ステルラと闇の精霊
最近、ずっと考えていることがあった。
以前壊滅させた《血を欲するものたち》、戦闘において感じる力不足、
ノワールに対する劣等感。
リリーを守るのは自分だと、凍りついたはずの心が叫ぶ。
だから、この機会はステルラにとって好機だった。
「少し、用が出来ました。先に眠っておいて下さい」
宿の食堂で食事を取り、もうそろそろ休もうかという時だった。
相変わらず3人は年頃の男女というのに、同じ部屋を取って休んでいた。
このパーティー唯一の常識人であるステルラにとって悩ましい問題ではあるが、
リリーが一人で眠れないというのなら仕方がない。
それに自分が却下すれば、アレクシスと二人部屋を取るからいいですと笑顔でリリーが言うものだから、性質が悪い。
「めっずらしーっ。ステルラが夜遊びなんてさ!」
骨付きにかぶりつきながら、アレクシスがニコッと笑う。
「夜遊びだなんて…!ステルラさん、わたしじゃ、やっぱり満足出来ませんか?」
アレクシスの発言に悪ノリしたリリーが涙目になりながらステルラの腕を掴む。
「ご、誤解を招くような発言はやめてください!二人とも!!」
周りで食事を取る人間たちの冷たい視線に気がついて、ステルラは顔を真っ赤にしてリリーの手を払いのけた。常に無表情の彼が表情を崩す数少ない瞬間に、アレクシスとリリーは嬉しそうに顔を見合わせた。
ステルラは頭を抱えつつ、マフラーを巻きなおす。
「…知りあいがこの街の近くにいるんで、会いに行くだけですよ。ちなみに、女性ではありませんから」
「なーんだ、つまんないの。ね、リリー」
「そうですね。……でも、本当に大丈夫ですか?」
リリーの桃色の瞳が、心配そうにステルラを映す。
彼女は僕の思惑に気づいているのかも知れない――なんて一瞬考え、ステルラは心の中で否定する。感知能力に優れている彼女でも、人の心は読めない。
「心配はいりません。それと、アレクシス。リリーに変な真似したら凍らせますからね」
「こぇー」
そうして能天気に肉を貪り食うアレクシスと、やはりどこか心配そうにその背中を見つめるリリーに見送られ、ステルラは宿を出た。
◆
黒の濃淡のみで、その他の色が一切ない――闇の精霊。
「精霊というからもっと厳かな感じかと思っていましたが、えらく俗物的なんですね」
男性の形をした精霊は、スーツ姿に、長い髪を後ろで結んで、モノラルを掛けている。
各地に存在する常闇の洞窟に呼び掛けることで、召喚できる闇の精霊でも、
ステルラは上位の存在を呼び出したはずだった。
≪それ、精霊仲間にも言われるんだよね。お前は威厳が無いのか―てね≫
しかもやけにフランクに喋る。
濃い闇の魔力とプレッシャーさえなければ、目の前の精霊が上位だとは信じられない。
これまでの旅の中で見かけた精霊たちの姿と、闇の精霊の姿を重ねて、苦笑するしかない。
≪それで、人の子。キミは、闇をその血に宿したいんだ?≫
闇の精霊は、美しい容貌を皮肉げに歪ませる。
「愚かとお思いでしょうね」
ステルラは自嘲する。それでも、闇の精霊から目を逸らさなかった。
ここで引くわけにはいかない。
精霊はふわりと浮いて、くるくるとステルラの周りを飛び始めた。
実体のない手でステルラの頬を撫で、ふっと笑った。
≪キミから、あの女の気配がするね。ノワールの気配も。
――――ふーん、どこまで識ってるの?≫
「…さあ?貴方こそ、何をご存じなのですか」
ステルラは曖昧に肩をすくめた。
≪ボクにカマかけているつもり?ふんっ、小賢しいなあ~。
…でも、いいか。身の程知らずなキミに、ボクの力を分け与えてあげる。
だけど、分かってるよね?キミがいくら貴族だからって、新しい属性を宿すことの難しさをさ≫
「実際に見てきましたからね」
頷いて、≪血を欲するものたち≫のことを頭に浮かべた。
本来宿らぬ属性をその血に宿らせる時の代償。
―――炎は、精神を焼き尽くす。
―――水は、精神を押し流す。
―――風は、精神を吹き飛ばす。
―――土は、精神を崩す。
―――光は、精神を消し去る。
―――闇は、精神を呑み込む。
特に、闇は扱いが難しい属性だ。赤い瞳が特徴の魔族の多くは、闇を司る。闇の貴族もいるにはいるが、その絶対数は少ない。ステルラがこれまで会った貴族は、みなどこか陰鬱な表情をしていた。
ただ、彼女だけが。リリーだけが、闇をその身に宿しながらも、輝いていた。
「僕はもうリリーのためだけに生きているのです。だから、彼女と同じ属性を宿したい」
≪ボクには理解しがたい感情だなあ。愛ってやつ?≫
そう言って、闇の精霊は軽薄に笑った。
◆
「ツヴァイ、フィア――氷よ刃となれ」
掌に水と風の魔力を集め、氷の刃を創り出す。ステルラは刃で躊躇いもなく、腕を切りつけた。鮮血がとめどなく流れ落ち、闇の精霊が展開した魔法陣を染め上げていく。
≪闇よ、血に絡みつき、浸食し、宿れ≫
闇の精霊の身体が指先から溶けだし、ステルラの傷口に吸い込まれていく。
「……っ!!」
異物感に、眉をひそめる。闇の魔力が流れ込んできた途端、全身を負の感情が駆け巡る。
過去の嫌な記憶、醜い感情が次々と蘇ってくる。脂汗が流れ、心臓が激しく脈打ち、酸素を求めて喘ぐ。
「僕は……っ、リリーを守るためならなんだってする…!!」
それがステルラの決意。
ステルラと契約した上位の闇の精霊。
人間生活に興味津津。俗物と成り下がったと、
他の属性の精霊からは蔑まれ、同属からはもっとそれらしくしてくれて懇願されていたりする。
リリーの存在が興味深いので、ステルラと契約したに過ぎない。
あくまで暇つぶし。