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第5譚 - 酒

「ひな様は、鷹野様に恋をしておいでですか?」


 パチン! と花の枝先を整える音がして、ふっとひなの顔が上がった。

 恋? とひなは目を丸くする。


「いいえ? 恋はしていないと思います」


 ほっ、と清香は胸を撫で下ろした。




「どうでしょう?」


 花を活けながら、ひなは清香を見やった。


「大変前衛的でございます」

「……褒められています?」

「もちろん」


 そこでひなは、はっ! とテーブルの上の皿に乗るころっと丸く小さなカステラを見つけ、ま……と口に手を当て目を細める。

 すすす……とテーブルの前まで行くと1つをひょいとつまみ、ぱくっ! と口に放った。


「清香は、本当にお菓子をくすねるのが上手ねぇ……!」

「人聞きの悪い。これはお味見でございます」

「お味見……素敵な言葉ですわね……!」


 大変結構なお味加減でございました、とひなはカステラに手を合わせると、もう1つをつまみ清香の口に放る。

 目を丸くする清香の手に、持っていた花をすっと挿した。


 うふふ、と少しおどけるように笑うひなに、全くひな様は……! と清香は頬を染めた。


 

「それにしても、清香? なぜ突然恋などと……?」


 パチン、パチン、と小気味よい音を鳴らしながら、ひなはふと疑問を口にした。


「いえ……昨日の鷹野様のお言葉に、大変感銘を受けていたように見えましたので」

「そそ……そうでしたか?」


『花が……好きなのか?』


 ふと昨日の廉の言葉が浮かび、ひなの頬がほんのりと染まる。

 

『俺と、結婚してみますか?』


 ぽー……、っと、鮮明に思い出せるその時の情景に浸るひな。

 

「……ひな様。…………そのまま()り続けますと、枝がなくなりますが」

「ええっ!!?」


 まあ大変! と茎がほぼなくなってしまった花を両手にちょんと乗せ、どうしましょう……と花と見つめ合う。

 清香は小さくため息をついた。


「普段なさらない華道を突然なされたり……いつもにも増して挙動が不審ですよ」

「……清香には、私がどう見えているのですか?」


 えっ? と清香はわずかに考え込んだ。


「……メルヘンな世界の妖精のような?」


 めるへんなせかいのようせい? とひなはきょとんと清香と見合うと、目を瞬いた。




 あははは! と夜の小サロン会場に高らかな笑い声が響いた。


「清香さん、最高ですねぇ……!」

「そうなのです! 清香は最高なのです!」


 まぁ清香が褒められて……! となぜだか得意気に頬を染めるひな。

 そのひなの返しにまた笑う宗一郎と修吾。

 廉はひなの横で、呆れたような目を向けていた。


「……喜ぶところか……?」

「喜ばないところがありません!」

「あれを言われて喜ばないだろ」

「清香は本当に私のことをわかっているのです! 清香が私のことを妖精のようだと申すのであれば、きっと私は妖精なのだと思います」

「妖精ではないだろ」

「あら?」


 おや? いつ私が妖精に? と話がこんがらがってしまったひなを廉は呆れたように見つめている。

 その様子を宗一郎と修吾は、おやおや? と向かいで興味深そうに眺めていた。


「そうそう。ご婚約おめでとうございます、ご両人」

「!」


 あ? と目を細める廉と、まあ! と瞳を輝かせるひなが、同時に宗一郎を見た。


「あああありがとうごごございます!」

「『あ』と『ご』多くないか?」

「おい修吾……そういう突っ込みはキリがねーぞ」


 そうなのか? と修吾は楽しそうに廉を見た。

 ははっ、と笑う宗一郎。

 

「何だか、気づけばすっかり仲睦まじいじゃないですか」

「どこが?」

「そうでしょうか!!!」


 えっ、と思わず顔を見合わせる廉とひなに、2人は可笑しそうに吹き出した。


 良かったな、とひなに修吾が笑いかけると、まだ夢見心地なのでございます、とぽっと頬を染めながら照れ照れと答えるひな。

 その様子に、宗一郎がくすっと笑いながら廉を見た。


「よく……断りませんでしたね」

「お前、俺が断ると思ってただろ」

「いやぁ……どうでしょう? しかしまたなぜ?」

「あー……――」


 廉は、修吾と談笑しながら、きゃ! と頬に手を当てているひなを見た。


「――何か……考えるのとか抵抗するのに疲れて……」


 あははは! と腹を抱えて笑う宗一郎。


「それがひな嬢の真髄って感じがしますがね!」

「…………」


 真髄……? と廉はひなを見ながら目を細めた。


「何も考えてないだけだろ」

「それがいいんじゃないですか? 見る目もありますし」

「……見る目なんてねーだろ」

「それもどうだか」


 むすっとした顔をしながらも、じっとひなの様子を見ている廉に、宗一郎はやれやれと小さくため息をついた。


 

「ひな嬢は、お酒を嗜みますか?」


 修吾がワイングラスを傾けながら、ひなが手に持つシャンパングラスへ視線を向けた。

 

「ええと……少々。夜会や舞踏会ではいつも少しでも地味さを打破できないかとシャンパンを嗜んでおりますが」

「理由」

「その理由でシャンパン飲んでいる人初めて見た」


 思わず突っ込む廉の向かいで宗一郎も笑う。

 すると突如、すん……と真顔になると、ひなは低めのトーンで話し始めた。


「以前、どこぞのご子息に『電気ブラン』と呼ばれる……何でしょう……毒薬のようなお酒を飲まされたことがあるのですが」

「毒薬?」


 吹き出す3人。

 

「何といいますか……この世の全てが捻れたような……地が歪みに歪むという初めての経験をいたしまして」

「例え」

「なるほど」

「要は、酔ったということですね」


 廉、修吾、宗一郎が笑いながら要約した。


 

 その小一時間後。


「おや? 何だか世界がふわふわしますね?」


 これが噂のメルヘンな世界? と目を丸くするひな。


「酔ってるじゃねぇか!!」

「いやいや、ひな嬢なかなかのペースで飲みますねぇ」

「誰だブランデー飲ませたやつ!?」

「俺」

「なにしてんだ修吾お前」

「意外と強そうだなと思って」


 あら? 何だか瞼が重いですね……? とソファに沈んでいくひな。


「……寝てれば? あんた」

「……寝……いえ……だめです…………今日はまだ……やりたいことが……――」


 その瞬間、がばっ! と起き上がるひな。


「そうでした!!! 今日は清香から借りた指南書を読むと決めていたのです!」

「指南書?」


 声を揃える3人に、はい! とひなは手を合わせてにっこりと微笑む。


「指南書って、何のです?」

「夫婦となるための指南書です」

「……夫婦となるための?」

「指南書? そんなのあります? 先生」


 そう言って宗一郎は修吾を見た。

 えっ? とひなも目を丸くして修吾を見る。


「先生?」

「修吾さんは以前、塾講師をしていたお方ですからねぇ」

「まあ! 素敵!!」


 きらきらと(酔って)うっとりと修吾を見つめるひなに、廉はむっと顔をしかめると、視線を引き戻すように話を振った。


「……何て指南書なんだ?」

「ええと……」


 ふふっと笑いながら、確か……、と本の題名をさらっと告げると、3人は一斉に酒を吹いた。


「読むな!!! 読むなそれ!!!」

「読んで! 読んでみてほしいひな嬢!」

「宗!!!」

「さすが清香さんだな……!」


 はて? と皆のリアクションにきょとんと目を丸くするひなが、さっ、と修吾を見た。

 先生どうなんです? とじっと見つめる。


「…………まあ……読んでみたらどうだ?」

「修吾ぉぉお!!!」


 ばんっ! と机を叩く廉。


「その女中はいつ迎えに来るんだ!?」

「清香は、10時頃来ると申しておりました」


 ぽやぽやと話すひなをよそに、ばっ! と3人は一斉に時計を仰ぐ。

 時計の針は、まだ9時前を指していた。


「…………」


 どうしろっつーんだ……と固まる廉に、宗一郎がくすっと笑う。


「酔い醒ましに、2人で夜風に当たってきてはどうですか?」




 あちらこちらの建物から橙色の淡い光が漏れ出し、ガス灯が道行く男女を照らす未だ眠らない街を眺めながら、ひなと廉は夜風に当たっていた。


 あら気持ちがよいですわね……とぽわぽわとした表情で横に立つひなに、どうしたらいいんだ……と頭を抱えながら廉は洋館の壁にもたれる。


「大丈夫か」

「大丈夫です! 何だかとってもよい心地でございます!」

「だいぶ酔ってるな」

「はて?」


 じー……、と赤い顔で廉を見上げるひなに、困ったように視線を反らした。


「……何だ」

「廉様は、お酒がお強いのですね!」

「あんたよりはな」

「ふふふっ」


 何が嬉しいのか、まあまあ! とひなは嬉しそうに頬に手を当てている。


「……何だ」


 廉は、もう一度同じ台詞を口にした。


「1つ、廉様のことを知るたびに、1歩、距離が縮まるような気がするのです」


 そう言って、ちょん、と半歩ほど廉に近づくひな。

 きっと、指南書にも書かれていると思うのです! と自信満々に話すひなへ、絶対読むなよ、と廉は念を押した。


「酒は好きだな」

「廉様は、宗様たちとお酒を飲み交わすのがお好きなのでは?」

「!」


 酔ってる割に的を得てるな、と驚く。

 廉はわずかに目を細めると、口元を緩めた。


「あんたは花だろ? 好きなの」


 ドレスの花柄をちょいと指で触れる廉に、どきー! とひなの心臓が1度大きく跳ねる。


「……距離、縮まりましたか……?」

「いや、それは知ってた」

「あら……そうでした」

「あとは何が好きなんだ」

「……金平糖ですわ」

「それも知ってる」


 縮まらねーぞ、と廉は笑った。

 

「……つーか……ほんとに花柄のドレス着てくるか?」

「はい! 地味令嬢から花令嬢へ昇格しました?」


 どうですか? とその場でふらつきながらも、ひなはくるっと回った。

 

 ふわっと広がる花柄のドレスにあしらわれたスパンコールが、ガス灯の光をきらきらと反射する。ひなの酔って艶の滲む笑みと相まって、その場を妙に幻想的な空気が包んでいた。

 廉は一瞬、息を止めた。

 わずかの間見惚れると、ははっと笑みを漏らす。


「酔っ払い令嬢だな」

「なんと!?」


 地味と酔っ払いはどちらが格上でしょうか……!? とわなわなと廉を見るひなに、何であんた、今さらそんな呼ばれ方気にしてんの? と廉は笑った。


 その笑みにひなは、きゅっと胸が締め付けられる。


『ひな様は、鷹野様に恋をしておいでですか?』

 

(……いいえ、清香……恋はしていないわ……! 私は、廉様のお側にいたくて……隣に立って、廉様が恥ずかしくないと思う女性になりたいだけなのです)


 ひなは酔ってふわふわとした視界に光り輝く廉の横顔を、じっと焼きつけるように見つめていた。




「……あー……おかし……!」

「すごい笑うな、お前」


 会場では、蓄音機から流れる軽音楽を聴きながら、宗一郎と修吾がまったりと飲み交わしている。


「だって、あんな突っ込むに突っ込みきれない廉さん、面白すぎません?」

「まあ確かに、極悪非道で傍若無人の見る影もないな」

「要は、女性が苦手なんですよねぇ」


 けらけらと宗一郎は楽しそうに笑った。

 修吾の傾けるロックグラスの大きな氷が、カラン、と音を立てる。


「男4人兄弟、母親代わりも妾とあっては、まあ仕方ないだろう」

「夜会でも、話し掛けてくる打算見え見えな令嬢全員を睨み散らしていましたからねぇ」

「そういう意味では、ひな嬢は本当に変わっているな」

「希少種ですよ、本当に」

「どうなるだろうな」


 ふっと軽く目を伏せ微笑む宗一郎。

 

「同じ影にてすめる月かな。変わらずにいてほしいものですなぁ」


 修吾はわずかに動きを止めて宗一郎を見た。

 

「……お前、たまにすごいな……」

「たまにすごいって何ですか。語彙力欠落していますよ修吾さん」


 

 よい心地の中、談笑を交わす宗一郎と修吾の一方。

 

 まあ! 今日は綺麗な満月ですわ! と夜空をきらきらとした瞳で見上げるひなをじっと見つめている廉。

 このあいだのお茶会でいただいたクッキーを思い出しますわねぇ……また食べたいですわ、とほっこりするひなに思わず笑う。

 急に笑われ、はっ! と恥じらうように廉を見上げた瞬間ふらついたひなの腰を、廉は咄嗟に思わず引き寄せた。


 え、と固まるひな。


 

「…………」

「…………」


 その時、都合よく迎えに現れた清香と廉がじと……と気まずく見合う。

 清香はこの瞬間、迷わず廉を敵認定したという。

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