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立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はダイナマイト製のティラノサウルス

作者: レルクス

 夜会の中庭は、月光を鏡面に閉じ込めた噴水の水面よりも冷たかった。楽師の弦は礼儀正しく甘やかに鳴っているのに、耳に届く囁きは氷砂糖の角のように鋭い。


「リリアーナ嬢! 君との婚約は破棄させてもらう! 君は美しい人形だ。だが、そこに心がない!」


 第二王子アルフォンスの宣言は、夏の夜気に不釣り合いなほど乾いていた。彼の腕にしがみつくように寄り添うのは、伏し目がちな男爵令嬢。周囲の貴族たちは扇を傾け、「やはり」「氷のご令嬢では」と耳打ちし合う。


(ああ、やっと……やっと解放される!)


 胸の奥で小さな火種が弾けたが、リリアーナ・フォン・エクスプロードは表情筋のひとつも動かさない。完璧な角度でカーテシーを描き、綺麗に凪いだ声で言う。


「殿下のご意向、承知いたしました」


 その静けさが彼の神経を逆撫でしたらしい。アルフォンスは苛立ちを隠さず声を荒げる。


「君は悔しくもないのか!」


 返事はない。か細い裾のすべり音だけを残し、リリアーナは踵を返した。彼女にとって「王子の婚約者」という肩書は、常時起爆状態の爆薬を胸に抱えた綱渡りだ。ひとつ踏み外せば宮廷ごと吹き飛ぶ。感情を凍らせて日々を凌ぐ以外に術はなかった。


 ★


 屋敷への馬車の中、車輪の震えが骨を打つたびに、過去の光景が浮かんでは弾けた。


 子犬を撫でて「可愛い」と思っただけで東屋が半壊した日。初恋のときめきに庭の湖が沸騰した。


 ——感情の昂りが引鉄となって周囲に爆発魔法を散布する特異体質。


 子爵だった父は娘を幽閉しなかった。代わりに、徹底した訓練を課した。呼吸、脈、瞳孔の開き、頬の温度。


 感情の兆しを数値で捉え、氷の仮面で封じる術。そして、起きてしまった爆発を指向性で束ね、針のように、刃のように、必要な場所だけを切り裂く技術。


 それはやがて、採掘の革新へと形を変えた。


 岩盤は歌う。振動、亀裂、圧力、ガスの走り。彼女はそれらを読み取り、爆破を織り込む。エクスプロード家は『爆薬管理』を司る伯爵家へ。


 特に、爆発加工。

 均一で、とても滑らかな曲線を作る技術は、多くの魔道具の工房が困り果てるものだったが、それが世に出回るきっかけとなった。


 王家も無視できぬ存在になり、国王の采配で彼女と第二王子の婚約が決まった——今日、破談になった婚約が。


 屋敷に着くと、父は一言、『よく耐えたな』とだけ言って、温いスープを差し出した。塩加減が、泣きたくなるほど優しかった。


 そこへ、扉が勢いよく開く。


「リリアーナ嬢! この度はご婚約破棄、心よりお祝い申し上げる!」


 アイゼンベルク公爵家の嫡男、レオンハルト。完璧な礼装、完璧な所作。


 ……なのに、開口一番の祝辞が完璧におかしい。


 父が眉をひそめる間に、彼はリリアーナの手を取り、熱に浮かされたように早口で続けた。


「つきましては我が家の鉱山に発生した新種の硬質鉱床破砕に、貴女のお力を! もちろん、思う存分、好きなだけ、爆破していただいて構わない!」


 胸の奥で、微かな音がした。——カチ、と安全装置が外れる音。


(好きなだけ、爆破……?)


 リリアーナは無表情のまま、ほんの少しだけ顎を傾けた。それが彼には頷きに見えたらしい。レオンハルトの瞳が、焚き火のように喜びで明滅した。


 ★


 数日後。公爵領奥地、瘤だらけの山稜に穿たれた鉱山。


 吹き下ろす風は金属の匂いを運び、坑口からは時折、獣じみた低音が漏れる。ここは鉱石だけでなく、モンスターも産する危険地帯だ。


 現場の監督が状況を説明する間、レオンハルトは別の話をした。


 幼い頃、この鉱山で視察に来ていた幼いリリアーナを見たと。


 岩盤の爆破が暴走したとき、彼女はそれを束ねて岩石ゴーレムに叩き込み、露出した核を、ティラノサウルスのような跳び蹴りで粉砕したのだ、と。


「あの日から、貴女は私の女神だ」


(この人、おかしい)


 確信はしたが、悪い気はしなかった。彼の『おかしさ』は、彼女の本性に正面から光を当てるものだったから。


 現場に降りる。

 彼女は自分の体内に満ちる魔力を最小単位の導火線として扱う。


 脈拍を刻み、呼吸を測り、爆轟を糸のように紡いで岩の節理に差し込む。


「……起爆」


 ひと呼吸遅れて、地が鳴った。


 爆風は前方十七度に収束し、硬質鉱床の表皮だけを剥いでいく。


 粉塵は渦巻き、剥き出しの鉱脈が朝焼けのように煌めいた。坑夫たちが歓声を上げる。レオンハルトはそれ以上の何かを上げそうだったので、彼の肩を監督が押さえた。


 それは突然だった。地の底から、ゆっくりと……大地の重さを連れてくる音。坑の奥が暗く息を吸い、吐き出すように、巨体が現れた。


 地竜、アダマンドレイク。


 甲殻は鋼より硬く、魔法を弾く結晶化層に覆われた、鉱山の主。騎士団が駆けつけるより早く、作業員たちは蜘蛛の子を散らすように退いた。


 誰もが硬直する中、ただ一人、歓喜に震える男がいた。


「リリアーナ嬢! 見せてくれ! 皆が傅く芍薬や牡丹の姿ではない、私が愛した貴女の真の姿を!」


 胸の奥で、何かがぐらりと傾いた。長年、鎖に繋いできた心が、噛み切られたように自由になる。


「……ええ、いいでしょう」


 リリアーナは、初めて心の底から笑った。

 ドレスの裾を掴み、舞踏会ではあり得ない方向へ引き裂く。


 仕込みの、機能一点突破の戦闘用インナーが露わになる。


 軽く、強く、動きのためだけに設計された布地。足が、空気を撫でただけで周囲の視線が吸い寄せられた。


「——さあ、パーティーの始まりよ」


 彼女の指先から解き放たれた連鎖爆破は、地竜の足元の支えを奪い、体勢を一瞬沈ませる。


 その刹那、彼女は滑り込む。顎の影、死角。咆哮が空気を押し潰すより早く、脛が走り、膝が伸び、空気が裂けた。


 ゴッ。


 鈍い音。甲殻の結晶層に細い亀裂が走る。地竜の黄眼が驚きで揺らぐ。


 リリアーナは笑った。

 爆破で足場を作り、爆風で飛び、重力の向きを一瞬だけ裏返す。


 爆発は破壊だけではない。

 推進にも、遮断にも、旋回にもなる。彼女の周りで空気が花火のように開閉し、髪が炎尾のように舞う。


 連続の爆裂で地竜の膝を屈ませ、震脚のように大地へ衝撃を落とす。


 粉塵が柱となって立ち上がり、視界の縁が白む。彼女はその白に線を引く。次の軌道を。


「そこ!」


 踵が閃き、亀裂が走り、結晶層がはぜ飛ぶ。露出した地竜の弱い肉の部分に、指向性を極限まで尖らせた小爆破をねじ込む。悲鳴。暴風。


 彼女はその暴風を帆のように受け、回転しながら顎関節にもう一撃。


 数十の爆破と蹴撃が、詩の韻のように繰り返された。


 やがて巨躯は支えを失い、地に横たわる。沈黙。遅れて、風が戻る。


 粉塵の中に立ち尽くし、肩で息をするリリアーナ。


 頬には汗と灰が混じり、眼差しは紅玉のように明るい。彼女は——生きていた。氷を溶かした水が、体のすみずみに行き渡っている。


 ふらり——と視界の端で、ひざまずく影が揺れた。


「……我が爆炎の聖女よ」


 レオンハルトだった。頬を染め、まるで祈るように彼女を見上げている。


「その芍薬のような唇も、牡丹のように優雅な座り姿も素晴らしい。だが、今この瞬間の——ダイナマイト製のティラノサウルスのように荒々しく敵を蹂躙する貴女こそ、私が生涯をかけて愛すると誓った女神の姿だ!」


 彼は懐から小箱を取り出し、ぱちりと開けた。粗削りだが力強い銀の指輪。石は——鉱山の奥でしか採れない、爆炎の色を封じ込めた希少石、『フレアヘマタイト』。


「どうか、私と結婚してほしい。そして、これからは私の隣で、思う存分、爆発してくれ!」


 リリアーナの喉の奥で、音にならない何かが生まれては消えた。


 自分の本性を、誰よりも忌み嫌ってきたこの力を、肯定する言葉。称賛ではない。崇拝でもない。隣に立つことを望む声。


 胸の奥が温かい。だが——爆ぜない。初めて、炎は穏やかに灯り、彼女の頬を静かに濡らした。


「……はい」


 その返事は、長い長い封印の終わりの音だった。


 ★


 数日後、王都はざわめいた。


 アイゼンベルク公爵家とエクスプロード伯爵家の婚約が正式に発表され、破談の夜会で正しさを誇った第二王子は、青ざめた顔で沈黙した。


 彼が手放したものが何だったのか、遅すぎる理解が追い縋る。


 鉱山では、新たな採掘計画が動き出した。


 指向性連鎖爆破と風洞制御を組み合わせた『花弁式崩落』は、周辺地盤へのダメージを最小限に抑えつつ、鉱石の回収効率を飛躍的に高める。


 リリアーナは図面に赤い線を引き、レオンハルトは隣で相槌を打つ。


 ときに彼女は坑道で、指先に灯した小さな火で空気の流れを確かめ、ときに彼は『その笑顔をもっと見たい』と真顔で言って彼女を困らせた。


 やがて、二人が鉱山で「爆破デート」を楽しむ姿が度々目撃されるようになる。


 合図とともに、山肌に咲く巨大な花。

 花弁は爆風、雄蕊は火線、雌蕊は煌めく鉱脈。花火ではない。彼女の、彼らの、生活のための花。


 立てば芍薬、座れば牡丹。だが歩く姿は——。


 爆風がそよぎ、灰が舞う。彼女は笑う。彼は見とれる。


 世界は今日も、少しだけ、派手に美しい。

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