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〜最終章〜

忘れる事の出来ない自分の親友。

最後に会った日、まるで自分の身に何かが起こると予知していたように、リングを守り抜くと約束させられた――あそこにはローレンスがいる。


「早く目ぇ覚ませよリング……」


会う事になるであろう親友の顔を振り払うように、白は歩く速度を速めていった。




一年で変わるものもあれば、変わらないものもある。

ロドニアの景色は後者であり、道などに迷う事もなく白は店へと辿りつく事ができた。

気持ちを落ち着けるため一呼吸し、店の扉を開けようとした時、扉の取っ手に触れられないことに気付く。

どうやって中に入ろうかと悩んだが、突然開いた扉のお陰で答えは見つけなくてすんだ。


「出てけ! 二度と店に来るな!」


扉を勢いよく出た男と衝突するも身体はすり抜け、白の視界には店内の光景が飛び込んでくる。


「な、なんなんだ突然!」


「うるさいわね! もう来るんじゃないよ、もしまた来たら串刺しにするからね!」


「おわっ!?」


三股の槍を顔面に突きつけられ、白は思わず驚いてしまう。自分に刺さらないと分かっていても、やはり恐いものがある。


「くそっ……忘れないぞ! お前達の事、絶対に忘れないからな!」


捨て台詞を吐いて男が去っていく足音を聞きながら、白はもう一度ちゃんと店内を見回した。

――瞬間、恐ろしくなった。


「何だよ、これ……」


一年ぶりに見たミナミやローレンスは凄い形相でこちらを睨み、オカミや緑、両目のリングや、白自身さえこちらに向けて睨みをきかせている。


(何だこれは……こんな場面、俺は知らないぞ!)


記憶との不一致に白は混乱し、それでも知り合い達に睨まれるという状況が嫌になって、店内の端に移動する。

白が移動しても皆の視線が追ってこない辺り、睨んでいたのは先ほど出て行った男だろう。

……考えなくても分かる、あれは悲劇を起こした最低最悪な男、アクである。

顔を見たら、触れられないと分かっていても殴りかかると思っていたが、しかし今はこの予期していなかった光景に翻弄されている。


「――あれ、もしかして本物の白さんですか?」


「っリングか!?」


声に反応して、皆の固まっているほうへ視線を向ける。まるで皆に守られるように、その後ろに半透明のリングはいた。

ここ一年見たことがないほどに顔を綻ばせ、皆を眺めている。

いつもと違うリングの様子に、白は急いで駆け寄るとその手を掴んだ。どうやら半透明のリングには触れられるようだ。


「リング、この記憶は何だ! 悲劇の日のものだってのは分かるが、こんな場面俺は知らねえぞ!」


白の怒鳴り声を聞いてもリングは顔を綻ばせたまま、嬉しそうで楽しげな声を出す。


「当たり前ですよ。これは、僕が思い描いた記憶なんですから。僕の望んだ世界、ここは僕の望んだ結末になるんですよ」


「どういう、事だ」


「だから、言葉のままですよ白さん。シュリさんが悲しみを消すために記憶を呼び起こして、僕はここにやって来た。そして結末を思い出した時、絶望しました。なんでまた失わないといけないんだろうって。そうしたら奇跡が起きたんです! 記憶と違って兄さんは僕の話を信じてくれて、アクを追い出してくれたんです! 皆だって信じてくれて――見てください、この世界は今すごく幸せになってますよ!!」


興奮しながらリングは喋り、触れはしないローレンスの手を見つめ幸せそうに目を細めた。


「僕の望む幸せを……ここは、全部叶えてくれます」


そのとき僅かに、半透明だったリングの身体が色付いたように見えた。

けれども白はそれに気付かず、リングを見続けていられなかった。

悲劇によって大切な人を失った。それでも皆、支えあいながら生きてきた。

耐えて、堪えて、懸命に生きてきた。

一年という時間はまだ短いが、それでも砕けた心を補強するのには十分で。

悲しみを忘れずに受け入れる事も出来た気がした。


――そう思っていたのに、リングは違っていた。


心はいくら補強をしても砕けてしまい、悲しみを受け入れようとしても、その大きさに耐えられなくて。

ずっと我慢をして、潰れないように肩肘を張りながら必死にもがいて、一人で苦しんで。


「お前……そんなに、辛かったのかよ……」


幻想に幸せを求めるほど、リングの心は弱りきっていたのか。

オカミは、ベンは、自分は気付いてあげられなかったのだろうか。

幼い少年らしい笑顔を浮かべ、幸せそうに笑うリング。

見つめる白の瞳に滲むのは、哀れみか同情か。


「白さん……何で泣いてるんですか? あっ、悲劇が起こらないから喜んでるんですね! でも泣くのは早いです――泣くのなら、アクを殺してからにしましょう」


「……もうやめろ」


リングの身体は先ほどよりも色濃くなり、今ではローレンスの手をしっかりと握っていた。

本人がそれに気付いた様子はなく、青色の瞳は濁って、正気を感じられない。

その瞳からは止めどなく、何か大切なものが抜け落ちていっているようであった。


「皆、僕の言うとおりにしてくれるんです。街の部外者は早く殺して歓迎会を……あれ? そういえば、誰の歓迎会でしたっけ? 白さん、知ってま――」


「もうやめろ!!」


掴んでいた腕を振り上げ、ローレンスと握っているほうの手を強引に掴んだ。驚くリングの腕を壁へと押し付け、白は流れる涙を拭いもせずに叫ぶ。


「ローレンスは! ミナミさんは……死んだんだよ! 一年前の悲劇で、二人共死んだんだよ!!」


白は、悔しかった。リングの辛さに気付いてやれなかった事が、リングの支えになれていなかった事が。

悔しくて悔しくて、たまらなかった。

白の瞳に滲んだのは、哀れみでも同情でもなく、己の不甲斐なさへの怒りと失望。

それと、こんな幻想を望んだリングへの苛立ち。

悲しみを思い出し、なお乗り越えるようにと願いを込めて白は叫ぶ。

リングの心に届くと信じて、リングの気持ちを、幻想から引き離せると信じて。


「……何言ってるんですか白さん。二人ならちゃんと、ちゃんと生きてるじゃないですか……変な冗談、やめてください」


「生きてる訳ねえだろ! これは、お前が良いように変えちまった記憶なんだよ、自分でもさっきそう言っただろ? 二人は悲劇の日に死んだ……一年前の、この日にな!」


リングの身体が少しずつ透けていく。それに伴って身体は震えだし、片目の瞳は涙を溜めていく。


「でも二人はここにっ、ちゃんとここにいるじゃないですか! なんでそんな嘘つくんですか!?」


「嘘なはずねえだろっ……ちゃんと、思い出せよリング……俺やお前が二人いるのだって変だろうが。頼むから、正気に戻ってくれよ!」


恐ろしい形相をしていた皆は、まるで命を吸い取られたように無表情で立っていた。白の知っている皆はこんな顔を絶対にしない。

他の街の人間に、あんな事を言うはずはない。

リングが望む記憶になるために、ローレンスもミナミも、オカミも緑も自分達も。

従順な人形になって、偽りの記憶の世界を演じさせられている。

ここは、歪んで捻じ曲がった、悲しみに満たされた世界であった。


「こんな顔ローレンスがしたか? ミナミさんはいつも優しく笑ってくれてただろう? 思い出せよリング! 悲しみを消すのと一緒に、大切な事まで消すんじゃねえよ!!」


「違う……違う……違う……違うっ!」


「リング!!」


景色が徐々に歪み始める。人も物も風景も交じり合う中で、白とリングだけは形を保ち、混ざった周りは黒に染まり、瞬時に別の風景へと様変わりする。


「てめえ!」


聞こえたのは白の怒声。場所は店内であるが、窓の外は闇に染まっていて、また中にいる人物もさっきとは違っている。


「……なんで、俺の、記憶が」


この場面に、白は見覚えがあった。あの男、アクの非道を目の当たりにしたところだ。

リングは突如変わった場面に呆然としていて、その手を離すと白は静かに語りだす。


「これは……店にアクが来た日の深夜だ。俺が水を飲みに降りたら、あの男はミナミさんに……」


苦々しげに喋る白を、リングは初めて見た。不安そうな視線に気付き、けれど白は目の前の光景を睨み続ける。

噴出しそうな憎悪の感情を隠さず、白はアクを睨み続けた。


「リング、お前だけが苦しいわけじゃねえ。俺だって……この時もっと早く気付いていればミナミさんを救えていた。そう後悔しない日はねえんだよ」


明滅する火妖精の光を反射して、アクの手元が銀色に光る。

足元には赤い液体が広がり、カウンターの端から覗くミナミの身体も真っ赤に濡れている。

リングの知らない、白だけが知っているこの光景に対し、リングには唐突に吐き気が込み上げてきた。

ミナミの血まみれの姿を見たからか――違う。

鼻をつく濃い鉄の匂いのせいか――違う。


「ミナミさんに何しやがった! 黙ってねえで答えろ!!」


それはきっと、愉快そうに笑っているアクの笑みを見たからだ。

血しぶきに彩られた顔を喜色満面にして、血溜りの中に立っている姿が異様に思えたのだ。

人間でも、龍でも妖精でもない。人の皮を被った化け物。恐怖を感じた時に吐き気は頂点に達し、リングは床に唾と少々の胃液を吐いた。


(……そっか。これは記憶、もう過ぎ去った記憶だ)


地面に吸い込まれ、すぐに消えた液体を見てリングは思い出す。この光景も、ここにいる人も皆、ここではない場所にいる人達だ。

ここは記憶の名残に幻影を混ぜた、過去と妄想に満ちた虚構の世界なのだ。


「っ!?」


手に持っていた物をアクが振ると白の頬に赤い線が走る。

怯んだ隙にアクは店を飛び出し、白も慌ててその後を追っていった。

そして、店内にオカミの悲鳴が響き渡る。


「リング、お前は時計塔からの事しか知らないだろうが……あの男は龍を刃物で脅して時計塔に向かったんだ。俺も必死に追いかけたが、その時の俺じゃ追い付けなかった。速さを求めるようになったのは、それからなんだよ」


場面がまた急に切り替わる。次に見えたのは、時計塔の鐘のある場所。

リングはこの場所をよく覚えている。

――そこは、ローレンスが消えた場所だ。


「そしてアクはここに来た……緑さんに頼んで来ていた僕らを見つけ、あの暗闇の中、襲いかかってきた」


「っリング! お前、正気に戻ったのか!」


「……はい。白さんのお陰で、覚める事が出来ました」


寂しげな声で、しっかりとリングは言う。白は無言で頭を撫で、良かったと小さく呟いた。


「バグがあったらしくてな、お前が現在のほうがいいって思えたらシュリが接続できるそうだ。記憶の削除も止めるってよ」


「そう――ですか。僕は、無くさずに済むんですね……」


この時の事を、リング自身はよく覚えていない。暗闇で緑が倒れる音がして、鐘の光に照らされた男が手を伸ばしてくる――そして右目に激痛が走り、ローレンスの上着がリングと彼の血で真っ赤に染まる。


「早く、シュリが何とかしてくんねえかな……触れないって知ってても、俺はあの男を殺したくなってくる」


「……多分、僕が気絶するまでだと思います。そうしたら、この記憶は自分の中だけに仕舞えるはずです」


記憶にあるのは、ローレンスが血まみれになり、鐘の下で何かを呟いたところまでだ。

そこでリングの意識は途絶え、それ以降の事は覚えていない。

後に聞いた話では、追いかけてきた白が来た時にはローレンスとリング、アクの姿は忽然と消えており、その後リングは光妖精の森にいたのを発見されている。

どうやってここに来たのか記憶はなく、また傷ついたはずの右目の痛みも消えていた。

そして、傷と血痕に囲まれて青い瞳は金色の歯車に変わっていた。


「兄さんとアクはどこを探しても見つからなかった……でも、僕は二人が闇に飲み込まれていくのを見た気がします」


それが夢か現実かと聞かれれば、明確な答えは分からない。

でも確かに、二人の存在が闇に消えたのをリングは見た気がした。

闇に消えて、二人は死んだのだと。自分が生き永らえる代わりに、大切な人と化け物の命を奪ったのだと、この時から思っている。


「もうすぐ、記憶は消えるはずですよ」


そして、自分の業の日々が幕を開けるのだ。




しかし、


「!?」


「なんだここは!?」


鐘の下でローレンスとリングが寄り添い、アクが血に濡れた刃物を振り上げた瞬間、その時にリングの意識は消えたはずだった。

もし次に場面が始まるなら、白の記憶か森からの記憶だろう。

だから、この場面は知らない。金色の光に溢れ、金属の軋む音や擦れる音や、心臓の鼓動のような音が響くこの空間を、リングは知らない。


「白さん、ここは一体!?」


「リングじゃねえのか!? 俺は知らねえぞ!」


周りの音が大きすぎ、大声で話さなければ聞こえない。

空間の全ては金色に染まり、自分が立っているのか落ちているのかさえここでは分からなかった。


「――ああああああっ!!」


「おい、どうしたリング!」


突き刺さるような痛みが右目へと襲いかかり、リングはその場にうずくまってしまう。

白が声をかけるが返事ができず、痛みは鋭い牙を突きたてながら急激に膨らんでいく。


(この、感じっ……前にもどこかで)


思い出す、それはシュリと初めて握手をした時である。

感情が頭の中を蹂躙していった時に似ているのだ。

流れ込んでくるのは、感情の波。時計塔の感情、妖精の感情、シュリの集積回路に保存されていた人々の感情。様々な感情が右目に流れ込む際、この突き刺さるような痛みはやってくる。


(この感情、どこかで――)


心と言い換える事のできる、その大きすぎる感情を受け意識が朦朧とする。

気が遠くなりながらも、必死でこの感じた事のある感情の主を思い出そうとする。

すると突然、周りから声が響いた。


『やっと繋がったでス! これでもう大丈夫、すぐにバグを消去して見覚めさせますでスよ!』


耳というより脳に直接届くようなシュリの声。白にも聞こえるようで、へたり込むリングの背中をさすりながら大声を張り上げる。


「早くしてくれ! リングの様子がおかしいんだ!」


リングは必死でそれを止めようとするが、痛みで声を出す事ができず、すぐさまシュリの了解の声が辺りに響いた。


『右目……助……絶対……子の、大事な……は、機能を使……助け――』


「!?」


辺りを包んでいた金色の光が、一際強く輝き出す。

その光の中で――リングは見た。


「っにい、さ――」


それを口にする前に、リングの意識は暗闇へと落ちていった――






昇る太陽は始まりを告げ、消えた月は終幕を知らせる。

太陽と三つ子月が入れ替わり一日の始まったロドニア。

その街に建つ酒場、渡りの龍の止まり木亭の一室でリングは目を覚ました。

見慣れない天井が目に入り、起き上がって周りも見るが、部屋の様相はやはり見慣れないもの。龍達の泊まる部屋だったかなとはっきりしない思考で考え、途端ハッと気付いたように目を見開いて扉へ駆け寄る。


「ぐげっ!?」


勢いよく開けたら扉の前を歩いていた者に当たったようで、誰かの悲鳴と倒れる音が廊下に響いた。


「うわわ、すいません! 急いでたのでうっかり――」


すぐに倒れた者に手を貸そうとしたら腕を掴まれた。引っ張られて顔面から床に激突したリングは痛みに転げ回り、倒れていた者は低く唸ると不機嫌そうな声を出す。


「なんでえ、元気そうじゃねえかよ」


「は、白さん……」


名前を呼ぶと相手は快活に笑い、赤くなった鼻を思い出したように押さえだした。




「オカミさん!」


階段を急いで降り、リングはその勢いのままオカミの名を呼んだ。

記憶の消えたままのオカミの身が心配だったのだが、しかし名前を呼んだ直後に首を絞められ、そんな心配が意識と一緒に飛びそうになる。


「目が覚めたのね! 本当に良かったわ!」


「オ、オカミさん……駄目です、死んじゃいます」


リングの首を、絞めているのではなく抱きしめているのはオカミその人であった。リングは自分の意識が無くなる前に、これだけは確認しようと声を振り絞る。


「ぼ、僕達のお母さんは……」


「え? ミナミ母さんがどうかしたの?」


何を聞くのかと怪訝な顔をしたオカミの返答を聞いて、リングは心から安心した。消えていない、もしかしたらシュリさんが削除した記憶をなおしてくれたのかもしれない。

そこまで思うと、視界が暗闇に落ちていく。


「オカミさん、それじゃリング君の首が絞まってしまいますよ」


「ああ! ごごごめんリング!?」


意識が飛ぶ寸前、緑の一言でリングは何とか気絶せずにすんだ。咳込み涙ぐみながら周りを見れば、見知った面々が笑顔でリングを迎えてくれていた。


「やっと目を覚ましたか。ったく心配は一人前にかけよって……」


「師匠……すいませんでした」


しかめっ面のベンに向かって深く頭を下げる。その頭をベンは力強く撫で、無事でよかったと何度も何度も呟いた。


「前と違うと感じる部分はありませんか? 記憶はちゃんとありまスか?」


窓際に座っていたシュリが心配そうに聞いてきたので、リングは笑顔で返事をする。それを聞いて安心した様子のシュリに、逆にリングが質問をした。


「……シュリさん、どうして僕やオカミさんの記憶の削除を止めたんです? それを止めるって事は、歯車人形の存在理由を否定するような事なのに……」


「そうでスね、昔の約束を守るため、でしょうか? 私は、人々の幸せを第一に考える者でスから」


「? はあ」


シュリの言いたい事はよく分からなかったが、とりあえず記憶を削除する気は無さそうなので、リングは安心する。

と、白が二階から降りてきた。カウンターに腰かけ、当然のようにオカミに朝食を注文した。


「リングに挨拶しなさい」


さっきしたから、そう言うのと白の頭が叩かれるのは同時であった。

――そんな大切な人達とのいつもの光景を、幸せそうに微笑みながらリングは見つめる。

心の中で、ある『決意』を固めながら。

リングが静かに決めたそれはまだ誰も知らず、あの時光の中で見た光景は、誰にも語らず、そうして少年はいつもの光景へと自分も参加した。

決意を語るその日まで、この日常という名の幸せを、少しでも長く感じていたかったから。




その日の夜、時計塔に戻ろうとするリングとベンに、シュリは自分も連れていってくれと頼んできた。

理由を聞いても答えないシュリに訝しんだが、白の背に乗り三人は塔へと昇っていった。


「リング……君の右目をじっくり見せてもらえませんでスか?」


「え?」


ベンは挨拶も早々に地下部屋へと戻り、三人になった歯車部屋でシュリは唐突にそう言ってきた。やはり聞いても、訳を教えてはくれない。

眼帯を取りシュリが覗き込むこと数秒、やがて彼は何かを諦めたように息を吐く。


「……やはり部品の型番が違いまスね。塔に頼めばもしやと思いましたが、私のと違うのなら、諦めるしかないでスね」


「あの、シュリさん?」


小さく独り言を言っているシュリが心配で話しかけたが、シュリは返事をしないで白に喋りかけた。


「白、塔の鐘がある所まで連れてってくれませんか?」


「……お前飛べたよな? なんで俺を使いたがるんだよ」


「今は調子が悪いんでスよ。それに情報端末は歯車人形を乗せる係りなんでスよ?」


係りって何だよと呆れ、しかし白は調子が悪いのが嘘だとは思っていなかった。

理由は、シュリから時々聞こえる軋むような音。

音の感覚が短くなっているのが白の耳には届いており、その音がシュリにとって良くない事なのだと、何となくだが分かる。

歯車部屋の入口に歩き出そうとした時、リングがシュリを呼び止めた。


「あの、僕が最上階まで連れて行きましょうか? 白さんだって疲れてるだろうし、そのほうが早いと思いますし」


そう言ってくるリングの右目を見つめ、シュリは一瞬だけ悲しげに口元を歪めた。そんな顔をした意味が分からず首を傾げると、彼は優しげな声でリングに語りかける。


「……塔の生体パーツは消費され、使えなくなれば新しい生体パーツを稼動させていまス。それは言い方を変えれば……生体パーツの命を使って、塔は稼動しているという事。第二の主人が塔の機能を使うとどうなるか分かりません。でも一つだけ分かるのは、その行為はリングの身体に影響を与えるという事でス。使うのは大切な時だけにしないと、後で悲しむのはリングを大事に思う人達になりまスよ?」


「……す、すいません」


金線での情報を得ているリングも、この塔の機能を使う事の異常さには気付いていた。

しかし今までもやってきている事なので、あまり深刻には思っていなかったのは事実だ。

改めて誰かに言われて危険性を感じ、軽はずみな自分の発言を悔やんだ。


「白と話したいことがありまスので、リングはここにいてくださいでス」


扉から出る直前、シュリはリングを振り返った。口元にこの街に来て一番の笑顔を乗せ、シュリは言った。


「大丈夫。リングの決意を皆はちゃんと理解してくれまスよ」


「!!」


そうして消えたシュリの背中を、扉の奥に消えてしまってもリングは見つめる。心を見透かしたシュリの、その見透かされた心に届いた言葉を噛み締めながら。


「有難う――ございました」


深々と頭を下げたリングの声は、涙に濡れているような気がした。




鐘の元まで歩いた直後、シュリは地面に倒れこんだ。後ろを歩いていた白が驚く中、シュリは気だるそうに片手を上げ、鐘に触れながら息を吐く。


「どうやら、もう限界のようでスね」


「……そう、か」


傍らに膝を下ろし、ぼんやりと光に照らされたシュリを見た。

音は一段と大きくなっており、まるでシュリの泣き声のように聞こえる。


「そういえば、白は耳がいいんでしたね。そうか、気付いてたんでスね……大声で騒ぐと思ってたのでビックリでス」


「死ぬ、のか?」


白の問いかけに、シュリは鐘を撫でながら微かに笑う。


「死ぬ……果たして死ぬといっていいんでしょうか? 歯車仕掛けの存在の私は、壊れるのほうがお似合いな気がしまス」


「死ぬで合ってるに決まってんだろ。お前には、心を宿した命があるんだからよ」


「命……ですか?」


白は思う。たとえ造られた存在でも、心があればそれは生きているのだと。

龍や妖精が人間に造られた存在でも、この心は造られたものではない。心の宿ったこの命は、他の誰でもない自分だけのもののはずだ。


「――有難、う」


シュリにとっての心とは、その昔一人の女の子とした約束だったのだろう。

想いの詰まった言葉は、いつしか彼の命へと変わっていたのだろう。

名前をもらった瞬間から、彼は歯車人形でなく『シュリ』になったのだ。


「やっぱ原因は、リングとオカミの記憶をなおしたからか?」


「いえ、確かに負担ではありましたが……直接的な原因は、白と言えまスでしょうか」


「なっ!?」


何をと白が切り返す前に、シュリは言葉を続けた。


「私がリングに接続拒否をされた時、弾みで歯車が取れてしまいました。探し出して嵌め直そうと思ったのでスが……誰かに踏まれて欠けており、使い物になりませんでした」


「……あぁ、そういや」


思い出されるのは、あの時何かを踏んだ感触。まさかそれがシュリの部品だとは思わず、あの状況では仕方が……なくは、ない。

そのせいでシュリの命は、今この場で終わろうとしているのだから。


「でも、私は別に怒ってないので、安心してくださいでス」


「あ?」


「今まで何十年――いや、何百年と私は歯車人形として在り続けてきました。それが私の運命でしたし、私も人々の幸せに関われるのが幸せでした。ここで終わりを迎えるのはちょっと寂しいでスが……最後の時にあの子との約束を守れて、良かったでスよ」


鐘を触っていた手が静かに下ろされた。白が名前を呼ぶが、もうその声も聞こえてはいないのかシュリは淡々と喋り続ける。


「……リングは、あの記憶の中で何かを、見たようでス。忘れていました……私は金線を鐘にも刺している事を。だから、塔の心の記憶を、情報をあの子は見たはずでス。白、もし私に悪いと思っているなら……一つだけ、お願いを聞いてくださいでス……」


――それから程なくして、シュリは動かなくなった。

聞こえていた音も消え、人々の幸せを願ってきた歯車人形は、静かに闇に横たわる。

動きを止める最後の瞬間、シュリは一本の金線を鐘に刺していた。

染みこむように消えると同時、シュリの身体は水中に落ちるように闇に飲み込まれ、消えた。


「じゃあな……シュリ」


白の声に、返事を返す者はいなかった。





「シュリさんは、逝ったんですね」


「……気付いてたのか」


白が歯車部屋に戻ると、出迎えたリングは開口一番そう言った。


「雰囲気というか……オカミさんの店で話をした時から、何となく。さっきこの部屋で言ってくれた言葉を聞いて、確信しました」


「そう、か」


白は床に胡坐をかいて座り、リングに隣へ来るよう促す。

リングが促されるまま座ると、その膝へとローロが飛んできた。ローロを見つめ、リングはじっと自分の華奢な手を見つめる。

「歯車人形は壊れても、大量生産されているから予備の部品が無いんです。だから故障が出ても直す事が出来ない……彼らは、完全に壊れるのをただ待つしかないんです」


「それも、シュリの持っていた情報か?」


「……僕、無駄な知識だけ覚えちゃいました。どうせなら歯車人形の直し方とか、僕の手で出来る事を知れれば――」


すいませんと小さな声で謝り、リングは下を向く。

無言で見つめながら、白は片手をそっと差し出した。


「シュリからだ」


「これ、は」

俯いた顔の下に出された手には、金色の歯車が乗っていた。ローロの明かりを受けて綺麗に輝くそれを、リングはその手で掴み取る。


「頼まれたんだよ。お前に渡すようにってな。旅立つ自分からの、だってよ」


「……シュリ、さん」


リングは歯車を握り締め、静かに泣いた。

押し殺した泣き声や鼻をすする音、悲しみに沈んだ部屋にはそんな音だけが響く。


(………………)


白は、リングを見ながら心に思う。先ほど言われたシュリの言葉を。


(守る。そいつが俺の、存在理由みたいなもんだからよ)


それは、今は亡き『二人の親友』との約束だ。

必ず約束は破らない、必ずリングは守ってみせると心の中でそう誓った。

その日の夜、リングは心にあった決意をベンに話した。

ベンは最初呆然とし、しばらくしてなぜと口にする。

返ってきた返答を聞いて、彼は、静かにうなだれた。

次の日の朝、リングは渡りの龍の止まり木亭を訪れた。

その場にいたオカミ、緑、白、他の龍達に決意を語った。

オカミはただただ泣き崩れ、緑や龍達は驚きに目を見開き、白は無言で醸造酒を飲んでいた。

その日の内に、リングは親しい街の者全てに決意を話した。

ノルマンやハイリは泣いて、他の人も似たような反応をした。

考え直せという声も多数上がったが、リングの決意は揺るがなかった。

皆に語り終えた日の夜、歯車部屋ではベンとリングが向かい合っていた。ローロを膝に乗せ、リングはベンに向かってゆっくりと頭を下げる。


「一年間、僕を弟子にしてくれて有難うございました」


ベンは煙管を吹かしながら昇っていく煙を見つめ、リングに視線を合わせようとはしない。リングは寂しそうに笑うと、それでもベンに話しかける。


「……怒っても、当然だと思います。僕の我が儘で弟子にしてもらったのに、こんな裏切るような真似をしてしまって。でも、僕はもう決めたんです」


「決意が変わる事は……ないんだな?」


「はい」


ベンは顔を俯かせると、煙管の火を消した。

無言と静寂が部屋には充満し、時おり椅子の軋む音だけが部屋に響く。

しばらくして、ベンが重い口を開き、言葉が沈黙の殻を破った。


「一年前……リングが弟子にしてくれと言った時、正直断ろうと思った。ローレンスの代わりにと頼んできたんだろうが、あの時の俺はまだ受け入れられる余裕が心に無かった」


煙管を机に置き、ゆっくりと立ち上がる。リングの近くまで歩いてくると、静かに床に腰を降ろした。


「だが、リングのあの時の目を見たら無意識に了承していた。あの時の、お前の目は……はっきり言って死んでいたからな」


「そ、そんなに酷かったですか?」


「酷かったもなんのって――あれは死人の目だったわい。そんな風になったリングを見てな、俺は自分が恥ずかしくなった。この子よりも大人の俺がいつまでも沈んでいたら、この子はずっとこんな目をし続けるんだろう。だから、お前を傍に置く事にした」


ベンが、リングに視線を合わせた。

その目は潤んで、悲しみを滲ませて――けれど、しっかりとリングを見つめている。


「……リング。俺は少しでも、お前の悲しみを消してやれてたか?」


その時、リングの頬を音もなく涙が走る。止めどなく溢れる涙はいつしか泣き声に変わって、リングの言葉へと変わっていく。


「当たり前じゃ、ないですか! 僕が師匠のお陰でどれだけ救われたかっ……どれだけ力をもらったか。有難うございます、僕の師匠になってくれて……見守って、くれて、本当に有難うございます!」


「そうか、そうか。良かった……」


ベンは優しくリングの頭を撫で、皺の刻まれた顔を涙に濡らす。

この時、リングとベンは初めて、今まで心にあった想いを語り合ったのかもしれない。

言えなかった言葉、聞きたかった想いを初めて弟子と師匠は言い合えたのだろう。

最後の最後で、心を、お互いに開く事が出来たのだ。


「白から聞いた……シュリが、死んだそうだな。見知った者がいなくなるのは寂しいと、俺は改めて感じた。リング、帰って来たくなったらいつでも帰って来い。お前の居場所はここなんだからな」


「師匠――」


「お前をもし第二の主人と言うやつがいたら、声高々に言ってやれ! ロドニアのベンの一番弟子、新人調律師のリングだとな! いいか、お前は人間で――俺の息子なんだからな!!」


泣いて、叫んで、それでも足りないように。

想いを吐き出しながら、リングがロドニアで過ごす最後の夜はふけていく。

忘れるものか、忘れられるわけがない。

こんなにも多くの大切な人達が住む、自分の故郷を。

オカミさんの揚げパン、師匠の煙管の匂い、緑さんの自信の満ちた声。

太陽の光、月の輝き、妖精達や龍達の淡い煌き。

全てを心に焼き付けて。全てを大切に胸に仕舞いこんで。

――そして数日後、準備を終えたリングは時計塔で角笛を吹いた。

しばらくして、龍の姿の白が迎えにやってきた――






「あ、俺もついて行く事にしたぞ」


リングを背に乗せ、何でもない事のように白は言う。リングは言われた言葉の意味を考え――数秒後に素っ頓狂な声を出した。


「なっ、ななななな何を言い出すんですかいきなり!?」


大声を耳元で出されたので白は低く唸り声を出し、いきなりじゃねえと鼻を鳴らす。


「お前が皆に決意を――旅立つって事を話した時から決めた事だ。お前と一緒に世界を渡って、時計塔の機能を完璧に取り戻すってな!」


ーーそう、リングの決意とは、ロドニアを旅立つ事であった。


シュリとの出会いで得た世界の真実、自分の正体。今まで知らなかった色々な事が分かって、様々な情報を知る事ができた。

――皆には、白の言ったように時計塔の機能を取り戻したいと言った。

その気持ちもありはするのだが、しかし一番の理由はそこではない。

一番の、旅立つ理由は……


「絶対駄目です! だって渡りをするのは命を失うかもしれないんですよ? 僕の身勝手な我が儘に白さんを巻き込むわけにはいきません!」


「はっ、龍は自分の我侭で好き勝手に街を渡ってんだよ。お前の我侭に付き合うためじゃねえ。俺は俺の我侭に従っただけだ!」


「そ、そんな屁理屈通りませんよ!? この旅は決まった目的地が無いんです! 一度ロドニアを離れれば、帰って来れるか分からな――」


「だぁもう、うるせえな! もう皆に挨拶済んでんなら街の外に出るぞ、いいな!」


「わわわ! ちょっと待ってくださいよ!」


身体をくねらせ外壁に向かおうとする白を止め、リングは足を震わせながら背中の上に立った。

白との問答はひとまず置いといて、ロドニアに、皆に最後の別れの挨拶をしようと思ったのだ。


「あの歌の歌詞、英語って言葉だったんだね。意味はまだ分からないけど、タイトルは、シュリさんから貰った情報にあったんだ」


息を何度か吸って、ゆっくりと吐く。

冷たい空気は身体中を回り、リングの意識を晴れやかに澄み渡らしてくれる。


「……あの時、僕を助けてくれて有難う。そして少しの間だけ、さようなら」


昨日の夜、目覚める前の光の中で見たもの――それは確かにローレンスの姿であった。

金色の光に包まれ、白濁の液体に入った彼の姿であった。

そして聞こえた、あの声。

いつもは視えるだけなのに、けれど聞いた瞬間リングは理解できた。

あの声は、時計塔の声だった。

右目の傷を治すと、助けると言ったのは時計塔なのだろう。

リングは確信し、そして思った。

時計塔が助けると言ったのは、自分とローレンスの事ではないのかと。

あの光景が本物かは分からない。自分が最後に生み出した幻だったとも否定は出来ない。

だけど、とリングは思う。

それでもローレンスが生きているのではと思った以上、何もせずにはいられない。

街を巡り様々な情報を得る事で、もしかしたらローレンスを救い出せるのではないか。

このままロドニアにいる事よりも、リングは未知の可能性を信じて、旅立つ事を選んだ。



――ただ、会いたい。叶うのなら、もう一度あの笑顔を見たい。


(兄さんを救う……それが僕の、第二の主人じゃないリングとしての存在理由なんだ。救えれば、僕の罪だって、消えてくれるはず)


リングは大きく息を吸った。

想いも、希望も、夢も悲しみも何もかも。

大好きな者達に別れを伝える力へ変え、息と共に全てを吐き出す。


「君が大好きな歌、『To the ends of the earth』――世界の果てまで響くように。朝に歌うのは、初めてだね」


優しく儚く、声は街中に響いていく。

誰かの嬉しさを喜び、誰かの悲しみを慈しみながら。

声は静かに、でもはっきりとロドニアの街を包みこむ。

リングの歌を間近で聞いて、白は口元に笑みを浮かべる。


(悲しい声じゃ、なくなったみてえだな)


その時、鐘が鳴った。

いつもは太陽と月の出現の際しか鳴らないはずの鐘が、荘厳な響きを街へ空へと解き放つ。

まるで、リングに別れの挨拶をするかのように。

太陽の光溢れるロドニアの街に歌声と鐘は染み渡り、リングの記憶に刻み込まれていく。

伝えたいと思う全ての人に――いや、この歌のタイトル通り、世界の果てまで響くようにと。

そうして調律師の少年は、大切な人々と祝福の鐘のを胸に刻んで旅に出る。

まだ見ぬ世界に、描いた希望に胸高鳴らせて。

――その後、リングの胸ポケットへと紛れこんでいたローロを見つけるのは、リングとが新しい街に着いて間もなくの事であった。






 終。



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