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第15話 悲劇は、いつだって、さらなる悲劇の始まり

「……あれ?なんでこんなとこに治安局の車が?」

雨の中、メイン通りを外れた細い路地をいくつも抜け、 びしょ濡れで重くなったジャケットを引きずりながら、 ようやく廃墟(ルイン)へと通じる十字路に辿り着いた……

そこで俺を待ち構えていたのは、本来なら絶対にここにいるはずのない存在だった──

煌々とライトを点滅させながら、道を塞ぐ数台の警察車両と、広く張り巡らされた、黄色い立ち入り禁止テープ。

「──治安局が廃墟(ルイン)に踏み込むつもりか?……いや、それならもっと奥の入り口を狙うはずだろ……なんでわざわざ手前の街道なんだ?」

──違和感。

そもそも廃墟(ルイン)という場所は、この街の様々な勢力が利害をすり合わせた末に生まれた『暗黙地帯』だ。

治安局が単独で動く理由なんて、本来あるはずがない。

「──こりゃ、偶然近くで何かあったってとこか……」

とはいえ、いくら廃墟(ルイン)の中には手出ししない治安局でも、これからそこに潜ろうとする奴を、見逃してくれるわけがない。

……仕方ない、目立たない場所を探して、こっそり抜けるか。

そう決めた俺は、慎重に歩を進め、なるべく気配を殺してテープの隙間を乗り越えた——

──その時だった。

「……ん?」

足元に、何か奇妙な感触を踏んでしまったことに気づいた。

「……何か落ちてる?本……?」

気になって拾い上げ、適当に手で汚れを拭った。

すると、泥と雨にまみれて隠れていた……可愛いクマの模様が、すぐに姿を現した。

……あれ?これって……。

──『ふむふむ、あと、他に気をつけることある?苦手な食べ物とか?』

「っ!」

エプロン姿でキッチンに立ち、一生懸命にメモを取っていたアンフィールの姿が、雷に打たれたように脳裏をよぎる。

ま、まさか──そんな……!

「……なんで、アンフィールのメモ帳が、こんなところに……!?」

──そして。

同時に思い出す、

昼間、チャールズが最後に残したあの言葉。

「──今日だけは、あの子をできるだけ視界から外さないほうがいい」

……クソッ!

もはや隠れて行動する余裕なんてなかった。

気がつけば、俺は手にしたメモ帳を強く握りしめたまま、警戒区域の奥深くへと、全速力で駆け出していた。

なぜアンフィールは、何も言わず、こんな危険な場所に一人で来たんだ?

なぜ、俺に何も相談してくれなかったんだ?

頭の中で疑問ばかりがぐるぐると回る。 だけど、今はそんな答えを探している場合じゃない。


今、一番にやらなきゃいけないことは——

あの、孤独に突っ走ってしまった小さな小動物を、 この手で引き戻して、頭を思いっきり叩いて、そして、叫んでやることだ。

「……心配させるなよ、バカ!」

──かつて、

誰かの善意を当たり前のものだと思った。

──かつて、

誰かの痛みを、見ないふりをした。

──かつて、

誰かの手首を、必要とされていたのに、突き放した。

二度と、同じ過ちを繰り返さないと、

そう誓ったはずだったのに──。

「……そんなわけない、あいつに限って、絶対に無事だ……あの小動物は、いつだって妙に運が良かったじゃないか」

そ、そうだ!

今回だって、きっと……たまたま、同じデザインのメモ帳を誰かが落としただけかもしれない。

明日の朝になれば、きつと、また俺の部屋に勝手に上がり込んできて──

「おじさん、おはようございます!今日も一緒に解決策を探しましょう!」

──そう言って、笑うに違いない。

「……どうか、俺の勘違いであってくれ……!」

息は荒く、心臓の鼓動が耳の奥でうるさいほどに鳴り響く。

それでも足を止めず、暗く深い路地裏をひたすら駆け抜ける。

だが、進めば進むほど、嫌な予感が、確信に近づいていった。

──そして。

「え……?」

開けた視界の先、まだ血の跡が生々しく残る広場の中心に──

冷たく、無機質な担架が、雨に濡れながら、ただ静かに横たわっていた。

その白いシートの下、うっすらと浮かび上がる『誰』の輪郭。

めくれた白布の端から、傷だらけの、小さな手首がはみ出していた。

今にも何かを掴もうと、必死に指を広げたまま、止まっている。

「……っ!?」

その手が指し示していた先には──バキリと折れた、一本のビニール傘が転がっていた。

あれは、俺がモールの片隅で、適当に選んで、渡した──一番安っぽい、あの傘だ。

──『今日いちばん大切なものは、もう、ちゃんと受け取ったから』

……また見えた気がした。

あの時、あいつがあの傘を胸に抱きしめた、ちょっと恥ずかしそうで、それでも嬉しそうな、あの笑顔。

ついさっきまで、すぐそばにあったはずの光景が——

今は、もう──

どれだけ手を伸ばしても、二度と届かないほど、遠い。

──ドサッ。

力を失った膝が、無様に地面へと沈み込んだ。

冷たい雨に打たれながら、ただ呆然と地面を見つめるしかできなかった。

「そんな……あいつ運だけは良かったんだ……この前、あんなにボロボロになっても、生き延びたじゃないか……なのに……どうして……こんなの、う、そ、だろ……?」

喉に詰まった言葉は、かすれた息にすらならず、ただ、雨の音に呑まれていく。

哀しみか?後悔か?怒りか?絶望か?

……違う。

溢れ出した感情の洪水に、そんな単純な名前は付けられなかった。

胸を引き裂く痛みと、駆け巡る彼女の記憶が、黒い渦となって俺を飲み込み、視界のすべてを、無情なモノクロへと塗り替えていく。

──ヒーローだと?

──命の恩人だと?

──受けた優しさだと?

……そんなの、何の意味がある!!

頼むから……答えてくれよ、アンフィール……

お願いだ……立ってくれよ。

また、俺のわがままに笑って応えて、俺の無茶には文句を言いながら、ちゃんと付き合ってくれよ。

「……」


俺の傲慢さ、俺の卑怯さ、俺の冷酷さ、俺の臆病さ……

──そして、俺の無関心さ。

ありとあらゆる醜さが、胸の奥で押し破られた枷から溢れ出し、ズタズタになった心を、容赦なく噛み裂いていく。


「おい!誰だお前は!ここは現在、捜査中だ!立ち入り禁止だぞ!」

遠くから、治安官たちの鋭い声と、俺を照らす懐中電灯の強烈な光が向けられる。

──だが、そんなもの、今の俺にはどうでもよかった。

「……アンフィール、キミは、いったい何を、追いかけてたんだ……いったい、何を、背負っていたんだよ……」

悲劇は、いつだって、さらなる悲劇の始まりに過ぎない。

俺とアンフィールの、たった二日間の出会いは──

こうして、あまりにも残酷な形で、幕を下ろした。

──結局、最後まで。俺は、何ひとつ、彼女のことを知ることが──できなかった。

──いや、違う。

本当に、『何も知らない』ままだったのか?

あの──甘いものが大好きで、嬉しいと無邪気で飾り気のない笑顔を見せて、怒るとほっぺを膨らませる、元気な小動物。

あの──不幸な過去を抱えながらも、決して逃げることなく、届きそうもない目標に向かって、愚かなくらい真っ直ぐに走り続けた──ポンコツヒーロー。

あの──失敗して落ち込んだり、ライブを心待ちにしてはしゃいだり、華やかな花火に立ち止まり、終わりには寂しそうな顔を見せた、普通で、でも誰よりも一生懸命に生きようとした、そんな女の子。

まるで儚く咲いて消える花火のように、たったの二日間。

消えてしまった彼女のすべてが……この長い人生の中で取るに足らないような短い時間の中で──

確かに、俺の中に、

刻み込まれているじゃないか。


──アンフィール。俺は、いったいどこで間違ったんだろう。

チャールズの忠告を、もっと真剣に受け止めるべきだったか?

別れ際、もう少しだけ、引き止めるべきだったか?

──それとも、もっと早く……キミに、心を開くべきだったのか?

……でも。もし、もしも。

俺たちの積み重ねた時間が、 結局は何の意味も持たない幻だったのだと、運命がせせら笑うなら──それなら、好きなだけ笑わせてやる。


「……今さらこんなことを言っても遅いかもしれないけど、『おじさん』はこれからもキミのことを、知ろうと努力するよ……アンフィール、キミが追いかけていたものを、キミを奪った闇を、そして……キミが最後に託した、このヒーローの夢を。」

これが、今の俺にできる、たったひとつの──贖いだ。


視界を滲ませる豪雨の中、俺は手にしたメモ帳を痛いほど胸に抱きしめながら、まるで覚悟を決めるように──そっと口を開いた。

「ウィングス・スターライト……」

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