間違えられた冷遇令嬢 ご飯が美味しくて幸せになりました
セリカ・アーウィン子爵令嬢は戸惑っていた。
目の前にホカホカのシチューとふっくらしたパンが並べられていたからだ。
セリカは実家で、冷遇されていた。母親が亡くなってから、父が連れてきた義母と義姉は、セリカに冷たかったのだ。
食事は冷めた薄いスープと硬いパンなど最低限。ドレスも亡き母のドレスを手直しして着ている。母の形見の宝石はほとんど取り上げられてしまった。
父は仕事が忙しいのか、家庭を顧みない。セリカが義母達に冷遇されている事に気がついているかどうかすら分からない。話をするタイミングも掴めないままだった。
王都に滞在中のある日、茶会について来いと言われた。急に言われてもドレスの準備など出来ていない。仕方なく手直ししたドレスの中で一番無難だと思える物を着込んだ。着替えを手伝ってくれる使用人もいないので、髪などはハーフアップにまとめて、髪留めをつけただけだ。飾りが取れた部分にリボンなどを巻き付けて、誤魔化した作りだ。
義母達は茶会でセリカに恥をかかせてやろうという考えだったようだ。実際、茶会では隅の方に小さくなっているのを、チラチラと見られたり、ヒソヒソと何か言われているようだった。しかし、面と向かって嫌味などは言われなかったのは救いだった。
義母達は、嫌がらせの最後の仕上げとばかりに、セリカを置いて馬車に乗って先に帰ってしまった。
「はあ……、お腹空きました……」
茶会の席では視線を浴びていただけで茶菓子の一つも食べる事が出来なかった。
セリカは当惑しながらトボトボと徒歩でアーウィン家のタウンハウスに向かって歩いた。
「おい!」
大通りを歩いている時に、大声で呼び止められた。
「マリッサ・ウィリアムズだな! 話がある!」
「え?」
振り向くと茶色癖毛で頬にニキビがある青年が怖い顔をしてセリカを睨んでいた。セリカはビックリして硬直してしまった。
「ちょっと来い!」
「ええ! や!」
青年がセリカの方に手を伸ばし、一歩踏み出して来たので、セリカは思わず後退りした。
クルリと踵を返して逃げ出す。
「待て!」
「きゃっ」
青年はあっという間にセリカに追いつき、セリカの腕を掴んだ。そして、訳が分からないうちにセリカは、馬車に乗せらせてしまった。
(大変です……。私、これからどこに連れて行かれるのでしょう……)
セリカは恐怖で身を縮こませた。
「アンソニー・ジャレットから手を引け!」
馬車の中で青年が、何度かそんな事を言ったが、セリカには何の事か理解出来なかった。
聞いた事のない、人物の名前だった。
(どうしましょう。多分人違いです…。。でも人違いなんて言ったらもっと怒鳴られてしまうでしょうか)
馬車の中で、興奮した様子で、ずっと怒鳴るように喋っている青年に「人違いだ」と言って通じるのか確信が持てなかった。
馬車は、立派なお屋敷に到着した。セリカの実家のアーウィン子爵家の、タウンハウスの三倍位広そうだった。
馬車を降ろされてから、青年にグイグイ腕を引かれて、屋敷の中に入った。高い天井の玄関ホール。高価そうな調度品。明らかにお金持ちそうに見える。
「デービット様……」
執事らしき人が当惑した様子で立っていた。青年とセリカを交互に見ている。
バタバタと屋敷の奥から誰かが近づいて来る足音が聞こえてきた。
「デービット! お前? 何やってるんだ!」
ハチミツ色の髪の青年がやって来て、セリカを連れてきた茶髪の青年を怒鳴る。茶髪の青年は、どうやらデービットという名前らしい。
「ジョシュア兄さん! マリッサ・ウィリアムズに話しをつけようと思ったんだ! アンソニーから手を引いて、これ以上ミニーを泣かすなって!」
デービットがハチミツ色の髪の青年に訴えかけように言った。ジョシュアと呼ばれた青年の青い瞳がセリカに向けられた。
「あ、あ、あの……!」
グーキュルキュルキュル
セリカが何か言うより前に、セリカのお腹が空腹を主張した。ジョシュアの頬が少し緩んだ。
「お腹、空いてるのかい?」
「……」
セリカは顔を赤らめて俯いた。
屋敷の奥に通されたと思ったら、そこは食堂で、セリカの目の前に、ホカホカのシチューとふかふかのパンが、準備されたのだ。
セリカはゴクンと唾を飲み込んだ。伺うように、向かいに並んで座っているデービットとジョシュアを見る。
デービットは眉間に皺を寄せて不機嫌そうな顔をしていたが、ジョシュアは優しげな微笑みを浮かべていた。
チラッとシチューの皿に目を向け、もう一度ジョシュアを見る。ジョシュアが小さく頷いた。
(頂いちゃって良いのでしょうか? いただいちゃいますよ)
セリカは、パーッと笑みを浮かべた。
スプーンを手にして、シチューのじゃがいもを掬い取り、口に運ぶ。
一口食べて幸せそうな顔をした。
パンを手にして千切り、驚いたように目をパチパチさせて、一口食べると満面の笑みだ。
そこからは手が止まらない。
美味しそうに食べるセリカの様子をじっと見ていたジョシュアは、ボソリとデービットに小声で話しかけた。
「……なあ、彼女は本当にマリッサ・ウィリアムズ男爵令嬢なのか? 聞いていたイメージと違うのだが……」
「だって、サーモンピンクの髪色だろ?」
「うん?」
ジョシュアは怪訝な顔をした後、じっとセリカの髪を見て、もう一度デービットに目を向けた。
「……まさかと、思うが髪色だけで連れて来たんじゃ……」
「サーモンピンクの髪なんて、滅多にいないだろ?」
「……」
ジョシュアが困惑した様子で、口を開こうとした時、バタンと勢いよく食堂の扉が開いた。
「デービットお兄様が、令嬢を連れて来たって……!」
「ミニー!マリッサ・ウィリアムズを、連れて来たぞ。話しをつけると良い!」
「え?」
ドヤ顔で言うデービットの言葉を聞いて、ミニーと、呼ばれた青い髪の令嬢がセリカに目を向ける。
セリカはパンを千切る手を止めて、戸惑い気味にミニーに挨拶をした。
「……あ……。初めまして。ご機嫌よう」
「……どなた?」
「セリカ・アーウィンと申します」
「え⁈」
セリカが名乗ると、デービットが驚きの声を上げた。
「大変申し訳ありませんでした!」
漸く人違いだと分かって、デービットはセリカに土下座せんばかりに謝った。
セリカは、食後に出されたクリーム付きの焼き菓子を口に入れてウットリとしていた。
デービット・ランデルはランデル伯爵家三男で、ミニー・ランデルの三番目の兄だ。
妹のミニーの婚約者が最近、学園に編入してきたサーモンピンク色の髪をした男爵令嬢と親しくしており、学園内でベタベタと腕を組んで歩いていたり、二人で街に遊びに行ったなどという噂も聞いた。
ミニーは、アンソニーに他の女性と距離が近いのが、不快だし不安だと訴えたが、アンソニーは聞き入れてくれなかった。
マリッサ本人にも何度も注意したが改善するどころか、「怖ーい」などと言いながらアンソニーの腕に張り付いたりされた。
ミニーは思い悩んでいた。デービットは妹が思い悩んでいるのを心配していた。
街中でセリカの姿を見て、デービットは「あれがそうか!」と、ピンと来た。
話しをつけて、二度とアンソニーに近づかないと約束させようと考えたのだ。
「……はあ……、もう……、彼女の髪色はオレンジ色じゃない?」
「え⁈ サーモンピンクじゃないの?」
「もう……」
驚いて口をあんぐりと開けるデービットを、ミニーはジト目で睨んだ。
一方、人違いの誤解も解けてホッとしたセリカはニコニコしながら、焼き菓子を口に運んでいた。
小動物を思わせるようなセリカ様子を眺めていたジョシュアが、セリカに話しかけた。
「……美味しいかい?」
「はい! こんなに美味しいお菓子。ほんっとうに久しぶりで……」
「そう……」
ジョシュアは僅かに目を細めた。
セリカの実家、アーウィン子爵家はそんなに困窮しているのか? と考えた。
セリカはそんなジョシュアの考えには気づかず、ニッコリして頷いた。笑顔が可愛らしいな、とジョシュアは思った。
デービットが、ふと顔を上げた。
「そ、そう言えば、何故、セリカ嬢は大通りを一人で歩いてたんだ? 凄く目立ってたぞ! だから俺は……」
「デービットお兄様! セリカ様のせいにしなあで!」
セリカに問いかけるデービットをミニーが咎める。セリカは、お茶菓子を口に運ぶ手を止めて俯いた。
「……置いていかれてしまって……」
「え……?」
セリカは、お茶会の帰りに義母と義姉がセリカを置いて馬車で帰ってしまった事を話した。そして、ポツリポツリと、これまでに、された意地悪などを話していく。
「……温かいお食事も久しぶりで……」
「……だから、あんなに美味しそうに食べていたんだね……」
ジョシュアは悲痛な表情でセリカを見つめると、近くで待機していたメイドに告げた。
「セリカ嬢にお菓子のおかわりを」
「ジョシュアお兄様! 一度に大量に食べたらセリカ様がお腹を壊してしまいますわ! それより、お茶を飲み終わったらご自宅にお送りする予定でしたけれど、アーウィン子爵家にお送りしてしまって良いのか、分からなくなってしまいましたわ!」
ミニーの言葉にデービットが頷く。
「そうだ。そんな家に帰る事ない! ずっとウチにいると良い!」
「デービットお兄様は、もう少し考えてから発言して!」
ミニーは苛立たしげにデービットに言う。セリカの話を聞いて、アーウィン子爵家の人々に抱いた怒りの矛先がデービットに向けられていた。
「そもそも、デービットお兄様は、お名前も確認せずに強引に連れてくるなんて!」
「セリカ嬢の為には結果的に、良かったんじゃないか?」
「そう言う問題じゃないわよ! もし、本物のマリッサ・ウィリアムズだったらどうする気だったのよ!」
「だから、アンソニーに近づかないように説得しようと……」
「あの人が聞く訳ないでしょう! もうっ!」
ミニーが眉を吊り上げ、ゴグゴクと紅茶を飲み干した。
セリカは首を傾げた。
「あの……、お聞きしてもよろしいですか? その、私と間違われたというウィリアムズ様?という方は……」
「ミニーの婚約者に近づく悪女だよ」
デービットが不愉快そうに言う。ミニーはチラリとデービットに視線を移したがすぐにセリカの方に向き直って頷いた。
「……マリッサ・ウィリアムズ男爵令嬢という人は、私の婚約者であるアンソニー・ジャレットと親しくしている女性なの……」
ミニーは自分とマリッサ・ウィリアムズとの状況をセリカに説明し始めた。
ミニー・ランデル伯爵令嬢は、アンソニー・ジャレット伯爵令息と婚約している。アンソニーは将来ジャレット伯爵家を継ぎ、ミニーはジャレット伯爵夫人となる予定だった。婚約は幼い頃に決まり、所謂政略結婚だが、それなりに良好な関係を築いていた。
状況が変わったのは今年二人が王都の学園に入学してからだ。
「幼い頃平民街で育った」という男爵令嬢マリッサ・ウィリアムズとアンソニーが親しくなったのだ。
マリッサは、ふわふわしたサーモンピンクの髪に、キョロキョロした大きな赤い瞳をした見た目は愛くるしい令嬢で、男子生徒に人気があった。アンソニーも例外ではなく、「おっちょこちょい」のマリッサを何度か助けているうちに親しくなっていったらしい。昼食を二人で食べたり、腕を組んで歩いている事を目撃される事も多く、学園の生徒達からも噂になっていたのだ。
ミニーはアンソニーに何度も、マリッサと距離を置いて欲しいと訴えたが聞き入れてもらえなかった。
マリッサに直談判しても同様だった。ウルウルした目で、ミニーに睨まれたとアンソニーに訴え、ミニーが逆にアンソニーから注意を受ける始末だった。
その事をランデル伯爵家で兄達に愚痴ったら、三男デービットが暴走して、今回の事態となってしまったらしい。
ミニーは改めて、セリカに謝罪した。
「私の事情に巻き込んでご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい!」
「……それは、構わないのですが……。ミニー様はそんな浮気者の男性、何処が良くて婚約を続けていらっしゃるのですか?」
「え……?」
「政略結婚だから、お家の事情で解消出来ないのでしょうか?」
「……」
ミニーは、セリカの言葉にハッとした。アンソニーとは、幼い頃からの付き合いだったから、今後も良好な関係を続けていかなくては、と思い込んでいたが、「浮気者の何処が良いんだ」と問われると、良い面が思い浮かばない。
父に婚約解消を相談してみるのもアリかもしれない、という考えに至った。
「……そうね! 私、アンソニーと婚約解消する!」
「「ええ?」」
突然の婚約解消宣言に、ミニーの兄達は驚いた。
そこからミニーの行動は早かった。
仕事から帰ってきた父、ランデル伯爵に、アンソニーとの婚約解消を直談判した。同時に、セリカの事情を説明し、何とかしてあげられないか、と訴えた。
ランデル伯爵は、ミニーの話を聞き、すぐに婚約解消に向けて動き出した。
セリカの事についても、偶々、ランデル伯爵がセリカの父であるアーウィン子爵の上官だったので、呼び出して話をするのも早かった。
結果的にセリカは母方の祖父母に引き取られる事になった。セリカの父も、義母達に改善を促したりしたが、状況を知った祖父母が「今まで放置していたのに任せておけない!」と、養子縁組を推し進めたのだ。
セリカとしても、祖父母のところの方が安心出来ると判断して、養子縁組に了承した。
翌年、セリカが学園に入学した時、少しだけ頬がふっくらして血色も良くなっていた。
一年先輩のミニーと仲良くなり、楽しく学園生活を送った。時々義姉が睨んでくる事もあったが、ミニーが庇ってくれていたので、平和だった。
そのまま、何事もなく学園を卒業するかと思っていたが、一年先輩のミニーの卒業パーティーの時に事件は起こった。
「君との婚約を破棄する!」
卒業パーティーが開催されてすぐ、広間にゾロゾロとサーモンピンクの髪の令嬢と同級生の男子生徒達と一緒に現れた第三王子が婚約者の公爵令嬢に対して婚約破棄宣言をしたのだ。
「君は、マリッサ・ウィリアムズ男爵令嬢に嫉妬して嫌がらせをした。身分を傘にしてそんな下劣な事をする女性とは結婚したくない」
「シエル殿下ぁ、アタシ、怖くってぇ」
第三王子のシエル殿下の腕に、ピンクサーモンの髪をした令嬢が絡みつく。
「僕も! 婚約を破棄する!」
「俺も!」
「自分も!」
何と、フロアの中央に集まっていた男子生徒達が次々に自分の婚約者の令嬢への婚約破棄宣言を始めたのだ。
(あ、あの方は……)
見覚えのある男性が居ると思ったら、その男性は、セリカの元義姉を指差した。
「エリカ・アーウィン子爵令嬢! 僕も君との婚約を破棄する!」
「そ、そんな!」
セリカの元義姉が悲痛な声を上げて泣き崩れた。
「え? アンソニー様?」
集団の後ろの方に、ミニーの元婚約者、アンソニー・ジャレットも立っていた。しかし、新たな婚約者はまだ居なかったのか、婚約破棄宣言はしなかった。
ミニーはぞっとした。
もしも、アンソニーとの婚約を継続していたら、間違いなく、ミニーも巻き込まれていたと思ったのだ。
ミニーはセリカの手を取って礼を言った。
「セリカ、ありがとう! あの時、貴女に言って貰えたから、巻き込まれずに済んだわ!」
卒業パーティーでの集団婚約破棄宣言は、一つの事件として扱われた。彼らの婚約破棄の理由が、全員同じ一人の令嬢の為だったと言う事から、「魅了」が疑われ、調査がされた。
結果、マリッサが身につけていたペンダントに魅了の力がある事が、わかった。そのペンダントはウィリアムズ男爵が外国から来た商人から買ったもので、効果など知らずに買ったと主張したが、少し古びたそのペンダントをマリッサが常に身につけていたという証言が複数あり、マリッサは、ペンダントの効果を知っていて使っていたと判断され、罪に問われた。
「魅了」の影響を受けたとは言え、集団で婚約破棄宣言をするなどした第三王子達も、無罪放免とは行かなかった。
婚約者達への慰謝料に加えて、卒業の延期などの措置が検討されている。婚約破棄宣言はしなかったアンソニーはお咎め自体はなかったが、「魅了」されていたとは言え、一人の令嬢に入れ上げていたという醜聞が広まった。
婚約破棄宣言をされた令嬢達は、大勢の貴族の前での宣言だった為、そのまま婚約は解消となった。セリカの元義姉も例外ではなかった。
慌てて次の婚約相手を探し始めたが、被害者女性が多いので、大変な競争率になっている。
「……大変だったのですねぇ」
卒業パーティー後の顛末をジョシュアから聴きながら、セリカはクリームがたっぷり乗ったアップルパイを堪能していた。
幸せそうに食べるセリカを、ジョシュアは微笑みながら見つめている。
ミニーがセリカの母方の従兄弟のジョニーを伴って、部屋に入ってきた。
「ねえ! セリカ。今度舞踏会、お揃いのデザインのドレスにしない?」
「まあ、素敵ね!」
セリカがミニーの提案に頷くと、すかさずジョシュアが口を挟む。
「それなら色は青にしよう!」
「まあ! ジョシュアお兄様ったら、早速自分の瞳のお色をお勧めするなんて。ふふふ。私も、ジョニー様の瞳の色のドレスにしようかしら」
ミニーがそう言って傍らのジョニーを見上げると、ジョニーが蕩けるような微笑みを浮かべてミニーを見つめた。
「うん。きっと似合う。僕がプレゼントするよ」
ミニーは、セリカの祖父母の家に遊びに行った時に、偶々訪問していたジョニーと知り合い、少しずつ交流を深めて今は婚約を結んだ。
一方、セリカの隣ではジョシュアが微笑んでセリカを見つめていた。自分の瞳の色のドレスを贈る時、同じ色の宝石も用意して、婚約を申し込もう、と密かに考えていた。
セリカは、パクッとアップルパイを口に運び、ウットリとしていた。
(今日も、こんなに美味しいお菓子が食べられて幸せです!)




