第7話:迷探偵リンの推理と、秋葉原の魔女
1. 疑惑のパズルピース
「……Project: NEXT WORLD(次なる世界計画)。……Casualty(犠牲者)。……Experiment(実験)」
放課後の図書室。
私、雨宮凛は、窓際の席で英和辞典を片手に、スマホで撮った写真とにらめっこしていた。
写真は、数日前に兄の部屋からこっそり持ち出した(正確には撮影して元の場所に戻した)謎のノートの一部だ。
「……何なのよこれ。中二病の設定ノートにしては、具体的すぎるし……筆跡が乱れてる」
ノートの文字は、今の兄の丸っこい文字とは違う。
鋭く、荒々しく、まるで何かに追われながら書き殴ったような筆跡。
そして、そこに記された内容は、不穏な単語の羅列だった。
『父さんと母さんは事故死じゃない。殺された』
『奴らはまだ生きている』
『俺が……終わらせなきゃいけない』
背筋が寒くなる。
私の知っている兄は、アニメの録画予約に命をかけ、フィギュアに話しかけ、休日には秋葉原を徘徊する「無害なオタク」だ。
でも、このノートを書いた人物は、まるで復讐鬼のような執念を持っている。
「……どっちが本当のアンタなのよ、お兄ちゃん」
私はため息をつき、もう一枚の写真を表示した。
ノートに挟まれていた、古い写真。
瓦礫の山の上で、幼い頃の兄と一緒に写っている二人の人物。
一人は、彫りの深い外国人の少年。
もう一人は、優しそうな、でもどこか影のある美少女。
「……この男の人」
私は記憶の糸を手繰り寄せる。
先日、家に押しかけてきた自称・兄の雇い主(通訳バイトの依頼主)、レオン・ハートフィールド。
髪型や雰囲気は大人びているけれど、面影がある。間違いない。
兄は「最近知り合った」と言っていたけれど、この写真が本物なら、二人は10年以上前からの知り合いということになる。
「嘘つき」
私は小さく呟いた。
兄は私に嘘をついている。
通訳バイトなんて嘘だ。あの夜、私の学校で起きた事件も、兄はただ巻き込まれただけじゃない。
あのアニメソングの校内放送。
絶妙なタイミングで作動したスプリンクラー。
そして何より、私が襲われそうになった時に感じた、「守られている」という確信。
「……確かめてやる」
私は決意を固めて立ち上がった。
兄が何を隠しているのか。両親の死に何が関わっているのか。
私が暴いてやる。
もし兄が危険なことに巻き込まれているなら……今度は私が、あのバカ兄貴の首根っこを掴んででも引きずり戻すんだから。
「凛ちゃん? 怖い顔してどうしたの?」
背後から声をかけられ、私はビクッと肩を震わせた。
振り返ると、親友の沙織が不思議そうに首を傾げていた。
あの一件以来、沙織はすっかり元気になった。憑依されていた時の記憶はないらしい。
それが唯一の救いだ。
「ううん、何でもない。……ちょっと、調べ物」
「ふーん? あ、もしかして『運命の人』探し?」
「……ある意味ではね」
私は鞄を手に取った。
今日の目的地は決まっている。
兄が「聖地」と崇め、足繁く通っている場所。
そして、写真に写っていた「美少女」の手がかりがありそうな場所。
秋葉原。
2. メイドの鉄壁防御
「……ここか」
秋葉原の裏通り。
雑多な看板がひしめく雑居ビルの前に、私は立っていた。
『古書と珈琲とメイドの店 ヴァルハラ』。
兄が「ここのオムライスは宇宙一だ」と熱弁していた店だ。
(……怪しい)
女の勘が警鐘を鳴らしている。
ただのメイドカフェじゃない。
入り口の扉は重厚なスチール製で、セキュリティコードのパネルまでついている。
会員制? それとも……。
私は深呼吸をして、扉を開けた。
カランコロン♪
「いらっしゃいませ、お嬢様。……あら?」
出迎えたのは、クラシカルなロングスカートのメイド服に身を包んだ、絶世の美女だった。
亜麻色の髪、透き通るような肌、そして同性の私でも思わず視線を奪われる豊満なスタイル。
優雅な所作で紅茶を淹れていた彼女は、私を見て少しだけ目を丸くした。
「……見覚えがありますわね。もしかして、雨宮様の妹君、凛様では?」
先制攻撃。
私は動揺を隠して、毅然と見返した。
「……よく分かりましたね。兄がいつも迷惑をかけています」
「いえいえ。湊様……いいえ、雨宮様にはご贔屓にしていただいておりますの。私は店主の如月マリアと申します」
マリア。
その名前と、顔立ち。
私はスマホの写真と彼女を見比べた。
間違いない。写真の少女が成長した姿だ。
「……単刀直入に聞きます。貴女、兄とはいつからの知り合いですか?」
私は席にも座らず、詰め寄った。
マリアさんは困ったように微笑み、私をカウンター席へと促した。
「まあまあ、そう殺気立たずに。まずは座って、紅茶でもいかがですか? 特製のアールグレイですわ」
「……結構です。質問に答えてください」
「ふふ。……そうですねぇ、雨宮様が当店にいらっしゃるようになったのは、ここ2、3年でしょうか。アニメのお話で盛り上がりまして」
嘘だ。
写真の二人はもっと幼かった。
彼女もまた、兄と口裏を合わせている。
「嘘ですね。この写真を見てください」
私はスマホの画面を突きつけた。
「これ、貴女ですよね? 兄と一緒に写ってる。どう見ても10年以上前の写真です」
マリアさんは画面を一瞥し、表情一つ変えずに答えた。
「あら、よく似ていらっしゃいますこと。……でも、これは私ではありませんわ。おそらく、私の母か姉妹では?」
「はぁ?」
「私はずっと海外にいましたの。日本に来たのはつい最近です。……パスポート、お見せしましょうか?」
マリアさんは微笑んだまま、カウンターの下から本当にパスポートを取り出そうとした。
その余裕。完璧すぎる仮面。
この人は、ただのメイドじゃない。
私は直感した。彼女が纏っている空気は、あのレオンや堂島刑事と同じ……「修羅場」を知っている人間のそれだ。
「……それに、この店はただの喫茶店ですわ。お兄様のような……心の優しい、少し不器用な方々が羽を休める場所。それ以上でも以下でもありません」
マリアさんが紅茶を差し出す。
良い香りだ。悔しいけれど、心が落ち着いてしまう。
「凛様。……お兄様を信じて差し上げてはいかがですか? 彼は、貴女が思うよりもずっと、貴女のことを大切に思っていらっしゃいますよ」
諭すような口調。
それが余計に私を苛立たせた。
何も知らないくせに。
兄が何を隠しているのか、何を背負っているのか、私は何も知らない。
蚊帳の外に置かれた子供扱いだ。
「……信じたいから、調べてるんです」
私は紅茶に口をつけず、席を立った。
これ以上話しても、彼女から情報は引き出せない。彼女のガードは鉄壁だ。
でも、一つだけ分かったことがある。
店に入った瞬間、微かに漂っていた匂いだ。
紅茶とスパイスの香りの奥にある……鉄錆と油の匂い。
これは、以前学校で堂島刑事が持っていた、ショットガンから漂っていた匂いと同じだ。
「……ごちそうさまでした。また来ます」
「ええ、お待ちしておりますわ。……お帰りの際は、裏通りには気をつけて」
マリアさんの最後の言葉。
それは、単なる挨拶には聞こえなかった。
3. 路地裏の暴食者
店を出た私は、逃げるように早足で歩いた。
時刻は夕方。秋葉原の街はネオンが灯り始め、オタクたちや観光客でごった返している。
「……くやしい」
私は唇を噛んだ。
兄も、レオンも、マリアも。
全員がグルになって私を騙している。
「凛のためだ」とか「巻き込みたくない」とか、そんな勝手な理屈で私を遠ざけている。
「私はもう子供じゃないのに……」
悔しさで視界が滲む。
ふと、人気のない路地裏に入り込んでしまったことに気づいた。
表通りの喧騒が遠ざかり、ゴミの腐敗臭と湿った空気が漂う。
「……道、間違えたかな」
引き返そうとした時。
ゴミ捨て場の奥から、ガサガサという音が聞こえた。
野良猫?
いや、違う。もっと重い、湿った音。
肉を咀嚼するような、グチャ、グチャという音。
「……誰?」
私が声をかけると、音は止まった。
ゴミ袋の山が崩れ、影の中から「それ」が姿を現した。
「……ハラガ……ヘッタ……」
男だった。
ボロボロのコートを着た、浮浪者のような男。
だが、その体型は異常だった。
腹部だけが妊婦のように膨れ上がり、そこから紫色の血管がドクドクと脈打っている。
そして、彼の手には……古びた『壺』のようなものが握られていた。
「……ニク……ニクヲヨコセ……」
男が顔を上げた。
その目は白く濁り、口は耳まで裂けている。
そして、その裂けた口ではなく、膨れ上がった腹部の皮膚が裂け、そこから巨大な「口」が現れた。
「ひっ……!?」
私は悲鳴を上げて後ずさる。
人間じゃない。
沙織の時と同じだ。何かに憑依されている。
「ウガアアアアッ!!」
男――いや、暴食の化け物が、壺を抱えたまま突進してきた。
速い!
私はとっさに鞄を盾にする。
ガブッ!!
腹部の口が鞄に噛みつき、鋭い牙で引き裂いた。
教科書やノートが散らばる。
「嘘……」
腰が抜けたように動けない。
化け物が、次の獲物――私を見る。
よだれがポタポタと落ち、コンクリートを溶かしている。
酸!?
「タベル……タベル……!」
死ぬ。
恐怖で思考が真っ白になる。
お兄ちゃん。
助けて。
心の中で叫んだ。
その時だった。
4. 確率の守護神
「――『確定事象』」
どこからか、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
低く、冷静で、でも必死な声。
次の瞬間。
ビュオオオオオッ!!
突風が吹いた。
ビルの隙間風? いや、そんな生易しいものじゃない。
路地裏の上空に設置されていた、巨大な看板広告(『最新GPU搭載! 爆速PC』)のワイヤーが、突風に煽られて金属疲労の限界を迎えた。
バチンッ!!
ワイヤーが弾け飛ぶ音。
そして、数トンの重量を持つ看板が、重力に従って落下してくる。
その落下地点は――私に襲いかかろうとしていた化け物の真上。
「ガ?」
化け物が空を見上げる。
ドガァァァァァン!!
轟音。
看板が化け物を直撃し、地面ごとプレスした。
土煙が舞い上がる。
「……え?」
私は呆然と目の前の惨状を見つめた。
化け物は看板の下敷きになり、ピクリとも動かない。
さらに、看板に描かれたPCの基盤パーツがスパークし、漏れ出た電流が化け物を黒焦げにしていく。
「……何これ」
偶然?
看板が落ちてくるなんて、そんな漫画みたいな確率がある?
いや、あるわけがない。
沙織の時のスプリンクラーと同じだ。
あまりにも出来すぎている。
「……誰?」
私は周囲を見回した。
ビルの屋上。非常階段。路地の入り口。
誰もいない。
でも、気配は感じる。
誰かが私を見ていて、私のために「運命」をねじ曲げたような気配。
「……お兄ちゃん?」
私は呟いた。
返事はない。
ただ、ビルの屋上で、パーカーのフードを被った人影が一瞬だけ見え――すぐに消えた。
その背中は、泥だらけで、頼りなくて、でも誰よりも見慣れた背中だった。
ウウウウウ……。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。
私は震える足で立ち上がった。
鞄はボロボロだ。教科書も台無し。
でも、私は生きている。
あの「偶然」のおかげで。
5. 泥だらけのヒーロー
夜、21時。
私は警察(陽菜さんという女性警官が来てくれた)の事情聴取を終え、家に帰ってきた。
「看板落下の事故に巻き込まれた」ということで処理された。
化け物の死体は、いつの間にか消えていた(警察が回収したのか、それとも別の誰かが持ち去ったのか)。
「ただいま……」
玄関を開ける。
リビングの明かりがついている。
「おー、おかえり凛。遅かったな」
ソファには、いつものようにヨレヨレのTシャツを着て、ポテチを食べながらアニメを見ている兄がいた。
その能天気な顔を見ていると、さっきまでの恐怖が嘘のよう……には思えない。
「……うん。ちょっと、寄り道してたから」
「ふーん。ま、飯まだなら、そこにカレーあるぞ」
兄は画面から目を離さずに言った。
私は靴を脱ごうとして――兄の脱ぎ捨てられたスニーカーに目が留まった。
泥だらけだ。
しかも、ただの泥じゃない。
秋葉原の路地裏特有の、黒ずんだ油混じりの泥。
そして、玄関の傘立てに無造作に置かれた黒いパーカー。
その裾が、少し焦げているように見える。
さっきの看板のスパーク?
「……お兄ちゃん」
「んー?」
私はリビングに入り、兄の背中を見つめた。
華奢で、猫背で、頼りない背中。
でも、さっきビルの屋上で見た影と、完全に重なる。
「……今日の夕方、どこにいたの?」
「え? 秋葉原だけど」
「ヴァルハラ?」
「そうそう。マリアさんのオムライス食って、ゲーセンで遊んでた」
兄は平然と嘘をつく。
ゲーセンで遊んでいて、あんな泥だらけになるわけがない。
パーカーが焦げるわけがない。
私は兄の隣に座った。
兄が少し驚いたように私を見る。普段なら「近寄るな」オーラ全開の私が、こんなに近づくなんて珍しいからだ。
「……ねえ」
「なんだよ、改まって」
私は兄の手を取った。
その手は、ポテチの油ではなく、冷たい汗で湿っていた。
そして、微かに震えていた。
能力を使った反動? それとも、恐怖?
「……ありがと」
「は?」
「カレー。作ってくれて」
私は精一杯、言葉を濁した。
まだ、問い詰める時じゃない。
兄が隠したいなら、隠させておいてあげる。
でも、私はもう騙されない。
アンタがただのオタクじゃないことも、私のために命がけで何かをしてくれていることも、全部知ってしまったから。
「……おう。まあ、食えよ」
兄は照れくさそうに顔を背けた。
その耳が赤くなっているのを見て、私は少しだけ笑ってしまった。
「……うん。いただきます」
私はキッチンへ向かった。
カレーを温めながら、私は誓った。
お兄ちゃん。アンタが私を守るつもりなら、勝手にすればいい。
でも、私もアンタを守る。
アンタが一人で抱え込んでいるその重荷を、いつか絶対に半分背負ってやる。
鍋の中でカレーがグツグツと音を立てる。
それは、私の中で煮えたぎる決意の音と同じだった。
幕間:魔女の独白
深夜、秋葉原『ヴァルハラ』。
閉店後の店内で、マリアは一人、カウンターでグラスを傾けていた。
「……聡い子ですこと」
彼女はスマホを取り出し、そこにあるデータを削除した。
凛が店に来た時の監視カメラ映像だ。
「お兄様譲りの直感と、行動力。……血は争えませんわね」
マリアは微笑み、ため息をついた。
今日、凛が襲われた路地裏。
そこには、マリアの手配した「監視ドローン」が飛んでいた。
湊が間に合わなかった場合、マリアが遠隔で支援射撃を行う手はずだったのだ。
だが、その必要はなかった。
湊の『確定事象』は、完璧なタイミングで発動した。
「ですが、代償が大きすぎますわ」
マリアは別のモニターを見た。
そこには、湊のバイタルデータが表示されている。
『脳波異常』『極度のストレス反応』『寿命短縮の警告』。
「確定事象」は、タダではない。
因果をねじ曲げるたびに、湊の脳には莫大な負荷がかかる。
そして何より、彼自身の「運命」を削っている可能性がある。
「……凛様。貴女が真実にたどり着くのが先か、お兄様が壊れるのが先か」
マリアはグラスの中の琥珀色の液体を飲み干した。
「どちらにせよ、私も覚悟を決めなければなりませんわね」
彼女はカウンターの下から、巨大な対物ライフル(バレットM82)を取り出し、愛おしそうに撫でた。
来るべき決戦の時は近い。
その時、魔女は聖母の仮面を捨て、戦場に立つのだろう。




