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第7譚 - 踊

 かくして、ひなと廉の距離はじわりじわりと縮まっていった。


 と思われたが。


 

「………………清香……」

「はい、ひな様」


 本をぎゅっ! と握り締めながら、ひなは耳まで顔を真っ赤に染めてふるふると震えていた。

 

「……夫婦とは…………かくも……大変、なものなのです、ね……!?」


 なにこれどういう状況!? と思わず素が出るひな。

 おお、そうきましたか、と清香は夏の着物を箪笥へ仕舞いながら淡々とひなの様子を眺める。


 ひなは大変混乱していた。



 すっ、とひなの前に正座をする清香。


「では、説明をいたします。夫婦で愛し合い、子を成すためにまぐわ――」

「ききききよか!!! そそそのその説明はいい今ではないと内なる私が言っているわ!!!」


 ひなは反射的に本をばしん! と閉じる。

 その閉じられた瞬間の頁の枚数を見た清香は、あらひな様それは随分前半ですよ、と内心突っ込んだ。


 ふぅ……! とひなは息つくと、あああ暑くなってきましたね……? と意図せず吹き出た汗を拭う。

 

「正にこれから夫婦となりますのに」

「ででもでもでも……そう! 夫婦になってからでもよよいですわよね!」


 慌てて紅茶の入ったカップに手を伸ばすも、勢い余ってガシャーン! と派手にカップを倒すひな。

 あああ! なんと! と慌てるひなに、あらあら今片しますね、と清香は立ち上がった。


 

(……まあ……――)


 テーブルを拭きながら、新たに淹れた紅茶に口をつけて、ふぅ……! とようやく落ち着いたひなを見る清香。にやり、と悪い笑みを浮かべた。


(――純に純を極めたひな様を前に、攻めあぐねるがいい鷹野廉……!!!)(←廉を敵認定中)


 ふふふふ……悶々とした日々を過ごすがいい……! と目を細めてあざ笑う清香に、あら清香、随分と楽しそうねぇ……! とひなはほっこりと微笑んだ。




 ぞわ……! と何やら悪寒を感じる廉。


「……!?」

「どうしました、廉さん」

「いや……??」


 何か変な気に当てられたか……? と廉は首をかしげた。



 季節は夏を迎えていた。

 多くの華族が避暑地へと移り社交が減る、じんわりとした暑さがまとわりつくこの季節。そのわずかに夜風が心地よい夜に、地元に残る者たちのみでのプライベートな舞踏会が開かれていた。


「ところで……」


 グラスに口をつけながら宗一郎は、向かいのソファの端の端にちょこんと腰掛けるひなに視線を向けた。


「ひな嬢はなぜそんな端に?」

「えっ? そそそうでしょうか?」


 カクテルグラスを両手で持ちながら、ちらっと廉を横目で見るひな。


「どうした?」


 廉の困ったような呆れたような表情を見た瞬間に、考えてもないのに指南書(官能小説)の文章がすらすらすらと頭の中で再生される。ひなは、かあああ……! と顔を真っ赤に染めたままぴし、と動きを止めた。


 ふるふると手が震え氷がカラカラと音をたてると同時に、ぶんぶん! と勢いよく頭を振る。


「……どうしたんですかね? ひな嬢……いつもにも増して挙動が不審ですが。夏だから?」

「メルヘンな世界の妖精だからな……夏が苦手なのかもな」


 その様子を向かいで適当に眺めながら、宗一郎と修吾はまったりとお酒を嗜んでいた。


 廉は、はぁ……と小さくため息をつくと、頬杖をついてひなを覗き込んだ。


「距離、離れてないか?」


 にや、と楽しそうに笑う廉に、はわ……! とひなは思わず見惚れる。

 はっ! と我に返ると、ちょこ、とわずかに廉に近づいた。


「そそ……そうでしょうか……」

 

 すると廉が、ちょい、とひなのゲッカビジンの花をあしらった髪飾りを指で触れる。

 どき! とひなの心臓が跳ねた。


「いつものカクテルハットじゃないな?」

「あ……はい、あの……少々、気分を変えてみました」

「…………」


 歯切れの悪いひなに、宗一郎と修吾も不思議そうに肩をすくめる。

 

 見かねた廉が、ぱし! とひなの手を取った。


 はっ、とひなの息が止まる。


「ちょっと来い」

「れ、廉様!?」


 そのまま廉は立ち上がると、ひなを舞踏室へと引っ張っていった。




 廉に手を引かれるがまま、生まれて初めて立ち入った舞踏室に、ひなは大きく目を見開いた。

 

 広々とした板張りに、花を模した照明がいくつも連なるシャンデリアの光を反射している。

 その上で控えめに何組かの男女がワルツの音楽に合わせてドレスや燕尾服の裾を揺らす、その独特の雅な雰囲気に、はっ……とひなは息を呑んだ。


 室内に活けられた花々から香る夏の香りと甘い香水の香りに、ひながわずかにくらっと目を細めていると、気づけば舞踏室の中央で廉の手が背に回されていた。


 おや? とひなは目を瞬く。


「お手を添えてください、ひな嬢」


 ななななんと……! と顔を真っ赤にするひなに廉は笑うと、ひなの空いた手を自身の肩に添えさせた。

 再びひなの背に手を回すと、にやりと悪そうな笑みを浮かべる。


「ここなら逃げられないな……?」

「……――!」

 

 酔っておられる廉様は危険でございます清香……! とひなは心の中で叫んだという。

 

 

「ダンス上手いな」

「!」


 廉の燕尾服の胸にあしらわれた花をじっと見つめながらゆったりとステップを踏んでいると、囁くような低い声が降ってきて、どきっとひなは1度肩を跳ねさせた。

 その反応に笑う廉。

 楽しそうに笑う廉をちらっと横目で窺うと、はい、と小さく返事をした。


「よく踊るのか?」

「壁の花が板についた私がよく踊るように見えましょうか?」

「見えねーな。シャンパングラス持ってないといけないんだもんな」

「よく覚えていらっしゃいますね……!」


 笑う2人。


「清香とこっそりと練習をしていました」

「こっそりって何だ」

「こんな私がダンスなど恐れ多いと分かっていながらも、こんな……殿方と……いつか踊れる日が来るのではないかと……ほんのわずかな期待を込めて……」

 

 きらきらとシャンデリアの光を反射するひなの潤みを帯びた瞳にちらっと視線を落とす廉。

 ほわ、と頬をわずかに染めるひなに、はっ! と鼻で笑い飛ばした。


「ああっ! 酷いです廉様!」

「無駄な心配だな」

「なぜそんな……! 地味令嬢の私には、殿方と踊るということがどれほど煌びやかで憧れの世界か――」

「地味令嬢?」


 廉はもう一度、はっ! と笑った。


「今ここで、一番華やかなのはあんただろ」


 はっ、とひなは息を止めて思わず廉を見上げた。

 悪そうな笑みの廉に、ひなの胸がきゅっと締め付けられると、みるみる瞳に涙が溜まる。


「……さすが……傍若無人と……言われているだけのことはありますね……! そんな……そんなこと……言われたこと一度も――」

「花のドレスに花の髪飾りの花だらけ令嬢が、華やかでない筈がないでしょう」

「こ! これは……廉様の横に立つために少しでも地味さを打破しようと――」

「俺からしたら、充分――」


 そう言って、廉は胸に差していた花を外すとひなの髪飾りに差した。


「華やかだと、言っているのです」

「――!?」


 驚き目を見張るひな。


「何気にしてんのか知らないですがね。さっきも」

「!」


 はっ、とひなは、さきほどテーブルで1人あわあわと慌てふためいていたことを思い出す。


「あんたは、この傍若無人の妻となるのですから……細かいことは気にせず、好き勝手してればいいですよ」

「……そんな……廉様まで……後ろ指を指されますよ……」

「それも一興だろ」


 ひなは大きく目を見開いた。


「…………私は……廉様」

「何だ」

「廉様が……傍若無人の極悪非道と……名高いお方で良かったと……何より今、そう思いました……!」

「ははっ! 奇遇だな、俺もだ」


 思わず目を合わせる2人。

 ひなにようやくそこで艶やかで華やかな笑顔が弾けると、廉は満足そうに微笑んだ。


「廉様……! 夫婦となった暁には、鷹野ひなとして、廉様の――」

「…………」


 そこまで言って、ひなははたと言葉を止めた。廉も、きょとんとひなを見る。


「……鷹野ひな?」

「鷹の雛……」


 思わず吹き出す2人。


「大変です……! メルヘンな世界の妖精から鷹の雛へと昇格してしまいました……!!」

「昇格なのか? それ……!」


 鷹の雛……! と腹を抱えて笑う廉に、はわわわ……! と困ったような顔で両頬を押さえるひな。



 その様子を、何してんのあの人たち、と笑いながら舞踏室の脇の椅子に座って宗一郎と修吾が楽しそうに眺めていた。


 



 そして、夏が終わる頃――



 ひょこ、と廉たちのテーブルに顔を出すひな。


「ごきげんよう」


 ふわっと笑みを浮かべるひなに、廉は目を細める。

 

「おい、どこぞの鳥が迷い込んでるじゃねーか。どこの雛だ?」

「鷹にございます」


 きゃ! と楽しそうに頬を染めると、ぴよぴよと言いながら廉の隣に座るひなに笑う3人。


「ほら、餌付け」


 そう言って、廉はぴよぴようるさいひなの口にキャラメルを1つ放った。


 嬉しそうにはむっ! と口を閉じたひなの瞳がみるみる大きく見開かれ、ぱちぱちと瞬く。


「……な……なんですか……!? このとろけるように甘いお菓子は……!」


 はわわ……! と頬に両手を当てていつもの奇声を発するひなに、3人はもう一度大きく笑い声を上げた。



 大層仲睦まじいひなと廉の様子に、避暑地から戻った令嬢子息皆揃って、面食らったという。


 


 ヒグラシが鳴き始め、秋の気配がひっそりと歩みを進めていたこの時――


 2人が夫婦となる日が、もうすぐそこまで近づいていた。

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