8
「これ、昌文、そこはもっときちんとハネるが良い。それでは縮こまって見える」
「こんな感じ?」
「そうそう。うむ、なかなか良いぞ」
御札を書いていたら、姫さまがやってきて何時の間にか臨時の習字教室のようになった。
御守りは印刷物を祈祷するが、御札は手書きだ。手書きの方がご利益がありそうに見えるし、実際、うちの神社の場合は手書きの方が印刷物よりご利益がある。姫様が手書きの方がお気に入りだからだ。
時間のある時に禰宜以上の人間がこつこつ書きためている。僕も姫さまの許可がおりた三年前から書くようになった。お札の材料は古い社を解体した材や神社の裏山の間伐材が利用されていて、なかなかエコに気を使ってる。
「昌文さん、ここに押せば良いのですね?」
「そう。これ、一応、見本ね」
白狐様は震える手で真中の印章を押し、子狐さんはあっさりポンと端っこの印章を押した。他の子狐さん達が綺麗に並べて乾かしたり、乾いたものを、印刷してある薄紙で包んで水引をかける。
「うむ、よくできておる」
完成した一枚を目にした姫様が満足げにうなづいてくれたから僕は嬉しかった。調子に乗ってすいすい手が動く。姫様といるとつくづく自分が単純だと思い知らされる。
「これ、白、それほどに精密でなくとも良い」
白狐様は、まっすぐ押すために一枚一枚おそろしい形相でお札をにらみつけている。美形な人はそういう顔をしていても美形だ。
「しかし、姫、まっすぐに押しませんと……」
「良い良い、1ミリずれていたとて効果には変わりない」
「そうですが、何か妙に心地悪いのです」
人間だったらきっと姫様はO型で白狐さまはA型だと思う。
「仕事にはスピードも必要じゃ……子狐に任せて、そなたは札を書くが良い」
その方が仕事が速いだろうな……それにしても、白狐様が書く姫様の御札って何かすごく効果ありそうな気が……。
「わかりました」
白狐様は別に気を悪くした風もなくうなづき、子狐さんがすかさず硯と筆を持ってくる。
薄い檜板に描き出される白狐様の手蹟は流麗だった。
「昌文、白の手蹟を草書の手本にするがよい」
「はーい」
僕は、白狐様の書いた札を手本に手を進めることにした。
一時間もずっと札を書いていると、何だか自分が御札書きのロボットになった気がする。
「そういえば、姫さま、新しい人に会った?」
山城さんがいろいろ教えて回っているんだろうけど、僕のとこにはまだ挨拶に来ていない。履歴書の写真は見たけどピンボケだったし、いまいちわかりにくかった。
「いや、まだじゃ。……これ、手を休めるでない」
姫様が手の中でパチリといつも手にしている扇を鳴らす。今、姫様が使っているのは僕が去年プレゼントしたもの。鮮やかな牡丹が描かれている。姫様にとって扇は必要不可欠な小道具だ。着物に合わせたりして何本も必要だから、姫様の気に入りそうな良いものがあったら迷わずに買っておくようにしている。
「はい」
「私は見ましたよ」
白狐様が口を挟む。
「どんな人だった?」
「……とりたててどうということもありませんでした。ただ……」
「ただ?」
僕は先を促す。
「……あれは『草薙』に属する者じゃないかと思います」
ためらいがちに白狐さまは言った。
「クサナギ?」
「『草薙』というと、あの『草薙』かの?」
僕は知らなかったが、姫様はご存知らしい。
「はい。その証を見たわけじゃありませんが、気配が草薙の術者達にとてもよく似ていますから」
「そのクサナギって何?」
「草薙というのは、特殊な術者達の組織じゃな。神社本庁、高野山、比叡山、気象庁などが母体になっておる」
姫様があっさりと問う。
「……気象庁って何?」
神社本庁は神道、高野山と比叡山は仏教を意味するんだろうってことくらいは僕にもわかる。けど、気象庁って?
「気象庁は土御門ですよ、昌文さん」
「土御門っていうと……えーと、阿倍清明!」
「まあ、間違ってはおらぬ」
「陰陽道です。土御門は天文で、賀茂が暦……どちらも気象庁とは縁が深い」
「へえ」
僕は感心した。今時、陰陽道なんて生き残ってるんだ。
「阿倍の何とかって人がまだいるの?」
「土御門の家はまだ続いているはずだ。けれど、術を修めているかはまた別の話だな」
姫様の言葉に僕は首を傾げる。
「姫様、詳しい?」
「と、いうわけでもない。ただ『草薙』はな……」
「姫様が欲しくてならない人たちですからね」
その一言に僕の頬はぴくっと引きつる。
「……どーゆーこと?何なの、そのクサナギってのは」
「『草薙』の主な仕事は、『神狩り』です」
「カミカリ?」
「堕ちた神を狩る……わかりますか?」
白狐様は先生みたいな顔で僕に説明してくれる。
「正気を失った神様を殺すってこと?」
神が堕ちるということを僕は知っている。
幼い頃にそれを見たことがあるから。
「浄化できればいいんでしょうが、できない場合は殺すでしょう」
神を殺す……それは、無に帰すということだ。
「……そういう人達が姫様を欲しがる理由なんてどうせロクでもないね」
道具に使いたいとか、そういうことなんだろう。
「まあ、そうであろうな……」
「そういうのの一味がうちの権宮司として来たわけ?」
「いや、何もこれがはじめてというのではない。多かれ少なかれ今までの権宮司も一緒だったしな」
「え、そうなの?」
初耳だった。
「そうですよ。子狐達が何もしない人間にちょっかい出すわけないじゃないですか」
白狐様も笑う。そ、そうだったんだ。いたずら好きの子狐さん達のことだから、またからかってるのかと思ってた。
「本庁にいる人間なんて多かれ少なかれ草薙と関係がある者ばかりですよ」
「へえー、白狐様、詳しいね」
「……昔、隆正がそこに属していたことがあります」
「ええええええっ、山城さんが敵だったの?」
僕は思わず声をあげる。だって、山城さんってうちの禰宜さんってずーっと思ってたし……ああ、でも、ここに来たばかりの時はいなかったっけ……。
「そう。山城がここに戻ったは、おまえが八つの時であったな」
じーさまが死ぬちょっと前だ。
「何で草薙を辞めたの?」
「……それは本人にしかわからぬことでしょう」
まあ、それはそうだよね。
「あれ、でも、白狐様、ずっといたよね、ここに」
白狐さまは僕がこの家にきたその時からここにいる。ちゃんと記憶にある。
「ええ。私は何よりもまず姫様のお使い狐ですから……。それに当時契約していた山城の者は隆正ではありませんでしたし」
事も無げに白狐様は言う。
つまり、白狐さまと山城さんって僕と姫さまとはまったく違うんだな。
「山城さんは草薙で何をしてたの?」
「神狩りだったようですよ。戻ってきた時、あんまりにも穢れていたので姫様に滝壷に叩き込まれた位ですから」
「うわ~……」
滝壷たって滝が10m足らずの小さいものだからそんなものすごい広いわけじゃない。まあ、ボートを浮かべて遊ぶくらいはできるけど。でも、かなり深いんだよね。少なくとも真ん中あたりは相当だ。
………姫様のことだから容赦なく叩き込んだんだろうな。その情景が目に浮かぶ気がする。
「昌文さんによろしくないということで、まあ、そこで丸一日お清めさせられましたね」
姫様は当然という顔をしている。
「それは、それは……」
「当たり前じゃ。あんな怨嗟をまとわりつかせた身で幼いそなたの側近くあることは許さぬ」
「姫様、その当時から僕に甘いんだねぇ」
「当然じゃ」
ふふんと姫様は胸を張る。
僕は嬉しくて笑みを浮かべる。
姫様と居ると、僕はいつも笑っていられる。
とーさんやかーさんを失った時も、じーさまを亡くした時も、姫様がいたから僕は笑えるようになったのだ。