04 彼岸花の家路
鉄製の重たい門を開けると、なだらかな丘の道が続く。
両側の、赤い赤い、赤い花が……流れ零れる命に見えてソフィアはめまいを覚えた。
夕暮れの茜色が溶け込んで、空と地面の堺を失わせていく。
隣を歩くレイモンドの金髪も、オレンジの光を受けて銅のように染まっていた。
ここは危険と、頭の中で警鐘が鳴る。
預かりの知らぬところで、世界が壊れ零れ落ちる……砂を噛むような恐怖。
「必要だったら、ひとつどうぞ」
す、と隣から差し出された手のひらに首を振る。
小さく笑ったレイモンドは、代わりに足元の花に指を伸ばした。
まるで絨毯のように広がる、赤い花。ひとつひとつが燃える様な鮮やかな赤を放っている。
屋敷の主が異国から取り寄せたものだと聞かされたのは、つい3日前。彼らが初めて訪れた日のことだった。
「ソフィー、彼岸花の花言葉を知ってるかい?」
いいえ、と呟くソフィアの碧い瞳に、花の赤が陰りのように映り込む。
「――また会う日を楽しみに」
「……え?」
それは、最期に夫人が言った言葉と同じで。
東島の国から来たという彼女は、神秘的な黒瞳ですべてを見透かすように微笑った。
さようなら、ソフィア。
別れの言葉は短くて。
指輪に仕込まれた毒。知っていたのにソフィアは動けなかった。
愛おしげに形見の指輪に口づけた赤い唇が、異国の言葉を紡ぐ。
「また逢う日を楽しみにしていますわ――」
輪廻天生。命は廻り、また出会う。それが彼女の口癖だった。
長い黒髪が尾を引くようにゆっくり崩れ落ちる瞬間まで、彼女はその意志を貫いていった。
鮮やかに。
どこまでも鮮やかに。
赤い花弁から指を離して、レイモンドが続ける。
「悲しい思い出、想うはあなたひとり、なんてロマンチックな花言葉もあるけど。どれも哀しい印象の言葉かなー」
けれど、凛と背筋を伸ばして己を全うした彼女を偲ばせるその花に、煌びやかな言葉は似つかわしくないだろう。
小さな体に見合わない程の意志を秘めた、黒髪の女性――最期まで屋敷を守ったその姿は、彼岸花の潔さに似通っていた。
秋風に揺れる花の隙間から、夫人の声が聴こえやしないかとソフィーは無意識に耳を澄ます。
けれど、赤い花は何の言葉も伝えなかった。
「……あの人は、満足したのでしょうか」
「たぶん、ね」
本当のところなんて、彼女以外にはわからないけれど。
「あんなに強い女性を、俺は他に知らないよ」
尊敬と感嘆を込めて、レイモンドがゆっくりと瞬く。
たった数日でソフィアを虜にしたその魅力も、完敗と言わざるを得ない。
夫人とソフィア。立場は違えど、故郷を失った者という共通点があった。
彼の事務所の受付嬢が立ちすくむ程思い入れたのは、どこかで似通った哀しみを察していたのかもしれない。侵略により失われた東島の小国と、革命の起きた西の島しょ国。異国で暮さざるを得なくなった彼女たち。
本人たちも知らない事実を、彼は「知るはず必要のない情報」と位置付けて記憶深くに沈めた。
「この事件の解決に、警察や探偵なんかの出番はもうない」
レイモンドは夕焼けを映す白亜の屋敷を一度だけ返り見た。
揺るぎない青い瞳が映すのは、静謐すらたたえる姿。
犯人も被害者も存在しないその屋敷を紐解くのに、騒がしい人種は相応しくないだろう。ましてや依頼人のない事件に、探偵が登場する余地はない。
「あとは時が解決するさ」
そう結論付けて、ソフィアの背中を優しく押した。
赤い花の道が途切れ、空が紺色に染まる頃。
ソフィアが小さく息をついて、いつものように顔をあげた。
「……所長」
「んー?」
「職務放棄ですか」
「えー」
「珍しく働いたと思ったら、即座に」
「うわあ、否定できないなーそれ」
どうしようかソフィー、と尋ねる青い瞳は、次いで紡がれた小さい言葉に優しく細められた。