第2譚 - 縁
「大変! 大変よ清香!」
朝。開口一番、女中の清香に、ひなは頬を染めながら食いぎみにまくし立てた。
「どうしました? どこぞの子息からチョコレートでも貰いましたか?」
「チョコレートどころじゃ…………いえ、チョコレートくらいすごいことが起こりました!」
「それはそれは、すごそうですねぇ」
箪笥から、さーて今日のお着物は……、と呑気に着物を選ぶ清香。
「そうなんです! なんと、行き遅れの私が結婚することになりました!」
がっ!!! と清香は思いきり箪笥に指を挟み込んだ。
おん……? と涙目で振り返る清香。
「…………それはそれは……」
すごいでしょ? すごくない? と瞳を輝かせているひなを1度確認すると、再び箪笥に向き直った。
「素敵な夢ですこと」
「何を言っているの? 清香。もう朝よ? 起きて」
「あれ? 話通じてます?」
今日は一段と話が通じませんね、と皮肉る清香に、昨日は本当に驚きの連続でした! とひなは勝手に話を進める。
「でも清香が信じられないのも無理ありませんわ! 何と言っても、お相手のお方はあの、鷹野伯爵子息様ですもの!」
「どんだけやばい夢見ました? ひな様」
清香は食いぎみにひなの肩を掴んだ。
現に戻ってきてください! と肩を前後に全力でゆする。
「きっ清香……落ち着いて――」
その時。
バタバタ! と廊下で慌ただしく走り回る使用人たちに、ん? と2人は動きを止めた。
「――ですから、取り急ぎ確認を――!」
「結納返しの品は――!」
「鷹野家との日程の調整は――!」
襖の隙間から使用人たちの会話を聞いていた清香が、目を大きく見開いたまま、ゆっくりと振り返る。
ね? と笑みを浮かべるひなに、開いた口が塞がらない。
「…………嘘でしょ」
どうなってるの? と清香は目を瞬いた。
「断るか……」
「……~~~~!!!」
苦い顔でうずくまる廉を前に、笑いすぎて声にならない声を漏らしながら腹を抱えている宗一郎。
「笑いすぎだ、宗」
「おめーも散々笑ってたじゃねーか、修吾」
人もまばらなとある神社の境内。
淡い春の花が散り青々とした葉をつける木々から微かに光の差し込む拝殿の脇で、廉、宗一郎、修吾の3人が顔を突きあわせていた。
「……あ――……笑った笑った」
「笑いすぎだろまじで」
「いやだって、こんな廉さん初めて見ましたので」
あー面白かった、と起き上がる宗一郎。
「で? 何で断っちゃうんです?」
「お前、遠慮とかないの?」
「何ですそれ?」
「まあ……」
ふー、と修吾が拝殿の壁にもたれかかる。
「あれだけ『いいぜ』って啖呵切った手前、こっちからは断りづらいだろうがな」
「真顔で刺すのやめろ」
それな……! とうずくまりながら廉は頭を抱えた。
くすっと笑いながら、白衣に袴姿の宗一郎は竹箒に顎を乗せた。
「流れに乗ってしまえばいいじゃないですか。きっかけはあれでしたけど、元々結婚を諦めていた者同士でしょう? 適当に名ばかりの夫婦となっても差し支えないのでは?」
「いや、名ばかりの夫婦っていってもな……。毎日顔を会わせたり、それなりに夫婦生活――」
そこまで言って、頭に浮かんだ想像をぱぱっとかき消す廉。
何想像したんです? 何想像しました?? とにやつきながら近づいてくる宗一郎に、うるせぇぇえ!!! と竹箒を奪い取ると、廉は思いきり腹を突いた。
「……とにかく、俺は結婚なんざしない」
ぐっ……! とひざまずく宗一郎の横で竹箒を肩に担ぎながら、廉は吐き捨てるようにそう言った。
はぁ……、と呆れたようにため息をつく修吾が、廉に視線を向ける。
「まあ森部家が断ってくるかもしれないしな……というか、親は何と言っているんだ」
すると、廉は表情を思いきり歪ませた。
「……なるほど……そのような経緯でしたか……」
そうなの! と鏡台の前で白粉をはたきながら、やや興奮気味にひなが相槌を打つ。
そのひなの髪を梳かしながら、清香はふう……と息を吐いた。
「多分、破談になりますね」
あーよかった。とさらりと口にする清香に、ひなは思わず白粉をぼふっ! と顔に叩きつけた。
「ななななぜですか!?」
「白い白い怖い怖いですひな様!!!」
まったくもう……と余分な白粉をはたき落としながら、清香は眉を下げた。
「そのようなお酒の席での口約束を、奥様がお許しになるとでも?」
「……お母様は……私の結婚に興味はありませんもの。それにお相手は伯爵家ですのよ! 悪い話じゃあないと思いません?」
「ひな様は、なぜそこまで前向き?」
「こんな私をもらってくれるお方がいるなんて、これっぽっちも思っていませんでしたから」
ふふ、と笑顔で薄く紅を差すひなを見ながら、小さくため息をつく清香。
すっとシャクヤクの花をあしらった簪を挿した。
「どうでしょう?」
「よいですね。いつもありがとう清香」
「いいえ」
「では、清香の番!」
そう言ってひなは、楽しそうに清香を鏡台の前へ座らせた。
刷毛に乗せた白粉を軽く清香の頬にはたくと刷毛を置き、慣れた手つきで顔全体に広げていくひな。
瞼に指が触れると、清香はすっと目を伏せた。
「清香。世はすべてご縁ですわ」
「ご縁……?」
「昨晩、鷹野伯爵様が賭けをなさったのも、こうして私が清香と出会えたのも、周囲に渦巻く『気』がどこに宿るのかも、私がこの気を持って生まれたのも。それが良縁なのか悪縁なのか、ご縁で結ばれたその時にはまだ、わからないことではないですか? それを良縁とするか悪縁とするかは――」
「ご自身の行い次第、ということですか?」
「そうです」
ふふ、と笑うひなに、清香は再び息を吐いた。
「さすが……社交界で自ら縁を掴みに行かない変わり者令嬢が板についているだけの説得力はありますね」
「……褒められています?」
「もちろん」
よい説法でございました、と清香はわざとらしく口にした。
「できました」
ひなはそう言って顔を上げると、清香の額に軽く口を当てる。
「今日も清香に悪い気が寄りつきませんように」
そう言って、にっこりと微笑んだ。
やや頬を染め、目を細める清香。
「……ああもう……! こんな可愛らしいひな様が極悪非道と名高い鷹野伯爵子息の元に嫁ぐなんて、私は絶対に認めませんからね……!!!」
「あら清香、いつ私の母に?」
ひなは楽しそうに笑いながら、すっと立ちあがる。
慣れたように黒いレースの手袋をはめると、テーブルに置かれた絹の風呂敷に包まれた手荷物を抱えた。
「では、朝の参拝に行ってまいりますね」
「……なるほど……つまり」
ふるふると震えながら憐みの目を向けつつ相槌を打つ宗一郎。
「朝起きたら全て伝わっていて、話を進めますと言われたと」
「笑うか憐れむか真面目に聞くか、どれかにしてくれ」
つーか、伝わるの早すぎねーか……? と頭に手を当てながら呟く廉に、何年社交界に鎮座しているんです? と宗一郎が茶化す。
その横で、腕を組んだ修吾が、そうか……とじっと廉を見た。
「腹を括れ」
「いや無理」
あーいて……と頭を抱えながら、廉は竹箒を宗一郎に投げ返した。
「……向いてねーし、できねーよ。ろくなもん引き寄せねーし」
「それは確かに」
真顔で頷く宗一郎。
お前に言われると何か腹立つな、と呟きながら踵を返す廉。
「こんな身体じゃ、ろくな結婚生活送れねー――」
そう言いかけて、廉はぴたっと動きを止めた。
ん? と宗一郎と修吾もその視線の先を見て、おや、と固まる。
そこには、まあ大変! と言いながらしゃがみ込み、参道の植え込みの花に話しかけるひなの姿があった。
「おお――さすがはろくなもん引き寄せねー廉さん」
「……これはもう、運命じゃないか?」
ぱちぱちと手を叩く宗一郎の横で、修吾が思わず呟いた。




