第1話「マル暴に来たんですけど」
マル暴――正式には「組織犯罪対策課」。
警察学校の同期からは「一番ヤバいところ」と言われ、
先輩からは「お前には一番向いてないところ」と言われた部署。
なのに、なぜか俺は今日からここに配属された。
「先輩! 今日こそ殴り込みですか!」
「しないよ。あと殴り込みは違法だよ」
マル暴の先輩は、氷みたいに静かな人だ。
声を荒げたところを見たことがない。
怒っているのか、喜んでいるのか、眠いのかも分からない。
「後輩、今日の任務は張り込みだ」
「張り込み……ですか?」
「うん。動く前に“見る”。それがマル暴の基本だ」
張り込み車両の中は、思ったより狭かった。
缶コーヒーの匂いと、先輩の淡々とした筆記音だけが響く。
「先輩、あの建物にいるのが……」
「暴力団のフロント企業。今日は“兆し”を見る日だ」
「兆し、ですか?」
「暴力団は、殴る前に動く。動く前に考える。考える前に、必ず兆しがある」
先輩は、まるで天気予報でもするみたいに静かに言った。
「例えば、いつもより出入りが多いとか、
いつもより静かすぎるとか、
いつもより缶コーヒーの銘柄が違うとか」
「最後の必要あります?」
「あるよ。人間は、緊張すると好みが変わる」
そんなこと、どこで学ぶんだ。
「後輩、今日の目標は“何も起こらないこと”だ」
「えっ、事件が起きたほうが……」
「起きないほうがいいに決まってるよ。
事件が起きたら、誰かが泣くから」
先輩は窓の外を見たまま、静かに言った。
その横顔が、妙にかっこよかった。
「……でも先輩」
「ん?」
「俺、マル暴に来たって友達に言ったら、
“お前、絶対すぐ死ぬ”って言われました」
「正しいね」
「正しいんですか!?」
「後輩は、勢いだけで生きてるから」
「じゃあ、俺はどうすれば……」
「まずは、静かにすること」
先輩は、俺の缶コーヒーを指さした。
「それ、開けるときの“プシュッ”が大きい。
あれで相手に気づかれる」
「そんなことで!?」
「そんなことで、だよ」
俺は缶をそっと置いた。
「後輩」
「はい」
「今日の任務は、静かに、観察して、
“何も起こらなかった”と報告すること」
「……地味ですね」
「地味だよ。でも、地味な仕事が一番強い」
先輩はそう言って、またメモを取り始めた。
俺は缶コーヒーを握りしめながら思う。
(……地味すぎる。でも、かっこよすぎる)
こうして俺のマル暴生活は始まった。
――そしてこの日の“何も起こらない張り込み”が、
後にとんでもない事件の入口だったことを、
このときの俺はまだ知らない。




