第9話:機械仕掛けの断罪者と、予定調和の勝利
1. 散歩という名の侵攻
埼玉県、秩父山中の奥深く。
地図から抹消された廃工場、『第3ファクトリー』の正門前。
月明かりすら届かない深い森の中に、その異様な建造物は鎮座していた。
無機質なコンクリートの壁、有刺鉄線、そして敷地内を巡回する無数の赤いレーザー光。
要塞と呼ぶにふさわしい威容だ。
「……到着しましたわね」
マリアが運転する黒塗りのSUVが、森の闇に紛れるように静かに停車した。
助手席の俺、雨宮湊は、窓の外にそびえ立つ悪意の城を見上げ、あくびを一つ噛み殺した。
「ご主人様。突入プランは? 敵の戦力は推定で一個大隊規模。重火器に加え、試作段階の人工呪物も配備されていますわ」
マリアが後部座席から対物ライフル(バレットM82)を取り出し、手際よくマガジンを装填しながら尋ねる。
その表情は、メイドカフェの店長ではなく、歴戦の傭兵のそれだ。
俺はパーカーのポケットに手を突っ込み、気だるげに答えた。
「正面から歩いて入る」
「……はい?」
「散歩だよ、散歩。マリアさんはここで待っててくれ。あ、そうだ。帰りに駅前のコンビニ寄って『とろける極上プリン』買いたいから、今のうちに在庫あるか調べといて」
俺は車を降りた。
夜風が心地よい。
三日間の強制睡眠のおかげで、脳のクリアランスは完璧だ。
視界がクリアだ。思考が光速で走る。
『叡智の図書館』と『確定事象』の並列処理も、今の俺なら鼻歌交じりでこなせる。
「さて……やるか」
俺は工場の敷地境界線に足をかけた。
その瞬間、警備システムのアルゴリズムが俺を敵性存在として認識し、迎撃プロトコルを起動しようとする――はずだった。
だが、何も起きない。
本来なら侵入者を焼き尽くすはずの高出力レーザーグリッドは、俺が足を踏み入れた瞬間に「偶然」近くの変電施設に雷が落ち(天気予報は晴れだったが)、過電圧でヒューズが飛んだことで沈黙した。
監視カメラ群は、一斉に首を振り始めたが、レンズの駆動モーターに「たまたま」製造時のグリス塗り忘れがあり、摩擦熱で焼き付いて明後日の方向で固まった。
「……何だ、貴様は!」
正門を守る歩哨たちが、異変に気づいて飛び出してきた。
全身を黒いタクティカルギアで覆った、屈強な兵士たちだ。
彼らは躊躇なく、俺に向けてアサルトライフルを構えた。
「止まれ! 侵入者を発見! 直ちに射殺する!」
「どうぞ」
俺は歩みを止めない。
兵士たちが引き金を引く。殺意のこもった指の動き。
カチッ。
乾いた金属音が響く。
弾が出ない。
「……あ? ジャムった(弾詰まり)?」
兵士が焦ってボルトを操作する。排莢不良だ。
隣の兵士も舌打ちしてサブウェポンを抜く。
カチッ。
「俺のもだ!? な、なんだコレ!?」
「整備不良か!? バカな、今朝点検したばかりだぞ!」
俺は彼らの横を素通りする。
魔法を使ったわけじゃない。
俺はここに来る前、車の中で既に『確定事象』のコマンドを入力済みだ。
『設定:俺に対する敵対行動は、全て物理的な不具合によって未遂に終わる』
銃なら弾詰まり。ナイフなら柄が折れる。素手なら足がつる。
対象が「俺の視界内」および「半径50メートル以内」であれば、この程度の因果操作に脳のメモリなど使わない。
息をするように奇跡を起こす。それが万全の状態の俺だ。
「貴様……何をした!」
隊長らしき男が、警棒を抜いて襲いかかってくる。
俺は避けない。
男が踏み込んだ地面には、数年前に工事作業員が落とした「古びた釘」が埋まっており、雨による浸食で地面が脆くなっていた。
ズボッ。
「ぐあっ!?」
男の足が地面にめり込み、バランスを崩して顔面から転倒した。
さらに、倒れた拍子に無線機のスイッチが入り、大音量のノイズがスピーカーから流れ出す。
『キィィィィィン!!』
「うあぁぁ! 耳が、耳があぁぁ!」
ハウリング音に悶絶する兵士たち。
俺はその脇を抜け、巨大な鉄扉の前に立った。
パスコードロック。静脈認証。音声波形認証。
三重のセキュリティが施された、鋼鉄の城門。
「開けゴマ」
俺がドアノブに手を触れた瞬間。
電子ロックの回路基盤に、一匹のアリが迷い込んでいた(という事実が確定した)。
アリの体液が回路をショートさせ、制御システムが誤作動を起こす。
「緊急解除モード」へと移行したシステムは、ロックを開放した。
ガコン、プシュー。
重厚な扉が、コンビニの自動ドアのようにスムーズに左右へ開いた。
「……お邪魔しますよ」
俺はポケットに手を突っ込んだまま、敵の本拠地へと足を踏み入れた。
2. ピタゴラスイッチの独壇場
工場内部は、SF映画のセットと屠殺場を足して二で割ったような空間だった。
無機質なパイプライン。培養槽の中で蠢く肉塊。ベルトコンベアで運ばれていく、不気味な仮面や装飾品。
ここで「人工呪物」が量産されているのだ。
そこで働いていた白衣の研究員たちが、侵入者(俺)を見て凍りつく。
「き、貴様は……雨宮湊!?」
「なぜここに入れた!? 警備班は何をしている!」
館内放送が響き、エリア封鎖のアラームが鳴り響く。
通路の奥から、完全武装の警備部隊が雪崩れ込んでくる。
その数、およそ50人。
狭い通路で包囲された。ライフル、スタンバトン、ライオットシールド。完璧な布陣だ。
「雨宮湊! 貴様を確保する! 抵抗すれば即時射殺も辞さない!」
部隊長が叫ぶ。
俺は『叡智の図書館』をチラリと開いた。
周囲の構造、敵の配置、工場の配管図、空調システム、照明の配線。
検索などいらない。視界に入った情報が、そのままデータベースとリンクする。
負荷? ゼロだ。
スマホで天気予報を見る程度の労力。
「……めんどくさいな。数が多い」
俺は指をパチンと鳴らした。
『設定①:この工場のスプリンクラータンクには、なぜか潤滑油が混入している』
『設定②:天井の照明器具の固定ネジが、全箇所緩んでいる』
『追加設定:誰かが驚いてタバコを落とす』
工場の天井にあるスプリンクラーが、火災報知器の誤作動(俺が視線を送っただけで作動した)により一斉に水を撒き始めた。
だが、降ってきたのは水ではなく、ヌルヌルとした工業用オイルだ。
「うわっ!? なんだこれ!」
「滑る! 立てない!」
50人の大男たちが、氷上のコメディアンのように足を滑らせ、次々と転倒していく。
重装備が仇となり、一度転ぶと起き上がれない。
将棋倒しのように折り重なる兵士たち。
そこへ、一人の兵士が隠し持っていた電子タバコのバッテリーが、衝撃で発火した。
ボッ!!
オイルに着火。
火柱が上がるのではなく、床一面に低い炎が走る。
熱くはないが、視覚的なインパクトは絶大だ。
「ギャアアア! 火事だ! 逃げろ!」
「出口はどこだ!? 滑って動けん!」
阿鼻叫喚。
さらに追い討ちをかけるように、振動で緩んでいた天井の照明器具が、次々と落下してきた。
ガシャン! ガシャン!
直撃はしないが、彼らの逃げ道を塞ぐように絶妙な位置に落ちていく。
「退路が塞がれた!? 罠だ!」
「こいつ、何者だ!?」
俺はその横を、火の粉を払いながら悠々と歩く。
誰一人、俺に触れることすらできない。
触れようと手を伸ばせば、天井から落ちてきたケーブルに絡まり、自縛状態になるだけだ。
「……教授は地下か」
俺はエレベーターホールへ向かった。
当然、エレベーターはシステムダウンさせられている。
制御盤のランプは消えている。
「動け」
俺がボタンを押すと、地下の予備電源ケーブルがネズミにかじられ、そのショートした電流が奇跡的にエレベーターのモーター回路へバイパスされた。
ウィィィン……。
死んでいたはずのエレベーターが、亡霊のように起動し、扉を開く。
ポーン。
到着音。
俺はエレベーターに乗り込み、地下最深部のボタンを押した。
「……待ってろよ、元凶」
3. 失敗作たちの墓場
エレベーターが地下へと降りていく。
B1、B2、B3……。
B4階を通過した時、エレベーターが激しい衝撃と共に停止した。
「……おっと。ここからは徒歩か」
扉をこじ開けると、そこは広大な吹き抜けの空間だった。
そして、待ち構えていたのは人間ではなかった。
「排除……排除……」
「殺ス……喰ウ……」
無数の異形たち。
教団が作り出した「失敗作」の成れの果てだ。
体に機械を埋め込まれた獣、複数の腕を持つ人形、黒い靄を纏ったゾンビのような元人間。
それらが数百体、俺を見上げて飢えた声を上げている。
「教授の野郎、趣味が悪いな」
俺はため息をついた。
これらを一つ一つ相手にしていたら、夜が明けてしまう。
それに、元人間も混ざっているなら、手荒な真似は後味が悪い。
「……眠れ」
俺は『確定事象』を発動した。
『設定:地下空調システムのガスボンベのバルブが破損し、麻酔ガスが充満する』
俺は息を止めた。
プシューッという音と共に、壁面のダクトから白いガスが噴き出す。
本来は実験動物の鎮静化に使われる医療用ガスだ。
「ガ……?」
「ネム……イ……」
襲いかかろうとしていた異形たちが、次々とその場に崩れ落ちていく。
バタバタと倒れる音。
数秒後、立っているのは俺だけになった。
「……いい夢見ろよ」
俺はハンカチで口を覆い、眠りこける怪物たちの間を抜けて、最深部への扉へと向かった。
その途中、一体の「失敗作」が、俺の足首を掴もうとした。
まだ意識があるのか。
見ると、それは少女のような姿をした人形だった。
「オ……ニィ……チャン……?」
俺は足を止めた。
その顔立ちが、一瞬だけ凛に見えたからだ。
いや、違う。これはただの幻影だ。教団が俺の精神を揺さぶるために作った、悪意あるトラップだ。
「……悪いな。俺の妹は、もっと口が悪いんだ」
俺は人形の手を優しく払い除けた。
人形は糸が切れたように動かなくなった。
俺の中で、冷たい怒りが燃え上がった。
教授。テメェだけは許さねぇ。
4. 予定調和のボス戦
地下5階。
広大な実験場。
その中央に、白衣を着た男――教授が待っていた。
彼の周囲は防弾ガラスのドームで覆われており、絶対安全圏から俺を見下ろしている。
そして、彼の背後には、全長10メートルはある巨大な機械の塊が鎮座している。
金属と骨と肉が融合したような、醜悪な龍。
人工呪物の最高傑作、『機械仕掛けの龍』。
「ようこそ、雨宮湊君」
教授は、マイク越しに薄く笑った。
「君の能力……素晴らしい。ここまで無傷で歩いてくるとはね。君こそが、私の理論の正しさを証明する最高のサンプルだ」
「……サンプル?」
俺はドームの前で足を止めた。
「そうとも! 『確定事象』……それは確率を操る力ではない。観測によって結果を固定する、量子力学的魔法だ! 君の脳髄を解剖すれば、我々は神の領域へ到達できる!」
教授が狂気じみた笑顔で手を掲げる。
背後の機械龍が起動した。
蒸気を噴き出し、全身のパイプから赤い光が漏れ出す。
その眼光が俺を捉えた瞬間、肌が焼けるような圧力を感じた。
「これは私の可愛い最高傑作だ。過去の遺物『龍のあぎと』を核に、最新のサイバネティクスで肉体を構築した。装甲は対物理・対魔術コーティング済み。君の『小細工』が通じるかな?」
機械龍が咆哮した。
鼓膜が破れそうな衝撃波。
そして、その巨大な顎から、プラズマのような高熱のブレスがチャージされ始める。
俺はため息をついた。
「……あのさ、教授」
「なんだね? 命乞いか?」
「アンタ、勘違いしてるよ」
俺はメガネの位置を直した。
「俺の能力は『戦う』ためのもんじゃない。『終わらせる』ためのもんだ」
俺にとって、戦いとは「捜索」の段階で終わっている。
敵の居場所を特定し、その正体を認識した時点で、勝敗は決しているのだ。
目の前に敵がいる?
それはもう、ゴミ箱に入れる前のゴミと同じだ。
「……何を言って」
「『確定事象』」
俺は龍を見上げ、冷たく言い放った。
『設定:その機械龍の制御コアには、製造段階での致命的な設計ミスがある』
ブレスが放たれる直前。
機械龍の胸部から、カシュン、という小さな音がした。
たった一つのボルト。
コアフレームを固定していたそのボルトに、ミクロ単位の金属疲労による亀裂が入っていた(という事実が今、確定した)。
振動。
熱膨張。
そして、連鎖崩壊。
ボルトが弾け飛んだ。
それが高速回転するタービンに飛び込み、タービンの羽を粉砕。
破片が燃料パイプを切り裂き、冷却液と高エネルギー燃料が混合する。
制御を失ったコアが暴走し、逆流したエネルギーが龍の内部を駆け巡る。
「グオオオオオオッ!?」
機械龍が断末魔を上げる。
ブレスは喉元で爆発し、龍の首を内側から吹き飛ばした。
巨体が崩れ落ちる。
ドズゥゥゥゥン!!
実験場が激しく揺れ、防弾ガラスのドームにヒビが入る。
「な……な……!?」
教授は腰を抜かし、瓦礫の中に倒れ込んだ。
彼の「最高傑作」は、指一本触れられることなく、自重で崩壊したスクラップと化した。
「ば、バカな……あり得ない! 私の設計は完璧だった! 何重ものチェックをしたはずだ! シミュレーションでは無敵だったはずだ!」
教授が髪をかきむしって叫ぶ。
俺はヒビの入ったガラスドームに近づき、デコピンを一発かました。
パリーン!!
強化ガラスが粉々に砕け散る。
「完璧なんてないんだよ、教授。……俺が『ミスがある』と決めたら、そこにはミスが生まれる。それが俺のルールだ」
俺は瓦礫を踏み越え、教授の前に立った。
かつて、両親を殺した組織の幹部。
憎しみはある。殺してやりたい衝動もある。
だが、今の俺は不思議なほど冷静だった。
圧倒的な力の差が、感情すらもフラットにしていた。
「……殺すかね?」
教授が震える声で問う。
「いや。俺は人殺しじゃない」
俺はスマホを取り出した。
画面には、ある男の連絡先が表示されている。
『堂島鋼太郎』。
「アンタには、法の裁きを受けてもらう。……まあ、その前に」
俺は指を鳴らした。
『設定:この工場の全データサーバーは、静電気で全損する』
バチバチバチッ!!
管理室のサーバーラックから火花が散った。
「Project: NEXT WORLD」の研究データ、顧客リスト、製造マニュアル、教授の個人的な日記まで。
全てが電子の藻屑となる。
「あぁぁぁぁ! 私の研究が! 私の新世界が!! 30年のデータがあぁぁ!」
教授が絶叫し、燃え上がるサーバーに駆け寄ろうとして転んだ。
哀れなもんだ。
「終わりだ、教授。アンタの夢も、野望も」
俺は踵を返した。
もう用はない。
後はマリアさんが手配した「匿名通報」で、堂島たちが駆けつける手はずになっている。
彼らが来る頃には、ここはただの「事故を起こした違法工場」になっているだろう。
俺が立ち去ろうとした、その時だった。
教授が、瓦礫の中で狂ったように笑い出した。
「クク……ハハハ……! 終わり? 終わりだと?」
教授が血走った目で俺を見る。
「甘いな、ウィザード。……私がただ手をこまねいていると思ったか?」
俺は足を止めた。
嫌な予感がする。
「君がここに来ている間、君の『守るべきもの』はどうなっているかな?」
教授が懐からリモコンのようなものを取り出した。
「君への招待状(手紙)は、もう届いているはずだ。……君の可愛い妹君の元へね」
俺の心臓が凍りついた。
「……何をした?」
「秩父の『旧施設』。あそこに、私の最後の置き土産がある。……君の妹が、それを見つけたらどうなるかな?」
俺は振り返らず、教授の顔面を蹴り飛ばした。
「グベッ!」
教授が気絶する。
だが、もう遅い。
俺は工場を飛び出した。
勝ったつもりだった。
だが、俺は一番大事なことを見落としていた。
俺がここで無双している間、凛は無防備だったのだ。
5. 帰路のスイーツはお預け
工場を出ると、東の空が白み始めていた。
マリアの車が待っている。
「お疲れ様でした、ご主人様。……ずいぶんと早かったですわね」
マリアが微笑むが、俺の顔色を見て表情を硬くした。
「……何かありまして?」
「車を出せ! 急げ!」
俺は助手席に飛び込んだ。
「工場は全壊だ! だが、凛が危ない!」
「凛様が? どういうことですの?」
マリアがエンジンをふかす。
「教授の罠だ……! 凛を、旧施設へ誘導した!」
車が急発進する。
俺はシートに深く身を沈め、爪が食い込むほど拳を握りしめた。
脳への負荷はないはずだ。
だが、胸の奥が張り裂けそうだった。
俺が最強? 笑わせるな。
俺は、たった一人の妹さえ守れず、敵の掌の上で踊らされていた道化だ。
「……間に合ってくれ、凛」
車窓を流れる景色が、不吉な予感と共に過ぎ去っていく。
最強の能力者が、ただの兄に戻り、恐怖に震える時間が始まった。




