第1譚 - 起
秋深まる由緒正しき神社。
大きく構える鳥居の先に、舞い散る赤や黄の葉が絨毯のように敷かれた境内。その本殿。
1組の男女がこの日、夫婦の契りを交わしていた。
白無垢姿の花嫁が、お神酒の注がれた杯にゆっくりと口をつける。
1度、2度、そして3度とくっ、と杯を傾けると、巫女へ杯を手渡した。
その花嫁が、ちらり、と隣の花婿に視線を送る。
綿帽子から覗く紅を差した唇が、わずかに笑みを湛えたように細まる。
その美しい笑みを見た花婿――鷹野廉は、驚いたように大きく目を見開いた。
神楽鈴や笙の音が包む、厳かな神前式。
その場でなぜ廉は大きく驚いたのか――それは数ヵ月前に遡る。
時は大正。
和に西洋の彩りが交じり、きらきらと煌めく新しい風に皆憧れた時代。
これは、その時代に華を添えていた「華族」と呼ばれる文字通り華やいだ者たちの世界のお話。
季節は初夏。
その夜の社交場――煌びやかな洋装に身を包んだ若い男女の集う、とある洋館の夜会にて。
廉は、ぱし! と5枚のカードを机に叩きつけていた。
「勝てるかぁ!」
だー! と机に突っ伏す廉を見ながら、やや細身の男がカードを口に当てながらくすくす笑う。
「持ってませんねぇ」
「うるせぇよ、宗」
「廉さん、無駄に色々引き寄せるわりに、運だけは引き寄せませんよねぇ」
「言い得て妙だな」
ぱさっ、とカードを投げ捨てながら、眼鏡の男が頷く。
そのカードを見て、2人はぴたっと動きを止めた。
「……また修吾か……!!!」
「おや? おかしいなぁ……今度こそ勝ったと思ったのに」
「お前たち、欲にまみれすぎなんじゃないか?」
「欲と運は関係ないですって」
「勝ちに執着がない方が勝つっていうだろう」
「聞いたことねーな」
おい、もう1回だ……! と廉が指を立てた。
カードゲームに興じる廉たちのテーブルの奥では、男女のぎこちなくも初々しい会話が弾む。
ゆったりとしたワルツが、賑やかな声とともに微かに耳に届く、独特な夜の熱気に包まれる会場の一角。
その隅の壁際。
すっかり夜会での壁の花に徹することに慣れた1人の女性、森部ひなは、まったりとシャンパングラスを手に、会場を眺めていた。
(まあ……あのご令嬢、初めて見るお方ね……今日社交界デビューかしら? 初々しい……あの華やかな髪飾り、このあいだいただいた金平糖を思い出しますね……金平糖……美味しそう)
ひなは少し変わっていた。
見た目の華やかさはなく、髪型もこの時代には珍しく肩ほどまで断髪しており、逆目立ちしている。
大振りの花をあしらったカクテルハットから垂れるレースで顔の半分が覆われ、髪飾りやティアラで着飾る令嬢たちの中でも、若々しさと言うより妙な世慣れさのみが際立つ。
そんな異質なひなには当然男性からの誘いもなく、人とのつながりが何より欠かせない社交界で自ら輪に入らずマイペースなひなは、1人浮いていた。
何より――
(……あら?)
会場の一角に大きく飾られた花瓶へ近づくひな。
黒いレースの手袋を外すと、そっと花びらに触れた。
「本当……どこにでも宿るのねぇ……」
よしよし、と花に話しかけるひなを見て、うわぁ……また森部嬢1人で喋っていますわ……と令嬢たちは遠目から引いた目を向けていた。
「何でだ……!!!」
その時。
カードゲームに興じる廉の一際大きな声に、ひなはびくっと肩を弾ませた。
続いて、あははは! と2人の笑い声が会場に響く。
皆の視線が、そのテーブルに集まった。
「さすが廉さん……!」
「2、3、4、5、7、は奇跡だな」
「ストレートでいいだろ、そこは……! 何で7……!!!」
おかしいだろ、そのカード……! と廉は頭を抱える。
あー……くそ今日やけに頭痛ぇな……そのせいか? そのせいなのか? と呟く廉。
はいはい、いつものやつね、と廉の向かいで適当な相槌を打っていた友人2人が、ふと廉の背後を見て目を細めた。
「……あー……ほら廉さん、また変なの引き寄せて」
「……はっ」
すると、1人の男性がゆっくりと廉の背後に近づく。
ソファの肘掛けに腰かけるようにもたれると、廉の肩に手を置いた。
「へえ? 怖いものなしと称される鷹野伯爵子息にも、弱いものがあるんですねぇ」
「あ?」
廉は、睨むようにその男へ視線を送った。
向かいで共にポーカーに興じていた2人も、すっと冷ややかな視線を向ける。
「……なんだ、てめぇ」
「この間廉さんに喧嘩を売ってきて、返り討ちにした子爵ですよ」
「酔っぱらっている廉に絡む方が悪い」
「ごもっとも」
笑う2人にややイラついた視線を向けると、男は再び廉の顔を覗き込んだ。
「次は、ポーカー勝負でどうでしょう?」
「やなこった」
「負けるからですか?」
かちん、と廉は男を睨んだ。
その様子を、やや遠目からどきどきと見つめているひな。
(……大変……何だか不穏な空気に……大変だわ!)
まあまあ! とひなの瞳が輝いた。
ひなは、夜会でのちょっとしたいざこざを傍観するのが好きだった。
「わかった」
「廉さん!」
「俺に負けたらどうすんだ?」
「酒でも奢りましょうか?」
「てめぇに奢られた酒なんて、飲みたくねぇよ」
「では……」
そう言って、ちら、とその男はひなを横目で見た。
「行き遅れの地味令嬢……森部嬢を、妻として迎え入れて差し上げましょうか?」
はた、とひなは固まった。
(……何か巻き込まれました――!?)
すごい巻き込まれ方をしましたわ……! と目を真ん丸に見開いたまま動けない。
あ? と廉は目を細めた。
「……女を巻き込むな」
「花を持たせてあげたのですよ。森部嬢も、行き遅れのままより、貰い手が見つかった方が幸せでしょう?」
「最低か」
「では、貴方が負けたら、貴方の妻として差し上げれば? 正義感の強い貴方が旦那なら、森部嬢もさぞ喜ばれるでしょう」
「いいぜ」
はっ! と鼻で笑う廉。
固まったまま目線のみ男と廉との間を行き来させていたひなは、まじですか、と思わず驚く。
「こういうのは、無欲な方が勝つんだよ」
「そう言いますね」
廉は、カードをぱし! と机に投げた。
「切れ、宗」
カードを手に、にやりと不敵な笑みを浮かべる子爵。
まあ……と口に手を当てるひな。
そして、何とか笑いを堪えている2人の視線の先――
廉はカードを片手に持ったまま俯き、ふるふると震えていた。
「……おかしくね!!?」
廉がそう叫びながら机にカードを叩きつけた瞬間、向かいの2人が堪えきれず笑い声を上げた。
「お前、切った!?」
「切りましたよ……! ほんと奇跡ですね、廉さん……!」
「2、3、4、5、8……? ほんとすごいなお前」
「お前ら、どっちの味方なんだ」
「一応廉さん……ですけど」
「子爵に娶られるよりは、お前の妻の方が森部嬢は幸せじゃないか? どっちかというと」
「そうそう。僕もちょっと思いました」
そこで、はっ! と廉は初めてひなの方へ顔を向けた。
その瞬間、2組の数字が揃った5枚のカードを、頭上の高さからひらひらと机へ散らす子爵。
「いいですねぇ……傍若無人の行き遅れ子息と、変わり者の行き遅れ令嬢……お似合いじゃあありませんか」
若干気まずい表情を浮かべた廉と、目を丸く見開き息を呑むひなの視線が絡む。
はははっ! と子爵は大きく笑い声を上げると、わざとらしく手を叩いた。
「鷹野伯爵子息と森部男爵令嬢のご婚約ですよ!」
そう高々と声を張ると、軽く廉の肩にぽんと触れた。
「おめでたい夜ですねぇ……! お2人で、長い夜を共に過ごされてはいかがですか?」
会場の至る所で冷やかす声や歓喜の声が上がり、熱気はいっそう高まる。
ははは! と笑いながらテーブルを立ち去っていく子爵。
思わず顔を見合わせる、廉の向かいの2人。
その横で廉とひなは会場の喧騒も耳に届かず、視線を合わせたまま、しばし時が止まったかのように2人だけの空気に包まれていた。
鷹野廉28歳。
森部ひな22歳。
この夜、同じ社交界で長い時間を過ごしながら、一度も交わることのなかった2人の邂逅から、この物語は幕を明ける――。




