10話(改) 僕とヴァルハラと
ブリュンヒルデは迷うこと無く、文字通り天を目指して一直線に飛翔した。
途中で僕達を見つけたヴァン神兵が僕を奪う為に追いかけてきたけど、戦乙女と一兵卒では戦力が違いすぎる。ブリュンヒルデは追いすがる彼らを無視し、このまま宇宙に飛び出してしまうのではないかという程の勢いで上を目指して飛び続けた。
そして暫く飛んでいると、分厚い雲が目の前に現れた。恐らく、この雲の先にヴァルハラが存在しているのだろう。
「寒くはないか? 私達は加護を受けているから問題ないが……」
そう言いながら心配そうに眉をひそめながら僕を見つめてくるブリュンヒルデ。その瞳は鮮やかなブルーで、大空を連想させるそれは、彼女の金髪と相まってとても映えていた。金髪碧眼って、正にこういう事を指すのだろう。
今までの目まぐるしい展開に目を奪われてすっかり忘れていたんだけど、確認したら状態異常「凍結(小)」と表示されていた。HPも少し減っている。仕方ない。ケープに包まってやり過ごすしかないな。
お姫様だっこをされて自由に動けないから、僕はブリュンヒルデにお願いして、ケープで僕の体を包んで貰った。……よし、幾分かはマシになった。そんな様子を見て、彼女は苦笑いしていたけど、仕方が無いだろう? これしか寒さを防ぐ手段を思いつかなかったんだから。
「それなら、雲の合間くらいは持つだろう。よし、少し速度を上げるぞ」
心なしか、僕の肩と膝の裏に回された手の締めつける強さが少しだけ増した気がした。
既に目を開けるのは不可能に近い。押し寄せる空気の塊は僕が呼吸すら満足に行うことすら許さず、口や鼻腔を手で覆いながら呼吸しなければ窒息してしまうと否応なしに実感させられた。これがVRだって言うのだから恐ろしい。技術の進歩って凄いと身をもって味わう事となった。
どれ程の間雲の中を飛んだだろうか、僕とブリュンヒルデに纏わりつく雲は鈍い灰色で、マントや帽子がしっとりと水気を帯びて重みを増した。これは、少しまずいかもな……。
やがて徐々に雲の密度が薄くなっていき、それに連れて明るくなってきた。もう少ししたらヴァルハラに到着するのだろうか。とりあえず行ってみない事には何も分からない。
そしてついに雲が完全に消え去った。
どうやら僕達は、雲の海原を突きぬけて来たらしい。
何処までも広がる広大な雲は、切れ目が見えそうもない。なるほど、ここが「アースガルズ」の端っこって訳か。
「ここがアースガルズだ。今居る所はアース神族の領土の端に当たる。ああ、心配しなくていい、ヴァン神族の領土は反対側だ」
それを聞いて僕は胸を撫で下ろした。アースガルズに到着して、すぐにヴァン神兵に襲われたりでもしたら洒落にならない。
「遠くに見えるのが我らが主神オーディン様が居を構える「ヴァルハラ」だ。くれぐれも無礼の無い様に頼むぞ」
僕らは雲の上を歩きながら色々と説明を受けていた。ていうか、この雲どうなってるんだ? なんていうか、ふわふわしていない。歩いても問題がない様にプログラムで設定されているのか、まるで地面の上を歩いているみたい。
暫く歩くと、チラホラと町が視界に入る。神族も、人間と同じ様な生活をしているのかなぁ……。
ヴァルハラ宮殿の回りには、宮殿を守る様にして町が存在していた。いわゆる城下町ってやつだね。ここで暮らす非戦闘員は、宮殿の庇護を直に受ける事ができるから、それなりに身分の高い者が生活してると思う。だって、どっちを見回しても豪華な建物しかないから。
城下町を歩いていると、通り過ぎるだけで皆目を見開いて、あり得ない者を見ているかの様に驚いていた。そんなにエルフが居る事が驚きなのだろうか。
「ここに神族以外の存在が訪れた事は、アースガルズの長い歴史の中でお前が初めてだ。だから、知識でしか知らなかったエルフが目の前に居たらどうなるか、後は言わなくても分かるな?」
「え……戦乙女って戦士の魂を集めているんですよね? それでしたら僕以外にも……」
「そうだな。でもそれは「魂として存在している」という事に過ぎない。カズキの様に魂だけではなく、肉体に魂が宿っている状態でアースガルズに訪れた存在など、オーディン様が許すはずもない。それこそ「資格を持つ者」でもない限りな」
資格を持つ者……恐らく、アーズガルズオンラインの隠し職の条件を満たした存在だろう。今の段階では、下位職でレベルが99以上になること、自発的なPK回数ゼロ。という事くらいしか分からない。
「さて、済まないが武器は預からせて貰う」
そしてヴァルハラの入り口に到着した時、ブリュンヒルデはさも当たり前の様に、収納している僕の杖、つまりグリントだね。それを預かろうとして来た。
危ない危ない。ここでグリントを手放すのは少しまずい。
装備画面を開いてグリントの装着を解除し、収納覧に戻す。そして変わりに、グリントが手に入るまで愛用していたルーンスタッフを装着し、ブリュンヒルデに手渡した。
どうやら、このクエストでは武器を装備していると預かられてしまうらしい。
万が一、装備していた武器が無くなったら目も当てられない。特に、僕の場合は。
「それでは、私についてこい。先ずはオーディン様への謁見だ」
「分かりまし―――」
「遅いですよブリュンヒルデ、一体何時まで待たせれば気が済むのですか!」
僕の了承の意を遮る様に言葉を重ねてきたのは、ヴァン神兵を一緒に殲滅したヒルドだった。彼女はデートで散々待たされた年頃の女の子みたいにプリプリと怒っている。オーディンに報告した後、宮殿の入り口で今か今かと待ち詫びていたに違いない。……不覚にも少し可愛いと思ってしまった。
「遅いって……子供かお前は。気持ちは分からないでもないがな、これでもカズキに負担が掛らない範囲で、可能な限り急いで来たんだ」
「それはそうですが……、オーディン様も早く会いたいととても楽しみにしておられます! さぁ、カズキ様、オーディン様がお待ちです。此方へ」
「おい、ヒルド!」
ヒルドは僕の手を掴み、ブリュンヒルデが制止するのも構わずズンズンと宮殿の奥をへ奥へと歩を進める。
僕はその後は、時々つっかえそうになりながらも必死に歩いた。ヒルドの奴、僕と自分の身長差を考えてないなこれは。
どうやら、ヒルドは思いこんだら一直線なタイプの様だ。この手の輩は良く暴走する。NPCだとは思うけど、やけに人間臭いなぁ……。まさかGMが中に入ってるとか?
広大な廊下をヒルドに半ば無理矢理連れられて歩き続けると、天井に大きな一枚の絵が現れた。何か軍が大きなモンスター達と争っている様な構図だけど……。
と、僕が歩きながらも天井の絵を凝視している事にヒルドが気付いたらしく、この絵についての説明をしてくれた。
「この絵が気になりますかカズキ様? 歩きながらになってしまいますが、説明致します。題名はラグナロク。世界の終末を現しています」
―――ラグナロク。世界の終末
全ては女神フリッグの予言から始まった。
ラグナロクが発生する前に、大きな三つの寒波が襲いかかってくる。
大きな獣が太陽と月を飲みこみ、世界は凍てついた世界に成り果てる。
全てを凍てつかせる厳しい冬。先ずはこれを乗り切らないとアースガルズは永久に溶ける事の無い不毛の世界に成り果てる。
そしてこの冬を乗り越えたとしても、封印されている伝説級のモンスター達の封印が解け、アースガルズに攻め込んでくる。
そしてヴァン神族も暴れ出し、アースガルズは瓦解しまう。
……まぁ、僕の足りない脳みそで要約するとこんな感じ。とりあえずは太陽と月を飲みこむ大きな獣ってやつの討伐がクエストに追加される事になるだろう。
「……私達はラグナロクを回避しなければなりません。貴方達「資格を持つ者」達は、ラグナロク回避の鍵なのです」
つまり、戦乙女達は「資格を持つ者」を保護、集め、そして成長させて、ラグナロクを回避するために尽力している。
結局ラグナロク自体がどんな物かは良く分からなかったが、ゲームだし、世界が崩壊してしまうなんて事にはならないだろう。狩り場無くなっちゃうしね。
「カズキは、初めて見つかった「資格を持つ者」だ。オーディン様もさぞかしお喜びになる事だろう……さてと、この扉の向こうにオーディン様とフリッグ様がお待ちになっている。くれぐれも、無礼のない様にな」
「大丈夫ですよカズキ様、私達がついていますから」
気づいたらオーディンとフリッグが居るであろう部屋の前まで辿りついていた。……でっかいドアだなぁ。
ドアの前には二人の兵士が槍を構えて佇んでいた。近衛騎士かな。立派な鎧を着こんでいるし、槍にしたって攻撃力が高そうだ……これ、倒したらドロップするのかな?
「資格を持つ者を連れて来た。通してくれ」
「ハッ!」
ブリュンヒルデが近衛騎士達に伝えると、近衛騎士はドアをゆっくりと押しあけた。
ドアの隙間から、階段の先の玉座に鎮座するオーディンと思われる大きな男と、横で佇んでいる美しい女性……恐らくフリッグ。二人の姿が見える。
そして最後までドアが開くと、そこはとても大きな、野球くらいならできるんじゃないかと思うほど大きな空間が待ち受けていた。
視線の先には大きなスペースが。その先には玉座まで続く長い階段。階段には一段毎、そして両側に銀色に輝く鎧を装着した兵士が並んでいる。少しでも不用意な動きをとってしまうと、串刺しにされてしまいそうだ。
そして階段の前のスペースには、戦乙女達や、神と思われる男性や女性がこっちを凝視しながら思い思いの場所に立っていた。皆戦乙女達の鎧より格が高い鎧や服を着こんでいる。ということは戦乙女達より強いってことか。
僕が来ている服はマジシャンギルド指定の制服にとんがり帽子。……こんな所に居て良いのだろうかと思ってしまうが、呼び出したのはオーディン本人だ。まぁ、少し気が引けるが今更という奴だろう。僕はブリュンヒルデとヒルドと共に、他の神々や戦乙女、近衛騎士達の視線を気にしながらも一歩また一歩とオーディンに向けて歩きだした。
「こんな小さなエルフの少年が……いや、しかし」
「へぇ……素晴らしい生命力だ」
「……なるほど、これなら、確かに」
と、僕を評価する声があちらこちらから聞こえてくる。いくらゲームとはいえ、僕を値踏みする様にねっとりと絡みついてくる視線はとても不愉快だ。おそらくこっちの世界でも政治的なしがらみは色々あるのだろう。
だけど此処で問題を起こしてしまったら、下手すると転職できなくなってしまう。……我慢だ、我慢。でも、ちょっと位イラッとしても良いよね? 大丈夫だよね?
その気持ちが伝わってしまったのだろうか。僕の両隣りを歩いている戦乙女二人は表情を変えこそしない物の、冷や汗が浮かんでいる。そして僕にだけ聞こえる様な小さい声で
「我慢してくれ。此処で問題になったらお前は存在を消されてしまう」
「カズキ様……お願いします、押さえて下さい。此処で事を構えてしまったら元も子もありません」
一歩、また一歩と階段の前まで歩を進める。僕の苛立ちを肌で感じ取ったのか、オーディンはニヤリとほくそ笑み、フリッグは苦笑していた。
「なるほど、これは楽しみだ」
「そうですね、とても力強い生命の波動を感じます」
オーディンは美しく輝き、そしてガッチリとした金色の鎧を装着している。兜は装備していないけど、きっと自ら前線に立って戦う事があるのだろう。所々に傷がある。
フリッグは戦闘には赴かないみたいだ。此方は煌びやかなドレスを身に纏い、頭には宝石をあしらったティアラを付けている。
そして僕達は階段の前まで辿りついた。ブリュンヒルデとヒルド二人は、跪きながら
「ブリュンヒルデ、帰還致しました」
「ヒルド、同じく帰還致しました」
彼女達は跪いたまま頭を上げない。む、ちょっといやな流れになってきた。僕はどうすればいいんだろう? ……とりあえず保留。下手に頭を下げてもボロを出すだけだ。ブリュンヒルデから特に何も言われなかったし、まぁ大丈夫だろう。
と、暫くそのまま立ちつくして居たらオーディンが彼女らに声を掛けた。
「御苦労、頭を上げてくれ」
……やっぱこいつもフランクだ。王様って、もっと傲慢な物だと思っていたけど、それはミズガルズだけなのか?
「エルフの少年、名を」
と、オーディンから僕の名前を催促してきた。此処は素直に跪いてできるだけ丁寧に行った方が良さそうだ。先ほどの苛立ちは既に見抜かれてると思うけど、形式って大事だよね。
「カズキと申します」
それを聞いて、オーディンとフリッグは満足そうに頷き、話しを勧めた。
「皆、カズキを値踏みするのを止めろ。彼が苛立っている」
「カズキは大事な、とても大事な来賓です。皆、粗相の無い様に」
オーディンとフリッグが部下達を制する。はて、僕は何時まで跪いてればいいのだろうか。
と、そこに
「頭を上げてくれ。顔をもっと見せて欲しい」
ようやく僕は立ち上がることが出来た。……あ、帽子取るの忘れてた。まずいまずい。
慌てて帽子を取る。するとオーディンは苦笑しながら僕に優しく語りかけてくれた。
「よい、よい、気にするな。……さて、話は戦乙女達から聞いていると思うが、改めて説明させて貰う。我々アース神族は今危機に晒されている」
……状況説明が始まった。
オーディンからの説明は、ブリュンヒルデとヒルドから受けた説明とほぼ同じ物だった。
太陽と月が食われ、世界に厳しい冬が訪れる事。
獣たちを封印している印が溶けてしまい、アースガルズに大量のモンスターが攻め込む事、
ヴァン神族が暴れ出し、世界が滅亡してしまう事。
それを防ぐための力を探していること。そしてラグナロクの回避には「資格を持つ者」の存在が有る程度必要な事。
妻のフリッグから聞いていたのであろう。情報元が同じだから説明も被るんだねぇ。
後、多分だとは思うけど、資格を持つ者が一定数に届かない限りクエストのフラグが立たない。
何て思いながらこれからどうなるのか考えて居たら、オーディンが僕に指令を出してきた。
「―――よって、カズキは力を得る必要がある、ミーミルの泉に赴き、種族としての格を高めた上でこの宮殿に伝わる魔法を習得して欲しい」
……来た、転職と転生だ。受けない手はない。
「分かりました」
僕が了承の意を伝えると、オーディンとフリッグは満足そうに頷き、ブリュンヒルデに何やら命令を出し始めた。
「確かカズキを最も早く見つけたのはブリュンヒルデだったな。これからお前はカズキの補佐をしろ。なに、これから誕生するであろう「資格を持つ者」の探索は他の戦乙女達に任せれば問題ない」
……隠し職にはNPCがつくのか。恐らくアーズガルズとミズガルズを自由に行き来するための手段として戦乙女がつくんだろうなぁ
「……了解しました。ブリュンヒルデの名に賭け、全身全霊を賭して護衛の任を努めます」
「期待している。ヒルドは引き続き「資格を持つ者」の探索を続けよ」
「っ! ……了解しました」
何か凄く悔しそうだ。そんなに僕の護衛がしたかったのかな。
「以上だ。……カズキは格を高め終えたら、再び此処に赴くが良い」
「畏まりました」
かしこ。なんちって。
挨拶を終えて退出した僕とブリュンヒルデは、先ずは転生するためにミーミルの泉に向かう事にした。その際、ヒルドが悔しそうに、そして羨ましそうにこっちを見ていたけど、あれは下手に触らない方がいいと思う。