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〜第五章〜

「水妖精の湖に近づく者は少ないですからね。私が年納めの祭り用の氷を取りに、洞窟まで行かなかったら、今も気付かれなかったままだと思いますよ?」


食べ終えられた食器を調理場に持っていきながら緑は言う。

取ってきた氷は地下の貯蔵庫に入れてあり、年納めの祭りまで大切に保管する事になっている。

緑は空いている席に腰を降ろすと、ミナミ特製の野草茶を飲みながら言葉を続けた。


「しかし飛んでいる最中に振り落とすなんて、よほどその龍に嫌われたんですね。どんな仲違いがあったのかは分かりませんが、捻挫で良かったじゃないですか。街医者の話だと骨も折れてないそうですし」


「まあアイツを怒らせた俺にも責任はあるから、確かに捻挫だけで済んで良かったな。けど、何もあんな人気のない所に落とさなくてもな……」


「水妖精の湖は広大な湿原に囲まれてるからねえ。草丈も高いし、本当緑が見つけなかったら誰にも気付かれずに死んでたかもよ?」


軽い口調でミナミは言ったが、冗談にしては重い。

アクは苦笑いしながら、安心と安堵に緩んだ頬を笑みに変える。

緑は念の為に、もう一度アクの身体をしっかりと見た。そうして意識する事で身体状況を観察眼で感じられるのだ。

具合はどうやら穏やかなになっているが、やはり捻った足首のほうは調子が悪そうである。

高さがどのくらいかは聞いていないが、落ちた場所が湿原でなかったら捻挫では済まなかったかもしれない。

もしかしたらそこに落としたのは龍の優しさかもしれないが、落とした事に変わりはないので、優しさだとしても微妙なものである。


「それにしても、アクさんは流暢に喋るわねえ。その龍に教えてもらったんだとしても、ここまで喋れるなんて驚いたわ」


褐色の指でコップをなぞりながら、ミナミは感心の声を出す。緑もそれに同意し、アクは照れたように笑った。


「あいつは色々教えてくれたんだ。言葉もその一つで、俺はどうやらそんなのを覚えるのが得意らしい」


そう言ってアクは顔を伏せた。連れ添った龍との思い出が甦ったのだと思い、ミナミは席を立つ。

こういう場合はきっと、一人になりたいだろうと思ったから。

顔を伏せたまま、アクは目だけを動かして離れていくミナミの跡を追った。

頭の先から踵までを舐め回すように見つめ、舌なめずりする。

その表情は先ほどの印象とかけ離れたなものであり、しかし緑もミナミもそれに気付いてはいない。

――そんな、アクの一挙一動をじっと見つめている者がいた。

二階への階段から、身を潜めながらその者は見つめている。


「…………」


眉を不機嫌そうに寄せた白である。白の目には疑惑の色しか映っておらず、アクの事を少しも信用していない表情をしていた。

白はいわゆる、他の街の人間を嫌う側の者なので、ミナミも緑も白の行動をあまり気にしておらず、アクも気付いているのかいないのか、平然とした顔をしている。

アクが飲み干した醸造酒のおかわりを貰おうとしたとき、店の扉が開いた。

そこからオカミがただいまと言って入り、ローレンスがこんにちわと言って後に続く。

リングも小さい声で挨拶をして中に入った――瞬間。


「――――」


「どうしたの、リング?」


ミナミが声をかけるが、リングは固まったまま動かない。

いや、正確に言えば動けなかった。

ローレンスが肩を揺らして話しかけるが反応はなく、その視線は一直線に一人の男に向けられている。


「あれ? その子だけ髪の色が違うみたいだが……」


「リングはこの街の生まれじゃないのよ。でも私の大切な息子。リング、こちら他の街から渡ってきたアクさん。って、聞いてる?」


アクは席を立つと近づいてきた。

ローレンスやオカミが挨拶するときちんと返し、次いでアクはリングに挨拶したが、リングは目を見開いたまま返事をしない。

アクもその態度には怪訝な顔をして、肩に触れようと手を伸ばした。


「さ、触るなあっ!」


途端、弾かれたようにリングはアクの手を払いのける。突然の大声に皆驚いた顔をし、アクも驚いた顔になる。

そして次の瞬間、表情が一変する。無表情に、無感情に。

仮面の下の素顔を見せるようにアクの視線がリングの視線と交差し、リングは発狂しそうになった。

泣き叫んで、とにかくここから、この男から離れたかった。

けれども身体は言う事を聞かず、蛇に睨まれた蛙のように身体はすくんで動いてくれない。

――そんなリングを救ってくれたのは、ローレンスの言葉と優しく握ってきた手であった。


「ええと、すいませんアクさん。他の街の人と会うのが初めてだから、リングのやつ緊張したみたいで。ちょっと失礼しますね」


ローレンスに引っ張られてリングは外に出た。歪んでいる視界でもう一度アクを見た時、彼の顔は心配の顔へと変わっていた。


「俺の顔が恐かったのかな?」


アクはおどけて言うと席に戻る。

リングの様子にミナミは心配したが、とりあえず今はローレンスに任せる事にして、オカミから野菜を受け取り調理場へと向かった。


「一体どうしたんだよリング?」


店から少し離れた路地の片隅で、ローレンスはリングに問いかける。

リングは店を出てこの場所まで来た瞬間、まるで力が抜けるように座り込み、二人は石畳に胡坐という行儀の悪い格好をしていた。

自分の肩を抱いて震えるリングの返事を待ち、やがて小さな声がローレンスへと届けられる。


「あの人を……信用しちゃ、近づいちゃ駄目です」


目に涙を浮かべ必死で紡いだ言葉であるが、ローレンスは返事をしてくれなかった。

返事のない理由を、リングは分かっている。

渡りの龍の話では、街から街を渡るというのはかなり危険なものだという。闇の中街の光を見つけられなければさ迷い続ける事になり、渡りは死と隣り合わせの行動と言って過言ではない。

闇の中は氷に閉じ込められたように寒く、人間では凍死する危険もある。

それほどの危険を犯してまで龍達は渡ってきて、他の街の人間はやって来るのだ。

歓迎せねば、渡ってきた者に対して無礼というもの。

ロドニアが交流の街として在り続けるのは、そんな昔からの考えを住人が持っている事、渡りの龍とも隣人のように接している事が大きな要因である。

他の街の人間を忌み嫌う住人も中にはいたが、それは極めて少数意見である。

殆どは歓迎の心を持っており、龍と同じように他の街の人間にも公平に接する。

ローレンスも、例に漏れず歓迎する側の気持ちを抱いているのは知っている。

リングにも歓迎の気持ちはある。リングも他の街から来た人間であり、それを優しく迎えてくれたロドニアの住人達には、言葉に出来ぬほどの感謝の気持ちがある。

渡りの龍だって恐いが、挨拶をするし喋りもする。他の街の人間にも、きちんと接せられる自信はあった。

しかし――あの男は違う。

あのアクと名乗った男は、違うと思った。

自分と合う合わないの問題でなく、それ以前、存在そのものに恐怖し、拒絶してしまう。

上っ面の笑顔の下側、隠れた本性をリングは初対面のうちから知っていた。

凶暴で乱暴で、人を人と思っていない男。世界の中心は自分だと驕り――『この街で残虐の限りを繰り返した』、最低の人間。


(……え?)


また、自分の考えに違和感が生じた。

いや、そもそも違和感だらけである。

知っていた噂、知っている男の本性。徐々に大きくなる、自分自身への、とめどない違和感。


(この後、兄さんはどうしたっけ)


その後の事を『思い出せる』自分にもはや違和感はなく、妙に大人びた思考や口調も、慣れ親しんだものへと変わる。

視界はいつしか明瞭になり、自分と懐かしい人の姿を映し出していく。


(……そもそもこんな場面は、存在しないはずじゃ)


――二人から離れた場所にリングは立っていた。

右目に眼帯を付け、調律師の服装を身にまとい、目線を懐かしさと、悲しみに細めながら。


(僕は確かあの時、普通にあの男に挨拶したはずだ……)


さっきの反応は悲劇を知っていたからであり、昔の記憶どおりなら店を出て慰められはしなかったはずだ。


「シュリさんが、何かしたんだ」


この記憶を掘り起こしたのは、間違いなくシュリである。

悲しみを大切な記憶と共に消去するため、歯車人形の彼は何かを自分にした。そしてそれは、記憶の齟齬を生み出しているのかもしれない。


「……バグが起きたんじゃ」


口から出たのは、シュリからの金線で得た情報の一部だ。

シュリの音は人間の脳に一定の周波数を流す事により、記憶の削除や改変が可能である。

出会って間もないオカミが、シュリに疑問を持たなかったのはそう思うよう記憶の改変をしたからだ。

逆に、森でノルマンに改変をしなかったのは、彼に消したい悲しみが無かったからだ。

改変は削除する音に付いたオマケ機能のようなものであり、削除を行われる人間以外に音を聞かせるのは禁止されている。

歯車人形が造られる際の原則事項に、それは含まれていた。


(……もしかしたら、時計塔の部品を僕が持っているからバグが起きたのかも)


情報や知識があっても分からない事はあり、まさしく今の状況がそうである。

リングの記憶にない場面、そこにいるローレンスは考えるように顔を伏せ、一年前の自分はいまだ恐怖に怯えた顔をしている。


「兄さん……信じて」


「――当たり前だろ。俺はいつだってお前の味方なんだからよ」


自分の知らない答えを出したローレンスを見て、リングの心に、小さく淡い希望が生まれる。

自分の体験した悲しい結末とは違う――真実とは違う道を辿りだした記憶を見て、リングの鼓動は一際大きく高鳴った。


「おいっ!」


白は憤怒の表情でシュリの胸倉を掴んでいた。

シュリの顔に動揺の色はなく、それが更に白の苛立ちを募らせていく。


「なんでリングが倒れてんだよ!」


鐘の下、リングは仰向けに寝かされていた。表情はよく見えないが寝息は静かなもので、しかしそれでも安心など出来やしない。

信用したわけではなかった、だがそれでも知った真実は大きすぎて、受け止めるだけの時間が欲しかったのだ。

そんな身勝手な行動で、リングは意識を失ってしまった。

――これでは、一年前の悲劇の時と同じではないか。


「てめえ、リングに何をした……」


「私の音で記憶の削除中でス。大丈夫でスよ、身体や脳に障害が残る事はありませんし、目が覚めた時には悲しみを忘れて幸せに――」


「幸せなはずねえだろうがっ!!」


固く握り締めた拳がシュリの頬に突き刺さる。鈍い振動が、拳を通じて白に伝わる。だが、シュリは白の渾身の拳を受けてもその場を動かない。痛みも何もないように平然と立ち続けている。


「……いきなり酷いでスね。世界の真実を知って多少は大人になったと思ったのでスが」


シュリは片手を上げる。何の気なしに振り下ろされたその手は白に重い一撃を食らわせ、白の意識は一瞬だけ飛んだ。


「が、はっ!?」


「私の存在理由は人々の幸せのためでスよ? そのために塔の点検をし、人々の悲しみを削除している。なぜ分からないのでスか」


何とか踏ん張って、倒れずにすんだ白は荒い息を吐く。怒りを含んだ白の視線を受け、シュリは短く溜め息を吐いた。


「白は人の近くで暮らしたから、感情優先という非効率な考えが染み付いてしまったのでスね。とても残念でス……リングの治療が終わるまで、仕方ありませんが眠っていてくださいでス」


白に伸ばされた腕。恐ろしい力で首を掴まれ、白の意識は朦朧となる。


「ふざ……けんなよっ」


それでも、白は言わなければならない。


「何が人々の幸せだ……何が、非効率な考えだ。そんなもんはなぁ、お前の自分勝手な判断だろうが!」


これだけは、どんな事があっても譲るわけにはいかなかった。


「大切な人を思って泣いて何が悪い! そりゃあ死んだ奴の事を考えたら悲しくなるさ、後悔や苦悩が次から次から溢れてくるよ」


「それならやはり、忘れたほうが」


「違う! 忘れるんじゃねえ、その悲しみも自分の糧にするんだよ! 大切な思い出として、楽しかった事や嬉しかった事、最期に残してくれた言葉とか……全部を受け入れて生きてくんだ! 忘れちまったら、なら誰を思って笑えばいいんだ? 誰との思い出を懐かしめばいいんだ。そんな記憶まで消えるって事はな――」


白は、拳を握り締める。

強く、強く。この想いを誰にも砕けぬようにと固めていく。

今出せる精一杯の力を込めて、拳を握った。


「大切な奴らを、二度も死なしちまって事なんだよぉ!!」


心の限りの雄叫びを。

力の限りの握り拳に乗せて。

目の前の歯車人形に食らわせた。

ただそれだけで満足しない。その後はローレンスと約束したとおり、リングを助けなくてはいけないのだから。

今の自分の、一番といえる親友を。


「……私には、分かりませんでス。そんな感情論で幸せでいられるのはごく少数。大多数の人間は、悲しみに勝つ事はできないでスよ」


狭まっていた視界が開けていく。どうやらシュリが手の力を弱めたらしく、程なくして掴んでいた手は離された。


「……でスがまあ、その考えに似たものを過去に一度だけ聞かされたことがありまス。歯車人形の存在を根元から曲げようとした……一人の人間がいましたでス」


白は息を整えながら、初めてシュリの感情ある表情を見た気がした。その表情はとても人間っぽく、過去の記憶に思いを馳せる、人形なんかでは出来ない顔だった。


「……誰だよ、それは?」


「昔の事でスよ。白の言葉を聞いて久しぶりに、本当に久しぶりに思い出しました。もう何十年も昔の、小さな少女の説教じみた稚拙な言葉。似ても似つかないのに、白はその少女に似ていまス。いや、想いが似ているのかもでスね」


「お前みてえな乱暴者に説教するなんて、その子もなかなかやるじゃねえか」


「失礼でスね、白よりは理性のある行動をしている自負がありまス」


どこがだ、白の憮然とした声を聞きながら、シュリはリングに手を伸ばした。触れようとすると白が腕を掴んできたが、彼は心配ないでスと優しく答えた。


「その言葉の一つ一つが、なぜか私の心に……歯車人形には決してないはずの心に響いたのでス。だけど考えは変えられない。それを変えるという事は、私が私で無くなるという事で、無価値な物に成り下がってしまうから。だから私は少女に言いました。記憶の削除がその人に必要でないと感じたら、私は止めると。もし私が、私の中にある君の言葉を壊すような真似を他人にしたならば、その時は――」


シュリはリングの額に優しく触れ、笑った。

金属と金属の激しく擦れ合う音を響かせ、口を何事か呟くように動かす。


「――この身体が壊れてでも止めてみせる。君から貰った、シュリという名に誓って、と。なぜ忘れていたのでしょうね、とても大切な記憶だというのに……」


短い金線フィラメントが何本も出現し、リングの身体に刺さっていく。それはちょうど鐘に刺したものと同じようで、怪訝な顔で見つめる白のためにシュリは説明を始めた。


「リングの意識に接続してるんでス。削除のための音を直接脳内に流したので、それを消して記憶を再構築するには、私の集積回路と接続する必要があるのでス。大丈夫、あの子との約束は守ります――私は、いつだって人々の幸せを願っているのでスから」


その言葉に嘘偽りがない事を、白は感じた。

シュリにとってその少女との約束は、白にとってのローレンスとの約束だ。


「オカミの記憶も、なおしてやれよ」


「……リングもさっき同じ事を言いましたでス。ソうですね、白のような考えを持つ者が近くにいたのなら、確かに彼女も悲しみを糧にして生きていけそうでス」


「はっ、当たり前だっての。オカミは俺より図太いぞ」


「――でも、世界には悲しみを受け入れきれずに苦しみ続ける人もいるのでス。誰もが皆強いわけではない。これだけは、分かってくださいでス」


「……ああ、分かってるさ」


もしかしたら自分も、悲しみと苦悩に潰されていたかもしれないと思う。

しかしそれでも生きられたのは、顔を上げて歩けたのは、支えてくれた者達がいてくれたからだ。

誰かに支えられ、時に支えて自分は生きてきた。

家族でも恋人でも友人でも、とにかく誰かに必要とされた。

必要と思ってくれる誰かがいるからこそ、悲しみを乗り越えて生きていられるのだ。

支えられる弱さと支える強さがあってこそ、生きたいという衝動は生まれるのだ。


「悲しみを抱えて一人で生きられるやつは、この世界には、多分いねえよ」


もしいるとしたら、それは生きていない。

他の者に、自分に興味のないという事は死んでいるのと同義であり、悲しみもない代わりに楽しさも嬉しさもないはず。

――思考の淵に沈んでいた白の意識は、突然のシュリの叫びによって中断された。

そして弾かれるようにシュリはのけ反り、同時にリングに刺さっていた金線も何本か抜け落ちてしまう。

暗闇の中には、何かが床に落ちる音だけが嫌に大きく響き渡った。


「どうした!?」


慌てて白が駆け寄ると、足で何か固いものを踏んでしまう。

今はそれを気にしている暇はなく、すぐさまシュリの倒れそうな身体を支えてやった。


「大、丈夫でス……でスが、まさか接続拒否をされるなんて。もしかしたらバグが生じたんじゃ……」


「バグって何だよ! リングはどうなったんだ!?」


落ちていたマスクもそのままに、シュリはまた金線を出しリングに刺していく。だが今度は次々に消えていき、結局最初に刺さった数本しか残らなかった。


「リングの意識が強スぎる……記憶の削除どころか、バグの影響で脳神経が焼き切れてしまうかもでス」


「おいっ、一人で納得してねえで教えろよ! リングはどうしたんだよ!!」


シュリが白のほうを向いた。マスクのない顔面は金色に光っているが、先ほどとは違ってなぜか明滅を繰り返している。

問いへと返ってきたシュリの答えは、白の心をきつく締め上げた。


「……このままでは、リングの意識は一生戻らなくなるかもしれませんでス」




三つ子月の届かない闇を切り裂くように、一匹の龍が夜空を飛んでいた。

目指す場所は鐘のある時計塔の最上階、そこに金髪の男は行ったと教えてくれた人と共に、赤い瞳で闇の先を見据えながら龍は飛翔する。

到着するとまずは背中に乗っていた人を降ろし、次いで自分も人の姿に変わって降り立った。

白く荘厳に輝く巨大な鐘の下、金髪の男と顔見知りはいた。


「見つけたぞ! 今こそテメーを……リング!?」


「ベンさんに……緑か」


白が僅かに視線を向けて呟く。身体には金線が刺さり、シュリと片手ずつリングの手を握っている。

工具箱を振り回していたベンはリングを見るやすぐに駆け寄るが、触れる直前に白に止められた。

訳の分からないといった顔をするベン。

後ろから緑は近づき、白とシュリの顔をゆっくりと見比べた。


「……私のいない間に、色々と解決して色々な問題が起こったようですね。分かるように話してくれますか?」


白はシュリに説明を頼み、シュリはベンの方へと向き直る。


「あの時はすみませんでしたでス。緑も、痛かったでスよね。私は害を成す者じゃない事と、第二の主人を回収するのとは違うタイプだという事を理解してから、今から私の話を聞いてくださいでス」


ベンの身体を、緑がやんわり押さえつけながら先を促す。

シュリはこの場所で起こった事、リングの身に何が起こっているかを手短に説明した。

聞き終わると案の定、ベンが激しく激昂しシュリに殴りかかろうとした。

緑が止めたものの、しかしベンの怒りは収まらない。


「お前が全部悪いんじゃねえか! リングが目覚めなかったら……俺は、一生お前を許さねえぞ!」


「……そうならないよう、私の全てを賭けてでもなおしてみせます。そしてそれには、白の協力が必要なのでス」


「……白」


ベンを押さえながら、今まで黙っていた緑が視線を向ける。その目が語りかけてくるものを感じ、白は快活に笑ってみせた。


「もうヘマはしねえって言っただろうが。心配すんな、ちゃんとリングを起こしてくるからよ!」


「……そうですか。なら、私はあなたの言葉を信じましょう」


ベンを宥めながら、緑が軽く白の肩を叩いた。怪訝な顔をする白に、緑はいつもの微笑みで言う。


「帰ってきたら何倍返しでもいいですよ?」


「はっ。その言葉忘れんなよ!」


緑とベンが見守る中、シュリの指示で目蓋を閉じる。耳にまたあの音が聞こえてきて、意識が段々と遠くなっていく。


「私を経由して、白の意識をリングに接続しまス。今のリングはなぜか昔の記憶から目覚めようとしません。多分バグのせいで記憶が歪んでしまったのでしょう……その原因を取り除いてください。リングが現在の方がいいと思えば拒絶が緩み、私からも接続できるはずでス。そうなれば、目覚めさせる事は可能なはずでスから!」


「要するに、リングに帰りたいって思わせればいいんだろ」


意識が消える瞬間、白はベンの弱々しい声を聞いた。


「頼む……馬鹿弟子を、頼む」


答えようとしたが、それを待たずして白の意識は闇へと飲み込まれた。







最初に感じたのは、肌寒い空気であった。

次いで柔らかい陽光を感じ、遠くの人々の喧騒も聞こえてくる。

ゆっくりと目蓋を開ければ、目の前には見慣れた景色が広がっていた。


「ここは……森の近くか」


この景色がリングの消したい過去に沿ったものだとしたら、これは悲劇の日のロドニアなのだろう。

とりあえず歩き出そうとした時、足音が聞こえた。そちらを振り返れば、鍬を持ったノルマンが歩いてきており、どうやら畑に行く途中らしい。


「ノルマン、ちょっと聞きたい事があるんだけどいいか?」


リングの所在を知っているならと話しかけるが、ノルマンは無言で歩いてくるのみであった。

怪訝に思ってもう一回話しかけるがやはり反応はなく、そうこうする内に横を通り過ぎていった。


「おい! 無視すんじゃ――」


あまりに自分を無視した行動に腹が立ち、白がノルマンの肩を掴む。

だが掴んだはずの手は肩をすり抜け、あろう事かノルマンの体内に埋まってしまった。


「!?」


慌てて手を引っ込めるがノルマンはやはり無反応で、とうとう白を見る素振りさえないまま歩き去ってしまった。

呆然と自分の手を見つめる白。

直後、自分の身体に不審な点がある事に気付いた。


「手が、ていうか身体が透けてる……」


地面が透けて見える手。身体も反対側の景色が透けていて、まるで白の存在が希薄になったようである。


(いや、希薄なのか。ノルマンに触った時も感触は全然無かったし、俺の声が聞こえた様子はなかった)


このロドニアは記憶の中のものであって、現在の白の意識が存在する場所ではない。

ならば住人に干渉できないのも理解は出来る。身体が半透明なのも、まさしく部外者と示されているようである。


(なら、何でリングは目を覚まそうとしねえんだ? 記憶を見てるだけしか出来ないってのに……悲劇の中に閉じこもって、何が幸せなんだあいつは)


大体の予想はつく。まだ日が昇っている今は――あの二人が生きていた時間だ。

リングにとって大切な者達が、生きていた時間のはずである。


「リングがいるのは……確かオカミの店か」


自分の記憶を引っ張り出し、そう見当をつけて歩き出す。

目指すのは行き慣れた、渡りの龍の止まり木亭。一年前ならばミナミが経営していた馴染みの店。

……そして、あいつがいるはずだ。

最初から気に食わない相手で、顔を合わす度に殴り合いの喧嘩をやっていた。

けれど、いつしか親友と呼べる存在になっていた。




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