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〜第四章〜

「厳密に言えば龍と歯車人形も入れまス。調律師、私は塔の点検にやって来ましたでス」


シュリの言葉で、ベンの顔色は瞬時に変わる。驚きから数秒、その目は明らかに敵意を帯びていく。


「あ、あれ? ここで普通なら歓迎するところでスよね? もしかして塔の機密事項が、先代からきちんと伝わってないのでスか?」


「……いや、お前の点検という言葉やその髪の色を見てだとは分かったぞ。機密どおりにするなら、確かに時計塔に破損箇所がないか調べてもらうところだな」


「良かった、伝わっているのでスね。すぐに点検を始めたいと思いますが……その前に私の質問に答えてくれませんか?」


「なんだ?」


シュリは一瞬言うのを躊躇うように口をつぐんだが、意を決したのかその口を開けた。

紡がれた言葉はデータベースの中にあっても、錆びつき腐敗し朽ち果ててしまうほど、長年使われていない名称であった。


「『ニアの箱庭』――――これに、聞き覚えはありませんか?」


「……いや、知らん」


「そうでスか……」


 シュリは動悸や呼吸回数、体温上昇や発汗作用などを数値化する事によって虚偽の言葉を見破れるが、見たところベンは本当に嘘をついていないようであった。

知らされていないのか、その機密の部分が紛失されてしまったのか。

この街の『本当の存在理由』を知る者はいないという事になる。


(龍が何度もこの街に戻れるのも理解できまス。ニアの箱庭は人道的な観念を持った団体、その過激派から襲撃されないため辺鄙な場所に造られ、龍は備え付けられた帰巣本能無しに辿り着けなかったみたいでスからね)


ならば、住人が龍を容易に受け入れているのも頷けた。

世界が闇に包まれた後もニアの箱庭としての思想が残っていたなら、そこに住む人間にとって龍の存在は信仰と恐怖のそれでなく、隣人であり、『似たような境遇』の者達という事になる。

何百年と経った今では理由は消えたが、しかし龍へ抱く気持ちは変わらなかったのだろう。

住人の持つ感情は、仲間意識といえなくもない。


(こんな情報、誰も知らないほうがいいでスね。この街は人々のために稼動している。それだけで十分、存在理由になりまスでス)


知らねばならない真実と、知らなくていい真実がある。

ニアの箱庭は、まさに後者そのものである。

――実験材料のために造られた、死んでもなお出る事の許されない場所。

狂科学者と呼ばれたニアという科学者のための、公式に認められていた非人道施設。

そんな事、今となっては知らなくてよい事のはずだ。

シュリはそこまで考え、ふとベンが手招きしている事に気付いた。

このままでも話は出来るとが、床に降りてベンに近寄る。


「言っとくが俺はお前なんぞお断りじゃああああいっ!!」


「ひいい!?」


ベンはいつの間に持っていたのか、角灯を力いっぱいシュリの頭に振り下ろす。

間一髪それを避けたシュリであるが、いきなり攻撃された意味がまったくもって分からない。


「何でいきなりキレてるんでス!? というか私を知ってるのに拒否するなんて、調律師としてどうなんでスか!」


「うるせえ! だからこっちは時計塔の破損がないか毎日見回ってるんだ! お前なんぞ必要としてねえんだよ!!」


何回も空振りして疲れたのか手を止め、けれど睨んだ目つきはそのままに、ベンは荒い息を吐く。その口から、激しい怒りの声がシュリに向かって放たれた。


「リングを――時計塔の外に出てきた生体パーツを殺すのも歯車人形なんだろうが! 言っとくが、そんな事は俺が絶対させねえからな!!」


「……え?」


「しらばっくれんじゃねえ!」


風を豪快に切りながら角灯が振られ、シュリは寸でのところで避け続ける。

先ほどのベンの発言に重大な間違いがあると指摘したいが、しかし。


「あいつを苦しめる奴は、たとえ塔の点検全般が行える歯車人形でも許さん! この街に来たのが、運の尽きだったなあ!」


無理に思えた。あの顔は絶対信じてくれなさそうである。

歯車人形の存在を間違って捉えているベンを説得しようとしても、この勢いでは最初で全否定されてしまいそう。大まかな部分は合っているのだが、細かな差異を説明し終わるのと自分の頭が粉砕されるのと、果たしてどちらが早いか。

……血は通っていないはずなのに、血の気が多い行動ばかりと嘆息しつつ、シュリは素早く動きだした。


「後できちんと話しまスから、塔の鐘に接続して点検が終わるまでは眠っててくださいでス」


「うごっ!?」


手刀一閃。気を失って倒れるベンを抱えて椅子に座らせ、やっと点検できると安堵の息を吐く。この街に入って精神的に疲れたなと肩を回し、上方を見やった。

そうして発光し浮き上がりだした身体は、時計塔に広がる暗闇へと吸い込まれていった。

白とリングは時計塔に向かう間、ずっと無言であった。

白から話しかけたりはせず、またリングも話したりはしない。

そして目的の場所に着いた時、最初に喋ったのは二人ではなくその場にいたシュリであった。


「……追いかけてきましたでスか。情報伝達の龍にあまり教えたくはないのですが、どうして観察眼の彼に乗ってこなかったのでスか?」


「緑さんはあなたに音を聞かされて、具合が悪そうだったので。それに白さんは世界の真実を知る覚悟があります」


龍となった白の光に照らされたそこは、時計盤のちょうど下側に出っ張った、昨夜リングが歌った場所だ。

バルコニーのようになった場所にシュリは立っており、リングは白に言って近づいてもらう。


「それと、皆をちゃんと名前で呼んでもらえますか? そんな名称じゃなく、ちゃんとした名前で」


飛び移ったリングは真っ直ぐにシュリを見据え、右目の歯車が威嚇のように音もなく回る。

シュリはほうけた顔を一瞬して、納得の声を出した。


「……情報伝達やの第二の主人ほうが言い慣れてるので、スみませんでした。リングに、白」


白は、シュリのその真摯な態度に拍子抜けをしてしまう。

もっと悪者らしくというか、あの悲劇を起こした人間のような身勝手さが、シュリからは伝わってこない。


「それで、何をしに来たのでスか? 私は塔の点検を――と、そうでス。下の部屋にいる調律師に後で伝えてくれませんか? 私は歯車人形ですが、削除行動をインプットされた型式とは違うと。そこが混同しているようで酷い目に会いました」


「お前、ベンさんに会ったのか!?」


闇しか広がらない空間で、シュリの身体は発光していた。

ぼんやりとであるが位置を確認するには十分で、白はそれに向かってズカズカと詰め寄る。


「ひい!? 誰か掴んできました!」


「お……わ、悪い」


自分はまったく光を放ってないので存在が分からない。

リングは上着が光っていて居場所が分かるが、そうでない白はシュリに驚かれて、たまらず謝ってしまった。


「鐘のところに移動しましょうか」


リングの提案で鐘の傍まで寄っていく。

顔を認識できるほどの光を受け、白は再度シュリに質問した。


「ベンさんに何をしたんだゴラァ!」


「したこと前提でスか!? 私の話を聞いてくれないので眠ってもらっただけでス! 命に別状はないでス」


「やっぱり何かしてんじゃねえか!」


白が掴みかかろうとするがシュリはうまく逃げ、二人は鐘を中心に円を描きながら睨み合う。

ベンに何をしたのかリングも聞きたかったが、ふと視界に入った鐘の異変に気が付いた。


「これは……」


手の平に収まるくらいの金線である。それが何本も鐘に刺さっており、何だか痛々しく見える。

触れようとすると、シュリの声がそれを制した。


「触っちゃ駄目でス! 今、塔と接続して点検を行っている最中なのでスから!」


「接続……さっきから言っている点検ですが、歯車人形は一体何をするんですか?」


白の手を逃れながらシュリはしばし考え、リングに言う。


「言葉のままでスよ。歯車人形が塔の点検をするというのは分かってますね。塔は稼動し続けていれば、いつか破損や不具合が出てきてしまう。だから調律師という存在を塔に置き、世界についての機密事項を伝え続けさせ、歯車人形が来た際はお手伝いしてもらうのでス。まあここでは、それは無理みたいですが……」


悲しそうに言うシュリに、白は繰り出す手を休めずに聞いた。


「歯車人形やら情報伝達やら、第二の主人てのは一体何の事だよ? 世界の真実とか、俺には意味が分かんねえぞ」


「リングから、聞いてないのでスか? 私も頭に記載されていた情報や映像でしか知らないのでスが、この世界はその昔、闇に閉ざされず光に満ち満ちていたんでス。『塔が管理する偽物の太陽や月』でなく、本物が見える空が広がっていたんでスよ」


「今の、太陽や月は……本物じゃないのか」


「今あるのは、こうなる事を予見していた研究者達が作り置いた物でス。恒久的に稼動し街の大部分のエネルギーを作り出す擬似太陽『アポロン』と、そのエネルギーを様々な箇所に供給・制御する擬似月『アルテミス』は、塔の三十三%ずつの機能を占めていまス。実質それがあるから、この街で生きていられるんでスよ」


だから点検をする歯車人形は偉いんでス、と冗談ぽくシュリが言うと、白の素早い手により頭を叩かれた。


「な、なぜこうなったのかは知りませんが……とにかく世界は闇に閉ざされたのでス。繋がっていた塔同士の外部回線も切れ、衛星を介したネットワークは闇に阻まれ使えなくなりました。世界がまるで――もう生きるなと人間を拒んだように、でス」


白はいつしか追うのを止め、シュリの話を黙って聞いていた。

リングも情報の入りこんだ頭を整理しながら、耳を傾ける。


「それでも生きる事を諦めなかった人々は、無数にあった保護施設『ドーム』に、そこだけで生きていける機能を備え付けました。世界が闇に飲まれてもその機能は稼動し続け、以降今まで続いているという訳でスよ。まあ、それでも当時の人口の一%も収容できなかったようでスが」


「……世界は、何で闇に包まれてしまったんですか?」


「私の集積回路に、その情報はありません。それは受け取ったリングが一番よく知っているでしょう?」


こんな世界、誰も望んではいなかっただろう。

それなのに今は闇に包まれ、限られた空間で人生を過ごし終えていく。

生きたいという人の執念が街を作り、時計塔を作り――生体パーツという、自分を作った。

世界がこうなる事でしか生まれなかった、この命とは何なのだろうか?

リングは、そう考えるのがどれだけ無意味な事か分かっていながら、それでもやはり考えずにはいられなかった。

自分の存在理由を、求めたくなる。


「その中で生まれたのが人造生命体、妖精や龍でス。妖精は龍を造る過程で生まれた副産物で、存在価値はあまり無いでスが、龍は情報伝達や観察眼など、塔や人間に役立つ機能が付加されていまス。白のような情報伝達の龍はその巨体を生かし、塔同士の情報を伝達し合うのが役目で、身体が発光するのは塔のエネルギーを排出している証拠でス。情報を伝達し合う事は無くなったので、今はエネルギーを吸収しているだけでスけど」


「それが、俺……」


「情報伝達の龍は一番多いのでス。保護施設は無数にありましたし、塔の外部回線では送れる情報量は限られまスし。まさにその身を持って使命を果たしていたのでスね。観察眼のある、緑でしたっけ? ――彼の場合は、ただの実験体でス」


「実験……」


リングの声は小さくてシュリには聞こえなかったよう。

リングに答えずなおもシュリの言葉は続く。


「人間を治療する機能を歯車人形に付加する際、きちんと観察眼が作動するか確認する実験体でス。他にも作動確認のため、多くの龍が生み出されたようでスが、大概はその後スぐに処分されていまス。緑のような存在が生きているのには驚きました」


「処分って――まるで龍を物みてえに言いやがって!」


「白さん、シュリさんを怒っても……意味はないです」


「分かってるよ!」


吐き捨てるように白は言うと、その場に座り込んだ。

怒りを抑えながら今までの言葉を整理して、そこでふと気づく。


「おい。リングに言ってた第二の主人はどういう意味なんだよ? 調律師の別の言い方、とかじゃねえんだろ」


白の質問に、シュリは初めて言い澱んだ。躊躇いの視線をリングに送り、リングはそれに頷いてみせる。

リングを見ながらシュリは小さく溜め息を吐き、白のほうを向く。


「第二の主人は、塔の部品が壊れた際に使用する予備の生体パーツの事でスよ」


「生体……パーツ?」


聞きなれない言葉に、それでも白は寒気を覚える。

それは人間の生きたいという執念が凝縮された、聞いてはならない単語のように思えたから。

白の寒気を更に増長させたのはリングの声だった。

平坦で感情のこもっていない、恐ろしいほど冷静な声でシュリに続く。


「時計塔やシュリさんも生きた部品を使っているそうです。もしそれが壊れた場合、歯車人形は大量生産されてるので替えはいくらでもいますが……時計塔はそうはいかない。機能不全を起こした時点で対処しなくては、取り返しのつかない事になる。だから、僕のような生体パーツが必要なんですよ。本来なら時計塔の地下深くに眠っていて、生きた部品が壊れた際はそのまま飲み込まれて……第二の主人とは時計塔との感応値が高く、理論上では研究員しかできない命令が出来るので、皮肉で付けられたアダ名です」


情報どおりなら――と、誰に言うでもなくリングは呟いた。

淡々と語った口調は感情など感じられず、だからこそ白は憤りを感じずにはいられない。

それが、世界の真実?

リングは生体パーツで、壊れた部品の代わり?

地下深くに眠っていて、もし話が本当なら……起きる事無く、消えていく命。


「何だよ……それはっ」


狂っているとしか思えない、でもそれが、真実。

闇に閉じた世界の中で、人間が作った区切られた世界の真実。


「緑に土産話で聞かせるには、重すぎるだろ……」


苦々しげに吐いた白の言葉を、二人は無言で聞いていた。




散歩してくるという白を見送って、シュリと二人っきりになったリングはオカミの事を切り出してみようと思った。

大切な人の記憶を消してまで悲しみを忘れるのは、認める事はできないのだ。

リングだってローレンスとの別れは悲しかったが、だからといって忘れたいと思わない。

忘れてしまえばその人との楽しかった思い出も消え、全てが無かった事になる。

それを悲しいとさえ感じられなくなるのは、寂しい事だ。


「オカミさんの記憶を戻してくれませんか?」


「? なぜでスか?」


今の気持ちを伝えて、シュリは分かってくれるだろうか。この気持ちを認めさせるのはつまり、歯車人形の存在理由を一つ消してしまう事になるが……それでも、納得させられるだろうか。

諦めては何も始まらないと、リングは再度口を開こうとした。

が、


「そういえば……リングも悲しみを抱えてまスね。私は音で人の心の機微が分かるんでスが、その悲しい記憶、消してあげまスよ」


「!?」


予想だにしなかったシュリの言葉。

すぐに離れようとしたのだが顔面を掴まれ、外そうにもその力はとても強い。

痺れるような痛みで視界が狭くなっていくが、それでも必死でリングは叫んだ。


「止めてください! 僕は、僕は忘れたくない!」


「遠慮しなくていいでスよ。これが私の――存在理由なのでスから」


やめて、やめろ。

うわ言のように叫ぶリングは暗転する視界の中、不意に明るい光を感じた気がした――







「……あれ?」


虚ろだった視界がはっきりとし、リングは今まで木陰に寝転んでいたその身を起こした。

何だかとても嫌な夢を見ていた気がして寒気が走り、身体には倦怠感が張り付いている。

まだぼんやりとする思考を覚ますように、頭を振って立ち上がった。

羽織っている外套がブカブカなのに気付いたが、まあ、仕方ないなと苦笑した。


――『兄さん』のを借りたのだから、大きいのは当たり前だ。


(え?)


自分の頭によぎった言葉に、不意に違和を感じた。

借りた、当たり前に出た言葉に違和感は蔦のように絡まり、言いようのない不安をリングに与えてくる。


(何だろう……何か重要な事を、僕は忘れている)


それが何なのかは判然としない。けれどやはり、不安は心の片隅に残ってしまう。


「そういえば僕、何でこんな所で寝てたんだろう?」


肌寒いといえるこの季節。

外套を羽織っただけで外での昼寝など、正直言って馬鹿のやる事だ。

ならば自分は馬鹿なのかと言われると……否定はできないが、認めたくはない。

たしか誰かを待っている間に寝てしまった気がするけど、待っている相手は誰であっただろうか。


「僕……今日は何か変だな」


辺りをきちんと見回せば、ここがノルマンの家の近くだと気が付く事ができた。

光妖精の住む森は目と鼻の先に広がっており、ざわめく葉の音が静かに響いてくる。

誰にも言っていない事であるが、リングは光妖精と区切らず妖精という種族全般を苦手としていた。

どう見ても妖精は光の塊にしか見えず、あの何を考えているかも分からない存在に恐怖を感じてしまうのだ。

両の目できちんと見れば考えが分からなくもないとベンが言ったので、歯車部屋や店の火妖精を見つめたりしたが、考えが分かる事はなかった。

もし火妖精に近づかれようものなら、即効で逃げ出してしまうだろう。

誰が何を言おうとこの先、友好的な関係は築けない相手だと思えている。


(あ……れ?)


そこでもやはり、リングは己に対して違和感があった。

そっと顔に触れてみる。柔らかい皮膚、温もりのある皮膚――傷跡一つない、皮膚。

右目を覆うものは何もなく、見える景色はいつものものだ。


(何が違うんだろう……考えられない)


頭痛に苛まれながら、それでも知らないといけない気がした。

この違和感の正体を、否。

自分にとってとても大切な『何か』を思い出さなくてはいけない気がする。


「お、なんだよ待ってたのか。先にミナミさんの所に行っとけって言っただろ?」


「――――」


「……なんだ? 何驚いた顔してんだよ、リング」


リングの耳に届いたのは、聞き慣れたいつもの声である。

毎日聞いている、あの人の声のはずだ。

なのに、そのはずなのに。


「兄、さん?」


「なんだよ、まるで幽霊でも見た顔して――って! なんでいきなり泣くんだよ!」


「え? あれ、なんで」


頬に触れてやっと気付く、頬が涙で濡れていることに。

どうして泣いてしまったのかリング本人さえも分からず、止めようと思っても涙は止めどなく溢れて流れていく。


「兄さん、兄さんっ!」


「お、おい本当にどうしたんだよ。腹でも痛いのか? 俺が待たせすぎたか? こんな所もしアイツに見つかったら――」


「うちのリングを泣かせるんじゃないよ馬鹿!」


鋭い怒声と鈍い打撃音。涙でぼやけてはいるが、目の前に現れた人はリングのよく知っている人であった。


「母さんが迎えに行ってきなさいって言ったから来てみたら……よくもリングを泣かせたわね――ローレンス?」


「まま待てオカミ、これは俺じゃないぞ!? リングが泣いてる原因は、今回は俺じゃっ」


「兄さあん!?」


「……問答、無用!」


悲痛な叫びを耳にしながらリングは泣き続ける。

嬉しいのか悲しいのかも分からぬまま、ローレンスとオカミの前で泣き続ける。

浮かんでいた違和感は、無意識のうちに心の奥へと消えてしまっていた。




三人は他愛のない話をしながら店に向かって歩いていく。

と言っても喋るのはローレンスとオカミだけで、リングはたまに相槌をするくらいである。

いつもの風景、いつもの三人、いつもの日常。

落ち着いて泣き止んだリングは、改めてその日常に幸せを感じた。

なぜかは分からないが、この何気ない日々がとても愛おしく感じられた。

普段の日常が愛おしくて、絶対に手放したくなくて。

リングは二人の手を取り、しっかりと握った。

最初二人は驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって握り返してくれる。

その事がまた嬉しくて、リングの顔にも笑顔が咲く。


「それで、ヒカリ草はどうしたのよ?」


「あ」


「やっぱ馬鹿だ……」


二人の話を聞いていて、リングは妙な感じがする事に気が付いた。


(この会話、僕は知っている?)


既視感とでもいうのだろうか、そんな感覚が心を満たす。

忘れようとしていた違和感はさざ波を立て、すぐに荒波となって心をかき乱す。


「ま、まあ後で白と取りに来ればいいしよ。それより、お前のその荷物はなんだよ?」


「これ? さっきノルマンさんに頼んで分けてもらった野菜。今日は珍しいお客さんが来たからね」


「珍しい? はじめて来た渡りの龍か?」


「違うわ。聞いたら驚くわよ、実はね――」


「――――他の街の、人間」


勿体つけるようなオカミの言葉の続きは、リングの口から滑り出た。

ローレンスとオカミは足を止めると驚いた顔でリングを見、リングも自分で言った言葉に驚愕する。


「リング、なんで知ってるの? これ、ついさっきの事なんだけど」


「僕……分からない。分からないよ」


リングはその、珍しい客の話なんてものを知らない。

今日はまだ店に寄ってはいないのだから。それに他の街の人間が来るなど、思ったことすらなかった。

だが口から出たのは、初めから知っていた事を話すような声色。

今の自分ではないような、大人びた暗い声であった。


「分からないのに何で僕は知ってるの? なんで」


違和感も既視感も、この恐怖さえも全部飲み込んだ『誰か』が近くにいた。

心の奥に――違う。

心の傍に、それも違う。

いるのは、誰かがいる場所は……


「ほら、あれだ。リングは勘がいいから気付いたんだよ。オカミが出す下手くそなヒントで答えが分かるなんて、さすが俺の弟分だな。兄貴として鼻が高いぜ!」


ローレンスは、リングの肩に腕をかけ笑いかけた。

フォローなのか本当にそう思っているのかは分からない。

しかしその笑みは安心を与えてくれ、ごちゃごちゃしていたリングの思考を少しだけスッキリさせてくれる。


「そ、そうなの。誰かが言ったんじゃないかって心配したわ。他の街の人を快く思わない人もいるし、ていうか!」


「痛えっ!?」


「何が弟分よ! リングは私の弟なんだからね!」


「暴力反対! 耳を引っ張るの反たいててっ!?」


反論したところでローレンスの悲鳴が止む事はない。

それを見て、リングは心に沈殿する気持ちを払拭するように笑った。

何を恐怖する必要があるのか、今が幸せならばそれでいいじゃないか。

感じる不安も何もかも、考えなければいい。そうすれば、幸せは永遠に続いてくれるはず。

歩きながら、リングは笑い続ける。

そうやって自分の心に蓋をしてまで得た幸せが、長くは続かないものだと知らず、ただただ笑い続けた。





陽光の差し込んだ窓側の席で、その男は料理を貪るように食べていた。

よほど腹が減っていたのだろうとミナミと緑は苦笑し、だがそんな事はお構いなしに男は食べ続ける。

程なくして男は満腹になったのだろう、渡された醸造酒を一気に飲んで一息ついた。


「いやあ、助かった。見ず知らずの俺にタダで食わしてくれるなんて、この街は本当良いところだな。もちろん人も龍も、良い奴ばかりだし」


流暢にこの街の言葉を喋る男は、しかし明らかに街の人間とは違っている。

赤土色の短髪に同色の瞳、年齢はミナミと同じか上のよう。

ボロボロの外套は男の旅の苦労を物語っているように見え、そこから覗く腕の太さは逞しさを示していた。

ミナミは男の正面に座ると快活に笑い、緑の持ってきてくれた樫のコップをあおる。

中身はもちろん、醸造酒である。


「それで、アクさんだったかしら? 事情は緑から聞いたけど災難だったわねえ」


「……まさか一緒に渡っていた龍に置き去りにされるとは思ってなかったな。倒れてるところを見つけてもらわなかったら、今頃どうなっていたか」



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