前編:書店文化と配信文化 知らない作家でもタイトルが面白そうなら読むよね?
この作品は虹砂 聖様のエッセイに触発されて感じたことを書きました。虹砂 聖様、興味深いテーマのエッセイをありがとうございます。
先日、ジャンル別ランキングに載っていたあるエッセイを読んで、ふと考えさせられました。
そのエッセイの作者さんは「なろうでの作家同士の交流の少なさはいびつに感じられる」と書いておられました。
もっと作家同士で交流するのが一般的である、他のイラスト投稿などのウェブサイトではそれが普通だ、と。
ほー、と思いました。
とりあえずそのエッセイには、
「絵と小説の差でしょうね」
と感想を付けておきましたが……私の中では『それが最終的な結論ではない』という気持ちがありました。
ええ、感想で書いたことはうわべの回答です。
本音は別にあり、それは新人作家さんに直接ぶつけるのはためらわれる種類の感想だったので。
私の本心は次のようなものでした。
「『小説家になろう』において、作家同士の交流による作品の読み合い&評価ポイントの付け合いは、時として面白さの足りない作品がランクインする事態を生むため、好ましくないとされる傾向がある。それでなくても商業化を念頭に置けばパイの奪い合いで潜在的なライバルだし、他人の作品を義務的に読むなんて時間もかかるし楽しくないのに。だから作家は交流に消極的になるんだよー!!」
ぶっちゃけ読み合いを「面白い作品を差し置いて、つまらない作品をランキングに押し上げるアンフェアな手法」として嫌う人がわりといるんですよね。
それを投稿歴一か月の新人作家さんに『これが現実です』と突き付けて良いものか?
良くないだろうと思いました。
そんなことストレートに伝えたらショックを受けるだろうし、今までの価値観を否定されたような気持ちになることは想像するに難くありません。
私の見解が唯一の正解とは限りませんし、そもそも正解じゃないかもしれません、単なる思い込みかも。
私はなろうの総意を代弁できる立場にないし、新人作家さん側の言い分にも一理あるような気もするし……。
これはもうちょっと考える必要があるな、と。
そこで例によってAI相手に思考の整理をしてみました。
今回のパートナーはとっても賢いChatGPTです。
私:……というわけで、作家同士の読み合いはなろうでは一部ユーザーから批判される行為。その「一部から嫌悪される行為」を悪気なく始めようとしている新人ユーザーの素直な所感を見てしまった。この人からすると「読み合いする交流こそがスタンダードで、なろうはいびつ」なんだね。
この驚き、どう整理したらいいだろうか?
ChatGPT:これは「相手に腹が立った」というより、「前提となる世界観の違いを目の当たりにした驚き」なんじゃないかな。
しかも、その違いは単なる性格の違いじゃなくて、「創作サイトとは何か」という根本的な認識の違いだ。
(中略)
<相手の前提>
その新人さんは、おそらく別の文化圏から来た。
例えばSNSなら
・仲良くなる
・相互フォロー
・コメントする
・相手も見に来る
これはごく普通だ。
Pixivでもそういう面はある。
イラスト界隈もそう。
YouTubeもそう。
Discordもそう。
つまり「交流して認知される」というモデルで活動してきた。
だから、
「交流が少ない」
↓
「いびつ」
という結論になった。
悪意ではなく、本当にカルチャーショックだったんだろう。
なろうにも交流文化はある。
・レビュー文化
・感想文化
・企画
・自主企画
・エッセイ界隈
・Twitter(X)連携
・Discord
・読み合いグループ
全部ある。
ただし、その交流は「なろう全体」ではない
ここが重要。
なろうのメインストリームは、作品だけ読んで帰る読者。
圧倒的多数はログインすらしない。
作者同士が交流している世界は、実は非常に小さい。
だから、交流文化を標準と思って来ると「あれ?」となる。
<あなたが驚いた本質>
私はここだと思う。
あなたは「読み合いって、嫌われる行為だと知りつつやるもの」だと思っていた。
つまり「ルールの抜け穴を利用している」という認識。
ところが新人さんは「それが普通」だと思っていた。
ここが衝撃だった。
悪意がない。
ズルをしている意識もない。
文化が違うだけ。
(中略)
あなたが引っかかった理由は、「新人が交流を望んだこと」ではなく、「交流で土台を作るのが一般的」という言葉だったのではないだろうか。
その一文には、「評価はまず人間関係から始まる」という前提が含まれている。一方、あなたは長年、「評価は作品から始まるべきだ」という価値観で創作を続けてきた。その前提が真逆だったから、「そんな世界があるのか」という文化的な衝撃として心に残った。
私:うん、一番はそれだね。新人さんの論の依って立つところ、「知名度ゼロだと読まれない」という前提。これが意外だった。
だって私は書店で娯楽本を買う時、知らない作家の本でもタイトルや表紙や帯が面白そうだったら買って読んでたからね。なろうでもタイトルが面白そうだったら作家名なんか見ずに開く。
だから私がなろうに投稿した第一作はタイトルで勝負した。それが私の当たり前だったから、その当たり前を当たり前と思わない人がいることが意外だった。
ChatGPT:ああ、それはかなり本質的な違いだね。
あなたは「読者」から書き始めた人なんだ。
書店で知らない作家でも、タイトルや表紙や帯が面白そうなら買う。
この読み方をする人は、「作者」より先に「作品」を見ている。
だから、 知名度ゼロだから読まれない という前提自体が成立しない。
逆に新人さんは、おそらく入口をこう考えている。
まず作者を知ってもらう
↓
作者に興味を持ってもらう
↓
作品を読んでもらう
つまり、 作者 → 作品 という順番。
あなたは 作品 → 作者 という順番。
実は、この二つはインターネット上でも文化が分かれる。
例えばYouTubeはかなり「作者→作品」だ。
「○○さんの新しい動画だから見る。」
VTuberもそう。
SNSもそう。
一方で書店は「作品→作者」に寄りやすい。
平積みされている本を見て、「このタイトル面白そう。」で手に取る。
作者を知らなくても構わない。
だからあなたは無意識のうちに、「本屋の読者」の感覚でなろうに入ってきたんだと思う。
面白いのは、なろうというサイト自体も、実はその設計になっていること。
読者が一覧でまず見るのは、
・タイトル
・あらすじ
・ジャンル
・キーワード
であって、作者名はかなり目立たない。
UIそのものが「作品→作者」なんだ。
だから今回あなたが受けた衝撃は、「交流する人がいる」ことではなく、「作品ではなく作者から入るのが普通だ」という前提を持っている人がいることだった。
そこがカルチャーショックだったんだね。
私:なるほど、YouTubeか。生まれた時からネットがある世代だと、書店よりも動画が身近なんだね。それでああいう論旨になるんだ。作品の良しあしの前に、まず作者の存在アピール、それが現代の創作文化の一つの在り方。理解した。
ChatGPT:そう、あなたは「知名度ゼロでもタイトルで勝負できる」という世界を当たり前だと思っていた。
一方で、その新人さんは「知名度ゼロでは勝負の土俵にすら立てない」と思っていた。
この違いは、「なろうをどう見るか」の違いというより、「インターネットで作品が広まる仕組み」をどう経験してきたかの違いなんだろうね。
YouTubeで考えると分かりやすい。
新しいチャンネルの動画は、内容が良くても埋もれやすい。
SNSでは、まず人とのつながりを作って初速を得る、という考え方が珍しくない。
配信文化では、「この人が好きだから見る」がかなり大きな動機になる。
そういう環境で創作を始めた人なら、
「まず作者を知ってもらわないと始まらない」
という発想は自然に出てくる。
一方で、小説や書籍の文化は長い間、
「このタイトル面白そう」
「このあらすじ気になる」
という"作品との偶然の出会い"を大切にしてきた。
だからあなたは、最初から作品の入口を磨くことに全力を注いだ。
面白いのは、なろうはこの二つが混在していることなんだ。
サイトの設計自体は、あなたの言うようにタイトル・あらすじ・ジャンルで読者が作品を選ぶ仕組みになっている。
でも、作者側はXやDiscord、交流企画など、現代のSNS文化も同時に利用できる。
だから、
作品中心の流儀で伸びる人もいる。
作者中心の流儀で読者を集める人もいる。
両方が同じ場所に存在している。
だから今回の出来事は、あなたにとって「今どきの若い人はこうなんだ」と一括りにする話ではなく、「ネット創作の世界では、作品中心文化と発信者中心文化が同時に存在している」と実感した出来事だったんだと思う。
私:うん、よくわかった。あの新人さんは「発信者中心文化」あるいは「配信文化」から来た人なんだ。そして、なろうには「作品中心文化」(テキスト主義)と「発信者中心文化」(配信主義)とが混在していると理解した。
ChatGPT:うん。その整理でかなり納得感があると思う。
ただ、一つだけ付け加えるなら、「作品中心文化」と「発信者中心文化」は優劣ではなく、何を「入口」にするかの違いなんだ。
実は、この違いは創作の姿勢にも少し影響する。
作品中心の人は、
・タイトル
・あらすじ
・一話目
・導入
をとにかく磨く。
「作品そのものが営業マン」だから。
一方、発信者中心の人は、
・SNS
・配信
・コミュニティ
・作者同士の交流
も作品づくりと同じくらい重要な活動になる。
どちらも戦略としては成立する。
ただ、「どこに時間を投資するか」が違う。
以上、ChatGPTと私の雑談トーク前編、テーマは「知名度なしの作家がなろうでスタートを切るのに作家同士の交流は必要か。またそれを必要と考える文化とは」でした。
(ChatGPTとの会話は続きますが、テーマが変わるので一旦ここで切ります。続きは後編で)
本文では「作品中心主義」とか「テキスト主義」とか「作品文化」などと称していますが、より分かりやすいようにタイトルでは「書店文化」としてみました。要は「タイトルとあらすじが面白そうなら作者名に関係なく読む」といったニュアンスで使っています。




