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第13譚 - 恋

「――あら、ごきげんよう。今宵は冷えますわね」

「ええ本当に。暖炉の灯りから離れられませんわねぇ」

「まぁ! 貴方のお召し物、ベルベットにございますか? なんて素敵ですこと」

「お気づきになられて嬉しいですわ。先日、仕立てたばかりでございますの」

「なんと品のよいことでしょう……!」

「……ところで……」

「……ええ」

「そうですわね……」


 夜会会場の入り口付近に飾られた花に、まあまあ、さっそく……! と話し掛けるひなに、さっ! と一斉に顔を向ける令嬢たち。


(…………あれは、誰……!?!?)


 華やかに変貌を遂げたひなに、令嬢子息揃って皆、内心思わず突っ込んだという。



 そして――


 

「――冷えますよ」

 

 さわさわ、と花を撫でるように触れているひなの手を、廉が後ろからふわっと優しく引いた。

 ひなは目を丸くして、廉を見上げる。


「またですか」

「陰謀と愛憎の渦巻く場には、どうも気が宿りやすいようですわね……」

「陰謀と愛憎って何ですか」

「新聞に掲載されている文芸欄ですわ!」


 お茶目に笑うひなに、ふっ、と廉は小さく笑う。


「俺の脚の間におさまって、そんな欄を読んでいたんですか?」

「ままま……そそそうでございます……」


 朝の日課を思い出し、ぽ、と頬を染めるひなの頬に、軽く指を当てる廉。


「赤いですよ」

「ひゃわ!!」


 慌てて頬を両手で覆うひなを見ながら、楽しそうに笑みを漏らした。

 

 そんな様子を、遠目から見てふるふると震えながらも、目が離せない令嬢たち。


(あれは一体誰――!?!?)


 傍若無人と恐れられた面影のまるでない廉に、誰もが内心、突っ込まずにはいられなかったという――




「ひなさん」


 やあ、と手を掲げる宗一郎と、その横に立つ修吾に、まあ! とひなは嬉しそうに目を細める。

 廉に手を引かれ2人の元へ来ると、おや? とひなは目を瞬いた。

 さっ! と修吾の背後を覗き込む。


 ちょろちょろと足元を動き回るひなに、修吾は笑いを堪えるように口に手を当てる。

 ひなは、目をぱちぱちと瞬かせながら、修吾を見上げた。

 

「……本日は、文子さんは?」


 ふっ、と修吾はひなに笑みを返した。


「文子は少々体調を崩していて、今夜は見合わせた。すなまいな、俺1人で」

「なんと!」


 いけません! と息巻くひな。


「毎晩冷え込みますものね……何か必要なものはありますか!? 浅田飴は清香が常日頃持ち歩いておりますが、少々むうっ……! としたお味ですものね! ボンボンは身体が温まりますか!?」


 むうっ? と目を丸くする廉と宗一郎。

 あはは……! と修吾は腹を抱えて笑った。


「いや、大丈夫……! お気遣いありがとう、ひなさん。ひなさんは、何というか……文子がお好きですか」

「大好きでございます」


 お会いしたかった……! とぷるぷる震えるひな。

 洋酒のジャムはいかがでしょうか……!? 紅茶に溶かしますと、とってもほっこりして心も身体も温まると思うのです! と力説するひなを、修吾は嬉しそうに見下ろす。


「それはよかった」

「えっ?」

「文子は、ひなさんのことが好きなようで。俺よりも」

「えっ……」


 ぽわぽわ……と照れたように頬を染めるひなに、笑う3人。


「クリスマスにはまた内々で祝宴を開くから、その時には会えると思う」

「……クリスマスに……!」


 ほら招待状、と修吾が内ポケットから出したキャラメルを廉と宗一郎に手渡す。

 どんな招待状だ……、と呆れる廉に、明らかにひなさん用ですねぇ、と宗一郎が楽しそうな声を上げる。


 その横で、ひなは1人、きらきらと瞳を輝かせたまま固まっていた。

 ふと気づいた廉が声をかける。


「……どうした? ひな」

「はっ! いえ……クリスマスに祝宴など……生まれて初めてでございます……!」


 もももしや、ケーキなど……!? と感嘆の息を漏らすひなに、えっ!? と3人は揃って驚いた目を向けた。


「……初めて?」

「はい! 毎年、清香と2人で、部屋の花に少々飾りつけなどをして遊んでいたくらいにございます」

「……――!」


 なんて楽しみなのでしょう……! とうっとりと頬を染めるひなに、目を丸くしていた修吾はふっと小さく笑う。


「それは――」

 

 そう言うと、懐から取り出したキャラメルを手に乗せ、ひなの目の前にすっと出した。


「――文子がはりきりそうだな」

「お菓子祭りになりそうですねぇ」

「…………」


 はわわ……キャラメル……! と目を輝かせているひなを、廉はじっと見つめる。

 小さくため息をつくと、修吾の手からキャラメルを取り、ひなの口に放った。


「……食い尽くすなよ、九条家の菓子を」

「はひはははひはふひょ!」

「何て?」


 間髪入れずに突っ込む廉に、宗一郎と修吾は楽しそうに笑い声を上げた。

 


 

 ――この夜は、なぜだか妙に、現実味がなく浮わついていた。


 

「まあ……!」


 洋館の窓を見て、ひながうっとりと目を輝かせた。


「廉様廉様! 窓を見てくださいませ! 雪が!」

「……雪?」



 ――それは、廉にとって心地が悪い雪が舞っていたからかもしれないし、



「……雪、お好きですか」

「はい! 何だかうきうきといたします! 綿菓子のようで可愛らしく……!」


 その例えに、言うと思った……! と笑う宗一郎と修吾。

 一方で何も発さず、ひなをじっと見つめるその柔らかい笑みに、ひなの胸がどき、と鳴った。



 ――ひなに落とす廉の視線が、いつもにも増して甘く穏やかだったからかもしれなかった。


 

 

「魔法使いの……魔法のようですわね」


 窓を見ながらそう呟くひなに、えっ? と不思議そうな顔で3人は視線を向けた。

 ひなは3人へ視線を戻すと、ふふ、と楽しそうにシャンパングラスにちょんと口をつける。


「清香に新しい本を借りたのです」

「危険だな」


 即答する廉。

 

「危ない描写出てこないでしょうねぇ」

「出てこないとは言い切れないな」

「大丈夫でございますよ。ちょっと魔女というおばあ様を溶かしたりだとか」

「危険です」

 

 再び即答する廉に、宗一郎と修吾は笑い声を上げる。

 危険ではありません! とぷんぷんと廉を見上げるひな。

 

「魔法使いという人を知っていますか? 不思議な妖術を使って呪いを解いたり、神秘的な現象をもたらすのだそうですよ!」


 次は、異国の姫君様が出てくるお話を読むのです……! とわくわくしているひなの横で、3人は、ばっ! と顔を突き合わせた。

 

「……メルヘンな世界のお話ですかね?」

「官能小説の次は異国の童話? ぶっ飛びすぎじゃねーか?」

「官能小説で上手くいかなかったから、趣旨を変えたんじゃないか?」

「上手く……してやられたような気もするな」

「廉さん、その話詳しく」

「シャトーのワイン寄越せ」

「げ」


 廉は、ぱっとひなに顔を向ける。

 

「おい、ひな――」


 

 ――すると。


 

 視線の先で、別の男性客とじっと顔を見合わせているひなの姿に、廉の胸がどきっと大きく鳴った。

 わずかに息を呑む。


 

「……っ……森部嬢……ですか……!?」

「……――!」


 途端にひなの目が大きく見開かれ、きらきらと輝いた。


榎田(えだ)子爵子息様!!!」


 ひらっとドレスの裾をなびかせながら、たたっと子爵へ近づく。

 驚いたように目を見開いた子爵が、わずかに頬を染める。


「なっ……本当に森部嬢ですか!?」

「はい……! ずっとお礼を申し上げたいと思っておりました……!」


 はわ……! と頬に手を当てるひなに、宗一郎がぽん! と手を叩いた。


「ああ、例の賭けの?」

「いたな……そんな奴……」

「榎田っつーのか、あいつ……」

「……忘れないでいただけますか」


 名前も知らなかったんかい、と思わず子爵は目を細めた。




「あの……今は、鷹野ふふふ夫人(小声)……なのでございます」


 てれてれと照れながらシャンパングラスをくるくる回しているひなに、子爵は開いた口が塞がらない。


「……結婚すると……――」


 はい? とひなは瞳を瞬かせた。


「――女性はこうも変わるものなのですね?」

「ひなさんのこれは、どう考えても違いますよね」

「お前、意外と阿呆だな」

「失礼ですね、九条伯爵」


 それにしても、どんなからくりです? とひなの顔を覗き込む子爵。

 するとすかさず廉はぱっとひなの手を取り、ぐいっと引き寄せた。


 むすっ、と不機嫌そうな顔の廉を、ひなは不思議そうに見上げた。

 その表情に、ひなの胸がなぜだかとくっと小さく鳴る。


 はっ! と我に返ると、その顔を子爵へ向けた。


「あ、改めまして、榎田子爵子息様! この度は切に切に……何とお礼を申していいのやら……! 今度、菓子折りでも――」

「これでも渡しとけ」


 廉は、ひなの前にすっとキャラメルを出した。

 えっ……キャラメル……、と固まるひな。

 きゅう……と口を結ぶと、涙を浮かべてぷるぷると震えながら、キャラメルを子爵へ何とか差し出した。


「……こ……この度は……本当に――」

「ああー……お気持ちだけ受け取っておきます。キャラメルも森部嬢に食べてもらいたいと申しておりますので」

「まあキャラメルが!!!」


 それはいけません! と、さっとキャラメルを引き戻すひな。

 子爵はこの一瞬で、ひなの扱い方を心得たという。


 

 幸せそうにキャラメルを頬張るひなを見ながら、子爵は呆れたようにため息をついた。


「鷹野伯爵を結果的に喜ばせてしまったことは、大変遺憾ではありますが――」


 ちらっ、と目を丸くして見上げているひなに視線を落とした。


「――貴方が幸せそうであるのなら、まあ、よしとしましょうか」

「何かかっこいいこと言いましたね」

「お前、あの時ひなさんのこと、酷い言い様だったからな」

「煩いですよ……!」


 子爵は照れたようにわずかに頬を染めると、ちらっとひなを見た。


「私だって、森部嬢がこれほどまでに可憐であると知っていれば――」


 そう言って、ひなにすっと近づくと、触れない程度にその大きく煌めく瞳へ手を伸ばした。


「――負けてもよしと……思ったかもしれません」


 じっ、と子爵を刺すような視線で見ている宗一郎と修吾。

 廉は、影を落とした表情で、静かにその光景へ目を向けていた。


 すると、ひながきょとんとした顔で目をぱちぱちと瞬かせた。


「えっと……よくわかりませんが、私は廉様以外、絶対にありえませんわ!」


 きゃわ!!! と恥じらうひなに、廉は思わず目を見開いた。


 えっ、と固まる子爵。

 すると、宗一郎と修吾が堪えきれず、あはは……! と思わず可笑しそうな笑い声を上げた。

 

 どれだけ相愛ですか……、と逆に恥ずかしくなった子爵が、呆れたような顔でひなを見る。

 可憐に瞳を瞬かせるひなに ふっと笑みを漏らした。


「……鷹野夫人」


 すっとひなの前に立つと、胸の前で片手を添え、軽く腰を傾けて一礼する。


「舞踏の折には、1曲ご一緒いただけますか?」


 その瞬間、廉はひなと子爵との間の柱に思いきり蹴りを入れた。


「いいわけねーだろ」


 みしっと音を立てる柱に、あー柱が……、と柱の心配をする宗一郎と、まあそうなるだろうと思ってたけどな、と笑いを堪えるように口に手を当てる修吾。その横では鷹野夫人……!!! とひながふるふると感極まりながら真っ赤になった頬に手を当てている。

 社交界では異質の4人を前に思わず固まる子爵は、こいつ傍若無人だったの忘れてた、と青ざめたのだった。




 食事を終え、舞踏の刻となると、ひなとのダンスを申し出る男性客を蹴散らすのが面倒になった廉は、ひなを舞踏室へ引っ張っていった。


 何曲目かに入ると、ひながくすくすと笑った。


「お疲れになりませんか」

「鬱陶しい連中を蹴散らすよりは、疲れません」

「こんなに何曲も、廉様を独り占めするように踊れるなんて……何て楽しいのでしょう……! 森部家にいた時でしたらきっと、母に、何てはしたない子といつものように冷笑されていたことですわ」

「俺もですよ。一族の恥って言われてました」

「私を妻にして、そう言われませんでしたか?」

「さあ? 興味ないですね」


 きらきらとした舞台の中、酔ってふわふわと笑い踊るひなを、廉はいつものようにぐっと胸の奥底に押し留めた想いを滲ませながら、愛おしそうに見つめる。


 外を舞う雪が、舞踏室を妙に神秘的な空気にさせていた。


『はい! 何だかうきうきといたします! 綿菓子のようで可愛らしく……!』


 あんなにも嫌いだった雪が、その一言で、毎日のように降って積もればいいと。気づいたら廉の中にそんな思いが沸き上がっていた。

 あり得ないな……! と自嘲しながら、ひなを横目で見た。


『私も、廉様とご一緒ならば、どんな陰口も軽口も笑い飛ばせますわ!』

『私は廉様以外、絶対にありえませんわ!』


 さすがメルヘンな世界の妖精だな、と廉は笑う。

 

(こんな俺といて、楽しいなんて)

 

 何で笑うのです? と言いながらぽわ、と笑うひなに、まるで呪いが解けるかのように、ずっと押し留めようとしていた想いが、ふわっと重力が消えたように浮き上がる。

 人から向けられる好奇な目も軽蔑の視線も、まるで楽しんでいるように笑うひなに、廉ははっと笑うと、困ったように目を細めた。



 主催の侯爵家夫妻が舞踏室へ来ると、皆の視線がそこへ集まった。

 ひなも、まあなんて素敵なドレス……! と見とれる。


 廉は、そのひなの視線を引き戻すように、腕を引いて壁際に引き寄せた。

 えっ? とひなは廉を見上げる。


「あんたの可憐さには負けますがね」

「そ……そんなわけありません……」

「一番、華やかですよ」


 そう言って廉は、さらっと髪飾りに触れた。

 

「れ、廉様」

「……ああ、でも、カクテルハットの方が良かったですかね」


 なんと! と目を見開くと、あわあわと目を泳がせるひな。


「か、髪飾り、似合いませんか……!」

「そういうことではなくて」


 廉はちらちらっと周囲に軽く視線をやる。

 侯爵家夫妻へ視線を向けている皆からやや離れた柱の陰に立つ2人は、別世界にいるようだった。

 そっと赤く染まった頬に触れると、廉はすっと屈む。


 

 人目を盗むように、廉はひなの口に、軽く触れるほどのキスを落とした。


 

「……カクテルハットの方が、隠れるかと思いまして」


 

 はっと息を呑むようにすうっと1度息を吸うひなの瞳が、それは大きく見開かれた。

 目の前にあるひなの、その虚を突かれたような表情に、廉はふっと思わず吹き出す。


 それが合図かのように、固まっていたひなが、はっ! と我に返る。

 同時に、みるみる顔を染めながら、困ったように思いきり眉を下げた。

 わわわわ……わあああ!!! と驚くほど真っ赤に染まった顔を必死に覆うひなに、あはは……! と廉は笑いながらしゃがみ込んだ。


 

 その、廉の初めて見る弾けるような笑みに、ひなは、張り裂けそうなほど大きく打つ心臓が鳴りやまなかったという。


 

 廉の、呪いのように閉ざされていた想いが、魔法のように紐解かれた一夜だった。

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