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第14話 旅路の終点は、不安な岐路

──ポツ。

「……あれ?」

まるで楽しい旅路が終着駅にたどり着くように。

シンデレラの魔法も、やがて零時の鐘とともに解けてしまう。

アンフィールが紡いでいた、短くも無垢な『夢』も──

この瞬間、静かに幕を下ろした。

──ポツ、ポツ、ポツ。

期待に満ちた笑顔を浮かべる彼女に、降り注いだのは、輝く花火ではなく、冷たい雨のしずく。

「おじさん……雨、降ってきた?」

「この雲行きじゃ、ひと雨で済みそうにないな……花火大会も、これでおしまいか」

「……あ、あはは……タイミング悪いね、ちょっとだけ、残念だけど……」

振り返ったアンフィールは、いつもの明るい笑顔を必死に作ろうとしていたけれど──

重く垂れ込めた雨雲のように、その笑顔には、どうしようもない寂しさが滲んでいた。

「……今日は、本当に終わっちゃうんだね……」

「たかが花火だ、またいつでも見られるさ。さあ、降り出す前に帰るぞ」

「……おじさん」

ん?

不意に、背中から呼び止められた。

「……来月、『オキザリス』のライブ、一緒に行きましょう!」

「はぁ?なんで俺が──」

拒絶の言葉は、もう喉元まで出かかっていた。

──けれど。

振り返ってアンフィールの顔を見たとき、なぜかそれ以上言えなかった。

雨粒が頬を伝って滴り落ちるのも気にせず、彼女はまだ、まるで消えてしまった花火がもう一度咲くのを信じるみたいに、俺を真っ直ぐ見上げていた。

その澄んだ瞳には──

俺が持たない、幼稚で、くだらなくて、だけど心の奥底から羨ましく思える、

決して色褪せることのない『夢』が、輝いていた。

「──はぁ……チケット代、キミ持ちな」

「やったー! えへへ、やっぱりおじさんは……えっ? えええっ!?割り勘じゃないの!?大人の威厳とかどこ行ったのよ!?」


「ふん、威厳なんか、カラッポの財布の前じゃ無力だ!」

「……そんな胸を張って言うことじゃないでしょう」

聞こえない聞こえない。

「……んで、キミ、帰り道どっちだ?」

「話題そらしバレバレだよ!えっと、私はシャンパン通り側だけど……」

「……思いっきり俺ん家と逆方向じゃねぇか」

よくもまあ、朝っぱらからここまで来たもんだな。

「だって、私みたいな取るに足らないCランクのヒーローには、行動力くらいしか取り柄がないから……」

「──ったく……ほら、あそこの本屋の前で雨宿りしてろ。あとで迎えに行ってやるよ」

「……おじさん?」

……。


少しして、向かいのショッピングモールから出てきた俺は、

コンビニ袋と、安っぽいビニール傘をぶら下げて戻ってきた。

「──ほら、持ってけ」

「わ、わわっ!?」

アンフィールが何か言おうとした瞬間、俺は問答無用で傘を彼女に放った。

「えっ?これ、私に……?」

「そんなに驚くことか?ここから駅までは結構距離があるしな。俺はジャケットでどうにかなるが、キミは無理だろ」

「た、たしかに……でも、あのケチなおじさんが、こんな気遣いができるなんて……」

「うるせぇ、ついでに言っとくが、これは店先の投げ売りコーナーで買った安物だ。俺の本命はこっちだよ」

そう言って、袋の中から缶ビールを取り出し、プシュッと一気に開けた。

「ぷはーっ……やっぱ、忙しい一日の締めくくりはこれに限るな!」

「はぁ………やっぱりそうだと思った」

「あとさ……その……」

「ん?」

彼女の不思議そうな顔を見ながら、俺は頭をかき、ビールをもう一口流し込んだ。

「──悪かったな。俺のせいで……キミをヒーローに戻れなくしてしまった。今日も、こんだけ引き回して、結局手がかり一つ見つからなかった……」

「──そんなこと、ないですよ」

「……え?」

「……今日いちばん大切なものは、もう、ちゃんと受け取ったから」

そう言って、アンフィールは、あの安っぽいビニール傘を──まるで世界に一つしかない宝物のように、ぎゅっと胸に抱きしめた。

「それに……何があっても、おじさんは私の命の恩人だから…… 受けた優しさに文句を言う資格なんて、私にはないの」

「……」

『受けた優しさ』か…… 違うんだよ、アンフィール。

キミの目に映る『命の恩人』なんて、本当は——ただの最低な、救いようのない人間なんだ。

「……さ、帰るぞ。俺はこれから深夜ホラー映画見ながら寝る予定だからな」

「……どんな寝落ちルーティンしてるんですか……」

これ以上ここにいたら、 あの無垢な笑顔に、俺の灰色の良心まで浄化されちまいそうで。

慌てて手を振り、足早に背を向けた。

「……おじさん!」

少し歩いた先、道を渡ったところで、また背中越しに、あの聞き慣れた声に呼び止められた。

「今日は……本当に、ありがとう!お疲れさま!」

「……はいはい、もう何度も聞き飽きたよ」

そう吐き捨てて振り返ろうとしたそのとき、遠くのアンフィールが、びしょ濡れになりながら、大きく手を振って叫んだ。

「──明日、また会いに来ますね!」

「お、おう……って違う、来なくていいからなっ!」

だけど。

俺の言葉がちゃんと届いたかどうかもわからないうちに、気がつけば、彼女との間には──ぼやけた雨のカーテンと、忙しなく走る車の波が流れていた。

「……まあ、どうせ聞こえてたとしても、また来るんだろうな」

苦笑しながら、明日また妙なタイミングで現れる彼女の姿を想像して、手に残ったビールを飲み干した。

──たまには、こんな日があっても……悪くないかもな。

さて──。



「──遊びの時間は、もう終わりだ。これからは『大人の時間』でさ」

彼女の姿が完全に見えなくなったのを確認してから、 俺はきっぱりと歩調を変えた。

降りしきる夜の雨の中、駅とは逆方向へと足を向ける。

「──悪いな、アンフィール」

……だって、これから俺が向かう場所は、さっきまでの『闇市』なんて目じゃない。

このきらびやかな街の裏側に、日々生まれては消える闇を根こそぎ集めた、まさに現実世界の魔窟—— 『廃墟(ルイン)』だ。

……そこがかつて何と呼ばれていたのかは、もう誰の記憶にも残っていない。

知る者たちは、ただ 『廃墟(ルイン)』とだけ呼び習わしている。

そこは、腕に覚えのある者たちにとっては『宝の山』、しかし同時に、己の身の程を知らない、無数の飛び込んだ蛾たちが二度と戻らない 『墓場』でもある。

素性も知れぬならず者たちが集うあの場所に、ましてや、昼間には誰かに狙撃されたばかりだ。

この手にある特殊な端末が、どれほど厄介な代物なのかは推して知るべし。

もし『あの場所』で不意を突かれでもしたら、さすがの俺でも、アンフィールを守りきれる自信はなかった。

──とはいえ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、ってな。

外ではなかなか手に入らない情報も、ここなら同等の価値を持つ品物や情報で交換することで手に入るんだ。

だからこそ、望みは薄くとも、時間と金、あるいはそれに見合う情報を賭ける価値はある。

……もちろん、情報を手に入れたところで、それを持って無事に生きて帰れる保証なんて、どこにもないけれど。

「……さっむ、こんな雨じゃ、どんなジャケット着てたって無意味だな」

顔を上げると、空には厚い雲がどんよりと広がり、雨脚もどんどん強まっていた。

──さっきモールに寄ったとき、ケチらずにもう一本傘を買っときゃよかった。

「……はぁ。最近、ずっと雨に打たれてばっかりだな……もしかして、神様が俺に『シャワー代節約サービス』でも提供してるってか?──は、ん?」

自嘲混じりにくだらない独り言を漏らしていると──

視界の隅、遠くのビルの屋上を、何か黒い影が、雨幕を切り裂くように素早く駆け抜けていった。

「……」

何故だろう。 あの一瞬だけの光景なのに、胸の奥にじわじわと不安を広げていく。

アンフィールのやつ……ちゃんと無事に帰れただろうか?

無意識にポケットへ手を突っ込んで、スマホを取り出そうとして——気づいた。

そういえば……昨日の戦いで、『相棒』は既にお釈迦になってたんだった……。

いや、仮に今ここにスマホがあったとしても、あの子の連絡先なんて……俺、全然知らないんだ。

「……考えてみりゃ、あいつのこと、何も知らないな」

あの惨劇の生き残りだってこと……。

あと、無邪気で、無謀で、だけど真っ直ぐな『夢』を持っていること以外は。

……なぜ、あんな特別な端末を持っていたのか。

……なぜ、その特別さに彼女自身が気づいていないのか。

まるで小動物みたいにわかりやすい癖に、 肝心なところは謎だらけの、不思議な奴だ。

まあ、いいさ。これから知るチャンスなんていくらでもある——

この端末を、『本当の意味で』返してしまうまでは、な。

腕に巻かれた端末が、雨の中できらりと光った。

それを眺めながら、心のどこかに溜まっていた不安が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


──だが、そのわずかな安心感も、長くは続かなかった。

俺はすぐに、胸の奥に巣食っていた不安の正体を思い知ることになる。


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