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第11譚 - 触

「――まあ、なんと楽しい時間だったのでしょう……! あっという間に時が経ってしまいましたわね!」

「そうですね。俺は、あんたが九条家の菓子を食らい尽くすんじゃないかと気が気ではありませんでしたが」

「おっ……おもてなしのお菓子を残しては罰が当たりますわ!」

「当たりませんよ。あんたが丸くなって、より抱き心地が良くなるだけです」

「だっ……!!!」


 陽が傾きはじめ、やや距離を保って歩くひなと廉の影が長く重なる刻。

 初夏に見事に咲き誇っていた紫の花は散り、今は紅葉した葉を残すばかりの藤棚の下を、2人はゆったりと歩いていた。

 

 廉は、ちら、と斜め後ろのひなに視線を向ける。


「……なぜ、そんな離れて歩いているんです?」

「……つ……妻は夫の少し後ろを慎ましく歩くものであります……」


 てれてれと恥じらうように赤い顔で俯きながらちょこちょことついてくるひなに、雛? と小さく笑みを浮かべる。

 

 そこではた、と宗一郎の告げた言葉が頭をよぎった。

 

『惚れでもしましたか?』


 一瞬わずかに動きを止めると、なわけねーだろ、とぱぱっとその言葉を追いやった。

 ははっ、と乾いた笑みを漏らしながら、廉は再び前を向いた。


「……まー……あんたの好きにすればいいですけどね」

「そ……そうでありますか」

「とは言いましたが……そっちは家と逆方向ですが?」


 ぎく、と脇道に逸れようと身体の向きを変えていたひなと、じ……とひなを振り返る廉の目線が気まずく合った。




「予定を菓子みたいに詰め込みすぎると身体に障るんじゃねーのか!?」

「ちょっとです! ちょこちょこっと伺いましてちょこっと様子を窺うだけでございます! ちょこっと……チョコ」

「何でそうなる」

「廉様、私の好きにすればいいっておっしゃりましたよね!」

「お前、妻は夫の少し後ろを慎ましく歩くもんっつったよな!?」


 2人は川沿いの銀杏(いちょう)並木道をわあわあと言い合いながら、やや足を延ばした先にある神社へと歩みを進めていた。

 ずんずんと足早に進むひなを、呆れながらも廉は追っていた。


「……昼の、宗の話か」

「神社という場所は……本当に気が多く集まる場所であると……私は廉様と出会って強く実感いたしました」

「そうなのか?」

「そうなのです。廉様が金平糖を乗せられそうなほど気を纏っていらしたのも、神社でお見かけする時だけでございました。神社は神様が集まる場所、その通り道であらせられますので、気が集い、宿り、長い年月を経て悪気となり悪さをしているとしても、不思議ではありません」


 金平糖が乗りそうなほど纏ってたの? と廉はきょとんとした目をひなへ向ける。


「気の気まぐれな悪戯を、侮ってはなりません……! 『火』の悪気が気まぐれに散らした火花が業火となり、母屋や人を焼き尽くしてしまう……そんなこともあるのです」


『昔、我が家の近くの母屋で火事が起こった際、「火」の気を見たと申しましたところ気味悪がられ、お前が火を放ったんだろと言われたことがあります』


 以前、ひなが自身の秘密を打ち明けるとともに口にした言葉が廉の脳裏に浮かぶ。

 はあ……と小さくため息を吐いた。


「……ちょこっと窺って、ささっと払って、さっさと帰りましょう。清香さんが昼間、こっそりチョコレートボンボンを買いつけていましたよ」


 はっ、とひなは廉を驚いたように見上げた。

 真ん丸に見開かれた嬉しさを滲ませる瞳に、やや頬を染めて視線を逸らす廉。

 はわ……! とひなも頬を赤くすると、廉をきらきらと見つめた。


「はい……! 夕食の先付けといたします!?」

「食後の菓子肴だろ」


 まあ……素敵ですわね……! とうっとりとチョコレートボンボンのとろっとした甘みを想像しながらぱっと顔を上げた瞬間、ずももも……! と遠目に佇む鳥居から渦巻く禍々しい気に、ひなはえっと思わず足を止めた。

 気の見えない廉は、どうした? と振り返る。


 なぜ……あんなにも……とろけたチョコレートのように渦巻いているのかしら……と、ひなにはそう見えていたという。




 ふるふると震えながら、恐る恐る鳥居へと歩み寄るひな。


「……そ……それでは……お国のために……行って参ります……!」

「……何しに行くんだっけ?」

「参拝にございます……!」

「だよな」


 早く行けば? と廉はひなを見下ろす。

 廉様はあのチョコレートが見えていらっしゃらないからそのようなことを! とまくし立てるひなに、チョコレート? と廉は首をかしげる。


 すると、小柄な身体がかすかに震えていることに気がついた。


「…………」


 廉は、ぐいっとその腕を引いた。

 どき! とひなの心臓が大きく跳ねる。ばっ! と反射的に真っ赤な顔を廉に向けた。


「なな、なななな!?」

「ついていきましょうか?」


 はっ! とひなは目を丸くする。


「い、いけません……! 廉様の『陰』の気が、この悪気を引き寄せてしまうやも――」

「じゃ、さっさと終わらせて――」


 ひなの腕を引きながら鳥居に近づいた瞬間、廉はばっ! と頭を抱えて勢いよくしゃがみこんだ。


「――……っ……だ――……!! ……っ何……あ――くっそ頭いて――……!!!」

「れれれ廉様!!!」


 ああやっぱり!!! とひなは両頬に手を当て青ざめると、きっ! と暗く気が深く渦巻く鳥居の先を睨むように見た。


「い……急いで行って参ります!」


 ひなはすっと両手の黒いレースの手袋を外すと1度頭を下げる。

 ふっと正面を見据えると、鳥居をくぐっていった。

 



 チョコレート(暗く渦巻く気)の先は、案外と静まり返っていた。

 ひなはこじんまりとした神社の参道を足早に進むと、手を清め、拝殿への長い石段を登っていった。

 

 拝殿で手を合わせ、ごきげんよう、私は昨日夫婦となったばかりの鷹野ひなにございます、と心の中で神様にご挨拶を述べる。

 その時、ひなはなぜだか寂しいような心地となり、ふと顔を上げた。

 

 軽く頭を下げて神前を退き振り返った先を見て、すぐにその理由がわかった。


(……もうすぐ夕刻ですのに……燈籠の火さえ灯っていない……)


 町から川を挟んだ対岸にあり、鬱蒼とした木々に囲われた小さな神社は、人々から忘れられたかのようにひっそりとしていた。

 

(参拝に訪れる人がいないから……気が巡らないのですね……)


 ひなは石段を上部から、一際大きな3本の御神木に目をやった。

 たたたっ、と足早に石段を駆け下り、ゆっくりと気の渦の中央、その御神木へと近づく。


 すっと手を掲げると、撫でるように触れた。


「……ここに……留まっていてはいけません……! 巡って、良気となり、人々に幸を運んでくださいませ」


 さささっ! と(もや)を払うように、ひなは何度も御神木に触れ続けた。

 

 

 3本の御神木全て同じように気を払うと、こんなものかしら? とひなは満足そうに顔を上げた。

 あら心なしか、寂しげな心地が和らいだような気がいたしますわね、と胸に手を当て目を細める。

 踵を返すと、鳥居へと向かった。


 ひなが鳥居をくぐろうとすっと頭を下げていた、その時。

 

 みしみし……、と木の軋む音が轟いた。



 

 廉は、やべー何だこれ……!!! と抱えていた割れるように痛い頭を、咄嗟にはっと上げる。


(なんだ? 今の嫌な音――)


 そう思うと同時に、鳥居前に立つひなへ向かって迫る影に、廉は大きく目を見開いた。


「――ひな!!!」


 廉は反射的にひなの手を掴むと、ぐいっと一気に引き寄せた。



 

「……!?」


 背後で轟いた木の亀裂音の後、地が揺れるほどの倒壊音に、ひなは廉の腕の中で目を見開く。

 廉も、ひなが引き寄せる前立っていた場所に向かって真っ直ぐ倒れてきた御神木に、思わず息を呑んだ。

 綺麗に折り重なるように倒れた3本の御神木を見ながら、しばし動けない。


 細かな枝葉の揺れる音が余韻のように一帯を包む中、2人はゆっくりと顔を見合わせる。


「…………」

「…………」

「…………大丈夫か」

「……大丈夫……でございます」


 な、何があった……? と目を丸くする廉に、まあ驚きましたね……! とひなは胸に手を当てた。


「御神木に宿っておりました気を払いました」

「え?」

「気が生命のようにそのものを長らえている、ということはよくあることにございます」

「……よくあるの?」

「はい」


 くすっと笑うひな。


「寿命が尽きていた御神木を支えていた気を払ったことで、倒れたのかもしれませんね」

「それは……大丈夫なのか?」


 んー、と少し考えるようにひなは顎に指を添えた。

 

「大丈夫ではないでしょうか? 木は火を生むと申しますし、御神木を支えてくださっていた気なのですから、良気が巡るような気がいたします」


 ふふっ! と廉を見上げて笑うひなに、思わず頬を染める廉。

 

「……驚かないのか?」

「大層驚きまし……」


 そこまで言って、ふとひなは廉の腕の中におさまっていることに気がついた。

 突然固まったかと思うとふるふると震えながらうつむいてしまったひなに、ひな? と声をかける廉。


 はわわわわ……!!! と奇声を発しながら、ひなは思わずその場にうずくまった。

 


 「芸術的に折り重なった御神木」「倒木から逃れた奇跡の鳥居」と噂が立ち、観光名所のように人々が訪れるようになった神社から、燈籠の炎が絶えず灯るようになったとの話を宗一郎から聞くことになるのは、また少し先の話。


 


 そしてその日の夕食。


「……??」


 清香は秋鮭のムニエルを丁寧にフォークで口に運びながら、向かいに座る廉とひなにちらっと目線を向ける。


(……っ……ひな…………ひな、と……!!!)

「あ――……くっそいてー……」


 きゃわ!!! と赤い顔でコーンポタージュをくるくると延々混ぜているひなと、テーブルにめり込む勢いで頭を垂れている廉に、何事? と戸惑いを隠せない。


(……まあ……ひな様はいつもの如く何か勘違いか何かでもなされているのだと思うのだけれど……廉様まで何事? 何か悪気でももらってきた?)


 ふむ、と清香はどうしたものかと思考を巡らせた。


「……ひな様も廉様もともにお疲れのご様子で……。今日は早めに寝室へ参られ、ごゆっくりとご夫婦の時間を取られては――」

「なななななんと!!?」

「それどころじゃねぇ……!!!」

「……――!?」


 あら間違えましたな、と清香はぱくっとニンジンのグラッセを口に運んだ。

 

 2人はすっかりチョコレートボンボンのことが頭から抜け落ちていたという。




「廉様……大丈夫でございますか……?」

「……あ――……いや、大丈夫じゃねーな……」


 ベッドの縁に座り頭を抱える廉を、背後でちょんと正座をしているひなが心配そうに見つめる。


「……やっぱり……私が、払っ――」


 「払う=素手で触れる」、という方程式がひなの頭にしゅしゅっとよぎり、かあああ……! と固まったまま顔を赤く染める。

 廉は、そんな様子のひなをちらっと横目で見ると、小さくため息を漏らしながらベッドに上がった。


「いや、いい。寝れば少しはましになるだろ……」

「…………」


 気を纏わせながら眉をしかめ、あーまじ痛ぇ……と頭を押さえる廉の顔をひなはじっと見つめる。

 ぎゅっと拳を握り、唇をかみしめた。


「……――廉様ー!!!」

「おおお!? なんだひな――」


 胸倉を掴む勢いで飛び掛かってきたひなに驚きながらも、咄嗟に腰を支える廉。

 すると、ほわ……、とひなの小さな手が廉の額にそっと触れた。


 廉は思わず息を止めた。

 

 頭にきつく絡んで絞めつけていた糸がすーっと解れていくように、廉の頭が軽くなっていく。

 驚いたようにひなを見ると、真っ赤に頬を染めながら、眉を下げて心配そうな表情を浮かべるひなと視線が絡んだ。

 

 ぱっ、とひなは額から手を外すと俯き、ししし失礼します……と消え入りそうなほどの小声で呟く。

 そのひなの手が、首元から寝間着の浴衣の下にわずかに入り込む。

 廉は目を見開いた。

 ひなは控えめに廉の肩に触れると、恥ずかしさを紛らわすように、ささささっ! と慌てて撫でる。

 そのリンゴのように真っ赤に染まったひなの顔を、廉はじっと見つめていた。


 

 しゃっ! と目にも留まらぬ速さで手を引き抜くと、ひなは終わりました、とまた小声で囁いた。

 おずおず、と廉をちらっと見上げる。


「……ど……どうでしょうか……」


 廉は軽く頭を振ってみた。

 吐き気すらも感じるほどに重かった頭が、綿菓子かのように軽くなっていて驚く。


「……すごいですね」


 軽いよ、と告げると、不安そうに揺らいでいた瞳がぱあっと輝いた。

 

「助かった」

 

 廉はそう言って目を細めた。すると、輝いている瞳がさらに大きく開かれる。

 恥ずかしさと嬉しさを滲ませながら、廉の顔を覗き見るように上目遣いで目を瞬かせているひなに、廉は小さく吹き出す。

 すっと手を伸ばすと、胸の前に当てているひなの手を取った。


「え」


 ぽふっ、とひなの頭が枕に沈んだ。あっという間に回転した視界には天井の代わりに廉の顔があった。

 おや? と目を瞬かせる。


「ひな」


 そう言って顔の横に手をつく廉に、ひなははたと静止する。

 見上げた廉の艶っぽい真顔に、心臓が割れるほどに大きく打つと、わ……わあああああ……! と声にならない声を漏らしながら必死に両腕で顔を覆った。

 え、と廉は思わず動きを止めた。


「……れれれ……れ廉様……そそそそういうああああのそういうのはああのその……」


 顔を覆いながら全身を強張らせ、ふるふると小さく震えるひなにじっと視線を落とす廉。

 ふっと笑ってため息を吐くと、廉はばさっとひなを顔まで覆いかぶせるように、上掛けをかけた。


「もう寝てくださいと、言おうとしただけですが」

「………………そ…………そうでございましたか」


 上掛けの中から、ほっとしたような恥じらうような呟きがかすかに聞こえ、廉はははっと思わず声を上げた。

 

「別に……雛みたいに震えるあんたを抱くほど困ってませんよ」

「……そうですか」


 ひなはそう言って、ちらっと上掛けから顔を覗かせた。

 いやでもそこまで全力で拒否するか? と呆れたように笑っている廉の顔を見ると、胸が締めつけられるように、きゅっと痛む。

 おや悪気かしら……? とわずかに視線を泳がせるも、また視線が廉の顔に留まる。なぜだか目が離せず、どきどき……と見惚れた。

 

 そこでひなは、はっ! と目を見開いた。

 

「…………もしや……廉様、妾がいらっしゃる……?」

「いるわけねーだろ!!! ……――!?」


 ぷるぷると震えるひなと思わず見合うと、廉ははたと固まった。

 

「……妾知ってんの?」

「千代は、太郎の妾なのでありますよ……」

「誰?」


 しゅん……とやや悲しそうな顔で、私は太郎は正子(正妻)と幸せになってもらいたいのですよ……と呟くひな。

 あいつ、まじでこいつに何つー本読ませてんだ……!! と廉は思わず頭を抱えたという。



 ささいな気の起こした騒動が、わずかに夫婦の距離を縮めた秋麗の佳日であった。

 そして季節は、吐く息を白く染め草花が静まり返る冬へと移ろうとしていた。

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