第20話 魔法妖精の戯れは、残酷な悪戯(第1巻 完)
「ふふっ、勘違いしないでよ、たしかに、庶民──あんたの持つ『鍵』は完璧よ……あまりにも、完璧すぎるくらいにね。だからこそ、それはすでに『あんた自身』と一体化して、本来の『用途』を失ってしまったのよ。さて、ここで問題です〜」
クソ妖精はくるりと宙を舞いながら、楽しげに指を振った。
「『宿殻』を使って『鍵』に必要なエーテルを培養しつつ……けど、あんたみたいに融合しちゃったら台無し。じゃあ、どうすればそんな事態を回避できるでしょうか?カウントダウンいくよ、3〜」
……わからない。
「2〜」
……いや、本当はもう気づいてる。ただ、認めたくなかっただけなんだ。
「1〜」
……頼む、やめてくれ。
「…黙れ」
「…時間切れ〜♪ふふ、もう答え分かってるでしょ?そう……」
「やめろって言ってるだろ!!それ以上言うな!」
「答えは──『宿殻』を殺せばいいのよ♡ うふふふふ」
いつの間にか俺のすぐそばに瞬間移動していたクソ妖精は、耳元で一語一語を舌で舐めるように囁き、そして、仮面を外したかのように、その顔に狂気の笑みを咲かせた。
「体内で培養されたエーテルが一定の濃度に達した時点で、『宿殻』は殺される。死んだ直後に、そのエーテルは即座に余のもとへ回収されるの。その後、死んだ『宿殻』にごく一部のエーテルを再び宿せば……修復される──この先のこと、もう想像できるでしょ?」
「……嘘だろ」
「そう!また最初から繰り返すだけ。寄宿→殺害→回収→修復→寄宿→殺害……この無限ループで高純度のエーテルを量産していけば、いずれ『宿殻』なんてもういらなくなる。余が、『彼女』の姿も、声も、存在すべてを手に入れた『人型エーテル』になるのよ!これぞ『鍵』の本当の完成形ってわけ♡ 美しいとは思わない?」
「……」
そういうことか……あの時、あんな重傷を負っていたアンフィールが、すぐに回復した理由。
俺はてっきり、治安局の医療技術の高さだと……まさか、そんな……そんな『裏』があったなんて……!
唇が乾いて、心臓の鼓動は遠くの車の音すらかき消すほど大きく響いていた。
喉が焼けるように渇き、無意識のうちに何度も唾を飲み込もうとする――だが、それもすべて無駄だった。
あいつの耳障りな笑い声の中で、俺の幼稚な常識も、善良への幻想も、すべてがあいつの狂気に轢き潰されようとしていた。
残骸の中から何かを拾い上げようと必死になるが……今の俺の目に映るのは、血走った景色だけだった。
「……ふざけるなよ。『宿殻』……いや、アンフィールの存在意義が……お前にとっては、そんな残酷でくだらない目的だけのものだってのか?!」
「……存在意義、ね。うーん、どうだったかなぁ~」
真っ向からの問いに、クソ妖精は何の痛痒も感じた様子もなく、頬に指を当てて、無邪気に首をかしげてみせた。
見た目にそぐわないその『可愛らしい仕草』は、目の前の俺にとって、寒気すら覚える悪夢そのものだった。
たとえ自分も過去に『処刑人』として数多くの命を手にかけたとしても──こいつのように他者の命をここまで軽視する者が、この世に存在しているとは思わなかった。
「……やっぱりそれしかないよねぇ。あの子が『宿殻』として存在する意義は……『死ぬこと』だけだったと思うなぁ。ふふふっ」
「てめぇ……!コードN-Alpha──終章戒律!
気づいたときには、俺の指先はあいつへ向かっていた。
だが、寸前で──理性が感情を押さえ込み、怒りに任せたその指を、強く握りしめてゆっくりと下ろす。
「おやおや?見せてくれるんじゃなかったの?庶民が持つ『鍵』の力ってやつを?」
「……」
顔を上げ、深く息を吸い込んだ。激しく脈打つ心臓を、なんとか落ち着かせようとする。
……本当は、こんな形でやつを見逃すなんて、したくなかった。だが、残酷な現実を前にして、認めざるを得ない。
レイナの力がなければ──俺ひとりじゃ、『鍵』の力を使いこなすことすらできない。
そんな状態で、これほどまでに高濃度のエーテルを操るこの相手に勝とうだなんて、それこそ夢物語にもならない、ただの愚か者の妄言だ。
ましてや、さっきあの恐ろしい瞬間移動のような能力まで見せてきた。
対策もないまま、怒りに任せて動けば……また昨夜みたいに、復讐どころか返り討ちに遭って終わるだけだ。
……そして、あの時のような生き延びる運が、何度も続く保証なんて、どこにもない。
「……ここでお前を傷つけるってことは、アンフィールを傷つけるのと同じことだ」
「ふふ、なかなか賢い判断だね……って、ちょっとぉ!?また臭い靴投げるなってば!この無礼者!」
「調子に乗るな。だけどその代わり、もしまたアンフィールを傷つけるようなことをすれば……その時、俺は全力でお前を止める」
――そうだ。たとえ今の俺が、この悪意の塊みたいなクソ妖精に手が出せなかったとしても……もうこれ以上、好き勝手にはさせない。
いま取れる最善の手は、まずはこいつに協力するフリをしてアンフィールを取り戻すこと。
そして……その後で、この歪んだ死の循環を──必ず終わらせることだ。
「お前って……ホント、言ってることとやってることが矛盾してるわね。なんでそこまでして余の邪魔をするの?あんたも分かってるだろう?その『宿殻』に新しい命を与えたのはこの余のエーテルだし、それを回収するのは当然の権利ってもんじゃないか?たとえば、自分で切った爪のことで、いちいち悲しんだりするか?」
「黙れ!誰かの命を『都合のいい道具』みたいに扱うな……アンフィールは、アンフィール自身のもの。唯一無二の、かけがえのない存在だ!」
俺は彼女に指を突きつけ、唇が裂けそうなほど強く噛み締めながら、はっきりと断言した…
「そしてお前だよ、クソ妖精……!いつかその傲慢さと、他人の命を弄んだ罰を……身をもって味わうことになる!」
そう、これは正義を気取った綺麗ごとなんかじゃない。
同じ『過去』を持つ者として──この俺が叩きつける、『予言』だ!
「へぇ~よくもまあそんな口がきけるわね、ほんっと面白いやつだわ。でもまぁ、胸の広〜い余は、いちいちあんたみたいな庶民と本気で張り合ったりはしないの……とりあえず、今後『奴隷』として尽くすことになるあんたに、主人様からの『恩寵』ってやつを、特別に授けてあげるわ!」
「は?誰が奴隷だって!?勝手に決めるな!」
「動くなっ!」
そう言って、俺の腕にちょこんと座ったクソ妖精が、何かを指でなぞるようにして描き始めた……ちょっとくすぐったい。
「つーか、お前の胸、アンフィールよりぺったんこなくせに、『胸が広い』とかどの口が……って、熱っ!?」
「口の利き方には限度ってもんがあるのよね?これ以上くだらないことを言ったら、その腕、灰になるまで燃やしてやってもいいのよ、庶民風情が……ふん、まあいいわ、今日はこの辺にしておいてあげる。さすがの余も、エーテルの使いすぎでちょっと疲れてきたし」
……む?な、なんだこれは……?!
妙な紋様を描き終えたかと思えば、俺に向かってふざけた顔でベーっと舌を出し、完全に見下した態度のまま、あいつは余裕たっぷりに空へ舞い上がっていった。
そして……ようやくその場から動けた俺は、ふと気づく。
昨日の戦いで身体に負ったあの無数の傷が……いつの間にか、すっかり癒えていたのだ。
「……おい、そんなことまでできるのかよ……!」
「当然でしょ?余の力が完全に戻れば、こんなこと朝飯前なんだけどね……あっ、そうそう、危うく忘れるところだったわ。どうせこれから余の『奴隷』として使うんだし、呼び名くらいは決めておかないと面倒よね……コードネーム、じゃないわね。あんたの名前……なんだったかしら?庶民」
うわ……この性格、何から何まで俺と相性最悪ってやつだ。他人の言葉を全く聞かず、自分勝手に話を進めるタイプ……。
「……ライクだ。そして繰り返すが、俺はお前の『奴隷』じゃない……敵だ!」
「ふーん、奴隷ライクね。覚えとくわ。じゃあ余の名前も教えてあげる、名乗る栄誉に感謝しなさい──『フェアリー』って呼んでもいいよ」
「フェアリー……って、『Fairy』かよ。まんま『妖精』って意味じゃねーか」
「そうそう♪ 研究員たちもそう呼んでたわ──『魔法妖精』って、ね」
そう名乗ったあいつは、いたずらっ子のように狡猾な笑みを浮かべた。
ちょうどその時、背後から差し込む眩しい朝日が、あいつの背にある薄氷のように儚い羽を照らし出し──それはまるで、天使のように純粋で眩しい輝きを放っていた。
光と影が交差し、反転しながら織りなすその一瞬の光景は、まるでこう告げているかのようだった──「新しい一日が、今まさに始まろうとしている」と。
待っててくれ、アンフィール……そして──覚えてろよ、このクソ妖精!
雨の夜が明け、晴れわたった空を見上げながら、俺はぎゅっと拳を握りしめ、心の奥で静かに誓った。
第1巻 完