悪意の世界
「あなたは誰かに死んで欲しいと思ったことはありませんか?
もしそれが叶う世界があれば、行ってみたいと思いませんか?
yes/no」
こんな文面のメールが送られてきた。
変なメールだと思いつつもよくあるスパムとは違ったせいか、俺はなんとなく"yes"を押してしまった。
目の前が真っ白になり思わず目をつぶると、閉じたはずの視界にはっきりと文字が見えた。
《ようこそ 悪意の世界へ》
目を開けると、そこには先ほどまでと変わらぬ景色があった。
ただ一点、ノートPCの画面に写っているメールの内容だけが違った。
あの不思議なスパムメールではなく、広告メールだった。
先ほどのは夢だったのだろうと結論付けると、そもそも「死んで欲しいと願ったら人が死ぬ世界」なんてあったら人類は滅んでいるということに気づいた。
そんな欠陥のある夢を見るとは、俺はストレスが溜まっているのだろうか。
ただ疲れているのかもしれないという可能性も考え、日課のネットサーフィンを早々に止めて寝ることにした。
翌日、学校に行くと、いつものように金髪で両耳にピアスという正にと言った不良姿の八重樫が絡んできた。
「よう、ひーちゃん。俺さ~、今日ちょっとだけ懐が寂しいんだけど恵んでくれちゃったりしない?」
そうカツアゲだ。毎日のように集ってくる。
最初のうちは抵抗もした。だけどその度に理不尽な暴力をうけ、ある日を境に金さえ渡せばいいんだと考えるようになった。
額が変動することが無かったのも一因かもしれない。
俺は慣れた手つきで財布から千円札を取り出して八重樫に渡した。
「おぉ、ひーちゃんいつもありがと」
八重樫は大して心のこもっていない礼を言って去っていった。
その現場を、クラスメイトは誰1人として気にしていなかった。
八重樫を怒らせるというのもあるが、俺がカツアゲされていることが当たり前のように感じられているのだろう。感覚の麻痺という奴だ。
俺もそれに何を言うでもなく、いつものように自分の席に座った。
しかし、今日はそこでいつもと違うイベントが発生した。
八重樫の取り巻きの1人、確か水戸部という奴がやって来た。
「なぁ白石。俺にも金くれや」
俺は水戸部の顔を見て何を言っているのか理解できずにいた。
周囲も八重樫以外の人間がカツアゲしている状況に驚き、こちらに目を向けていた。
「おい聞いてんのか、白石? あ、あれか。俺もひーちゃんって呼べば良いのか?」
水戸部は勝手に話を進めていく。
「……おい、シカトこいてんじゃねぇぞ!」
無視されていると思ったのか、水戸部がキレた。
このままでは不味いと思い、慌てて返事をする。
「なんで俺がお前に金を渡すんだよ」
慌て過ぎて考えていたことをそのまま言ってしまった。
案の定、水戸部はキレた。
「てめぇ、白石よう。調子のってんじゃねぇのか。あぁ? シメんぞゴラァ!」
そう言いながら胸ぐらを掴んできた。
これは殴られるなぁ、と冷静に考えながら、俺は水戸部に殴られた。
取り巻きとは言え喧嘩慣れしている水戸部と、帰宅部でいつも真っ直ぐに家に帰ってネットサーフィンをしている俺とでは、殴られた俺が吹っ飛ぶには十分な差があった。
吹っ飛ばされた俺は近くの机に背中を強打し、痛みに蹲った。
水戸部の怒りは収まらなかったようで、蹲る俺に近づき蹴りを入れてきた。
水戸部の蹴りは俺の顔面に当たった。その衝撃で瞼の裏に火花が散った。
しばらく蹴られ続け意識が朦朧とした頃、ようやく攻撃が止まった。
「はぁ…はぁ…。おい白石、次舐めた真似しやがったらタダじゃすまさねぇからな」
水戸部は俺が聞いているかなど確認せずに、それだけ言うと去っていった。
理不尽な暴力が目の前で振られており1人のクラスメイトがひどい仕打ちに会っていたというのに、俺を気にかける人物はいなかった。
(…調子に乗ってんのはどっちだよ。なんで俺がお前に金を渡さなきゃいけないんだよ。なんで俺が殴られなきゃいけないんだよ。次はタダじゃ済まさないって何だよ。今回も全然タダですんじゃいねぇだろ。なんで誰も彼奴を止めようとしないんだよ。八重樫じゃないんだから大丈夫だろ。なんで八重樫は彼奴の横暴を許すんだよ。金をやってんだから俺を守ってみせろよ)
地面に倒れたまま、惨めな気持ちになりながらそんな不満を心の中で叫んでいた。
そして願った。
(あぁ、もし本当に願っただけで人を殺せるなら…。水戸部、お前は死んでくれ。死ね。シネしね死ね!)
しばらくじっとして水戸部が死んだと騒ぎが起こったりしないかと耳を澄ましてみたがそんな様子はかけらもなく、いつも通りの喧騒があった。
(…そうだよな、所詮夢だもんな。何考えてるんだろ、俺)
痛みがだいぶ楽になったのでゆっくりと起き上がり、倒した机なんかを元に戻して席に座った。
いつも通りの、いつもとは少し違う1日はまだ始まったばかりだ。
放課後になって、また八重樫がやってきた。
これもいつもとは違うイベントで、俺は何事かと身構えていた。
「ひーちゃん、朝は水戸部が悪さしたみたいですまん」
八重樫がいきなり謝ってきた。
この男が謝る姿など想像したこともなかったので、固まってしまった。
「彼奴のことは俺が責任を持って教えとくから勘弁してやったくれな」
驚きつつもなんとか首を縦に振ると、八重樫は「じゃ、そゆことで」といって去っていった。
八重樫の姿が完全に見えなくなり我に帰ると、いつものようにと自分に言い聞かせながら家路に着いた。
翌日、学校に着いた俺は衝撃の事実を知った。
水戸部が死んだのだ。
死因は自殺らしい。
八重樫が珍しく席についており、「お、俺が彼奴を追い込んじまったのか?俺が悪いのか?」とぶつぶつと言っていたのが印象的だった。
しかし俺にはそれよりも心当たりがあった。
「願っただけで人を殺せる世界」だ。
あれが夢でなかったとしたら、水戸部は俺が昨日死んで欲しいと願ったために死んだのだ。
罪悪感などはない。
ただ夢なのか現実なのか、それだけが気になった。
そこで、俺は八重樫に死んで欲しいと願おうとして、思いとどまった。
今の八重樫は水戸部を死なせたのは自分の責任かもしれないとして思い悩んでいる。
そんな状態の八重樫が自殺したとして、それが果たして俺が望んだ結果かどうかなど判断しづらい。
では誰ならと考えた結果、次の対象はクラス1の美少女的な立場の西宮にした。
特に恨みがあるわけではない。ただ悩みがなさそうで、自殺する理由も死にそうな気配もなかったからである。
別に好きになったことなどないし、そういう目で見ようとしたことすらない。不良の横暴を黙認するクラスメイトにそんな感情を抱くことなど不可能なのだから。
(いいよな、お前は悩みとは無縁そうで。周りにもてはやされて、可愛がられて守られて。俺とは大違いだよな。そんな恵まれた立場のお前にお願いがあるんだ。死んでくれ、西宮)
そう願った翌日、西宮が自殺したという情報が知らされた。
俺はその事実をもって、あの出来事が夢ではなく、願っただけで人を簡単に殺せる世界になったのだと理解した。
西宮が死んだという知らせは担任から聞かされる前から情報が回っており騒然としていたのだが、担任から自殺の知らせを聞くと悄然とした様子が多かった。
男女ともに人気があったのか、西宮の死を悼む姿が学内のいろんな場所で見られた。
そして、ふと思った。
俺が死んだとして、誰か悲しむ人はいるのかと。
死者を冒涜するつもりはないが、水戸部が死んだことで悲しんだ人物はいなかったように思う。
八重樫はショックを受けたようではあったが、水戸部が死んだことを悲しんでいるという様子ではなかった。
では、もし俺が死んだとしたら?
目の前でカツアゲされていようが、暴力を振るわれていようが、見て見ぬ振りをされる奴が死んだところで誰が気にするのだろうか。
「あぁ、やっぱり」といった感想で終わるだろう。
次は自分があの立場になるかもしれないと考えるのもごくわずかにはいるかもしれないが。
そんなことを考えているうちに気づいた。
俺が誰かに死んで欲しいと思われたらという恐怖に。
全身に冷水を浴びせられたように寒気が走った。
どうして自分が加害者だと思っていたのか。
どうして自分が被害者になるという発想が消えていたのか。
…もし死にたいと思ってしまったらどうなるのか。
それから周囲の目が気になって仕方がなくなった。
もし選択を間違えば、それで気分を害してしまえば、次に死ぬことになるのは自分かもしれない。
もしかしたら既に誰かに恨まれていて、ただ死んで欲しいとはまだ思われていないだけなのかもしれない。
周囲を気にするあまり行動が不審だったのか、変な目で見られるようになった。
それが俺の不安を誘い、一層に周囲の目を気にするようになるという悪循環だった。
そんな気を張った日々の中で、事件が起こった。
俺が望んでもいないのに、クラスメイトから死者が出たのだ。
死因が事故であれば多少は違ったのかもしれないが、自殺だった。
やはり自分だけが特殊能力みたいに望めば殺せる力を持っているわけではないと確信した。
冷静に考えれば何でもかんでも世界の法則なのだと決めつけるのはおかしいのだが、そんな判断をする余裕はなかった。
"死にたくない"
ただそれだけしか考えられなかった。
(死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。コワイコワイこわいこわい恐い怖い……)
体の震えが止まらず、吐き気を堪えられず教室から飛び出してトイレに駆け込み、胃の中のものをすべて吐き出した。
体調不良を理由に早退し、次の日からも学校を休もうと思った。
家に着くと母親に心配されたが、理由を話してもしょうがないので風邪だと思うと誤魔化した。
それと同時に気づいた。
俺は無意識のうちに学校の中でだけしか世界の法則は適用されないものだと思い込んでいたことに。
もしかしたら母親が俺に死んで欲しいと思うかもしれない。
もしかしたら隣の家の人が俺に死んで欲しいと思うかもしれない。
もしかしたら道ですれ違った誰かが俺に死んで欲しいと思うかもしれない。
理由はどんな些細なことでも構わないもしくは必要ないのかもしれないことは、西宮にも法則が適用されたことから想像に難くない。
冗談のつもりで死ねと思ったのに、実際に死んでしまう。
相手に害意はなくとも、ほんの少しの悪意が死に直結する。
ここはそんな世界なのだ。
そういえばこの世界の名前は悪意の世界だっただろうか。
悪意こそが人間の本質なのだとでもいうかのような皮肉な名前だと思う。
俺は性善説を信じるわけではないが、悪意こそが本質であるとは思っていなかった。
七つの大罪-暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬-こそが人間の本質であり、欲に従って生きているのだと思っていた。
しかし、実際に悪意が目に見える形で現れる世界に身を置くと、悪意に満ちた世界は人間の本質は悪意であると世界に言われているようだ。
どんなに周囲を気にして振舞っても、些細な悪意ですぐに死に得る。
そんな不条理な世界に。不条理な死に怯え続けなければいけない、こんな生き辛い世界に来るべきではなかった。
…生きるのが辛いなら、死ねば楽になれるのだろうか。死にたい。
もしあのメールが届いた瞬間に戻れるのであれば、迷わずに"no"を押したい。
最後までお読みいただきありがとうございます。
この小説を書き始めたきっかけはなんだったか、あとがきを書いている現在では思い出せません(物忘れが激しいわけではありませんよ?←)
ただ、読んで何かしら感じて考えていただけたら筆者としては満足です。
ー以下、ネタバレー
さて、「鬱エンド」タグですがお気づきになりましたでしょうか?
期待された方には申し訳ない程度ですが、最後の「死にたい」という主人公の思いがどういう結果を招いたのかということです。
作者的にはこれが鬱要素ですが、選択肢を誤ったことを後悔するというのが鬱エンドという捉え方をしていただいても構いません。
明るいオチではない。
それが伝わればと思いつけました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。