた『英雄王』を――兄が命がけで守り支えた。その彼と共に闘い、偉大な英雄に友と呼ばれた男――希望の象徴である『六人目』に自分が仕える。
その事に、イクスフェスは言い知れぬ興奮を覚えた。これは運命だと思った。
しかしオルトルスに面会した時、その思いは儚く崩れ去った。『六人目』オルトルス・ゼスターは死病に侵されていた。医者でもない彼女の眼からも、彼の命は持って後数年程度と思えた。
ならばせめて、とイクスフェスは決意した。オルトルスの命がある限り、彼の力になろうと。どんな無茶な命令も甘んじて受けよう、と覚悟を決めた。のだが――
「と言う訳で、早速で悪いのだけど……表に馬は用意してあるから、今から向かってもらえるかな。急げば午後には到着する筈だよね?」
快諾したよね、と言いたげな、とても病人とは思えない爽やかな笑顔と共に差し出された包みを眺め、イクスフェスの顔が若干引き攣る。
――のだが、この無意味な命令だけは、どうにも納得がいかない――
とイクスフェスは思う。この様な頼みごとは、彼女で無くとも勤まる筈だし、最近ではまるで思いついたかのように、昼夜を問わずに呼び出され、しかも毎日呼び出される事もある。溜息を吐きたいのを何とか堪え、恭しく包みを受け取った。
イクスフェス・ティアードが『六人目』の英雄オルトルス・ゼスターに仕えてから三ヶ月。彼女に与えられた任務とは、とある人物への連絡兼荷物運搬係。簡単な言葉で言えば――
ただの雑用だった。
☆☆☆
オルトルス・ゼスター第四王子。ゼスター国で彼の名を知らぬ者は居ない。誰もが彼の功績を称え、惜しみない称賛と憧れを向ける、『六人目』の偉大な英雄。彼と同じ国にある事をゼスター国の民は誇りとし、英雄と同じ時代を生きる幸運を喜んだ。
そして、ゼスター国にはもう一人、大陸の誰もが名前を知る男が居る。称賛では無く罵声を、憧れでは無く蔑みを男の名に向け、人々は男を『大罪人』あるいは『裏切り者』と呼んだ。男と同じ国にある事をゼスター国民は恥とし、男と同じ時代に生まれた不幸を呪った。
その男の名はマルストールと言った。
☆☆☆
「クソッ……いつ来ても不愉快な場所だ」
永遠に続くと錯覚しそうな程、長い階段を降りつつイクスフェスは吐き捨てる。手には明かりを持っているのだが、それにしても異様に暗い場所だった。
地中を貫く巨大な円錐の壁に螺旋状に作られた階段を既に十分以上降っているが、上を見ても下を見ても、ただただ圧し掛かる様な闇が広がるばかりだ。空気は淀み、一歩降りるごとに不快感はいや増していく。
「……全く、オルトルス様は人を使うのが上手い。何が他に頼れない、だ。要は使い走りじゃないか……鎧鋼機士がタダのパシリとは!」
右手にランプを、左手に包みを抱えてブツブツと文句を言う。鎧鋼機士は字の通り、鎧鋼機兵に乗って闘うのが仕事だ。その為に厳しい訓練に耐え二年もの間苦労して学んで来た。
「それがどうだ。ここまでの移動は馬、そこからは歩き!何のために鎧鋼機の操縦を覚えたんだ!訓練以外で鎧鋼機兵に乗る機会が無いとか、普通ありえないだろう!」
憤懣遣る方無い様子で盛大に愚痴る。確かにこんな雑用など、鎧鋼機士の仕事では無い。
だが、本音を言えば――英雄と呼ばれるオルトルスに、例え雑用とは言え、頼られる事自体は悪い気はしない。東方地域、否、大陸全てを、帝国の圧政から解放した英雄の一人が相手では、この程度の我儘な命令は喜んで受け入れられる。むしろ頼ってくれる方が嬉しい。それ程の事をした人物だし、何より病床にあるとなっては、どんな願いでも叶えてやりたいと思う。
イクスフェスが難色を示し不満を抱いているのは、それとは全く別の所にある。それは――彼女がこれから会う人物が――この世で最も嫌いであったからだ。侮蔑していると言って良い。
「何で私が、あんな奴の為にこんな苦労をしなくてはならないんだ!」
降りる程に淀んで行く空気は、まるであの男を象徴している、とさえイクスフェスは思う。
ここは三年前、たった一人の人間を閉じ込める為だけに作られた――牢獄だ。そこに囚われた罪人に会う為だけに、イクスフェスはこの三カ月間何度もこの階段を上り下りしている。
最下層に辿りつくまでに要した時間は四十分。帰りにまた登らなければならないかと思うと、降りた早々に憂鬱になってくる。とは言え、これで到着した訳ではない。
階段の先には扉があり、そこからさらに横に長い通路が待ち受けている。これ程厳重な作りの牢獄は大陸広しと言え、この国にしか無いのではないか、と思う。しかも呆れる事に、罪人は一人しか居ないのに、監視は常時十人程も居ると聞いている。
「遠いわ、暗いわ、臭いわ……全く、嫌がらせとしか思えないな!」
彼女の不満も当然で、ここから更に二十分も通路を歩かなければならない。途中には兵の詰所があり、そこで所持品検査や許可証の確認などを行わねばならず、面倒な事この上ない。
しかもこの確認作業は既に上層で二度受けており、彼女からしてみれば三度手間だ。大体、こんな地中深くの牢獄では脱獄のしようが無いし、態々侵入してくる物好きなど居る筈も無く、何故こんな大げさな監視が必要なのかイクスフェスには全く理解できない。
暫く進み、通路の半ばにある監視兵の詰所で確認手続きを済ませる。手続きをした兵士がどこか困惑した様な、落ち着かな気な様子だった事に不審を感じ眉を顰めるが、普段は五人で居る筈の詰所の中に待機していた兵が二人だけだった事に気が付き、ヤレヤレと溜息を吐く。
「予定外の日にも来る事は解っているだろうに……仕方の無い奴らだ」
詰所を出ると、やや速足で牢獄に向かう。あの場に居ない監視兵達が何をしているのか、この三ヶ月の間何度も訪れているので、嫌でも想像が付く。
歩くうち、向うの方に堅牢強固な牢獄の扉が見え、その扉があいている事が確認できる。それと共に、中の方から男達の罵声と、微かに争う様な音が聞こえて来た。
「この罪人が!」
「お前など生きている価値なんか無い!」
「薄汚い裏切り者め!」
その様な言葉がイクスフェスの耳に届き、『おかしな話だ』と思う。彼等はこの牢獄に繋がれている人物が誰なのか知らない――事になっている。彼女は主から囚人の事を聞かされているのだが、機密保持の為に監視兵達は自分達が監視しているのがどこの誰だか知らされていない。
しかし、実の所ゼスター国でこれ程厳重な監視が必要な罪人など一人しかいない。余程の馬鹿でない限り察しが付いてしまうと言う物で、監視兵の誰もがこの男の正体を察している。
「全く、毎回毎回……たまには違った事でも言えば良いだろうに」
語彙の少ない連中だ、と呆れつつ牢獄の扉を潜り中に入る。牢獄の中には当然光源となる窓は一切なく、兵士達が持つランプの明かりによって薄く照らし出され、内部は意外と広い事が見て取れる。その広い牢獄の中央付近で三人の監視兵達が、なにやらゴミの様な固まりに向かって殴る蹴るをしていた。少し離れた床にスープとパン――に見えなくもない何か――が転がっており、どうやらそれを取り落とした事に腹を立てている様だった。
三人はイクスフェスが入って来た事に気が付く事無く、執拗にゴミの塊に暴行を繰り返している。別段放っておいてもよかったのだが、彼等が満足するまで待のも、それはそれで自分が帰る時間が遅くなるだけだし――何より彼等の行動は見ていて楽しい物でもない。
「おい、その辺にしておけ」
仕方なく声をかけると、監視兵達は慌てて振り向き直立不動になる。
「こ、これはティアード様……きょ、今日は面会予定日では無い筈ですが……?」
「オルトルス様から急用を託った。許可は取ってあるから、悪いが外してくれないか?」
三人揃って何をしていたか敢えて触れずに言うと、監視兵達は咎められる前に、と挨拶もそこそこに逃げる様に牢獄から出て行く。
「全く……あれが正規兵かと思うと泣けて来るな」
後ろ姿を見送りながら、イクスフェスは忌々しく吐き捨てる。だが結局の所――彼等も自分と同じだ――と彼女は思う。牢番など本来正規兵の仕事では無く、退役兵や第一線を退いた者が就く閑職だ。彼等もイクスフェスと同様、望まぬ仕事をしているとなれば同情もしたくなる。
「少しくらい、憂を晴らしたくなる気も解らなくもない。貴様もそう思うだろ?」
そんな言葉を掛けるが――誰も居なくなった牢獄では誰も答える者がなく、ただ彼女の声だけが静かに響いただけだった。
主役の登場までたどり着きませんでした……(; ・`д・´)
長くなりそうだったので次回に持ち越します。