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第8譚 - 婚

 季節は巡り、秋。

 青空に薄い鱗雲がかかる、澄んだ秋晴れの朝。


 ひらりと散る紅葉(もみじ)銀杏(いちょう)の合間をアキアカネが舞う光景を窓から眺めながら、神前式の準備を進める花嫁の姿が――


「――まあ見て清香! あの綺麗な鱗雲……! あの波形を見ますと……そう……クッキーが食べたくなりますわね……!」

「そうおっしゃられると思いまして、用意しておきました」


 ひなに化粧を施されながら、さっ、とクッキー缶を脇から取り出す清香。


「まあ! さすが清香ですわね! 今ならいいかしら……? ああ、でも今は手が白粉(おしろい)だらけ……」

「では僭越ながら、私が」


 そう言うと、清香はひなの口に、クッキーを1枚放った。

 ほう……! と目を細めるひな。


「幸せ……! 秋深き鱗雲たるクッキー缶(字余り)、ですわね!」

「意味不明です、ひな様」


 ひなは、いつも通りだった。



(……なぜ……花嫁が女中に化粧を施しているの……!? そしてなぜこれほどまでに緊張感がないの!? あと今のは何!?!)


 そして、媒酌人(ばいしゃくにん)(挙式の立会人)である九条文子(あやこ)は困惑していた。



 

「今日も、清香に悪い気が寄りつきませんように」


 そう言ってひなは、いつものように清香の額に口をつける。

 顔を上げ、にこっ! と微笑むと、ぽっと頬を染める清香。


「今日はまた……一段と可愛らしい……」

「ありがとう清香!」


 きゃ! と笑いながら今度はひなが清香の口にクッキーを放る。


「……では」


 ひながそう言うと、ぱっと2人は一斉に文子を見た。


「……――!?」


 さっ、と鏡台に手を向ける2人。


「文子さんも、どうぞ」

「えっ!?」

「ご遠慮なさらずに」

「ええっ!? い、いえ……私は……――」


 しゅん、とわずかに顔を曇らせるひなと、すん……と真顔を向ける清香に、ごく……と文子は1度唾を飲んだ。



 クッキーをもぐもぐと頬張りながら鏡台の前に座る文子は、なぜ……? どういうこと……? と戸惑いながら、ひなに白粉を(はた)かれていた。


「……まさか」


 刷毛(はけ)を置き、ささっと文子の顔に白粉を乗せていきながらひなはくすっと笑みを漏らした。


「先生(修吾)がご結婚なされていたとは……これっぽっちも知りませんでした」

「あの人、あまり自分の話をしたがりませんので」

「あの人……! いい響きですわね……!」


 今度拝借してもよろしいでしょうか……!? ときらきらと瞳を輝かせるひなに、はあ……と飲まれ気味の文子。

 はっ! とひなは目を見開くと、赤い顔でわなわなと文子を見た。

 

「……あ、文子さんも……ふふふ夫婦となった際には、たっ大変な思いを……!?」

「ひな様。文子様の顔をわなわなと饅頭のように握りつぶしてはなりませんよ」

「ああ! すすすみません……!」

 

 動揺して無意味に文子の頬を何度もぺちぺちと叩くひなに、文子がどうしていいか戸惑っていると、清香が耳打ちした。


「 (ひな様は純に純を極めておりますゆえ、夜の夫婦生活を何やら勘違いしておいでで) 」


 ああなるほど、と文子は口に手を当てると、ひなににこ、と優しく笑みを向けた。


「大丈夫ですわよ。最初は少しばかり痛いですが、慣れ――」

「いいいい痛いのですか!?!?」

「……――!?」


 ガシャーン! と化粧箱を派手に倒すひなに、おや文子様いい仕事なさいますな、とぱちぱちと拍手をする清香。

 あれ間違えた? と火に油を注いだことに気づいた文子だった。


 

「修吾さんとは、いわゆる許嫁でありまして……結婚も早く、始めは多少なりそういうこともしておりましたが、どうにもなかなか子に恵まれず……今ではほとんどありません」


 なぜ私が身の上話をしているのかしら……花嫁じゃなくて……? と疑問に思いながらも、気づいたら文子は話していた。


「私と過ごすより、廉さんたちと過ごす方が楽しいようで」

「まあ……! 文子さんに寂しい思いをさせるなんて……! ……今度、先生の穴という穴に金平糖を詰め込んでやりますわ」

「い……いえ、大丈夫です……!」


 金平糖……? と文子は、すん……と真顔で修吾に金平糖を詰め込む想像をしているひなを不思議そうに見た。

 

「……そうでしたか。では」


 ひなはそう言うと、ほわ、と文子の頬を手で包み、額に軽く口を付けた。


「文子さんに、よい気が巡りますように」


 えっ? と文子は目を丸くした。

 顔を上げると、ふわっと文子に微笑むひな。

 文子がわずかに息を呑んでいると、清香がくすっと笑った。


「ひな様の『陽』の気運の帯びた白粉を纏っておりますと、よい気が巡ります」

「えっ!?」

「ささやかですが」


 ふふ、とおどけて笑うひなに、出会ってから14年間で実証済みでございます、と清香は言った。

 文子は驚いたように目を見開いたまま、その目を瞬いた。

 

「清香が藤棚の下で休憩をしていたら、ハクセキレイが清香に集まってきた可笑しい光景は、今でも思い出せますわ!」

「あれは気運というより、ひな様が私に粉々になった落雁をうっかりぶちまけたからでございます」


 頭にまで乗って……うらやましかったですわ、と話すひなを見ながら、なにそれどんな状況!? というか気運の話はどこへ!? と突っ込むに突っ込めない文子。

 一世一代の神前式を前に、ぽわぽわとした笑顔で楽しそうに女中と話すひなを見ながら困惑の色を滲ませていた文子は、ふっと力が抜けたように小さくため息をついた。


「噂にたがわぬ……妖精っぷりですのね」


 はた、と2人は同時に文子を見た。

 はわわ……! とひなは頬を染め口に手を当てる。


「なんと……私が妖精だという噂がもう社交界に広まって……!?」

「いえひな様。文子様は修吾様の奥方様ゆえ、修吾様からお聞きになっただけかと」


 そして私はひな様を妖精「のよう」と申しただけで、妖精であるとは申しておりません、と丁寧に訂正する清香に、そうね、鷹の雛へと昇格いたしますしね! と噛み合っていない会話を繰り広げるひな。

 そこで初めて、文子は楽しそうに笑い声を上げた。


「廉さんは、なんて可愛らしいお方を見つけになられたのでしょう!」


 きょとん、と文子を見るひな。すると、ぽわ……と照れたように頬が染まった。


「……いえ……廉様は……お優しいお方ですので……私がどうしても一緒になりたいという思いを、汲んでくださったのです」

「そうでしょうか」

「そうなのです……! 私を変わり者の地味令嬢と知りながら……!!」


 え? 地味令嬢? と文子は不思議そうにひなの顔を見ると、首を傾げた。

 

 ひなはわずかにきゅっと唇を結ぶと、ばっ! と鏡台の前に座り込んだ。


「…………清香」

「はい、ひな様」


 ぱし! ぱし! と小気味よくアイシャドウや頬紅を並べていくひな。

 

「今日は一世一代。呪いのような森部家から鷹の雛へと旅立つ日です」


 鷹の雛? ときょとんとしている文子の横で、じっとひなを見つめている清香。


「さようにございます」

「呪いのように、地味であれと……言われ続けた森部ひなは昨日まででございます! 私は、廉様の横に立って廉様が恥ずかしくない女性になりたいのです!」


 ふるふると震えながら、ひなはアイシャドウの缶をぎゅっと握った。


「地味令嬢であるためのお化粧は、お終いでございます!」




「そろそろ向かいます。ご準備はよろしいですか」


 控室の襖の向こうから媒酌人である修吾の声がして、ひなはわずかに顔を上げた。


「今参ります」


 清香に手を添えると、すすっと歩みを進める。

 文子が襖を開けると、ゆっくりと部屋を出た。


 白無垢姿のひなを見てふっとわずかに表情を緩めると、修吾はひなに近づく。


「ひな嬢」

「先生。本日はよろしくお願いいたします。皆様に――」


 そう言って、ふっとわずかに顔を上げ、綿帽子からちらりと修吾の目を見て微笑むひな。その顔を見て、修吾は目を丸くして固まった。


「――よい『気』が、舞い降りますように」


 ふわ、と柔らかく笑うと、すすす、と歩みを進めるひな。

 息を呑んで固まる修吾の横にすっと立つと、文子はふふっと修吾へちらっと視線を送った。


「……驚きましたか?」

「…………ああ……驚いた」

「あなたのそのような表情は……初めて見ましたわ」

「これはこれは……――」


 ははっ……! と驚きを滲ませながら笑みを漏らすと、修吾は楽しそうな声を上げた。


「――あいつのいい面が拝めそうだな……!」




 朱傘を背に、赤や黄色の葉の絨毯の上をゆっくりと歩いてくるひなを、廉は本殿でじっと見つめていた。

 本殿入り口の段で、清香に手を添えながらも裾を踏んだのか、はわ……と小さく呟くひなに、ふっと笑う。

 綿帽子からわずかに見える、その口元の真紅の紅に、ふと廉の視線が引きつけられた。

 すっと背を正すと、すすすっと廉の正面に歩みを進めるひな。


 おや? と廉の背後で、地祓(じばらい)(斎主の補佐)を務める宗一郎が小さく声を上げた。


 ゆっくりとひなが顔を上げる。


 その瞬間――


 廉ははっと息を止め、目を大きく見開いた。



 


『人より美しくあってはならない。人に妬まれる容姿であってはなあらない。地味でいなければならない』


 そう淡々と告げる清香へ、文子ははっと顔を向けた。


「そう、ひな様は幼い頃より呪いのように奥様に言い聞かせられてまいりました」

「……――!」


 思わず言葉に詰まる文子。


「奥様は、大変お美しい容姿なのでございますが……顔に痣があります。それは昔、美しいがゆえに妬まれ受けたものであると伺っております。それゆえ、姉妹一お美しいひな様にそう言い続けてこられたと。ひな様はそれを堅実に守り、ずっと美しさを隠すような化粧を続けてこられたのでございます。妬まれなければよいのですね? と色々勘違いなされて髪を断髪して変な方向に目立ったりもしておりますが」


 どきどきと高揚した表情で化粧を施すひなを鏡越しに見ながら、文子はくすっと笑った。


「……私はずっと、奥様を恨んでおりました」


 えっ、と文子は思わず口に手を当てる。


「ですが――」


 はぁ……! と清香はわざとらしく深いため息をついた。


「こんなにも幸せそうなひな様を見ると、全てあの男と出会うための布石だったかのように思えて……! 全く、気の持つ気運とやらは恐ろしいものですよ……!」


 畜生め……鷹野廉……なんて運のいいやつ……!!(←廉を敵認定中)と悔しそうに目を細める清香に、っあはは……! と文子は吹き出すように笑った。

 な……何ですか……その楽しそうなお話に私も混ぜてくださいませ……! とふるふると慣れないアイシャドウを塗っているひなに、では私が施しますひな様、と嬉しそうに駆けていく清香。

 姉妹のように掛け合う2人を見て、何てお美しいのかしら、と文子は微笑んだ。


 



 はっと息を呑む廉に、文子と清香はちらと顔を見合わせ笑みを浮かべた。


 視線が絡むと、ほわ、とひなの表情が微かに和らぐ。その表情に、廉の心臓が大きく高鳴った。


 華やかで艶の湛えた表情に、向けられた吸い込まれそうなほど大きな瞳がきらきらと輝く。長く艶やかな睫毛を揺らし瞬くたびに花が舞うような可憐さからは、地味令嬢の面影は何一つなかった。

 

 目の前に現れた、見まごうほどの美しい花嫁に、廉はまるで目が離せず、囚われたようにしばし見惚れていたという。

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